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第八十三話「Why was I chosen?」

「……というわけで、文化祭公演までもうあと二ヶ月ちょっと、ってところよ」

川口さんと古河さんを隣に置いて、深山さんが一同に語りかけている。通りのいい声で、皆に聞こえるように話しているのが分かる。さすがは演劇部の部長だと、改めて感じずにはいられなかった。壇上でみんなに丁寧に説明する深山さんの姿は、この部を取りまとめる「部長」としての風格に満ち満ちていた。

「……………………」

「……………………」

場は完全に静まりかえっていた。部長の話に耳を傾け、誰一人、それに口を挟もうとはしない。先程までここで繰り広げられていた喧騒とは打って変わって、ここにいる全員の真剣さが伝わってくる。静と動の切り替えがここまできっちりできるのは、やっぱりみんなが「演劇」というものに真剣に取り組んでいるからに違いない。

「春頃から企画を立てて、そろそろ中頃ってところかしらね」

「みんなの進行状況はどんな具合かしら?」

ここで一旦話を切って、深山さんが皆に問いかけた。その視線の先にいた岡崎君と佳乃ちゃんが、顔を見合わせながら返事をする。

「一度通してやってみたが……まだ不安なところがあるな」

「ぼくも同じかなぁ。やっぱり一度みんなで合わせてみないと、ちょっと感覚が掴めないよぉ」

二人はごく自然に返事をしていたけれども……その視線が一瞬、ちらりと横へ向いたのが見えた。僕はとっさにその視線の向けられた方向を向いて、そこにいた人物の姿を捉えた。

「……………………」

その人は始めからそうされることが分かっていたように小さく頷くと、静かにその手を上げた。

「部長。一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ。何でも聞いてちょうだい」

丁寧な口調で質問を始めたのは……天野さん、その人だった。

「脚本に目を通してみたのですが、配役について一つ、気になることがあります」

「何かしら? 確か天野さんは、アナカリス役を演じることになってたと思ったけど……」

「ええ。私の役に不満はありません。ただ、まだ配役が決まっていない人物が残っていたような……と思いまして」

「配役の決まっていない人物……ああ、レイレイのことね」

「そういえば、レイレイ役はまだ決まってませんでしたね」

「そうねー。脚本仕上げた時も、レイレイだけはイメージに合う人がいなかったのよねー……仕上げた段階では、ね」

演劇部の核を担っている三人の女の子――深山さん・古河さん・川口さん――がお互いに顔を見合わせて、何やら思わせぶりな表情を浮かべて見せた。これは何かある、絶対に何かある――僕はそう考え、今後の成り行きを見守ることにした。

「わっ、それは大変だねっ。それでその……レイレイって役の人は、どんな人が向いてるのかな?」

話を聞いていたあゆちゃんが一歩前に出て、そんな言葉を口にした。それに呼応するかのように、北川君が口を開く。

「どんな人……か。そうだな、確か『ボーイッシュな女の子』だったよな、藤林」

「そうね。あと、ちょっと子供っぽいところがあるといいかしら」

「……だそうだ、あゆ」

「へぇー。なかなか個性的な役みたいだねっ」

にこにこ笑って話を聞いているあゆちゃんだったけれども、話を振った祐一君の表情に僅かな笑みがこぼれていたことには、まったく気づいていないみたいだった。

「あと……それで、童顔だとイメージにぴったりなんですよ。そうですよね、お姉ちゃん」

「そうそう。ついでに、背はそんなに高くない方がいいって書いてあったわね」

「……だそうだ、あゆ」

「そうなんだぁ。選ぶの、大変そうだね……」

僕は何となく、この後の展開の予想がついた気がした。不幸なことに、渦中の人物はまだその事に露ほども気づいていないみたいだったけれども。

「なあ霧島。他には何か特徴あったか?」

「そうだねぇ。後は、『元気系の子がいい』って書いてあったねぇ」

「そうそうっ。あとは、一人称が『ボク』だったら最高なんだよねっ」

「……だそうだ、あゆ」

「へぇー……あ、あれ……?」

ようやく自分の置かれている状況に気がついたのか、あゆちゃんがはっとしたような表情を浮かべて、自分の周囲をぐるりと取り囲んでいる演劇部の部員達の姿を見つめた。

「え、えっと……」

「そういえば渚ー、新しい人を選んだ基準って、どんな感じだったっけ~?」

「はい。七夜さんはあの力強い立ち振る舞いに惹かれて、伊吹さんはその手先の器用さを素晴らしいと思いまして」

「だったわよね~。それじゃあ渚ー。あゆちゃんを誘った理由って、なんだったかしらね~?」

「はい。それは……」

「う、うぐぅ……ま、まさか……」

川口さんと古河さんはいかにも楽しげに、少しずつ少しずつ、事の真相を明らかにしていく。

「まさか……もしかして……ひょっとして……」

「はい。今度文化祭で演じる劇の役に、月宮さんがぴったりだと思ったからですっ」

「う、うぐぅぅぅぅぅ! や、やっぱり……」

古河さんがきっぱりと述べたところで、事の真相が明らかになった。古河さんは最初から「レイレイ」って人の役を当てるために、あゆちゃんを演劇部に誘ったみたいだった。

「脚本書いたときからどーもしっくり来る人がいなくてねー……正直、渚からあゆちゃんのこと聞くまでリライトしよっかなー、なんて考えてたんだよねー」

「そうそう。あの時の茂美ったら、珍しく真面目に悩んでたんだもの。役に合う人が見つからない見つからないって、一日中ぼやいてたこともあったし」

「そんなこともあったのよねぇ。でも、渚のおかげでぴったりの人が見つかったわー☆」

心の底からうれしそうな表情をして、川口さんが言う。そんな川口さんの表情とは裏腹に、あゆちゃんは戸惑った表情をしておろおろしながら、助けを求めるようにあちこちに視線をやっている。

「う、うぐぅ……ボク、そんなの聞いてないよぅ……」

「えと……すみません。本当は、先にお話しておくべきだと思ったんですが……」

「で、でもボク、今まで一回も演劇とかやったことないよ……? ほ、ほら、ひょっとしたら、すっごい失敗とかしちゃうかも知れないし……」

「大丈夫だって! ほら、私たちがいろいろと教えてあげるからさっ」

大きく前に出て、川口さんが請け合った。それに続くかのように、深山さんと古河さんもあゆちゃんの前へと歩み出る。

「大丈夫です。誰でも、最初は初めてですから」

「そうそう。私たちだって最初から上手だった訳じゃないもの。月宮さんだって練習すれば、きっと素晴らしい演技ができるようになるわ」

「そうよ。それに、渚や部長が目をつけた位なんだから……案外、自覚してない才能があるのかも知れないわよ?」

「そ、そうかなぁ……」

あゆちゃんは困ったような嬉しいような、どっちとも取れる微妙な表情を浮かべて、その小さな口元に手を当てた。

「私たちが全面的にバックアップするから、大船に乗ったつもりでいていいわ」

「そうです。私も月宮さんのこと、全力で応援しますからっ」

「う……うん。ボク、頑張ってみるよ」

「そーそーその意気その意気! 元々近い役回りだから、なりきればそっちのもんよ!」

三人がかりの説得が功を奏したようで、あゆちゃんはだんだんとその気になり始めていた。その表情に、徐々にやる気が満ちてくるのが目に見えてわかる。

「あー……でも、もし本番で失敗するようなことがあったら、部長からの恐怖のアレが待ってるから、それだけは気をつけてネ☆」

「……えっ?」

はじける笑顔で「恐怖のアレ」などという物騒きわまりない言葉を口にした川口さんに、あゆちゃんがきょとんとした表情で問い返した。

「ああ、アレは恐ろしいよな」

「うんうん。アレは怖いよぉ」

「ああ……アレは恐ろしいぜ。そうだよな」

「……アレね。思い出すだけでも震えが止まらないわ」

「アレはちょっと……うん。もう、思い出したくないよね……」

周囲にどよめきが広がる。その中でも特に敏感な反応を見せているのは、佳乃ちゃんや岡崎君といった、二年生の部員たちだ。

『もしかして、アレのこと?』

「そういえば、澪はもう知ってるんだったな……ああ。お前の思ってるとおりのことだ」

「お、お姉ちゃん……『アレ』って、いったい何なんですか?」

「知らない方がいいわ。知ってしまったら……栞。あなたも恐怖に怯えることになるもの」

「え、えっと……みさき先輩、『アレ』って……何のことですか?」

「……みさおちゃん。それは、私にもちょっと教えられないよ……」

「川名先輩でも恐ろしく感じるということは……それは何か、恐ろしい音を伴うものなのでしょうか?」

「そうだね……音とか視覚とか、そういう概念を超越した、全く新しい怖さだよ」

「え、えっと……何がなんだかさっぱり分からないのですが、どういうことでしょうかっ」

「いぢめる? いぢめる……?」

「わ、分からん……一体どういうことなのか、私にもまったく分からない……」

一年生の子と新しく入った七夜さんは、深山さんの「アレ」が何で、「アレ」がどのように恐ろしいのかさっぱり分からない様子で、どこか怯えた表情を見せていた。ことみちゃんも「アレ」が何なのか知らないようで、涙目になっておどおどした様子を見せていた。

「ふぇ……なんだか、大変なことがあるみたいだね」

「……………………」

この二人は、割と落ち着いているようだ。

「う、うぐぅ……ぶ、部長さん……『アレ』って……何のことなのかな?」

「……さ、月宮さん。台本を渡すから、早速練習を始めてちょうだい。渚、茂美。月宮さんのこと、全力でサポートしてあげてね」

「んっふっふ。任せてちょーだい」

「はいっ。月宮さんが立派な役者さんになるまで、全力で応援しますっ」

「さ、さりげなくボクの質問がスルーされてるよっ!」

さりげないどころかほとんど全力でスルーされていたような気もしないではないけど、あゆちゃんの言い分はあまりにももっともだと思わざるを得なかった。

「というわけだ、あゆ。生きてるうちに、全力を尽くすんだぞ」

「あゆちゃん。もしあゆちゃんに何かあったら、後のことはぼくが全部やったげるから、何も心配しなくても大丈夫だよぉ」

「そ、そんなこと言われて何も心配しない方が無理だよっ!」

「ちなみに、お前はあゆあゆだからな」

「あゆあゆじゃないもん……って、それは関係ないよっ!」

怒ったように言うあゆちゃんを、祐一君と佳乃ちゃんが楽しげに眺めていた。

「うぐぅ……二人とも、ひどいよぉ……」

「あははっ。冗談だよぉ」

「悪い。お前の反応がどうにも面白くてな」

……………………

「大変だと思うけど、ぼくもやれることはやるからねぇ。一緒に頑張ろうよぉ」

「そうだな。渚や茂美も教えるときは本気で教えてくれるはずだから、とにかく頑張れ」

「……うんっ。やってみるよっ」

三人の様子はまるで、ずっとずっと昔から一緒にいた幼なじみ同士のような、そんな自然な関係にあるように見えた。

(……………………)

佳乃ちゃんとあゆちゃんも、あゆちゃんと祐一君も……出会ったのは、つい最近だったはずなのに。

 

「……とりあえず、今日の話はここまでね」

深山さんが話を切って、ほっと息を吐いた。

「この後は練習するなり、用事のある人は帰るなりで、自由にしてくれていいわ。各自、練習と準備は怠らないようにね」

その言葉で……話し合いは、終わりを告げた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。