「あっ! キミは確か……」
「……国崎さん……?」
「ぴこぴこっ」
廃駅にふらりと現れたのは、ちょうど僕の探していたあの人だった。往人さんはそろそろとこちらに歩いてきて、この場の顔ぶれをぐるりと見渡した。すでに使われていない駅に三人も人がいること、往人さんは少なからず驚いているようだった。
「遠野にポテトに……それにお前か」
「あははっ。奇遇だね。また会えてうれしいよ」
往人さんはお姉さんを見やりながら、小さくため息を吐いた。お姉さんはお姉さんで、往人さんの顔を楽しげな表情で見つめている。どうやら往人さんとしては、自分を見つめるお姉さんの表情や視線に、どこかぎこちなさを感じているみたいだった。
「二人はともかく、ポテト。お前はどうしてここにいるんだ?」
「ぴこっ。ぴこぴこぴこぴこぴこっ」
「……なるほど。近くを歩いてたらここに来て、それでこいつらと一緒になってたわけだな」
「ぴっこり」
納得したように頷き、僕を見やる往人さん。僕の言いたい事がきちんと伝わっているのが、僕には嬉しかった。
……と、その時だった。
「……んににににに」
横から低く唸るような声。往人さんがそれに気づいたようで、ちらりとそちらに目を向ける。
「……誰だ? お前は……」
「……んにににににに」
往人さんの問いかけにも、みちるちゃんは返事をしない。ただ往人さんのことをじーーーーーーっと見据えて、腰に手を当てて唸り声を上げている。その様子は明らかに、往人さんに対して良くない感情を抱いているようだった。往人さんは涼しいもので、左手を無造作にポケットへと突っ込んだまま、みちるちゃんのことを見下ろすように見つめている。
「……………………」
「……………………」
二人のお見合いは、それからしばらく続く……
「隙ありーっ!!! ちるちるキーックっ!」
……と思いきや、割とすぐにその均衡は打ち破られて、みちるちゃんは往人さんに向かって飛び掛っていった。みちるちゃんはとび蹴りを繰り出し、往人さんへと果敢に挑みかかる。
「……!」
往人さんの目がかっと見開かれた。無造作にポケットへ突っ込んでいた左手を、鞘から刀を引き抜くようにして瞬時に取り出すと、
(ガッ)
「……にょへっ?!」
前腕でみちるちゃんの強烈なとび蹴りを受け止め、その勢いを殺して見せた。驚くみちるちゃんには一向構わず、往人さんはすかさず右手を差し出し、構えていた左手をするりと横へ回すと、空中に留まっていたみちるちゃんをむんずと掴んだ。
「にょわわわわ!!」
「……そらっ!!」
そして、そのまま……
(どしゃっ)
「にょが!?」
みちるちゃんを地面へと投げ倒した。みちるちゃんは蛙が潰れたような情けないうめき声を上げて、地面に大の字になって横たわった。
「やれやれ……」
手のひらをぱたぱたと払いながら、往人さんがベンチに座っていた二人を見やる。そうして少しも間を置かず、おもむろにこう切り出した。
「で、これはどっちの連れなんだ?」
「……………………」
「お前か……こいつはお前の妹か?」
「……はい。みちる、と言います……」
遠野さんはいつもの調子で、往人さんの問いかけに答えた。往人さんは頭を振って、地面に倒れているみちるちゃんを見てから言った。
「とりあえず、他人にいきなりとび蹴りを食らわさないようにしっかり教育しておいてくれ」
「……ぽ」
「あははっ。でも、キミすごいねっ。みちるちゃんのとび蹴りを受け止めるだけじゃなくて、掴んで投げ飛ばしちゃうんだもん。ビックリしちゃうよ」
お姉さんはにこやかに笑って、往人さんの鮮やかな手さばきを褒め称えた。往人さんは右手を腰に当てると、また小さく息を吐いた。その表情は、ちょっとばかり疲れているようにも見えた。
「……ま、とりあえずこいつは放置だ。お前らはどうしてこんなところにいるんだ?」
「……私は、みちると一緒に遊ぶために来ました」
「同じかな。ここ、お気に入りの場所なんだよ。遊ぶのにもちょうどいいしねっ」
「なるほどな……」
それなりに納得した様子で、往人さんが首をぐるりと回す。
「……国崎さんは、どうしてこちらへ?」
「俺か? ……いや、人のいるところを探してあちこち歩いてたんだが、今日はどうも見つからなくてな……」
「人のいる場所?」
往人さんの言葉を聞いたお姉さんが、すっくと立ち上がった。
「それなら、いい場所知ってるよっ。人がたくさんいればいいのかな?」
「そうだな……人がたくさんいて、なおかつ屋外がいい。それなりに場所をとるからな」
「うんっ。どっちも大丈夫だよ。ここからちょっと歩かないといけないけど、平気?」
「ああ。それは大丈夫だ。歩くのには慣れてるからな」
帽子を深く被りなおし、往人さんは答えた。
「決まりだねっ。それじゃ、そこまで案内するよっ」
「頼んだぞ」
お姉さんが往人さんの隣について、お姉さんの言う「人のいる場所」まで案内するみたいだ。次いで、僕もベンチから降りて隣に並ぶ。
「……行かれるのですか?」
「ああ。こいつが起きたら、もうとび蹴りは禁止だぞって言っておいてくれ」
「……了承」
遠野さんは頬を赤らめて、そう呟いて請合った。
「商店街の方か?」
「そうだね。商店街を抜けたところにある、新しい駅に行くんだよ」
「新しい駅?」
「うん。知らなかったのかな?」
「ああ。あの古い駅しか知らなかった。ここにはバスで来たんでな」
「そっかぁ……それなら、仕方ないねっ」
道すがら、往人さんとお姉さんは(僕が思っていた以上に)いろいろと話をしていた。お姉さんは意外と話し上手なようで、往人さんも心なしかいつもより口数が多くなっているように思えた。
「探し物、結局見つかったのか?」
「ううん。まだ見つかってないよ。探さないとダメなんだけどね」
お姉さんは以前のような焦燥感は微塵も見せることなく、からりとした表情で言った。
「でも、そんなに焦らなくても大丈夫。きっと、すぐに見つかるはずだからね」
「そんなに楽観的で大丈夫なのか? 誰かに間違って拾われたら、取り返しがつかなくなるぞ」
「うーん……それはそうかも知れないね。また、ちゃんと探しておくよ」
口元に手を当てて、お姉さんがにこやかに笑って見せた。
「でも、キミと二人になれるなんて、思ってもみなかったよ」
「まぁ、初めて会ったのが昨日だからな。俺もそんなことは思ってなかった」
「そうだね。でも、嬉しいよ。キミと二人でいられることが」
「どういう意味で言ってるんだ? それは……」
少し困った様子を見せて、往人さんがお姉さんを見やる。お姉さんはくすくすと笑って――それにしても、よく笑顔を見せてくれる人だ。それもいろいろなバリエーションがあって、見ていて全然飽きないや――、往人さんの肩をぽんぽんと叩いた。
「あははっ。キミはカッコいいと思うけど、そういう意味じゃないよ」
「……………………」
「ただね、一緒にいられたらいいなって思ってたんだ。本当にそれだけだよ」
そう言って、お姉さんは青空へと目をやった。
「……嬉しいんだよ。キミと出会えて、キミとここにいられることが」
空に向けて言葉を投げかけるお姉さんを、往人さんは静かに見つめていた。
「……………………」
……澄んだ瞳で、見つめていた。
「ここだよっ。どうかな? どうかな?」
「なるほど。確かに人通りは多いな……」
たどり着いた先は、環状の停留所がある大きな駅。見上げた先に目に入った看板には、古い駅で見かけたのと同じ名前が刻まれていた。今いる駅にさっきまでいた廃駅がオーバーラップして、なんだか妙な気持ちになった。
「どこでやる? あの……階段の上辺りはどう? あそこなら、人形劇をやるにもスペースは十分だよ」
「悪くないな。他にあの場所を使ってるようなヤツはいるか?」
「たまにギターを弾いて歌ってる人がいるくらいだよ。その人も最近は見かけないし、多分大丈夫」
お姉さんが請合うと、往人さんは帽子をもう一度被りなおして、駅舎へとつながる階段を上った。
「ところで……キミの帽子、カッコいいね」
「これか? その辺で適当に買った安物だぞ」
不意に、お姉さんが往人さんの帽子のことを口にした。言葉をかけられた往人さんは帽子のつばをつまむと、きゅっきゅっと少し動かして見せてから、お姉さんへと目を向けなおした。
「帽子を被るの、好きなのかな?」
「別に好きって訳じゃないが……じゃあ、お前はどうなんだ?」
「?」
そう言われて、お姉さんがきょとんとした表情を浮かべる。ふと頭にやった手が、ふぁさっ、という音を立てて、お姉さんの帽子が僅かに凹んだ。
「これかな? えへへっ。これには、ちょっと事情があるんだよ」
「奇遇だな。俺も事情があって帽子を被ってるんだ」
「本当? うれしいよっ。そういう細かいところが似てるのって、なんだか嬉しくならないかな?」
「そういうもんか?」
「そういうものだよ」
お姉さんは右手で白い帽子をぺたぺたと触りながら、同時に左手で往人さんの黒い野球帽に触れる。
「この白い帽子と、キミの黒い帽子」
「色は正反対だけど、被ってる理由はよく似てるみたいだねっ」
二人の話を聞きながら、僕はふと、お姉さんの言葉に引っ掛かりを覚えた。
(これには、ちょっと事情があるんだよ)
事情。これはつまり、お姉さんにはその帽子を被らなきゃいけない理由があるってことだ。往人さんの方の事情は分かる。あの帽子の中に、信じられないくらい長い髪の毛が納まっているからだ。髪の毛を帽子で隠すことで、往人さんは性別を見事に偽って見せている。それは僕も良く知っていることだから、今更改めて考える必要は無い。
……じゃあ、お姉さんの「事情」は一体なんだろう?
あの帽子の下に、お姉さんが何か隠しておきたい、隠しておかなきゃいけないことがあるのだろうか。それは僕のうかがい知れるところではない。お姉さんと初めて出会ったのは、高々昨日の話だ。一日二日で、お姉さんが何を考えていて、何の目的で帽子を被っているかなんて、分かるわけが無い。
……時間が経ったから分かる、というものでも無さそうだけど。
「……さて。そろそろ始めるか」
「うん。それじゃ、この辺りで見てるね」
二人は会話をそこで打ち切ると、歩道の端に陣取ってしゃがみ込んだ。
「……世にも不思議な人形劇」
「……只今開演!」
啖呵を切って、往人さんが人形を繰り始めた。
………………
…………
……
「……すごいね。みんな、目が輝いてたよ」
「まぁな。時間帯も良かったんだろ」
かれこれ一時間と少々置いてから周囲を見ると、方向を逸れて歩道に落ちた小銭が数枚、無造作に落ちているような状態だった。普段往人さんの使っている小銭入れはもはや言うまでも無く、限界を超えて山積みになっていた。
「でも、本当にタネも仕掛けも無いんだよね……驚いちゃった」
「これが俺の唯一の飯の種だからな。驚いてもらわなきゃ困る」
「あははっ。それもそうだねっ」
往人さんを言葉を交わしあいながら、お姉さんが小銭を集めて回る。一枚、二枚、三枚……
「後は……」
最後に、四枚目の小銭に目を向けたときだった。
「これかな? 最後の一枚は」
スーツ姿の若い男の人が、落ちていた最後の小銭を手にして、二人の前に立っていた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。