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第九十四話「Pet Sematary」

「……………………」

「……………………」

沈黙の中にいた。沈黙の海を漂っているようだった。誰も口を開こうとしない、重々しい静寂。上りよりも幾分楽なはずの下りの坂道が、何故だか上りよりもずっと長く、険しい道のりに思えた。じっとりとした密度の濃い空気が纏わり付いているようで、形容しがたい居心地の悪さを感じた。

「……………………」

「……………………」

そんな沈黙が続いて、幾許かの時間が経った頃だった。

「……なぁ、みさお……」

胃の中から鉛を吐き出すような重い声色で、折原君が口を開いた。

「……うん。何が言いたいかは、大体分かるよ……」

呼びかけられたみさおちゃんはあらかじめそうなることを予見していたのか、特に驚いた様子も見せず、静かな口調で応じた。

「……長森。みさおが猫を拾ったこと……憶えてるか?」

「みさおちゃんが……猫を拾ったこと?」

「憶えてないか? みさおが小学生だった頃だぞ」

話を振られて、長森さんはしばし考え込む。けれどもすぐに何かを思い出したのか、はっとしたような面持ちになって、後ろにいた折原君とみさおちゃんの顔を同時に見つめた。

「……うん。思い出したよ。その時……確か、私も一緒にいたはずだからね」

「ああ……みさおが道端に捨てられてた猫を拾って、うちに連れて帰ってきたんだ」

「……………………」

「病気か何かで弱ってたみたいでな……みさおは寝ないでそいつの面倒を見てやってたんだが……」

「……………………」

間。沈痛な間。この後に続く言葉がどのようなものかは、この場にいる誰もが想像できたに違いない。僕でさえ、それが何か分かっていたのだから。言うのは辛いことに違いない。思い出したくも無い、一生頭の引き出しの中にしまい込んで鍵をかけて、その鍵を放り投げてしまいたい、そんな記憶に違いない。

……それから、ややあって。

「……拾ってきて……三日目だったか」

「……………………」

「……死んじゃったんだよな……あいつ……」

「……うん……」

みさおちゃんは暗い表情を見せて、弱弱しく頷いた。長森さんと折原君がそれに呼応するかのごとく、小さく息を吐き出した。

「その……次の日だったか」

「……………………」

「そいつの墓を作ってやろうって、家の庭に穴を掘ったんだ」

「……………………」

「穴ができて、猫を穴に寝かせて、二人で土をかぶせた……その後だった」

目を伏せ、折原君が僅かな間だけその口を噤んだ。

「……同じだったんだ。あいつとあの時のみさおが、まったく同じだったんだ」

「……じゃあ、みさおちゃんも……」

「うん……お墓を掘り返して……あの子を抱きしめて……それで……」

「……………………」

二人があの場でずっと黙っていた理由が、やっと分かった気がした。

折原君とみさおちゃんは、あの時目の前で展開された痛ましい光景に、自分達の過去を重ねていたんだ。あの子がどんな思いで土を掘り返して、どんな思いで亡骸を抱きしめたのか……その理由が分かりすぎるほど分かってしまったから、何も言うことができなかったんだ。何か言えば……それは、過去の自分達への言葉となってしまう。生半可な同情や、あるいは咎めの言葉など、言えるはずも無かったんだ。

「分かる……分かるわよぅ……真琴だって、もしぴろが死んじゃったら……」

「そうだよね……私も……たくさん猫飼ってるから……」

「……あたしが……もし、みさおちゃんやあの子と同じ立場に立たされたら……もし、ボタンが死んじゃったら……」

真琴ちゃん、長森さん、藤林さんが、それぞれの胸の内を明かした。誰も彼も、思うところは同じみたいだった。

「こんなこと、言いたくないけど……こんなこと、言うのも怖いけど……でも……でも……」

「……………………」

「何かがちょっと間違ってたら……何かがほんの少しずれてたら……」

「……………………」

 

「……あそこで泣いてたのは、ぼくらだったかも知れないんだよねぇ……」

 

佳乃ちゃんの言葉に、その場にいた全員が頷いた。

重々しい同意だった。それがいつ何時自分に降りかかってくるか分からないからこそ、佳乃ちゃんの言葉には恐ろしいまでの説得力があった。

(……ぎゅっ)

その言葉を口にした佳乃ちゃん自身も、決して例外などではないことを自覚していたからだろうか。僕を抱く手に、より一層の力がこもるのが分かった。僕は佳乃ちゃんの手の力を直に感じながら……前とは違う、はっきりとした形の「悲しみ」を、そこから強く強く感じ取った。

「……また、お墓参りに行ってあげようよ。その方が、あの子も喜んでくれると思うし……」

「そうね……早く立ち直って、また元気になって欲しいわね……」

「うん……そうしなきゃ、天国のみゅーも安心して眠れないわよぅ」

長森さんたちが頷き合って、また、お墓参りに行ってあげようというお話をしている。僕もその方がいいと思った。

「辛いかも知れないが……あんなに大切にしてもらえて、みゅーも本望だったんじゃないかな……」

「そうだよね……きっと、そうだよね……」

「そうに違いないよぉ。みゅーはいい飼い主さんに出会えて、きっと幸せだったはずだよぉ」

そうであって欲しいと、僕も願った。

 

「それじゃあ……真琴はこっちだから、またねっ」

「行ってらっしゃい。車には気をつけるのよ」

交差点に差し掛かると、保育所に行く真琴ちゃんが一団から離脱した。走っていく真琴ちゃんを、藤林さんが見送る。真琴ちゃんは軽快に走って行き、道の彼方へと姿を消した。

「それじゃ、あたしたちも学校に行きますか」

「うん……でも、ホントに私も行っていいのかな?」

「いいですよっ。むしろ、大歓迎ですっ」

「そうだよぉ。他の人が見てくれてた方が、演技にも力が入っちゃうしねぇ」

「長森だと、あんまり部外者って感じはしないけどな……」

「うーん……それはそうだけど、やっぱり、誰かに見てもらったほうがいい演技ができる気がするよ」

この分だと、長森さんも一緒に部室へ行くみたいだ。あと、僕も一応部外者なんだけど、誰も気づいてないみたいだからあんまり気にしないでおこうと思う。

「みさおちゃん。確か、新しい人が入ったんだよね?」

「はい。同級生の伊吹さんと、二年生の月宮先輩と七夜先輩です」

「七夜さん? ねえ浩平。ひょっとして、私たちのクラスの……」

「そうだ。まさかあいつが演劇をやるだなんて、想像もしてなかったぞ……」

「まぁね。あたしも最初渚から聞かされた時は冗談かと思ったわ」

やっぱり、七夜さんが演劇を始めたことは相当意外だったみたいだ。長森さんはあっけに取られた様子で、藤林さんと折原君の顔を交互に見つめている。

「ま、とりあえず部室に……ん?」

学校へ向かおうとした矢先、折原君がその足を止める。不思議に思ったのか、長森さんが問いかけた。

「どうしたの? 浩平……」

「ほら、向こう見てみろよ」

「むむむ?」

折原君が指差す先へ、一同の視線が集中する。すべての視線を集めて一つに集中させ、その集中点から紡がれる一本の線を辿っていくと、そこには……

 

「あれ、天野じゃないか?」

 

……天野さんらしき女の子が、道沿いの一軒家から出てくるのが見えた。

「えっ? 美汐ちゃん?」

「ほんとだねぇ。どうしたのかなぁ?」

「とりあえず行ってみない? ここで突っ立っててもしょうがないし」

藤林さんの言葉で、一同が揃って歩き出した。天野さんと思しき人影との距離はさほど無く、すぐにその姿をはっきりと視界に捉えることができた。

真っ先に声を上げたのは、みさおちゃんだった。

「美汐ちゃんっ!」

「……?」

不意に自分の名を呼ばれ、天野さんがちょっと驚いたような表情でこちらに振り向く。けれども、そこに揃った顔ぶれを大体確認すると、その表情はいつもの落ち着いたものに戻っていった。

「折原さん……それに、皆さんお揃いで……おはようございます」

ただ、その声色は少し曇っていた。何か悩みを抱えている時には、こんな風に声が曇るものだ。それを察知したのか、みさおちゃんがすかさず反応を返す。

「おはよう美汐ちゃんっ。どうかしたの? なんか、ちょっと元気無いみたいだけど……」

「ええ……実は……」

「……ひょっとして、この前のことかなぁ?」

天野さんが話し出す前に、佳乃ちゃんが先に天野さんへと問いかけた。どうやらそれは正しかったようで、天野さんは深々と頷いた。

「ええ。霧島先輩にはお話ししましたが……一つ、困っていることがあるのです」

「困ってること? どんなことかしら?」

「町の中心地から少々離れた場所にある保育所で、今大変な人手不足が起きている……という噂を耳にされたことは無いでしょうか?」

「……聞いた聞いた。確か、真琴が勤めてる保育所でしょ? ちょうど今日の朝、真琴本人から聞かされたわ」

「その通りです。数日ほど前、真琴から『誰か手伝える人はいないか』と相談され、その為に方々を尋ねて回っているのですが……なかなか、手の空いている方がいらっしゃらなくて……」

「……そっかぁ。それで、さっきの人のところにも……」

「ええ。残念ながら、良い返事は頂けませんでしたが……仕方ありませんね」

ため息混じりに呟く天野さんの表情には、明らかな疲れの色が見て取れた。この様子だと、人手探しにずいぶんと苦心しているらしい。その割には、目立った成果は得られていないようだった。

「ところで、皆さんはこれからどちらへ?」

「部室に行って、文化祭の自主練をするつもりだよ。美汐ちゃんはどうする?」

「そうですね……折角ですし、ご一緒させていただきましょうか」

「それがいいよっ。やっぱり、人数は多いほうがいいしね」

……というわけで、隊列は再び六人へと戻った訳だ。天野さんが一団に加わって、一同揃って歩き出す。

「しかし、朝からこんなに大人数で行動することになるとはな……」

「ま、たまにはいいんじゃないかしらね。どーせ行くところは同じなんだし」

「それもそうか」

短く言葉を交わしあい、六人は学校に向かって歩いていった。

 

「相変わらず人少ないな……」

「夏休みだからねぇ。学校の中も静かだよぉ」

校門をくぐり、下足室を抜け、階段を上って部室の前まで行く。

「もう誰かいるみたいね」

「うん……みんな、練習熱心なんだね」

前まで来てみると、中からは楽しげな声がいくつか聞こえてくる。どうやら、先客がいるらしい。藤林さんが戸に手を掛けて、勢いよく戸を滑らせる。

「あ、藤林さん。おはようございます」

「おっはよー。渚、今日も来てたのね」

「古河さん、おはようだよっ」

「おはようございます。見学に来てくださったんですね」

「うんっ。今から楽しみだよっ」

まず僕らを出迎えてくれたのは、いつもの様子の古河さんだった。藤林さんと長森さんが続けて挨拶をして、古河さんがそれぞれに会釈を返す。

「あれれぇ? 他の人たちはどうしたのかなぁ?」

しかし、そこにいたのは古河さんだけ。他の人の姿は無かった。

「はい。向こうでお話をしてらっしゃいます。なんでも、ちょっと変わったことがあったそうで……」

「変わったこと? それって、どういう……」

長森さんが古河さんに問いかけようとした……

……ちょうど、その時。

 

「それは……いわゆる、『ドッペルゲンガー』ではないでしょうか?」

椋さんの声が、静かに響き渡った。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。