「……マジかよ」
「ていうか、どういう状況でこんなことになってんのよ……」
「あぅ……なんか、漫画みたい……」
唖然とする他ない状況だった。あまりにも突飛過ぎる状況に、一同がことごとく言葉を失った。ちなみに、僕も今の状況を上手く説明する自信は無い。確実に言えることは、目の前には七瀬さんと七夜さんと繭ちゃんがいて、それぞれのおさげに掴まって繭ちゃんがぶら下がっている。それだけだった。
「七夜先輩っ！」
「ん？ ああ、折原か。こんな所で如何したんだ？」
「それはむしろこっちが聞きたいわ……」
「藤林……？ それに長森に霧島に……一体如何いうことだ？」
「なんだかよく分かんないけど、何にも理由がないのにこんなところで五人も六人も固まるわけは無いわよね」
「まあ、その辺りは追々説明するとしてだ……まず、そっちから説明してくれ」
僕らがここにいる説明もするべきだろうけど、それよりも先に、七瀬さんと七夜さんから事情を聞くべきだろう。七瀬さんは左を、七夜さんは右を引っ張られてそれぞれに首を傾げながら、嬉しそうな表情で一向に手を離そうとしない繭ちゃんに目を向けている。一体全体、何故こんなカタチになってしまったのだろう？
「説明するって言ってもねぇ……思ったほど内容は無いわよ」
「私と七瀬が商店街で鉢合わせしたところに、後ろからこの子が駆けてきたんだ」
「アタシ達の近くで立ち止まったと思ったら、急に髪の毛を引っ張られたのよ」
「別段痛くも痒くもなかったが、このままだとお互いの行動に支障が出ると思ってな。離させようとしたが、どうにも上手くいかなかった」
「で、しょうがないからとりあえず学校まで行こうってことになって、人目を避けながら歩いてきたわけ」
「しかし……よりにもよって七瀬、お前と一緒に行動することになってしまうとはな」
「アタシだってこうしたくてしてるわけじゃないわよ。でも、どうしようもないでしょ？ これは……」
「ふむ……まあ、致し方無いと言えば致し方在るまい」
困惑気味の（こんな状況で困惑しない方が無理だと僕も分かっているけど）七瀬さんと、いつもと変わらぬ涼しい表情の七夜さん。多分出会えばこの前のような喧嘩（なんだろう、多分）ばかりしているようなこの二人が、繭ちゃんという「鎖」によってつながれている。ここまで歩いてくる時はさぞかしぎこちない雰囲気だったに違いない。
「で、折原。お前達は何をしていたんだ？」
「単刀直入に言うなら、今お前らにぶら下がってるそいつを探してたところだ」
「……本気で言ってるの？ それ……」
「悪いが俺はいつだって本気だぞ。七瀬もそろそろ本気を出して、絶叫だけでコンクリートの壁を五枚ぶち抜く本来の姿を見せてくれ」
「するかっ！ そんなことっ！」
「でも……偶然とは言え繭ちゃんが見つかって、しかも自分からこっちまで来るなんて……驚くしかないわよぅ」
「みゅ？」
「繭ちゃぁん。ほら、こっちにおいでよぉ」
「みゅー……」
「よしよぉし。よく帰ってきたねぇ」
佳乃ちゃんが自分の下へ来るよう促すと、繭ちゃんはぱっと両手を離し、ぱたぱたと佳乃ちゃんの方へと駆けていった。佳乃ちゃんは繭ちゃんを抱きこむと、その髪をわしゃわしゃと撫でてあげた。僕に対してそうするように、あくまでも優しい手つきでもって。
「おっと……ふぅ。これでようやく自由の身、か」
「やれやれね……もぅっ、髪が痛んじゃうじゃない。こんなことはこれっきりにしてもらいたいわね」
「お二方……繭がご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」
「……霧島。此方の方は誰だ？」
「繭ちゃんのお母さんだよぉ。一緒に繭ちゃんを探してたんだぁ」
不意に姿を現した華穂さんに、七夜さんが疑問符を浮かべて問いかける。その問いに、佳乃ちゃんはしごく単純な答えを返した。いろいろと複雑な事情があるのは分かっているけど、今それを説明する必要はないと判断したのだろう。佳乃ちゃんの答えで、七瀬さんも七夜さんも、繭ちゃんと華穂さんの関係についてははっきりしたようだった。
「えっと、あなたがあの子……繭ちゃんだっけ。繭ちゃんのお母さん？」
「はい。繭の母の、椎名華穂と申します」
「椎名さん、か……何があったのかは分かりかねるが、少なくとも繭は無事だ。その点については安心してもらいたい」
「本当に、申し訳ありません。これからはこのようなことが無いよう、繭にきちんと言い聞かせておきますので……どうか、繭のことを許してあげてください。責任はすべて私にあります。ご無礼をお許しください」
ひたすら頭を下げ続ける華穂さんに、七瀬さんと七夜さんが顔を見合わせる。その表情はさっき保育所で真琴ちゃんと晴子さんが見せたそれに、びっくりするくらいよく似たものだった。
「この親にこの子あり……とは、とても思えぬな」
「あのねぇ……同意はするけど、そういうこと口に出して言うもんじゃないわよ」
一方、その隣では。
「みゅ……」
「あははっ。繭ちゃん、くすぐったいよぉ。よしよし。今日はよく走ったねぇ」
「みゅー……たくさんはしった」
「暑いのに頑張ったねぇ。えらいえらい」
佳乃ちゃんが繭ちゃんを抱きしめて、しきりにその頭を撫でてあげていた。ここだけなんだか空気が違う、そんな印象を受けざるを得ない光景だった。
「霧島先輩って、子どもの扱いに慣れてるのかな……？」
「……母性本能が強いとか？ 男の子だけど」
「それってつまり、繭ちゃんには霧島君がお母さんみたいに見えてる、ってことかな？」
「あっ！ 真琴はその説に賛成よぅ！」
「何となくだが、俺もそんな気がするぞ……いや、霧島は男だけどな」
真琴ちゃんと神社から帰る途中にちらっと話題に上ったことが、ここでも再び取り上げられている。僕はまだ半信半疑だったけど、どうやら佳乃ちゃんは男の子にもかかわらず（見た目がものすごく女の子っぽい、というのも作用しているのだろうけど）、どことなく「お母さん」っぽいイメージを抱かせる何かを持っているみたいだ。真琴ちゃんが素直に言葉を受け入れて、繭ちゃんがよく懐いているのは、それが根源的な理由である……そういうことらしい。
「ぴこぴこ……」
その時、僕は巡らせた思考の中で「お母さん」という言葉が出てきたことに気づき……
「……………………」
……ふと、隣にいるあの人の顔を見上げた。
「……………………」
「……………………」
苦しげな表情、とでも言えばいいのだろうか？ 込み上げる悲しさや侘しさを理性で押さえ込んでいるような、無理のある表情。そんな表情をして二人を見つめる理由を、僕は何となくではあるけれども、察することができた。
「みゅ～……」
「気持ちいいみたいだねぇ。よかったよかったぁ」
「……………………」
目の前の光景を、華穂さんの立場に立って見てみると……複雑な気持ちにならずにはいられない。それでも華穂さんはとても理性的で、そこから決して目を逸らそうとはしていない。その光景を受け入れ、受容しようとしている。
「あっ……」
「……………………」
やがて僕以外にも、その関係に気づく人が現れた。この場に流れる微妙に気まずい空気を読み取って、それを打ち消そうと動くのが見えた。
「ほら……繭ちゃん。お母さんが待ってるから、そろそろ帰ろうよ……ね？」
「そうだぞ繭。真琴も仕事に戻らなきゃいけないから、華穂さんと一緒に帰るんだ」
「う～……かえりたくない」
「あんまりわがまま言ってお母さんを困らせてると、あの青い髪の女の人に針千本飲まされるぞ」
「飲ませないわよっ！」
「私は針を裁縫にしか使わないが、お前は飲ませたりするのか？」
「しないっつってるでしょっ！」
七瀬さんと七夜さんの漫才にも似た会話をよそに、繭ちゃんは佳乃ちゃんの服をしっかり掴んだまま、か細い声で呟いていた。
「……ちがうもぅん」
「何が違うんだ？」
「ちがうもぅん……」
「繭ちゃん……」
「……あのひと、繭の――」
（ぱしっ）
繭ちゃんがそこまで言いかけたとき、佳乃ちゃんが繭ちゃんの肩に手を置いて、ほんの少し距離を置いた。
「みゅ……？」
「……また一緒に遊んであげるから、今日は帰ろうねぇ」
「……ほんとうに？」
「本当だよぉ。ぼくは嘘をつくのが苦手だからねぇ。言ったことは全部本当になっちゃうんだぁ」
「……またあそぶ？」
「もちろんだよぉ！ 今度は一緒にかけっこしよっかぁ」
「……うんっ」
佳乃ちゃんが力強く請合うと、繭ちゃんもようやく納得したのか、佳乃ちゃんから離れて歩き出した。
「……さあ、繭。一緒に帰りましょう」
それを見た華穂さんが、繭ちゃんに向かって手を伸ばす――
――けれども。
「いい。ひとりでかえれるもん」
「繭……」
そのまま華穂さんの隣をすり抜けると、一人で家に向かって歩き出した。華穂さんは大きなため息を一つ吐き出して、歩いていく繭ちゃんの背中を見つめていた。
「……………………」
「……………………」
……その光景を見た……
「……華穂さん。俺から一つ、聞きたいことがあるんですが……」
折原君と……
「ぼくからも一つ、聞いてみたいことがあるんだけど……」
……佳乃ちゃんが、それぞれ華穂さんに問いかける。
「……分かりました。夕方、皆さんの用事が済んでから、うちへいらしてください」
「……ありがとうございます」
「……ぼくからも、ありがとうございます、だよぉ」
華穂さんは最初からこうなることを予期していたのか、寂しい微笑みを浮かべて、佳乃ちゃんと折原君に約束をした。夕方華穂さんの家へ行って何をするか――
「私も……一緒に行っていいかな……？」
「お兄ちゃん一人じゃ心配だから、私も……」
「……一蓮托生ね。あたしもついていくわ」
「真琴も……保育所が終わってからになるから、ちょっと遅くなるかもしれないけど……」
――二人だけじゃなく、みんなも理解しているようだった。
……そして。
「……ねぇ」
「……うむ」
片隅で様子を見守っていた……
「……アタシもついてくわ。ひょっとしたら、何か力になれるかも知れないし」
「……悪いが、私も同行させて欲しい。あまり関係があるとは言えないだろうが……その、胸騒ぎがするんだ……」
この二人も、ただならぬ雰囲気を察したのか、同行することを決めたようだった。華穂さんはその一人一人に丁寧に頷いて、自宅へ招くことを承諾した。
「……皆さん、重ね重ねご迷惑をおかけして、本当にすみません。夕方……せめてお話だけでも聞いていただけたなら、私にとってこれ以上幸いなことはありません。どうか……よろしくお願いいたします」
華穂さんは最後にこう言い残し、繭ちゃんを追ってその場を後にした。
「……なあ、佳乃……」
「……うん。多分、これから大変なことになると思うよぉ」
「……だよな」
その背中を見送りながら、佳乃ちゃんと折原君が静かに言葉を交し合う。
「……………………」
僕は一連の出来事を一歩離れたところで――もっとも、その一歩を詰めることは、僕には未来永劫に渡ってできそうになかったけれども――見ながら、佳乃ちゃんの口にした言葉を咀嚼するかのように、何度も頭の中で繰り返し呟いてみた。
――大変なことになると思う――
僕は想像もしていなかった。
僕は……
その言葉の本当の意味も……
佳乃ちゃんがその言葉を口にした理由も……
これから、僕らの身に起きることも……
――何一つとして、想像できなかった――
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。