「華穂さん! 待ってください!」
「えっ……?」
繭ちゃんを追いかけて走って行こうとした華穂さんを、折原君が呼び止めた。その声に気づいて振り向いた華穂さんの表情には、少なからず驚きの色が見て取れた。折原君たちが追いかけてくるとは想像もしていなかったのだろう。足を止め、折原君たちが追いつくのを待っている。
「あなた達、どうして……」
「繭ちゃんを探すんですよね? それだったら、あたし達も一緒に探すわ」
「そんな……保育所のことでご迷惑をかけてしまったのに、これ以上……」
「気にしないでいいよぉ。ぼくたちはただ、繭ちゃんのことが心配なんだぁ」
「私も同じです。このまま繭ちゃんのことを放っておくなんて、私にはできません」
「真琴も……あんな状態の繭ちゃん、放っておいたらどうなるか分からないから……」
「……………………」
佳乃ちゃんたちの言葉を聞いて、華穂さんが感嘆したようにため息を吐く。
「皆さん……」
一同の顔をぐるりと見回して確認してから、華穂さんは静かに頭を下げた。
「……皆さん、本当にありがとうございます。繭のことを心配していただいて、何と言ったらよいのか……感謝の言葉もありません。それでは、どうかよろしくお願いいたします」
「華穂さんも入って七人だねぇ。これなら、一人で探すよりも七倍早く見つかるよぉ」
「七倍かどうかはともかく、人数が多い方が見つけやすい、ってのは間違いないな」
華穂さんと佳乃ちゃん達の、合同捜索隊が結成された。七人になった捜索隊が一所に集まり、これからどうやって繭ちゃんを探し出すかが話し合われた。
「固まって探しても仕方ないから、何人かに分かれて探した方が良さそうね」
「それもそうだね。ここから行けそうな場所は……どんな感じかな?」
「大雑把に言って、学校方面と商店街方面、それから……」
「山の上の神社にも行けるわよぅ」
「ということは、最低でも三班は必要だな……」
「んじゃ正攻法で、三班に分かれて探しましょっか」
藤林さんの提案で、ここから行ける三方面にそれぞれ対応した班を結成することになった。連絡は携帯電話で取り合い、何かあったらすぐにこの場所(ちょうど三つの場所へ繋がっている交差点だ)に戻ってくる。統率を取るため、華穂さんが全員のまとめ役をすることになった。
「ぼくと真琴ちゃんは神社を見てくるよぉ」
「あたしと浩平は商店街方面を探してみるわ」
「じゃあ、私たちは学校方面だね」
佳乃ちゃんと真琴ちゃんが神社担当、藤林さんと折原君は商店街担当、残る三人は学校方面へと足を伸ばすことに。
「何かあったら、すぐ携帯に連絡を入れるんだぞ。いいな?」
「分かってるよぉ。それじゃあ、頑張って探そうねぇ!」
「もちろんだよっ! 瑞佳お姉ちゃん、華穂さん、行こうよっ!」
チームごとに分かれ、それぞれの担当方面へと歩き出す。僕は誰についていくか少し迷ったけど、やっぱりここはいつも通り、佳乃ちゃんと一緒に行くことに決めた。
「繭ちゃん、見つかればいいんだけどねぇ」
「うん……どこに行っちゃったんだろう……」
佳乃ちゃんと真琴ちゃんは足取りをそろえて、神社へと繋がる山道を登っている。ここまで誰とも会っておらず、当然、繭ちゃんも見つかっていない。自然と、二人で話すことが多くなる。
「昨日のことがあったから、神社に来るかもしれないって思ったんだけどねぇ」
「真琴も……ひょっとしたら、みゅーのところまで戻ってるんじゃないかって……」
「……そうだよねぇ。繭ちゃん、みゅーのこと、すっごく大切にしてあげてたみたいだもんねぇ」
会話の調子は、いつもの二人から考えるとやや暗いトーンのように思えた。それはやはり、繭ちゃんのことを心配しているからだろう。昨日の繭ちゃんの様子を見る限り、みゅーは繭ちゃんにとって数少ない「信じられる存在」だったに違いない。あの泣き方は……はっきり言って、尋常じゃなかった。
「それに……」
「……………………」
真琴ちゃんは続けて、こんな言葉を口にする。
「さっきの……繭ちゃんの言葉……」
「……『「椎名」じゃない』……かなぁ?」
「……うん」
……それは、僕も一番気になっている言葉だった。
(ちがうもぅんっ! 『しいな』じゃないもんっ!!)
繭ちゃんは自分の苗字である「椎名」を否定した。それも、お母さんである華穂さんの目の前で。それがどんな意味を持つのか……あまりにもたくさんありすぎて、僕にはとても整理がつかない。
「あれって、やっぱり……」
「……そうだねぇ。多分、真琴ちゃんの思ってる通りだと思うよぉ」
「あぅ……そっかぁ……」
佳乃ちゃんは真琴ちゃんの考えを読み取って、あえて明言はせずにその考えに同調した。時折見せる、佳乃ちゃんのさりげない心遣いだった。こういう時の佳乃ちゃんは、いつもよりもずっと大人びて見える。
「もし……真琴の考えてることが本当で、繭ちゃんと華穂さんがそういう関係なんだったら……」
「……………………」
「……繭ちゃんって、真琴が思ってたよりも、ずっと複雑なのかも知れない……」
山道から切れ切れに顔を覗かせる青空を仰いで、真琴ちゃんが静かに呟く。
「それこそ……」
「……………………」
「……真琴の時と、同じくらい……」
……影の差すその面持ちに、いつもの明るさは微塵も感じられなかった。僕には真琴ちゃんの言った「自分の時と同じくらい」という言葉の意味が正確につかめなかったけれど、少なくとも、今の真琴ちゃんが平坦な道のりを辿ってここに在るわけではない、ということは理解できた。
「……大丈夫だよぉ。きっと、最後にはみんな上手くいくからねぇ」
立ち止まって空を見上げる真琴ちゃんに、佳乃ちゃんがそっと寄り添う。
「……………………」
「真琴ちゃんの時だって……大変だったけど、最後には上手くいったから……」
「佳乃……」
「だから、大丈夫だよぉ」
やや俯き加減になっていた真琴ちゃんの背中をぽんぽんと優しく叩いて、佳乃ちゃんが優しい笑みを浮かべて見せた。この時の佳乃ちゃんが見せる笑みは、いつもの弾けるような笑顔とはまるで違う、憂愁を帯びた、穏やかで柔らかなものだ。同じ笑顔でもここまで違うものなのかと、僕はいつも感嘆する。
「……うん。佳乃に言われたら、なんか大丈夫なような気がしてきたわよぅ」
「うんうん。その意気だよぉ。今は佳乃ちゃんを探そうねぇ」
「うんっ。早く見つけて、華穂さんのところに連れてってあげなきゃっ」
真琴ちゃんも元気を取り戻したようで、再び歩を進め始めた。
「あははっ。佳乃に励まされると、よく分かんないけど元気になっちゃうのよね。秋子さんに励まされてるみたいっ」
「えぇ~っ? それって、ぼくが真琴ちゃんのお母さんみたいって言ってないかなぁ?」
「気のせい気のせいっ。さっ、神社まで行くわよぅ」
「うぬぬ~。上手くごまかされちゃった気がするよぉ」
気がつくと、佳乃ちゃんはいつもの佳乃ちゃんに戻っていた。口をへの字に曲げて不満そうな顔をする佳乃ちゃんの表情と、さっき見せた憂いを帯びた笑みとのギャップに、僕は吹き出しそうになった。
「……………………」
繭ちゃんの姿を探して、僕らは山道を登った。
「ここにはいないみたいだねぇ」
「うん……誰も来てないみたい」
神社までたどり着いたのはいいけれど、そこには人っ子一人見当たらなかった。神社はしんと静まり返っていて、誰かが来た様子すらない。僕も耳を済ませたり匂いを嗅いだりしてみたけれど、ここに人が訪れた気配を感じ取ることはできなかった。
「ひょっとしたら、ここに来るかもしれないって思ったんだけど……」
「そうだねぇ。ぼくもそう思ってたけど……当てが外れちゃったねぇ」
みゅーは繭ちゃんが心を開ける数少ない存在だった。だから、今は土の中で眠るみゅーのことを思って、ここにやってくるかも知れない……僕もその方向で期待していたのだけれど、佳乃ちゃんの言うとおり、当てが外れた格好だった。
「しょうがないから、とりあえず交差点まで戻ろっか……」
「……あっ。ちょっと待っててくれないかなぁ?」
「どうしたのよぅ?」
立ち去ろうとする真琴ちゃんを呼びとめ、佳乃ちゃんが神社の奥へと駆けていく。佳乃ちゃんの意図を僕も真琴ちゃんも理解できず、揃って首を傾げるばかりだった。
「お待たせぇ! それじゃあ、行こっかぁ」
「何をして来たの?」
戻ってきた佳乃ちゃんに、真琴ちゃんが当然の疑問をぶつける。佳乃ちゃんはあっけらかんとした表情で、その疑問にこう答えを返した。
「えっとねぇ……みゅーの眠ってるところに、目印になりそうなちょっと大きな石を置いてきたんだよぉ」
「あっ……そっか。あの時はバタバタしてて、そーいうことできなかったから……」
「うんうん。こうしておいたらねぇ、時間が経ってもみゅーの眠ってる場所が分かって、いいと思うんだぁ」
そういうことだったのかと、僕は納得した。確かに昨日は雰囲気も重たかったし、そういうことをできる雰囲気じゃなかった。けれども、きちんと目印をつけておいたほうが、後々になってお墓参りをするときにも分かりやすくていい。きっと、他のみんなも納得してくれるだろう。
「あははっ。佳乃って女の子みたいに細かいところまで気がつくのね。ゆーいちも見習うべきよぅ」
「えぇ~っ? 女の子みたい、っていうのは余計だよぉ……」
いつも通り(誰とでもこんな会話になる、という意味で)のやり取りをしながら、佳乃ちゃんたちは山道を降りていった。
華穂さんに連絡を入れて交差点まで戻ってくると、長森さんとみさおちゃんのチームが既に戻ってきていた。
「霧島君、そっちはどうだった?」
「神社には来てないみたいだったよぉ。長森さんはどうだったかなぁ?」
「う~ん……学校の方まで足を伸ばしてみたけど、繭ちゃんみたいな子を見たっていう話は聞かなかったよ」
「ぐぬぬ~。どこに行っちゃったんだろうねぇ?」
佳乃ちゃんが唸るように言った、ちょうどその時だった。
「商店街方面に行ったみたいだぞ」
「あっ、浩平っ! それ、本当なのかな?」
「多分、ね。それっぽい話を聞いてきたのよ」
佳乃ちゃんと真琴ちゃんの班の帰還と時を同じくして、折原君と藤林さんの班も戻ってきた。その口ぶりから察するに、どうやらかなりの高確率で、繭ちゃんは商店街へと走って行ったみたいだった。
「たまたま外を通りがかった早苗さんが、泣きながら走っていく女の子を見かけたんだ」
「背格好とかはあやふやだったけど、髪の色とか背丈とかを突き合わせてみたら、多分繭ちゃんに間違いないってことになったのよ」
「そうだったんですか……そこまで調べていただいて、本当にありがとうございます」
「これで探す場所は絞れたけど……商店街の方からは、まだ結構いろんな場所に繋がってるよね」
「そうなのよねぇ……てきとーに挙げるだけでも、海とか駅とかバス停とか……さすがに、隣町まで走っていくことは考えにくいと思うけど」
商店街方面へ走っていったことはほぼ確実だったけれども、そこからどこへ向かったのかまでは分からないみたいだ。藤林さんの言うとおり、さすがに隣町まで走っていくなんてことはないだろう。隣町まではバスでも三十分、歩きなら大人の足でも一時間ではたどり着けない。繭ちゃんがいくら疲れ知らずとは言え、そこまで走り続けることができるほど体力が在るとは思えない。
「う~ん……どこが一番可能性あるかな?」
「なんか、駅も海もバス停も、行ってそうで行ってなさそうで、行ってなさそうで行ってそうな感じがするよ……」
「……ごめん。あたしも同じ感想。正直、繭ちゃんの行動はまったく読めないわ……」
そう。繭ちゃんの行動はまったく読めない。そもそもこの捜索劇のきっかけになった保育所への侵入だって、(一応、真琴ちゃんの後を付いていったという理由があるとは言え)普通ではまったく理解できない行動だ。基本的に、あの子の行動は読めないのだ。
「……意外に、ここで待ってたら本人の方から顔を出したりしてな」
「うーん……さすがに、そこまで都合のいいことは無いと思うよ……」
「分からないよぉ。小説は事実より奇なりって言うしねぇ」
「いやいやいや、それ、逆だから」
いくらなんでも、そこまで都合のいい展開はありえまい。逃げていた繭ちゃんがここを通りがかって、また自分達と合流するなんて……そんな良くできた話、小説の中だけで十分だ。ここはそうそう上手くは――
上手くは――
「……ていうか、アンタは引っ張られてても全然平気なのね」
「当然だ。髪は女の命。命たるもの、常日頃から手入れと鍛錬は怠らぬようにするものだ」
「そういう考え方もアリ、ね。今回ばかりは賛同するわ……って、いたたたっ! こらーっ! ぶら下がるんじゃないーっ!!」
「みゅーっ♪」
……行く時もあるみたいだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。