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第百十五話「Chatting Time #3-2」

「七夜さん、すごいことするねぇ」

「えっと……あれは、電話帳を破いたんでしょうか?」

「……(こくこく)」

やってきた先では、先ほどの七夜さん電話帳破壊劇場の余波を受けたのか、未だに判然としない表情を浮かべている三人の姿があった。順に佳乃ちゃん、栞ちゃん、舞さんだ。佳乃ちゃんと栞ちゃん、佳乃ちゃんと舞さんという組み合わせは見たことがあるけど、栞ちゃんと舞さんが一緒にいるのを見たのは初めてだ。

「よく分かりませんが、とりあえず、すごいと思いますっ」

「うんうん。なんでいきなり破いたのかはよく分かんないけど、すごいよねぇ」

「……しかも、全国版……」

暫く経つと事態の受け入れができたのか、栞ちゃんと佳乃ちゃんが口々に「よく分からないけどすごい」「よく分からないけどすごい」と謎の賞賛を始めた。舞さんは舞さんで電話帳が全国版であることに言及し、これも実にさりげなく七夜さんのことを賞賛しているみたいだった。基本的に、すごければいいらしい。

「それにしても、霧島さん、朝から大変でしたね」

「そうなんだよぉ。真琴ちゃんから電話がかかってきた時は、ちょっとびっくりしちゃったよぉ」

「でも、ちゃんと藤林さんたちと一緒に行ってあげるのが、霧島さんらしいと思いました」

気がつくと、話題は朝の出来事へとシフトしていた。興味を示す栞ちゃんに、佳乃ちゃんが話を続ける。佳乃ちゃんと話す栞ちゃんは、やはり心なしか楽しそうな様子だった。

「うんうん。やっぱり、どうなってるか気になっちゃうしねぇ。夕方からまたちょっとお話を聞きに行くんだぁ」

「そうなんですか? てっきり、これで解決したと思ってたんですけど……」

「うん……ちょっと、ややこしい事情があってねぇ……」

その言葉を言い終えるかどうかというタイミングで、佳乃ちゃんが物憂げな表情を覗かせた。一瞬顔を見せたその表情に引っ張られるかのごとく、栞ちゃんが佳乃ちゃんの顔を深く覗き込む。二人の距離が、また一歩縮まる。それにお互いが気づいているのかどうかは、今はまだ疑わしい。

「ややこしい事情……ですか?」

「うん。繭ちゃんがねぇ、今日、お母さんの目の前で……」

「目の前……で……?」

「……『「椎名」じゃない』って言ったんだぁ。突き放すような、強い調子でねぇ……」

「……………………」

あの時の言葉だけで、二人の間に横たわる問題が見える――少なくとも、僕はそんな気がする。詳しいことまでは分からないけど、それも今のうちのことだ。夕方華穂さんに会いに行けば、恐らく、華穂さんと繭さんの二人の間柄をはっきりと知ることができるだろう。そこからどうなっていくのかは、まだ分からないけども。

「華穂さん、すごく悲しそうな顔してたんだぁ。それでもねぇ、泣いたり怒ったりなんかしないで、繭ちゃんのことだけ心配してたんだよぉ」

「そんなことを言われても、繭ちゃんのことを心配してたんですか……」

「うん。華穂さんはねぇ、本当に繭ちゃんのことを大切に思ってる気がするんだぁ。栞ちゃんも、華穂さんの気持ち、分かるかなぁ?」

「……はい。苦しいですけど、なんだか、分かる気がします」

少し沈んだ暗い面持ちで、栞ちゃんが呟く。

「でも……もし私が華穂さんと同じ立場だったら、華穂さんみたいなこと、とてもできない気がします」

「華穂さんは……その、上手く言えないですけど……すごく、強い方だと思います」

「私にも……もっと、そんな強さがあったらいいな、って思います……」

言葉を一つ一つ丁寧に取り扱うように、ゆっくりとした調子でもって。隣にいる佳乃ちゃんは、一人呟く栞ちゃんの顔を浅く覗き込みながら、瞬き一つせず、紡ぎだされる言葉に耳を傾けているようだった。

「……………………」

「えっと……ごめんなさいです。話を聞いて……ちょっと、昔のことを思い出しちゃいましたから」

「……ううん。全然構わないよぉ。でも、一つだけ、言ってもいいかなぁ?」

「あ、はい……どうしました?」

くりくりとした淀みの無い瞳を向けて、栞ちゃんがきょとんとした表情で訊ねる。佳乃ちゃんは少し間を置くと、栞ちゃんにこう告げた。

 

「栞ちゃん……それは違うよ」

「……えっ?」

「栞ちゃんは弱い人なんかじゃない……ぼくなんかより、ずっと強い人だよ」

 

思わぬ言葉だったのか、栞ちゃんは大きく目を見開いた。何を言われたのかよく分かっていない様子で、ただただ佳乃ちゃんの顔を見つめるばかりだった。対する佳乃ちゃんは窓の外から遠くの空を見つめていて、いつもの元気のよさはすっかり影を潜めていた。

「そ、そんなこと……私なんかより霧島さんのほうが、よっぽど強い人です」

「……ううん。それは違うよ。栞ちゃんは……すごく強い人だと思うよぉ」

「え、えぅ……霧島さんからそんなことを言われると、なんだか、恥ずかしくなっちゃいます……」

「でも、ぼくは本気でそう思ってるよぉ。そうじゃなかったら……あんなこと、できなかったはずだからねぇ」

「そ、それは……! それは……霧島さんのおかげで、私はただ……」

「違うよぉ。ぼくは……ただ、見てただけだからねぇ。本当にやり遂げたのは……栞ちゃん自身だよぉ」

栞ちゃんの頭にポンと手を置いて、佳乃ちゃんが笑って言った。その途端、栞ちゃんは頬を真っ赤に染めた。不安げなというか、恥ずかしそうというか、そんな面持ちで佳乃ちゃんの手を見つめていた。

「霧島さん……」

「うんうん。栞ちゃんの頭は撫でやすくていいねぇ」

「えぅー……そんなこと言う人、嫌いです……」

口ではそう言いながらも、栞ちゃんが佳乃ちゃんの側から離れるようなことは無かった。佳乃ちゃんは嬉しそうに栞ちゃんの頭を撫でながら、ただ優しい笑みを浮かべていた。

「……………………」

……その隣で、今までほとんど会話に混ざれなかった(いや、混ざ「ら」なかったのかも知れないけど)舞さんが、神妙な面持ちをして、佳乃ちゃんと栞ちゃんの様子を見つめていた。

「……………………」

その表情からは、何を考えているかを読み取ることはできなかった。

「……ぴこぴこ」

とりあえずこれでひと段落したみたいだし、残った最後のグループの様子を見に行くことにしよう。こうやって演劇部の部室で色々な人のおしゃべりを聞いていると、色々なことが分かるし面白いし、全然飽きないや。僕も一緒におしゃべりができたらよかったんだけど、それは無理な相談だよね。

「ぴこー……」

僕は足音も立てずにちょこまかと歩いて、そのグループとの接触を図った。

「でも、お前が入部するとは思ってなかったぞ」

「うん。ボクも最初は悩んだけど、渚さんがすっごく真剣に話してくれたから、ボクもやってみよう、って思ったんだよ」

祐一君とあゆちゃんだ。相沢君は机に軽く寄りかかりながら、あゆちゃんは机の上にちょこんと腰掛けて、お互いの顔の高さを同じくらいにして話をしている。

「前に名雪に追っかけられたときに『もう部活に入ってる』って言ったのは、このことだったんだな」

「そうだよっ。名雪さんには悪いことしちゃったけど……でも、やっぱり、約束は約束だからねっ」

「約束……そうだよな。約束は大事だぞ」

「うんっ。ボクもそう思うよっ」

楽しげに話をする二人。なんだか小さい頃からの幼馴染同士みたいだ。ちょうど、折原君と長森さんのような……あ、でもそれはどちらかというと、水瀬さんのほうが近いかもしれない。昨日のやり取りなんて、まんま折原君と長森さんのそれだったし。

「で、練習状況はどうだ?」

「え、えっと……半分の半分の半分くらいは憶えたよっ」

「レイレイの台詞はいくつあるんだ?」

「えっと……全部あわせて二十個くらい」

「20*(1/8)は?」

「えっと……端数切上げで3」

あゆちゃんの答えを聞いた瞬間、祐一君の拳があゆちゃんの頭を捉えた!

「切り上げて三個ってどーいうことだっ!」

「うぐぅ~! ぐ、ぐりぐりしないで~!」

「あれから二日くらい経つのに三つってことは無いだろっ!」

「で、でもボクちゃんと練習してるもんっ! これはホントだよっ!」

あゆちゃんが本格的に痛がってきたので、祐一君がここでぐりぐり攻撃を止める。あゆちゃんは涙目になりながら、いかにも「うぐぅ……」というような感じ(正直なところ、僕自身何を言っているのかちょっとよく分からない)の表情で、祐一君を見つめていた。

「うぐぅ……痛いよぅ……」

「あのなぁ……文化祭までそんなに時間があるわけじゃないんだから、もう少し頑張らなきゃダメだぞ」

「む~。ボク、頑張ってるもんっ! これでもひっしんふらんに頑張ってるんだよっ!」

「必死なのか一心不乱なのか、まったくはっきりしない辺りがあゆらしいよな」

「うぐぅ~……祐一君がいじめるよ~……」

「ちなみに、お前はあゆあゆだからな」

「あゆあゆじゃないもんっ! って、全然関係ないよっ!」

いつも通りのやり取りを交し合いながら、じゃれあうように話す二人。いつからの付き合いかは分からないけど、二人とも楽しそうだ。まるで、同じようなことをずっと昔から繰り返し続けてきたような……そんな雰囲気がする。

「まぁまぁ、それは置いといてだ」

「うぐぅ……祐一君、ひどいよ~……」

「気にするなって。そういえば、お前は夏休みの宿題、どれくらい終わらせた?」

「夏休みの宿題? ちゃんとやってるよっ。昨日も頑張って勉強したんだよ」

「さすがだな。で、昨日は何を勉強したんだ?」

「えっと、昨日はね……」

祐一君の問いに、あゆちゃんが両手を合わせて答えを探し始める。昨日やった宿題のことなんだから、すぐにでも答えは出るだろう……僕はそう思って、特に気にかけることも無くその場で座っていた……

 

「……あれ……?」

 

……のだけれど。

「えっと……宿題……」

「どうした?」

「……………………」

何故かあゆちゃんはそこで言葉を詰まらせて、ゆっくりとその顔を俯かせた。祐一君はその理由が分からず、さらに下からあゆちゃんの顔を覗き込む。あゆちゃんが完全に言葉を失い、その顔が静かに無機質なものへと変わっていくのが見えた。

「おい……あゆ、どうかしたのか?」

「え、えっと……実は……」

あゆちゃんが続きを言いかけた、その時だった。

 

「ふむ……あゆはやはり塩焼きに限ると思うがの……」

「わぁっ?! い、いきなり知らないおじいさんが!?」

「……って、幸村先生っ! 驚かせないでくださいよっ!」

 

本当に不意に、二人の間に割って入るおじいさんが一人。祐一君の言葉から察するに、この人は「幸村」という人で、先生をしているらしい。

「しかし、てんぷらも捨てがたい……悩みどころじゃな」

……雰囲気は先生というよりも、孫か孫娘が部活動をしているところへ見学にやってきたおじいさん、といった方が明らかに正解だったけれども。それにしても、先生が一体何の用事だろう? あゆちゃんや祐一君に話をしに来たにしては、いきなりあゆちゃん……じゃなくて、魚の方の「鮎」の話を始めるし。

「え、えっと……幸村先生?」

「この人は生徒指導担当の幸村先生だ。この演劇部の顧問をしてるんだぞ」

「いかにも。わしは幸村俊夫、その人じゃ」

やっと納得できた。幸村先生は演劇部の顧問で、部活動の様子を見に来ただけだったみたいだ。つまり、この二人に何か直接話があってやってきた、というわけではなさそうだ。

「へぇ~……そうだったんだ。あっ、ボク、この夏休みから入部した月宮あゆっていいますっ。幸村先生、よろしくお願いしますっ」

「……うむ。挨拶のできる良い子じゃの」

「いや、これくらいは普通にできて当然だと思うんですけど」

同意だ。

「どうなっているかと思って様子を見に来たが……大丈夫そうじゃな」

「え? 分かるんですか?」

「うむ……」

「へぇー……とってもすごい人なんだねっ」

「いや、そこまですごくないと思うぞ、別に……」

両方に忙しく突っ込みを入れる祐一君。きっと生まれつきの突っ込み担当なんだろうなぁと、僕は勝手に納得

 

(……!!)

 

……そんな平穏な考えを一瞬にして凍結させるような鋭い気配が、僕の背中をすり抜けていく感覚。

……背中から冷たく輝く刃物を突きつけられたかのように、僕の背筋が感覚を失っていく。

 

……それは、以前にも味わった感触だった。

 

……僕は……

「……………………」

……恐る恐る、後ろを振り向いた。

 

「……………………」

 

……射竦めるかのような絶対的な敵意を帯びた視線が、部室内の誰かを捉えていた。誰かまでは分からない。その視線をなぞるだけの勇気が、僕には存在していなかった。

「……………………」

……その視線の根っこに在る瞳は、瞬き一つしていない。ひと時も休むことなく、ただ、誰かの行動を見張っている。監視している。見続けている。

「……………………」

……意図が分からない。理由が分からない。何も分からず、ただ敵意を帯びた視線が背中をすり抜けていく感覚というのは、こうまでもどかしく、そしてかくも恐ろしいものなのか。

「……………………」

……僕は何を恐れているのだろうか? 僕が見られているわけではないはずなのに、こみ上げる恐ろしさは幻想ではない、本物だ。僕は何を恐れ、何に怯え……何が僕を怖がらせるのだろう……?

「……………………」

……そうだ……

 

……何も分からなかったからこそ、何も理解できなかったからこそ、僕は恐怖を感じていたのだ……きっと、そうに違いない……

 

……今は、そう考えておくことにした。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。