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第百二十話「Protected Lonely Heart」

「お邪魔します」

「お邪魔しまぁす」

「どうぞ。何分、狭苦しいところですが……」

華穂さんに案内され、僕らはぞろぞろと家の中へと入っていった。華穂さんはこの大人数に一瞬面食らったようだけれども、それもほんの束の間。穏やかで柔らかい物腰を取り戻すと、一同を和室へと招きいれた。ちなみに、僕も勝手に入って行ったけれど、特に咎められるようなことは無かった。

「こんな遅い時間に来ていただいて、本当に申し訳ありません」

「やっぱり……繭ちゃんのことが、気になりますからね」

「そうですよね……あれだけのことがあったのですから……」

「繭ちゃん、今はどうしてるのかなぁ?」

「ええ。帰ってきてから随分疲れたみたいで……今はよく眠っています」

全員分のお茶を滞りなく入れて、華穂さんがそれぞれの手元へと並べていく。そんな僅かな動作一つとってみても、よく気配りの利く丁寧な人柄が窺える。それだけに、繭ちゃんとの親子らしからぬ関係は、僕にとって尚更気がかりなことだった。

「どうぞ……」

華穂さんがお茶を入れ、ある人物の前に差し出したときだった。

「えっと……此方の方は、どなたですか?」

「申し遅れました。水瀬秋子と申します。この子の……真琴の母親です」

「うん。真琴の……お母さんよぅ」

「そうでしたか……わざわざおいでいただいて、恐縮するばかりです」

一礼し、秋子さんに会釈をする。全員分のお茶を入れ終わると、華穂さんは御盆を畳の上へ置いて、小さく息を吐いた。

「……………………」

ほんの少し間を挟んで、そのほっそりとした顔を静かに上げた。

「こんなにたくさんの方においでいただいて……本当に、ありがとうございます」

「こうして皆さんに集まっていただいたからには……私も、包み隠さず、すべてをお話しようと思います」

やや小さな、けれども確かに芯の通った声で。

「私と……繭の関係を」

その言葉を、口にした。

 

「朝の出来事……特に、保育所のこと……」

「『椎名』という姓を拒絶した、繭の態度のことで……」

「皆さん、既にお察しのことと存じますが……」

 

「繭は、私の実の子ではありません」

 

「以前、私はいわゆる『児童養護施設』に勤めておりました」

「災害や事故で両親を失った子供や、虐待を受けた子供達の保護に当たっていたんです」

「そして、その中に……」

 

「あの子が……繭がいました」

 

「繭は両親を失い、一人でその施設へ入所しました」

「普段からとてもおとなしい子で、誰にも手をあげるようなこともせず……ただ、一人でずっと隅に座っていました」

「それは、おとなしいというよりも……」

 

「何かに……怯えているようでした」

 

「繭は両親を同時に、それも目の前で失ったために、大変な心の傷を負ったと聞きました」

「そのことを知ってから、私は繭に積極的に関わるようになりました」

「もちろん、施設での保護・育成という仕事の面もありますが、それ以上に……」

 

「……繭のことが、他人とは思えなかったのです」

 

「そうして、私はその施設で、繭を含めた多くの子供達のカウンセリングをしていたのですが……」

「何分……この不景気で、施設の経営が立ち行かなくなってしまったんです」

「どうにかして施設の存続を図ろうと、あらゆる方法を考えましたが……結局、施設は閉鎖されることとなってしまいました」

 

「……私が繭との関係を考えだしたのは、恐らく、この頃からだったと思います」

 

「他の子供達は別の施設へ移ったり、里親となった方が引き取ってくださったりしたのですが……繭だけは、どうしても次の行き先が見つかりませんでした」

「他者とのコミュニケーション能力を著しく欠いていると言われ……受け入れ先が見つからなかったんです」

「そこで、私は決心しました」

 

「私が里親となり、繭を引き取ることをです」

 

「私はなるべく繭に接するよう心がけてはいましたが……繭の方は、私に心を開いてくれる様子はありませんでした」

「それは他の方も同様で……言ってみれば、繭はすべてを拒絶していたんです」

「けれども、それは分かっていました。懐いてくれないこと、距離を置かれること、拒絶されることは覚悟の上で……」

 

「……あの子が負った心の傷を癒す手伝いを、少しでもしてあげられればと思ったんです」

 

「けれども、現実はそう甘くはありませんでした」

「繭を引き取ってから、もう三年になりますが……」

「……見ての通り、私は母親としての義務さえまともに果たせていません。昨日や今日のことなど、私がしっかり繭を見ていれば、繭が走り出す前に止められたのだと思うと……慙愧に堪えません」

 

「私は繭の心を癒すどころか、あの子の心に近づくことさえできていません」

 

「私が自ら選んだ道とは言え、繭をきちんと『大人』にまで育てられるかどうかは……不安でなりません」

「何か、繭のためにしてあげられることは無いのか……」

「……それを、ずっと考える毎日が続いています」

 

華穂さんはそこまで話すと、ここで少し間を置いた。大きく息を吐き出し、その顔を静かに俯かせた。

そして……

「……………………」

「……………………」

……僕はこの場を取り囲む沈黙の「重さ」に、背骨が軋むような感覚を覚えた。

「……………………」

「……………………」

互いに顔を見合わせるでもなく、ただ、それぞれの心の中で、華穂さんから受け取った言葉を必死に噛み砕いている――それは石のように硬く、きちんと咀嚼して「意味」という形で嚥下できるようになるまでは、果てしない時間を必要としているように思えた。

「……………………」

「……………………」

あらかじめ予測はしていたことだと思う。僕も多少なりとも驚きはしたけど、それでも……繭ちゃんのあの態度を見れば、こんな背景があってもおかしくないとは思えた。

「……………………」

ただ……それでも、繭ちゃんにそれだけの過去があったのだということを冷静に突きつけられてみると、気持ちの整理がつかないのも分かる。不幸なことだとは言え、単に「不幸」という言葉だけで片付けられるわけもない。両親を目の前で失う――それは、僕のような失うものさえ持たない者にとって、想像することさえできない事だった。

「……………………」

……みゅーを埋めた後感じたような息苦しい沈黙が、幾許か続いた後のことだった。

「……一つ、訊いてもいいですか」

華穂さんの向かいに座っていた折原君が、顔を上げてそう問うた。そのおかげだろうか。この空間を取り巻く空気が、ほんの少し軽くなったような気がした。

「はい……なんでしょう?」

「繭が両親を失ったのは……どうしてですか?」

「ああ……そういえば、まだ、それはお話していませんでしたね」

華穂さんは小さく頷くと、折原君の目を見つめ、おもむろに口を開いた。

「覚えている方も多いと思いますが……」

「……………………」

「七年前、ここから少し離れた地方都市で、大規模な地震があったんです。その時に――」

 

「七年前の……地震やて……?!」

 

その瞬間、全員の視線が動いたのが分かった。

「……晴子さん?」

「ど、どうしたんですか……?」

「……………………」

声の主――晴子さん――は、その体を小さく震わせながら、かけられている声にも応じず、ただ呆然とした面持ちでそこにあった。普段の威勢のよさは欠片も感じられない、あまりにもミスマッチングな姿だった。その姿に、一同は戸惑いを隠せない。なぜ声を上げたのか、なぜこのタイミングなのか、そして……

「そんな……ことって……」

……何故晴子さんなのか、誰にも理解できなかったからだ。

「……………………」

……しかし、それもほんの僅かな間のことだった。

「……話の腰折って悪かったな。続き……話したって」

「あっ……はい」

晴子さんはぶんぶんと頭を振って、華穂さんに続きを話すよう促した。華穂さんは少々戸惑いながらも、晴子さんの顔を確認し、再び話を始めた。

「……その地震で、繭の両親は亡くなったんです」

「そうだったんですか……」

「はい。繭にとっては……とても、辛いことだったと思います」

そう口にする華穂さんもまた、辛そうな表情を見せた。

「……………………」

……それから、少し間を置いて。

「昨日と今日は、皆さんのおかげで繭を止めることができましたが……」

「これからもこのようなことがあっては、皆さんに迷惑をかけてしまうばかりです」

「繭に心を開いてもらうには、どうすればいいのか……」

「あの子をひとり立ちさせてあげるには、どうしたらいいのか……」

弱弱しくか細い声で、華穂さんが呟いた。本音なのだろう。母親――仮に、繭ちゃんがそうは思っていなかったとしても――である華穂さんでさえ、繭ちゃんの心をまったく開けずにいる。現にこうして、僕らの前で途方に暮れた表情を見せている。それほどまでに、繭ちゃんの心は硬く閉ざされているのだ。

「……………………」

……繭ちゃんに一番近しい華穂さんでさえこんな有様だというのに、僕らにできることなどあるのだろうか……?

……繭ちゃんと出会って二日しか経っていない、本当に僅かなつながりしか持たない僕らに、繭ちゃんの心を開く術はあるのだろうか?

……そんな繭ちゃんの心の傷を癒すことなど、本当に――

 

「……ちょっと、いいかなぁ?」

 

僕の懊悩を引き裂くかのように、佳乃ちゃんの声が聞こえてきた。

「どうしたんだ? 霧島……」

「何か……思いついたことでもあるの?」

「そうだよぉ。ぼく、一つ考えがあるんだぁ」

「考え? どういうことだ?」

問いかける折原君と長森さんに、佳乃ちゃんは――

 

 

「繭ちゃんにねぇ、保育所で職業体験をさせてあげたらどうかなぁ?」

 

――そう、告げたのだった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。