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第百十九話「False News Travel Fast」

「『お前斉藤っす』……?」

「そうよ。いきなり連呼されたから、何事かと思っちゃったわよ」

憤然とした様子で、七瀬さんがいきさつを説明する。それをごく簡単にまとめるなら、校門で僕たちのことを待っていたとき、いきなり見知らぬ女の子が現れて、「お前斉藤っす」と連呼されたというのだ。改めてまとめてみて、全然意味が分からないことに気づいた。

「何よそれ……なんか、話聞いてても全然背景が見えてこないんだけど……」

「アタシに訊いてもしょうがないでしょ。まず最初に、アタシが事態を把握できてないんだから」

「でも、どうして『斉藤』だったのかな……?」

「そういえば七瀬さんって、斉藤君と一緒に文化祭の実行委員さんをしてくれてたよねぇ」

この言葉に、七夜さんは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。腕組みをしながら、こくこくと繰り返し頭を垂れる。

「そうなのよね……確かに、アタシは斉藤と一緒に文化祭の実行委員をやってるわ」

「ってことは、そいつは斉藤とお前の仲を冷やかしたつもりだったんじゃないか?」

「あのねぇ……そもそもアタシと斉藤自体がそういう関係じゃないわよ。ただ一緒に実行委員をしてるだけ。ホントにそれだけなんだから」

「まぁ、ちょっとでも浮いた話があれば、すぐにでも噂になってるでしょうし……その子が単純に勘違いしたか、ひょっとしたら、誰かさんが要らないことを吹き込んだのかもね……」

「……誰かさんって、まさか……」

「うむ。七瀬、お前の考えている通りの人物に違いあるまい」

七夜さんの発言を聞き終えた七瀬さんが、目に見えてがっくりと肩を落とす。「誰かさん」「考えている通りの人物」に、思いっきり心当たりがあったらしい。これまでより一際大きなため息を吐き出して、げんなりした表情を浮かべる。

「はぁ……あいつもホントにしつこいわね……」

「しつこいっていうか、単にお前に構って欲しいんじゃないか?」

「やることが妙に子供じみてるっていうか……よく分かんないわね、正直」

「はぁ……これから一ヶ月は斉藤と一緒にいなきゃいけないのに、あんなヘンな噂を流されたんじゃ……なんか、アタシと斉藤が結婚でもしたみたいじゃない……」

「おお……七瀬が妙に乙女っぽいことで悩んでいる……」

折原君が無駄に感嘆を込めて言った、その途端。

「えっ? 今のアタシ、乙女っぽかった?」

「ああ。今までに無く乙女っぽかったぞ」

「そ、そうかな……そ、そうねっ! きっとそうに違いないわ!」

「間違いないぞ。今のは掛け値なしに乙女っぽかった。やはり乙女たるもの、自分の姓名には常に気を配らないとな」

七瀬さんがぱっと明るい表情を浮かべ、その口から絶え間なく吐き出されていたため息がぴたりと止まった。背筋をピンと伸ばし、どことなくうきうきした様子を見せている。それは先ほどまでの疲れ切った姿と、ちょうど鏡写しにしたかのような姿だった。

「浩平ったら、まーた適当な事言ってるよ……」

「でも……七瀬先輩も喜んでますし、いいんじゃないかな……」

「一体何が嬉しいのか、私には皆目見当も付かんな……」

七瀬さんも機嫌を直したことだし、どうやらここからは順調に進めそうだ。折原君を先頭に、佳乃ちゃん・藤林さん・長森さん・七瀬さん・七夜さん・みさおちゃんが、ぞろぞろと連なって歩いていく。今ここにいる人だけでも、かなりの大集団だけども……

「真琴は保育所で待ってるのか?」

「そうよ。もう仕事が終わって待ってるみたいだから、さっさと行って合流しましょ」

……ここへさらに、真琴ちゃんが加わるわけだ。真琴ちゃんも加えた人数は八人。これだけの人数が集まること自体、僕の経験した中では一度か二度くらいしかない。たくさんの人に囲まれていると、それだけで何だか落ち着かない気持ちになる。これから大事な話を聞きに行くとなれば、尚更だ。

「……………………」

一行は一路保育所を目指し、止まることなく歩いていく。

 

「真琴ーっ! 来たわよーっ!」

「藤林のおねーちゃんっ! 待ってたわよぅ!」

藤林さんの言葉どおり、真琴ちゃんは保育所の前で立って待っていた。藤林さんの呼びかけに応じ、ぶんぶんと大きく腕を振っているのが見える。

「ごめんごめん。待たせちゃったわね……って、あれ?」

真琴ちゃんに向かって駆け寄った藤林さんが、はたと何かに気づいたかのように立ち止まる。その様子を見た真琴ちゃんが、藤林さんに声をかける。

「あぅ? どうしたの?」

「いや……」

一瞬間を置いた後、疑問に満ちた表情を浮かべて、こう一言。

 

「……どうして晴子さんがここに?」

「あはは……バレてもうたか。うちもおるでー」

 

真琴ちゃんの背中からひょっこりと顔を覗かせたのは、朝の出来事で顔をあわせた晴子さん、その人だった。藤林さんは晴子さんの登場は予想していなかったのか、口を半開きにして半ば呆然とした表情を見せている。

「晴子さぁん! 朝に続いてこんにちはだよぉ!」

「おう! こんにちはやで! 元気そうで何よりやわ」

「ひょっとして、晴子さんも繭の家に?」

「せやな……そのつもりでおるで」

折原君の言葉に、晴子さんは落ち着いた調子で応じる。真琴ちゃんだけではなく、晴子さんも一緒に繭ちゃんの家に行くつもりらしい。一体、どういうことなんだろう?

「でも、どうして晴子さんが?」

「……簡単なこっちゃ。あの子の……繭ちゃんやったか。繭ちゃんの言うた……」

晴子さんが一瞬言いよどんだ、その僅かな隙間を縫うかのごとく。

「……『椎名じゃない』、かなぁ?」

「せや……その通りや」

佳乃ちゃんがその文言を口にした。佳乃ちゃんが作った流れに乗るかのように、晴子さんが頷く。その顔に一瞬、暗い陰影が差したように見えたのは……気のせいだっただろうか?

僕が考えている間にも、晴子さんは話を続ける。

「あれ聞いた時……なんや、こう……」

「……………………」

「……ぐさっていうか、ずきっていうか……とにかく、胸にクるもんがあったんや……」

「……………………」

「……せやから、うちも話を聞きに行こうって思ったんや」

「そっかぁ……うんうん。やっぱり、気になっちゃうよねぇ」

「せやな。華穂さんに話聞いて、うちらにできることを探そやないか」

佳乃ちゃんの頭にぽんと手を載せて、晴子さんが八重歯を見せて笑った。そうして、ゆっくりと周囲を眺め回す……と。

「ん? なんや、えらい人数増えとらんか?」

「……我々のことのようだな」

「そうみたいね」

朝にはいなかった人が増えていたことに、晴子さんが気づく。目線のあった二人の女の子が、それぞれ一歩ずつ前に出る。

「アタシは七瀬留美。いろいろあってここにいるんだけど、それはまあ追々話すことにするわ」

「私は七夜留美。朝にちょっとした騒動に巻き込まれてな……彼らと一緒に、話を伺いに行くことにした」

「は、はぁ……」

二人から同時に自己紹介をされ、晴子さんが戸惑い気味になりながら、隣にいた佳乃ちゃんに顔を向ける。

「……なあ霧島君。この二人、腹違いの姉妹か何かか? もしくは父親違いの双子か何かなんか?」

「えっとねぇ、実はこう見えて、お二人さんはまったくの別人同士なのでありましたぁ」

「……そ、そうなんか……とりあえず、よろしゅう頼むで」

どことなく釈然としない表情をしながらも、晴子さんは小さく頭を下げた。あの二人の間に何の関係も無いと聞いて、どうにもしっくり来ない部分があるのだろう……正直なところ、僕も同じ気持ちだし。

「揃ったみたいだな。よし、そろそろ行くか」

「そうだね。繭ちゃんの家、分かる?」

「ああ。北川の家のすぐ近くらしいからな。北川の家なら知ってるから、すぐに見つかるだろ」

メンバーも揃ったところで、再び目的地に向けて歩き出す……

 

「ここから北川先輩の家って、結構あるのかな?」

「そんなに遠くないぞ。歩いて十分くらいのところにあるからな」

「もう日も暮れちゃってるし、さっさと行かないと、華穂さんも困るわね」

道を知っている(少なくとも、北川君の家までは)折原君が一番前に立って、九人にも及ぶ大集団が列を成して歩いていく。傍から見るとちょっと異様な光景だったろうけど、本人達はあまり気にしていないみたいだ。

「華穂さん……どんな話をしてくれるのかな?」

「多分だけど……繭ちゃんのこと、全部話してくれると思うわよぅ」

「全てかどうかはともかくとして、繭と華穂氏の関係について避けて通ることは出来そうに無いな」

「ま、そこが一番キモになる部分だしね」

華穂さんはどこまで話してくれるだろうか。繭ちゃんと華穂さんの関係を、僕らはどこまで知ることが出来るだろうか。それを知ったとして……僕らに何かできることはあるだろうか。完全に手探りの状況の中で、憶測やはっきりしない情報が飛び交う。それを収めるためには、華穂さんから話を聞くしか無さそうだった。

「俺達に何か出来ることがありゃいいんだけどな……」

「そうだよね……やっぱり、何かしてあげたいよね」

「……あれ?」

「真琴ちゃん? どうかしたのかな?」

不意に立ち止まり、真琴ちゃんが視線を前方に集中させる。それは明らかに、「何か」あるいは「誰か」に気づいた様子だった。真琴ちゃんにつられるかのように、他の人たちも次々に立ち止まる。

「もしかして……向こうにいるの……」

「どうしたのよ? 何かヘンなものでも見つけたの?」

「えっと……ちょっと待っててっ!」

「えっ? あっ、ちょっと真琴っ! どこ行くのよ!」

藤林さんの制止を振り切り、真琴ちゃんが走っていく。あっという間に集団から離脱すると、その姿を遠くへ消した。

「なんだなんだ? 真琴のヤツ、どうしたんだ?」

「なんや、向こうに知り合いでもおったんか……?」

突然のことに事情がよく飲み込めず、みんなで顔を見合わせあう。真琴ちゃんにどういう意図があって、急に走り出すようなことをしたのか、僕を含めて誰にも理解できていないようだった。

「……………………」

……ただ、佳乃ちゃんだけは違っていて、落ち着いた表情のまま、真琴ちゃんの走っていった方をじっと見つめていたけれども。

「ぴこぴこ……」

そのまま真琴ちゃんが帰ってくるまで、僕らはそこで立っていた。

………………

…………

……

 

「……ちょっと待って。これで一体何人になったの?」

「……十人、だな……」

「まさかの二桁突入だよ……」

「華穂さん、ちょっとびっくりするかも……」

真琴ちゃんが戻ってきた時、集団は十人になっていた。その理由は……

 

「あらあら。どうやら、私が十人目だったみたいですね」

「あははっ。秋子さんが一番最後だからねっ」

 

簡単だ。真琴ちゃんが秋子さんを連れてきたから、ただそれだけだった。どうやら真琴ちゃんは秋子さんを見つけて走っていったみたいで、向こうで事情を説明してこっちに連れてきたらしい。秋子さんはすんなり話を受け入れ、一緒に華穂さんの話を聞くことに。そうして、集団はめでたく十人になったわけだ。ちょっと半端じゃない。

「詳しいことは分かりませんが、何か複雑な事情があるそうですね」

「せやな……多分、それも含めて話してくれるはずやけど……」

口々に話をしながら、夕暮れ時の道を静かに歩いていく。

 

……だんだんと前が見えなくなっていくような、不安にも似た感覚に包まれながら。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。