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第百二十三話「Permitted Place」

「むむむ?」

「ぴこぴこ?」

その声には聞き覚えがあった。佳乃ちゃんも僕と同じだったようで、手を額にかざし、声の主の姿をとらえようとしている。けれどもそれも暫時のことで、佳乃ちゃんはすぐに、そこに立っている一組の男女が誰なのかを判別してしまった。

「往人君とことみちゃんだねぇ。どうしてあんなところにいるんだろぉ?」

「ぴこぴこー」

「気になるよねぇ。僕たちも行ってみよっかぁ」

「ぴこっ!」

短く言葉を交わしあい、僕と佳乃ちゃんは二人の元へと駆けた。

 

「ん……? あれは……」

「往人君っ! ことみちゃんっ!」

「霧島君……」

立ち止まっていた二人の元へとたどり着くのは容易なことだった。二人は体をこちらに向け、佳乃ちゃんと共にその姿を認め合う。往人さんは一歩前に出ると、佳乃ちゃんの瞳を見つめた。

「二人とも、そんなところでどうしたのかなぁ? 何かあったのぉ?」

「お前こそ、こんなところでどうしたんだ? とっくに家に帰ったと思ってたぞ」

「えっとぉ、いろいろあったんだけど……それはまた後っ!」

佳乃ちゃんは「それはこっちへ置いといて」というジェスチャーをして、往人さんに先に事情を説明するよう促した。往人さんはちょっと釈然としない表情をしながらも、佳乃ちゃんの顔を見て話し始めた。

「こっちは大したことじゃない。こいつを家まで送ってやる途中だったんだ」

「ことみちゃんを?」

「うん。送ってもらう途中だったの」

往人さんの隣には、以前会った時のように、たくさんの本を抱えた一ノ瀬さんが立っていた。そう言えば、前に一ノ瀬さんに会ったときも、往人さんが隣にいたっけ。この二人が一緒にいるのは、よくよく考えてみると別におかしなことでも何でもなかったんだ。

「へぇー。そうだったんだぁ。でも、どうしてぇ?」

「どうして……っていうと、俺が一ノ瀬を家まで送っていく理由か?」

「うんうん。何か訳ありみたいだねぇ。どうしてかなぁ?」

佳乃ちゃんからの問いかけに、往人さんは小さくため息を吐きながら、いつもよりも数段低い口調で、こんな言葉を口にした。

「実はな……こいつが、誰かに後を付けられてる気がするって言ってきたんだ」

「えぇっ?! それ、どういうことぉ?!」

「……えっと……」

一ノ瀬さんがおずおずと前に出て、往人さんに代わって話し始めた。

「演劇部の練習がすんだ後、図書室でご本を読んでたの」

「その本は図書室で借りてきたんだねぇ。うんうん。続けてよぉ」

「それから……最終下校時刻になって、読みかけの本を借りて学校を出たの」

本を抱えながら話す一ノ瀬さんの表情は、心なしか何かに怯えているように見えた気がした。往人さんの口にした「誰かに後を付けられている」というのが関係しているのだろう。とりあえず、話の続きを聞くことにしよう。

「校門を出た後、しばらくはいつも通りだったの」

「うんうん」

「でも……二つ目の曲がり角を曲がったときから、誰かに見られてるような気がしたの」

「そうなんだぁ。おっかない話だよぉ」

そう相槌を打つ佳乃ちゃんを横目に、往人さんが話を付け加える。

「そこに偶然俺が通りがかって、こいつに声をかけた……ってことだ」

「むむむ~。怪しい人がうろついてるみたいだねぇ」

「あぁ。こいつの言ったとおり、確かに誰かに見られてる気がした。今はもういなくなったみたいだが、こいつが付けられてたのは間違いない」

不安げに体をふるわせる一ノ瀬さんの肩にそっと手を置いてやりながら、往人さんはきっぱりと言い切った。不思議な力を持つ往人さんをしてそう言わしめるくらいなのだから、一ノ瀬さんが尾行されていたというのは本当のことなのだろう。

「そういうことだったんだねぇ。二人とも無事で何よりだよぉ」

「ああ。この後とりあえず家の近くまで送ってやるつもりだが、佳乃、お前はどうする?」

「もちろん僕も一緒に行くよぉ。一人より二人、二人より三人だからねぇ」

最初から答えを用意していたかのごとく、佳乃ちゃんはあっさりと同行することに同意し、三人揃って歩き始めた。必然的に、僕も一緒に行くことになる。

「……………………」

日もすっかり沈んで、暗闇に包まれ始めた街並みを眺めながら、僕らは住宅街を歩いた。

 

「ここまででいいのかなぁ?」

「うん。ここまで来れたら、後はだいじょうぶ」

「そうか。じゃあ、気をつけてな」

住宅街の一角までやってくると、僕らと一ノ瀬さんはそこで別れた。本を抱えたままゆっくりと闇の中へ溶けていく一ノ瀬さんを見送ってから、佳乃ちゃんと往人さんは元来た道を引き返し始めた。

「そろそろ帰らないと、お姉ちゃんが心配しちゃうよぉ」

「そうだな……こんなに遅くなるとは、予想もしてなかった」

そう言い合い、二人はいつもよりも心なしか速い足取りで、聖さんの待つ診療所へとつながる道を歩いていく。佳乃ちゃんの歩くペースはかなり速いけれど、往人さんはそれにきっちりとついていっている。ペースも一定だ。対する僕は前足と後ろ足を必死に動かして、どうにか二人に食らいついていると言った具合だ。あぁ、やっぱり人間に生まれてきたかったなぁ、僕……

「往人君、ずいぶん遅くまで外にいたんだねぇ。何してたのぉ?」

「大したことじゃないぞ。ただ、人のいそうな場所を探してひたすら歩いてただけだ」

「ひょっとして、誰も見つからなかったりぃ?」

「……悪かったな」

図星だったのか、往人さんはばつの悪そうな顔をして、野球帽を目深にかぶりなおした。佳乃ちゃんは隣でにこにこと笑いながら、珍しく往人さんに先手をとれたことを喜んでいるみたいだった。

「あははっ。気にしない気にしないっ。明日は明日の雨が降るよぉ」

「それを言うなら、明日は明日の風が吹く、だ。雨なんか降ってもいいことなんかないだろ」

「そうだねぇ。雨の中でいたら……風邪、引いちゃうもんねぇ」

「ああ、その通りだ。とりあえず、俺はずっと外を歩いてたが、特に気になることはなかったぞ。そっちはどうだったんだ?」

会話のボールが投げられ、今度は佳乃ちゃんが話す番となった。佳乃ちゃんは、えーっとぉ、などと言いながら少し間を置き、それから、今日起きた出来事について話し始めた。

「今日は一日大変だったんだよぉ。えっとねぇ……」

 

「……それで、華穂って人の家に話を聞きに行くことになったのか」

「そうだよぉ。ぼくがあそこを通りがかったのは、その帰り道だったんだぁ」

話は華穂さんの家へ話を聞きに行ったことに及んでいた。往人さんは少し興味を引かれたようで、佳乃ちゃんの言葉に一つ一つ相槌を打っている。対する佳乃ちゃんは、起きた出来事を一つずつ時系列順に話しながら、その時その時の光景を思い返しているようだった。

「なるほどな……それで、華穂って人は何て言ってたんだ? その……繭か。繭との関係とか、これからどうするつもりだとか」

「うん……やっぱり、ちょっとややこしいみたいなんだぁ。繭ちゃんとの関係とか、そういうの……」

微かに寂しげな表情を浮かべ、佳乃ちゃんが呟くように言った。そして往人さんの言葉を待たず、さらにこう続ける。

「華穂さんはねぇ、繭ちゃんの本当のお母さんじゃないんだぁ」

「……やっぱり、そうなのか……」

「うん。華穂さん、それですっごく悩んでるみたいだったんだぁ。優しい人なんだけどねぇ」

「母親、か……」

小さく呟き、往人さんが空を見上げた。その呟きに、僕は往人さんの感情の機微を感じた気がした。

……特に、「母親」という言葉に。

「ということは……佳乃。繭も母親を亡くしたのか?」

「……うん。七年前の地震でねぇ。それで、華穂さんが引き取ったんだって」

「……そうか」

繭ちゃんの話をする佳乃ちゃんと往人さんの間に、いつもとは違う、少し重い空気が流れる。それを作り出しているのは……

「華穂さんも、頑張って『お母さん』になろうとしてるんだよぉ」

「……ああ。話を聞いてる限りじゃ、華穂って人は立派な『母親』だ」

……『お母さん』に『母親』。その言葉が、この場を酷く重いものに変えているような気がした。

「……………………」

僕は二人のお母さんがどんな人で、今は何をしているのか、何処にいるのかといった事を全く知らない。僕とは長い付き合いになるはずの佳乃ちゃんも、僕に母親の話をしてくれたことは一度も無い。

話したくないことなのだろうか? それとも、話せないことなのだろうか?

「だからねぇ、ぼくたちでお手伝いをしてあげるんだぁ」

「二人の関係を改善する、ってことか?」

「そうだよぉ。大変だと思うけど……でも、きっと上手くいくはずだよぉ」

「楽天的だな、お前って」

「あははっ。褒めても何もでないよぉ」

「褒めてないっての」

疑問は氷解することなく、その後も暫くの間僕の心の中に留まり続けた。

 

「なあ、佳乃」

「どうしたのぉ?」

もうじき診療所が見えてくる、という頃になって、不意に往人さんが話を切り出した。佳乃ちゃんは元気よく顔を向けて、往人さんと会話する態勢を整える。

「この前、海で観鈴に出会ったんだが……」

「観鈴ちゃんにぃ? それは初耳だよぉ。それがどうかしたのかなぁ?」

「……お前、観鈴のこと、どう思ってる?」

「ほへっ?」

予期していなかった質問だったのか、佳乃ちゃんはぽかんと口を開け、きょとんとした表情を見せた。そんな佳乃ちゃんの様子を見ながら、往人さんはさらに質問を重ねる。

「正直に答えるんだ。お前は観鈴のことを、どう思ってるんだ?」

「うぬぬ~。難しい質問だねぇ。どう答えればいいかなぁ?」

「いや、それはお前が決めることだ。お前があいつのことをどう思ってるのか、簡単でいいから聞かせてくれ」

「ぐぬぬ~。余計に難しいよぉ~」

食い下がる往人さんに、佳乃ちゃんはしばらく困り顔を浮かべていたけれども、

「……そうだねぇ」

答えがまとまったのか、一呼吸置いてから、質問の答えを返した。

「ちょっと長くなっちゃうけど……いいかなぁ?」

「ああ。それは別に構わない」

「じゃあ、言うけどねぇ……」

すっかり暗くなった空を見上げながら、佳乃ちゃんがゆっくりと言葉を紡ぎ出していく。

「観鈴ちゃんはねぇ、ぼくと一緒にいると楽しいって言ってくれたんだぁ」

「ぼくもねぇ、観鈴ちゃんと一緒にいるとすごく楽しいんだよぉ」

「観鈴ちゃんが楽しそうにしてくれてたらねぇ、ぼくはなんだか安心できるんだぁ」

「ぼくが近くにいても、観鈴ちゃんが悲しくないって分かるからねぇ」

「だから、ぼくは観鈴ちゃんの側にいると安心するんだぁ」

「ここは、ぼくがいていい場所なんだって……」

「ここは、ぼくがいても観鈴ちゃんが悲しまない場所だって……」

「……そう、思えるからねぇ」

「だから……もし、観鈴ちゃんが悲しんでたら……」

「もし、観鈴ちゃんが苦しんでたら……」

「……ぼくはぼくの力で、それを何とかしてあげたいと思うんだぁ……」

最後まで言い終えたあと、佳乃ちゃんはほうっ、と小さく息をついた。

「……つまりだ、佳乃。お前は観鈴のことを大事にしてやりたい、そう思ってるんだな?」

「もちろんだよぉ。観鈴ちゃんが悲しむようなことがあったら、ぼくも悲しいからねぇ」

「……分かった」

往人さんはどこか判然としない顔つきのまま、自分からそこで話を打ち切った。佳乃ちゃんの答えの意図がよく分からなかったのか、ぶつぶつと何か呟いている……僕にしても、往人さんの質問に対する佳乃ちゃんの答えは、分かるようで分からないような、分からないようで分かるような、微妙な感じがした。

「あーっ! お姉ちゃんが外で待ってるよぉ! 急ごうっ、往人君っ!」

「別にそんなに走る必要無いだろ。待てって」

「……ぴこぴこ」

分からないことだらけ。僕は改めて、それを実感する。

僕はもっと、もっといろいろなことを知りたい……

 

……何度抱いたか分からない感情を胸に、僕は診療所へ入った。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。