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第百二十四話「Trust and Suspicion」

「今日はずいぶん遅かったな。どこかに遊びに行っていたのか?」

「えっほええ、ひょっほおははひをひひにいっふぇふぁんふぁぁ(訳:えっとねぇ、ちょっとお話を聞きに行ってたんだぁ)」

「食ってからしゃべれ、食ってから」

夜。佳乃ちゃんたちは三人で夕飯を囲みながら、いろいろと楽しそうに話をしている。僕は部屋の片隅でご飯を食べながら、絶えず聞こえてくる三人の話に耳を傾けていた。

「ほほう。話を聞きに行っていたか。どこに、どんな話を聞きに行っていたんだ?」

「さっきの意味不明なので分かるのか……」

「えっとねぇ……話すと長くなるから、ちょっと短くして話すとねぇ」

そう前置きし、佳乃ちゃんはお箸を置き、コップに残っていた麦茶を飲み干して準備を済ませてから、おもむろに話し始めた。

「今日ねぇ、繭ちゃんっていう子と出会ったんだぁ。ここからちょっと離れたところに住んでる女の子だよぉ」

「ふむ、繭ちゃんか。なかなか面白い名前だな。それで?」

「それでねぇ、繭ちゃんの……えっと、保護者の人なんだけど、華穂さん、って人にも出会ったんだぁ」

聖さんはこくこくと頷きながら、佳乃ちゃんの話に耳を傾けている。往人さんはそんな二人の様子を見ながらも、さりげなく大皿に並べられているかつおのたたきのおいしい部分を選り抜いていた。流石だなぁ、往人さん。

「ちょっと話がずれるんだけど……お姉ちゃん、昨日保育所でてんやわんやの大騒ぎがあったこと、知ってるぅ?」

「国崎君から聞いたぞ。確か、中に誰かが入り込んだらしいな」

「うんうん。実はねぇ、ここで衝撃の展開が待ち受けているんだよぉ~」

「ほほう。その保育所に入り込んだ人というのが、繭ちゃんだったりするのか?」

「えぇーっ?! どうして分かったのぉ?!」

「秘密だ」

「うぬぬ~。やっぱりお姉ちゃんはごまかせないよぉ」

佳乃ちゃんはそう言っていたけれど……正直なところ、佳乃ちゃんの話しぶりで見抜けない人のほうが珍しいし、佳乃ちゃんの話の展開でごまかし通される人のほうが珍しいと思う。

「ふふふ。私は何でもお見通しだぞ。例えば……そうだな。佳乃の本音もばっちりだ」

「えぇ~っ?! そこまで丸見えになっちゃってるのぉ?!」

「もちろんだとも。私には分かるぞ。佳乃が本当は女の子の格好をしてみたいと思っていることとか、な」

「そ、そんなこと思ってないよぉ! それ、お姉ちゃんの思い込みだよぉ!」

「いや、これは間違いなく佳乃の本音だ。今度私の服を出してやるから、どれでも好きなものを着るといいぞ」

「うぬぬ~。何かお姉ちゃんの都合のいいように話が進んでるよぉ」

しきりに首をかしげる佳乃ちゃん、にやりと笑みを浮かべる聖さんとは対照的に、往人さんは涼しげな顔で黙々とご飯を食べている。興味、無いのかなぁ。僕はすごくあるんだけれども。

「ふふふ。それはまた今度にしようじゃないか。それで、華穂さんに話を聞きに行ったのか?」

「うんうん。そこでねぇ、繭ちゃんのこととかをいろいろ聞いたんだよぉ」

「そうか。それで、どんな話だったんだ?」

先が気になるのか、矢継ぎ早に質問を投げかける聖さん。佳乃ちゃんはあくまで自分のペースを守りながら、その質問に一つ一つ答えていく。

「えっとねぇ……華穂さんは繭ちゃんの保護者の人なんだけどぉ……今ねぇ、ちょっとうまく行ってないみたいなんだぁ」

「上手く行っていない? 喧嘩でもしているのか?」

「う~ん……それとはまたちょっと違うんだけど、なんだか訳ありみたいなんだぁ」

佳乃ちゃんはあえて避けているのか、華穂さんと繭ちゃんの間に横たわる問題について詳しく言及することはしなかった。今ここで話すには少し長い内容だし、ただ端折っただけかも知れない。

「そうなのか。つまり、華穂さんと繭ちゃんはいろいろ訳ありで、今は少々上手く行っていないというわけだな?」

「うんうん。その通りなんだよぉ。困った困ったぁ」

「うむ。困ったことだな」

首をゆっくりと縦に振りながら「困った困った」と繰り返す佳乃ちゃんに、聖さんも同調して頷いた。そんな二人の様子を見ながらも、往人さんはさりげなく麦茶の入ったプラスチック容器の取っ手に手をかけ、コップにお茶を注いでいる。

「それでねぇ、折原君たちも一緒に行ったんだけどぉ、華穂さんの話を聞いてねぇ、ぼくたちで繭ちゃんと華穂さんを仲直りさせてあげようと思ったんだぁ」

「ほほう。それはいい心がけだな。いいことだぞ、佳乃」

「えへへ~。褒めても何も出ないよぉ」

「ふふふ……佳乃の笑顔が私への最高のプレゼントだぞ」

満足そうな笑みを浮かべて、聖さんは佳乃ちゃんを見やった。聖さんに褒められてうれしかったのだろう、佳乃ちゃんの顔は綻んでいた。こんな佳乃ちゃんの表情は、久しぶりに見た気がする。

「ふむ。それで、具体的にはどうしてやるつもりなんだ?」

「えっとねぇ、すっごく簡単に言うとねぇ。繭ちゃんを保育所で職業体験させてあげるんだぁ」

「ほう……それで、佳乃や折原君がそれを手伝うのか?」

「うんうん。その通りだよぉ」

あっけらかんと「保育所で職業体験させてあげる」と言い放った佳乃ちゃんに、聖さんはほんの少しだけ驚いた様子を見せた。けれどもそれもつかの間のことで、またいつもの落ち着きある表情へと戻った。

……と、ここで。

「……ちょっと待て佳乃。今お前、何て言ったんだ?」

「あぁーっ! いっけないいけないっ、往人君のことすっかり忘れてたよぉ!」

「おや、いたのか国崎君。先ほどから何の発言もないから、この場から消えてしまったのかと思っていたぞ」

あまりにも自然に話を流そうとした聖さんと佳乃ちゃんに危機感を覚えたのか、今まで食事に集中していた往人さんが不意に会話へ割り込んだ。額に手を当てながら、往人さんが口を開く。

「佳乃、その……『繭』って子を職業体験させてやるってのは、本気なのか?」

「もっちろぉん。ぼくはいつでもどこでも本気だよぉ」

「……本気で言ってるなら、あまりにも無謀すぎないか?」

「ふぇ? どこがぁ?」

きょとんとした表情を向ける佳乃ちゃんに往人さんは頭痛を覚えたのか、大きな大きなため息を一つ吐いてから、他人に言い聞かせるようなゆっくりとした口調で、佳乃ちゃんに語りかけ始めた。

「あのなぁ佳乃、その繭って子は、保育所に勝手に入り込んだ子なんだろ……?」

「そうだよぉ。そこで知り合ったからねぇ」

「それでだ、そいつが入り込んだおかげで、保育所は大混乱になったんだろ……?」

「うんうん。往人さん、物知りだねぇ」

「……よし。コンセンサスが形成できたところで、本題に入るぞ」

「へぇー。往人さん、難しい言葉も使えるんだねぇ。魔法使いさんだよぉ」

往人さんの言わんとしていることがまるで伝わっていないのか、佳乃ちゃんはにこにこ笑って緊張感のないやりとりを続けている。往人さんは一呼吸おいてから、おもむろに話を切り出した。

「……佳乃、考えてみろ。そんなヤツが保育所で職業体験なんて、できると思うのか?」

「ぼくは思ってるよぉ。それに、やってみなきゃ分からないしねぇ」

「どう考えても、やる前から不安しかないだろ……今からでもいいから、別の方法を考えろ」

「どうしてぇ? 絶対にいい案だよぉ」

「そんなわけあるかっ。子供が子供の面倒を見られるわけないだろっ!」

「大丈夫だよぉ。ぼくや長森さんも一緒だし、華穂さんも一緒にやるんだよぉ」

「それでも、保育所に話を……」

「それも大丈夫っ。晴子さんと真琴ちゃんもいいって言ってくれたからっ」

胸を張ってそう答える佳乃ちゃんに往人さんは食い下がる気力も削がれたのか、大きく息を吐いて、椅子に腰掛け直した。

「本当に大丈夫なのか……?」

「君は佳乃が信じられないのか? 佳乃の言葉を信じてやれ」

往人さんのつぶやきに、聖さんが素早く言葉をかぶせる。聖さんも佳乃ちゃんの言葉を信じているようで、その口調に淀みはない。

「……………………」

そんな二人を見ながら、往人さんは沈黙するしかないようだった。

 

「それじゃあ、お風呂に入ってくるねぇ」

「ああ。肩まで浸かって、じっくり暖まるんだぞ」

夕飯が済んでしばらくした後、佳乃ちゃんがお風呂に入るために席を立った。そうしてまたいつものように、この場に残される二人の姿。

「ふむ。どうやらこれが日課になっているような気がするぞ」

「そうだな……聖と俺とがここに残って……」

「私がこうして二人分の飲み物を用意し……」

「それから……」

そう言いながら、往人さんは目深にかぶっている帽子に手をかける。

「……あたしがこうして女に戻る、ってな感じかしらね?」

「うむ。いつ見ても面白いものだな、君が帽子を取る瞬間というのは。いっそ、それを人形劇の代わりに見せたらどうだ?」

「いや、聖先生みたいに度量のでっかい人ならおもしろがってくれると思うけどさ、普通の人がこんなの見たら薄気味悪くて逃げ出しちゃうわよ」

大人っぽい笑みを見せながら、往人さんは帽子を置いた。ふぅ、と小さくため息をはき出すと、髪の毛にこもった熱を追い出すかのように、手元にあった団扇でぱたぱたと髪を扇ぎ始めた。

「法力とやらで制御していたとしても、やはり暑いものなのか?」

「んー、そんなに暑いって訳じゃないけど、やっぱりずーっと帽子ん中に収まってたわけだし、ちょっと涼しい風を当ててあげた方がいいかな、って思ってさ」

「うむ。髪は女性の命だからな」

「そーそー。やっぱり先生は話が分かるわねー」

額にかすかに浮かんだ汗を黒いハンカチで拭い、往人さんが体勢を整えた。

「……さて。今日は先生に是非ともお聞きしたいことがあるのですが」

「なんだ急に改まって。婚約の申し入れならよそでやってくれたまえ」

「違う違う。先生の弟さんの話よ。佳乃のこと」

「ああ、佳乃のことか。そうなると、君が聞きたがっていることも大体想像がつくな」

「そうね……あの時は勢いで押し切られた感じだけど、ちょっと気になる部分もあるし」

サラサラとした銀色の髪を指先で弄びながら、往人さんが話を始める。

「佳乃はさ、繭ちゃんが保育所で職業体験をして、それのお手伝いをするって言ってるわけだけど、先生はそれ、どう思ってるの?」

「どう思ってる、か……難しい質問をするな。少々分けて考えさせてもらおうか」

「ん。答え方は自由で」

腕組みをし、背もたれに体を預けながら、聖さんが問いに対する答えを返す。

「繭という子が職業体験をするということ。それ自体は、私も不安の残るところだ」

「うんうん。そこは間違いないと思う」

「あのような騒動もあったことだし、何より、その少女の素性が知れない。聞くところによると、ごく最近ここへ越してきたようだ」

「なるほどね……先生が知らなかったわけだわ」

「ああ。だから私は、繭という子が職業体験をすること。それ自体を積極的に賛成することはできない」

そこで一端言葉を切り、聖さんはコップに満たされたお茶で唇を湿らせた。往人さんはしきりに頷きながら、聖さんの論に概ね同意しているように見えた。

「……だが」

「……………………」

「佳乃がサポートにつくというのなら、話は別だ」

「何があっても佳乃がフォローできる……先生はそう思ってるの?」

「そうだ。私の推測だが、恐らく『職業体験』というアイディア自体、佳乃が出したものではないかと思っている」

「……まー確かに、あの子ならそんな突拍子も無い提案をしても、不自然さは無いわね……」

どことなく浮かない顔つきで、往人さんがつぶやいた。

「佳乃はああ見えて機転の利く子だ。恐らく何が起きたとしても、適切な対応ができるだろう」

「……………………」

「私は佳乃を信頼している。佳乃が側についてやるのなら、私は賛成だ」

聖さんの話を聞いているうち、往人さんの口数が減っていくのが分かった。往人さんの胸中にどのような感情が去来しているのか、僕に推し量るすべがないのが惜しまれた。

「国崎君。君は佳乃のことをまだ信頼できていないようだが……これだけは言っておく」

「うん……」

「昔からそうだったんだ。問題を見つけてきては、自分の力だけで解決しようとする。佳乃は、昔からそんなことをしていたんだ」

「ってことは、こういうのはこれが初めてじゃないってこと?」

「そうだ。どんな問題にも自分の力で立ち向かって、そしてそれを解決してしまう。佳乃は……昔からそうだったんだ」

「……………………」

「だから国崎君。佳乃のことを信頼してやってくれ。あの子は……とても、強い子なんだ」

「強い子……」

「そう。私では遠く及ばない……強い子だ」

最後にそう結び、聖さんは話を終えた。

「強い子、か……」

聖さんから言われた言葉を、往人さんが復唱して見せた。

 

それからややあって。場の空気が元に戻り始めてきた頃。

「そう言えば先生、佳乃のことで、もう一個聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「ああ。構わないぞ。私は佳乃の姉だからな。佳乃のことなら何でも聞き給え」

「それじゃあ、割と端的に聞くけど……」

そんな前置きをした後に、往人さんが口にしたのは……

 

「……佳乃と観鈴ちゃんって、どんな関係なの?」

 

……この、話題だった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。