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第百二十七話「Complex Image」

真っ白な世界にいた。

何も無い世界にいた。

僕だけの世界にいた。

「……………………」

自分だけがいる世界。僕以外の存在が感じられない、空白の世界。僕の白い体は世界に溶け込んでいて、曖昧な境界線の上に成り立っている。ふとしたことで世界が僕を飲み込み、僕が世界の一部になってしまう。そんな気がした。

「……………………」

あるいは、僕が世界を飲み込んでしまうのかも知れない。僕と世界は紙一重で、そこに違いは無かった。僕は世界で、世界は僕だ。空と海のように、それはどこかで一つになる。境目の無いものは、必ずどこかで一つに交わるのだ。水たまりに落ちた雨が、水たまりへと交わるように。

……僕が、雨のイメージを空想した時だった。

真四角の画面で言うところの「上」から、黒い「点」が次々と降り注いでくる。それは「下」へとたどり着くなり、思い思いの不規則な「線」を描き出し、点が線を食らい、線が点を飲み込み、二つが交わり、白一色だった世界を作り変え始める。僕は世界との境目を感じながら、曖昧だった意識が世界から切り出され、同じく切り出された僕の体へと組み込まれる感覚を覚えた。

そうして、僕と世界が切り離された時にはもう、そこは白い世界などではなかった。

「……………………」

モノクローム。グレースケール。灰色の世界。すべてのオブジェクトが白と黒の濃淡だけで表現された、僕を取り巻く幻想世界。時折草むらから「光」が飛び立つ以外に、この世界で目立った存在は何も無かった。ただ、乾いた風が吹きぬけ、無機質な岩が不規則にせり出し、生気の無い草が揺れ、おぼつかない形の雲が、灰色一色の空を流れていく。「止」「静」「無」「寂」「独」……ネガティヴなメタファーを無数に含んだ、悲しい世界だった。

光。

時折飛び立つ「光」だけが、この世界のテーマにそぐわぬ存在だった。乾いた風に流され、それは僕の見知らぬ遠くへと飛んでいく。何を意味しているのか、何を示唆しているのか、何に喩えているのか……あるいは、その「光」自信も理解していないのか。そうかも知れない。僕は「光」に触れることができないから、どうにでも説明が付く気がした。

「……………………」

世界からクロップされた僕が、ふと隣に目を向けたときだった。

……墓標と壊れたテレビが、僕の隣に置かれていた。墓標には何も刻まれていない。それは墓標というよりも、路傍の石と言うべき存在に思えた。けれども、その路傍の石に対して僕が最初に抱いた印象は「墓標」だった。それは「墓標」なのだと、僕自身がすでに答えを出していた。それは紛れも無く、「墓標」なのだ。

その隣には、ディスプレイの割れたテレビが野晒しのまま放置されている。僕が目を向けると、それは生前の仕事を思い出したかのごとく、著しいノイズの混じった映像を映し出し始めた。

僕が、そこで見たものは。

 

大樹。お面を被った子供。血まみれの両腕。

海へ歩いていく少女。空ろな顔をした大人。壊れた時計。

土砂降りの雨。林道に打ち捨てられた鞄。空を往く烏。

 

意味のつかめない断片的な映像のイメージが、壊れたテレビに映し出される。前後の脈絡は無い。すべての映像は色を持たず、温度の無いモノクロームで描かれている。大樹・お面を被った子供・血まみれの両腕・海へ歩いていく少女・空ろな顔をした大人・壊れた時計・土砂降りの雨・林道に打ち捨てられた鞄・空を往く烏。

その映像のサイクルが、何度か繰り返された後のこと。

「……………………」

瓦礫。廃墟。災害の傷痕。

絶望という言葉を現実に落とし込んだようなおぞましい光景が、夥しいノイズと共に映し出される。それは乾ききったこの世界にあって、荒々しいまでの存在感を持っていた。すべてが死に絶えた空間、しかし「死」は「生」あっての「死」だ。「死」は同時に「生」を感じさせ、「生」は同時に「死」を感じさせる。

……そして。

 

「……………………」

 

廃墟の中に、僕は人影を見つけ――

 

「……?」

目覚めた時、僕はお腹に伝わる感触がいつもと違っていることに気づいた。ぼやけた視界がはっきりするのを待って、僕は今自分がどんな状況にあるのかを確かめる。心なしか、いつもよりも目覚めがいいような気がした。ぐっすり眠った後にぱっちり目が覚めたときの、あの何とも言えない気持ち良さがあった。

「ぴこ……」

僕はそれほど時間を要することなく、自分の置かれている状況を把握することが出来た。どうやら昨日は佳乃ちゃんの部屋に辿りつくことなく、僕は待合室のソファで眠り込んでしまったらしい。その証拠に、

「……………………」

「ぴこぴこ……」

僕の隣では、髪を解いた往人さんが眠りについていた。気持ち良さそうに眠るその姿からは普段の鋭い目線や隙の無い構えは影を潜め、穏やかな印象を僕に抱かせた。こうして見てみると、往人さんも年頃の女の子なのだ。結構、可愛い気がする。

待合室の時計に目をやる。時計の短針は五と六の間を、長針は七を指している。五時半過ぎといったところだ。聖さんもまだ起きていないようで、今この診療所の中で活動しているのは僕だけ、ということになる。なんだか、新鮮な感じだ。

自分一人だけが起きているということのこそばゆさをひとしきり味わった後、僕は少し気持ちを落ち着けて、僕が今置かれている状況がどのようにしてできたものなのか、少しずつではあるけれど思い出していく。

「……………………」

記憶はとてもはっきりしていた。夜中に寝付けず診療所を出て、廃駅であのお姉さんと出会った。お姉さんと話をした後、お姉さんが袋詰めのクッキーを取り出し、アルミ製のフォークでもって僕に食べさせてくれた。その後僕は眠気を覚えて、お姉さんに抱きかかえられながら診療所の前まで戻ってきた。眠気でふらふらになりながら僕はどうにか中へ入り、寝床である佳乃ちゃんの部屋に戻ろうとしたけれど、途中で力尽きてここで眠ってしまった――これで間違いない。

寝ぼけていたはずの時間帯に当たる記憶さえ、僕ははっきりと思い出すことができた。お姉さんと話した内容も、お姉さんがくれたクッキーの味も、お姉さんが僕を抱きかかえてくれたことも、先ほどのことのように鮮明に思い浮かべることができる。まるで体に「記憶」ではなく「記録」されたかのように、正確に思い返すことができたのだ。

「ぴこぴこ……」

いろいろと気になることはある。僕の不眠症は生まれつきのもので、一度目を覚ましてしまったらその日は何があっても眠れなかったはずなのに、昨日に限ってはもう一度眠りにつくことができた。曖昧になっていてもおかしくないお姉さんとの出来事も、何故かは分からないけれどきわめて正確に憶えている。不思議なことがたくさんあった。

「……………………」

僕が説明のつかないこれらの物事を考えていた、その時のことだった。

「……ん……? ポテト……?」

「ぴこぴこっ」

僕の隣で寝ていた往人さんが目を覚まし、薄目を開けてこちらを見つめてきた。僕は元気よくおはようの挨拶をして、往人さんをまじまじと見やる。

「昨日は佳乃の部屋で寝なかったの……?」

「ぴこぴこ」

「そっかぁ……目が覚めたらいきなりあんたがいたから、驚いちゃった」

往人さんは首筋の凝りを解しながら、ゆっくりとその身を起こした。僕を膝の上に招き寄せ、そのまま抱きかかえられる。そういえば、往人さんに抱いてもらったのは初めてのような気がする。

「ここの人はみんな早起きね……ま、あたしが言えたことじゃないけどさ」

「ぴこぴこー」

「よしよし。佳乃と先生が起きてるまで、このあたしが相手をしてあげよう」

往人さんは微かに笑って、僕の頭を優しく撫でた。こうして誰かに体を優しく撫でられると、僕は無条件で気を許してしまう。その人の気持ちや考え方がダイレクトに伝わってきて、僕もまた優しい気持ちになれるのだ。

「でもさ、あんたも大変よね……佳乃みたいなハチャメチャな子と一緒にいなきゃいけないんだからさ」

「ぴこ?」

僕の体を撫でながら、往人さんが呟くように言う。確かに佳乃ちゃんと一緒にいて大変なことがない訳じゃないけれど、多分往人さんが思っているほど、佳乃ちゃんはハチャメチャではない。少なくとも、常識はわきまえている。ただ、ちょっと他の人とずれている部分があることは間違いないけど……

「昨日は先生に言いそびれちゃったけど……智代も佳乃のことが好きみたいなのよね……先生が聞いたら、卒倒しちゃうかもね」

「ぴこぴこ……」

「あんたは知ってたよね。智代のことも」

僕は無言で頷く。昨日は聖先生のことを考慮したのか坂上さんの名前は挙げなかった往人さんだけど、決して気にしていないわけではないようだった。ただでさえ三つ巴の争いだというのに、そこに坂上さんなんていう強力なライバルが加わるわけだから、聖さんが知ってしまったら確かに卒倒しかねない。

「絶対に修羅場になるわよね……これは」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……ま、その時はその時。佳乃なら適当に何とかするでしょ」

「……ぴっこり」

……往人さんの言うとおり、佳乃ちゃんならどんな状況もなんだかんだでうまく切り抜けてしまいそうな気がするから、不思議なものだと思った。

 

「ほう。保育所へ話を聞きに行くことになったのか」

「そうだよぉ。昨日真琴ちゃんからメールが来てねぇ、夕方にお話を聞きに行くことになったんだよぉ」

「職業体験について、だな?」

「うんうん。繭ちゃんも華穂さんも一緒だよぉ」

いちごジャムを塗ったトーストを囓りながら、佳乃ちゃんがいつもの調子で応じた。話によると、今日の夕方に保育所へ職業体験に関する話を聞きに行って、具体的にどのようなことをするのかを決めてくるそうだ。職員である真琴ちゃんからメールが来たということは、恐らくもう保育所では話ができているのだろう。秋子さんや晴子さんの尽力の賜に違いない。

「そうか。くれぐれも気をつけてな。お昼はどうするんだ?」

「えぇっとぉ……多分、一度帰ってくるよぉ」

「分かった。というわけで国崎君、君に一つ追加の仕事を与えよう」

「買い物か?」

「そうだ。後で紙に書いておくから、午前中に買ってきてくれ」

「分かった」

すっかり男口調になった往人さんが、言葉少なに聖さんの要請を受けた。やっぱり、口調や声色が変わると、性格や話し方にまで影響が出てしまうものなんだろうか? そもそも話すことのできない僕には、ちょっと分からないことだった。

……朝食の時間は流れ、そろそろ皆が食べ終わろうとしたときのことだった。

「次です。今月初めに起きたバスの転落事故に関し、調査委員会は第一次事故調査報告書をとりまとめました。調査委員会は事故原因について――」

「……なあ聖。これって、このすぐ隣の県じゃないか?」

バックミュージックのように流されていたテレビのニュースに、往人さんが食いついた。聖さんもコーヒーをすするの止め、同じく画面を見やる。

「ああ。すぐ隣の県だ。修学旅行中のバスが転落して、多数の死者が出たらしい」

「災難な話だな……」

「うむ。ちょうど同じ時期に佳乃も修学旅行へ出向いていてな。心配で仕方なかったぞ」

「確かに、今回に関してはあんたの心配性も理解できる」

「まあ結局、佳乃の方は平穏無事に済んだんだがな、この事故で生存していたのは後部座席に座っていた男子と女子の一人ずつで、残りの生徒は全員死亡。過去に例のない、最悪の事故だ」

淡々と呟く聖さんに、往人さんは黙ったまま頷いて応じる。それにしても、酷い事故だ。何が原因かは分からないけれど、これじゃ生き残った方も浮かばれない。自分たち以外、全員が全員亡くなってしまったわけなのだから。

……と、僕が重たい気持ちを抱えながら、ふと後ろを振り向くと。

「……………………」

「……………………」

佳乃ちゃんが無言のまま、静かに顔を俯けさせていた。話を続ける二人の輪にもまったく加わる気配を見せず、どこかうつろな表情を見せている。

「ん……?」

それに気づいたのは、往人さんだった。

「……佳乃、どうしたんだ?」

「……………………」

「佳乃……?」

二度目の呼びかけで、佳乃ちゃんがはっと顔を上げる。

「……あっ! ごめんごめぇん。ちょっとご飯を食べながら寝ちゃってたよぉ」

「恐ろしく暢気なやつだな……」

「あははっ。どんなときでもマイペースマイペースっ」

「自分で言うな、自分で」

……実に佳乃ちゃんらしいオチがついて、この話は決着がついたのだった。

 

「それじゃあ、行ってきまぁす!」

「ああ。くれぐれも気をつけてな」

いつも通りの挨拶を交わし、佳乃ちゃんは診療所を飛び出す。目指すは学校、演劇部の部室だ。

「昨日は寝苦しくてよく寝付けなかったねぇ。恥ずかしいところを見られちゃったよぉ」

「ぴこぴこ」

確かに、ご飯を食べながら居眠りをしているところなんて、あんまり見られたいものじゃない。昨日は確かに少し暑かったし、佳乃ちゃんの言い分もよく分かる。弘法にも筆の誤りというように、佳乃ちゃんにも居眠りをすることはあるのだ。

「部室では寝ちゃわないようにしなきゃねぇ。気をつけようっと!」

「ぴっこり!」

そんなことを言い合いながら、通学路を歩き始めた矢先のことだった。

 

「うにゅ……」

「すごいね……名雪さん、歩きながら寝てるよっ」

「いや……寝ながら歩いてるんだぞ、これは」

食事中どころか、通学中に眠っている人を発見してしまうのであった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。