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第百二十六話「Cookie and Fork」

「立ってるのも疲れるし、あそこに座ろっか」

「ぴこぴこっ」

お姉さんは僕を抱き上げ、廃駅の駅舎に向かって歩いてゆく。幾分光の弱まった電灯が、駅舎の古ぼけたベンチを鈍い光でもって照らしている。暗い中にあるそのベンチは、お昼に見たときよりも心なしか頼もしく見えた気がした。

「よいしょ……っと」

ベンチの真ん中に陣取り、僕はお姉さんの隣へ座った。お姉さんはいつもと同じ服装で、あの白い帽子もそのままだ。たまにずり落ちそうになるそれを左手で押さえながら、お姉さんが小さく息をつく。

「ふぅ……静かでいい夜だね」

「ぴこぴこ」

「あははっ。やっぱりキミもそう思うのかな?」

「ぴっこり」

同意だった。夜は静かで穏やかなほうがいい。不安を抱えたままじゃ、眠るに眠れないし。ただでさえ、僕は暗いところが苦手なのだ。静かで何もない夜が、僕には一番だ。

「今、何時だろうね……」

「……………………」

「ひょっとしたら、もう『明日』なのかも知れないね」

「……ぴこぴこ」

「こんな時間に起きてたら……お母さんに怒られちゃうよね」

「……………………」

僕はお姉さんの言葉――それは呟きにも似ていた――を聞いていて、ある単語に独特のアクセントが置かれていることに気づいた。

「でも、それは愛情の証なんだよ」

「早く寝ないと、明日また起きられないからね」

「寝坊しちゃったら、いろいろと大変だから」

それは――

「『明日』が来ても起きられなかったら……お母さん、怒っちゃうよね」

……思えば、佳乃ちゃんや往人さんもそうだっただろうか。華穂さんも……似たような態度で、この言葉と接していたように思う。

 

「お母さん」

 

この短い単語に、どれだけの意味を込めているのだろうか。意味がこもっているからこそ、そこに力を置いて発音するのだろう。そこには間違いなく何かの意味がある。

「……………………」

それを窺い知ることは、僕にはできそうになかったけれど。

「あっ、ごめんね。いつもよりちょっと外が暗かったから、時間のほうが気になっちゃったよ」

「ぴこぴこー」

「そうだよね。キミは『この町の秘密』を聞きに来たんだよね」

お姉さんに言われ、僕は胸が躍った。「秘密」という言葉に、僕は強く強く惹き付けられていた。この平凡な海沿いの町に何が隠されているというのか、僕には気になって気になって仕方がなかった。僕はお姉さんが話を切り出すのを、今か今かと待ちわびていた。

「『秘密』はね、たくさんあるんだ。だからね、一日じゃ全部言えないんだよ」

「ぴこぴこっ」

「だからね、これから少しずつ、キミに『秘密』を教えてあげようと思うんだ。最後まで聞けば、キミもお姉さんと同じくらい、この町に詳しくなれるんだよっ」

「ぴっこり」

僕の興味は惹き付けられっぱなしだ。「秘密」は少しじゃなくてたくさんあって、しかもそれを少しずつ、僕に教えてくれるという。一日で全部言えないくらいとなると、それはすごいものなのだろう。何もすることがない僕にとっては、多すぎるくらいが丁度よかった。

「うんうんっ。気に入ってくれたみたいだねっ」

「ぴこぴっこ」

「よーし……じゃあ、今日のお話を始めるよ……」

そう言うとお姉さんは僕を抱き上げ、ひざの上へちょこんと乗せた。お姉さんが僕の顔を覗き込み、にっこり笑って見せる。お姉さんはそうした後顔を元の位置に戻すと、僕の体に手を回し、静かに語り始めた。

「……今日は、こんなお話……」

 

この町にはね、たくさんの風景があるんだ。人のいる風景、物のある風景、楽しい風景……そんな風景がたくさん集まって、この町を形作っている。どれかが欠けても、この町は成り立たないんだよ。

風景は誰かに見られて、初めて「風景」になるんだ。そうして風景を見た人の中に、自分の姿を残してもらう。誰かに「憶えて」もらうことで、風景は「風景」になるんだ。人の心の中にカタチをとどめた風景、それが……

 

……「記憶」。「記憶」っていうんだよ。

 

記憶になった風景は、それを忘れない限り、人の心に残り続ける。人の心に残って、その人に影響を与え続けるんだ。とても小さなことであっても、記憶は人に影響を与え続ける。いい記憶も悪い記憶もみんなひっくるめて、人とは切り離せない存在なんだ。

風景が集まって町ができて、町の中に人が住む。人は風景を記憶に変えて、また新しい風景を作り出していく。そうしてできた新しい風景が、その町を少しずつ変えていく。人が町を、町が風景を、風景が記憶を、記憶が人を……小さな「輪」を、みんなして回っているんだ。

それはとても当たり前のことだから、そういう「輪」があることを忘れちゃう人も多い。それは誰だって同じこと。ひょっとしたら、意識したことのある人のほうが少ないかもね。

……でもね、この「輪」からは外れられないんだ。記憶が人を動かし、人が風景を変え、風景が町を生み出し、町の風景は人の記憶に変わる……

 

「……その、繰り返しからはね」

「……………………」

ここまでほとんど止まらずに話した後、お姉さんはふぅ、とため息を吐き出した。一息で話して少し疲れたのか、ここで少し間が空いた。

「あはは……ごめんね。もっと分かり易く話したいんだけど、ちょっと難しいんだ」

「ぴこぴこ」

申し訳なさそうに謝るお姉さんに、僕は首を左右に振って応じた。確かにちょっと抽象的な話だったとは思うけど、言いたいことは理解できる。多分これからお姉さんの話してくれる「秘密」は、今日のお姉さんの話のようなことが下地になるのだろう。それなら、しっかり聞いておかない手はない。

「すごいね……ちゃんと聞いてくれてるんだ。お姉さん、すっごくうれしいよ」

「ぴっこぴこっ」

お姉さんは満面の笑みを浮かべ、僕の頭をわさわさと撫でてくれた。僕は身を震わせ、お姉さんのされるがままになる。心地よい感触だった。

「あははっ……えらいえらいっ」

「ぴこー」

お姉さんも気持ちよかったのか、そのまましばらく、僕はお姉さんに抱かれたままだった。

 

「ふぅ……なんだか、ちょっとお腹すいたね」

「ぴこぴこ?」

不意に、お姉さんがそんなことをつぶやいた。僕は顔を上げ、お姉さんの目を見つめる。

「ねぇポテト君。お姉さんね、お料理もできるんだよ」

「ぴこぴこー」

「例えば……こんなのもねっ」

そう見得を切り、お姉さんが懐から取り出したのは、

「……ぴこぴこ?」

「うんっ。クッキー。オーブンでしっかり焼いた、お姉さんの手作りクッキーだよっ」

小さな袋に丁寧に詰められた、きつね色のクッキーだった。見た目はちょっとしっとりとした感じで、なかなかおいしそうだった。少なくとも、真っ黒に焼け焦げて碁石のようにになっている、なんていうことはなかった。

「これでも最初は失敗ばっかりだったんだ。火加減を間違えて真っ黒にしたりして……『碁石』なんて言われたこともあったっけ……」

「……………………」

……僕と同じようなことを考える人が、少なくとも一人いることがわかった。

「でも、ちゃんと練習したんだよ。食べられるように、食べてもらえるように……」

「ぴこぴこ……」

「えへへっ……まだまだ完璧じゃないけどね。でも、味は保証するよ。ポテト君。ちょっと食べてみない?」

「ぴっこり!」

その言葉を待っていた。僕は勢い込んでうなづく。

「うれしいよ……楽しみにしてくれてるみたいだね。それじゃあ、その期待にしっかり応えるよっ」

お姉さんは握りこぶしを「ぐっ」と可愛く握ると、クッキーの袋を閉じていた黄金色の針金を丁寧にはずし、袋の口を広げた。クッキーの甘いにおいが、袋の口からほのかに漂ってくるのが分かる。僕はぴこぴこと短い尻尾を振りながら、お姉さんが準備を済ませるのを待った。

「それじゃあ、お姉さんが食べさせてあげるからね」

そう言いながら、お姉さんは再び懐へと手を差し入れ……

「はいっ」

「ぴこ?」

「あれ? どうしたの? 何かヘンかな?」

「ぴこぴこ……」

「えっ? クッキーをフォークで食べるのはおかしい? そうかな?」

……何故か懐から「フォーク」を取り出し、袋の口に差し入れたのだ。フォークはアルミ製のごく普通のフォークで、取り立てて変わったところはない。けれども、クッキーを食べるためにわざわざフォークを使う理由もない。普通に指で摘んで食べればいいと思うんだけど……

「う~ん……そんなにヘンかな?」

「ぴこぴこ……」

「でも、食べられることは食べられるよねっ」

確かに、食べられることは食べられる。別に強く反対する理由はどこにもない……んだけど、やっぱりなんとなく引っかかるものを感じるというか……どうしてフォークなんだろう?

「あははっ。細かいことは気にしちゃダメだよっ。はいっ。お口を開けてー」

「ぴぃ~……こぉ~……」

まあ、あんまり細かいことに拘っていても仕方ない。それに、クッキーを食べられるということに変わりはないのだ。僕は迷わず口を開け、お姉さんがクッキーを口に入れてくれるのを待った。

「あ~……」

「……………………」

「……んっ!」

口に入れられたクッキーを、僕は早速咀嚼し始める。

「……………………」

しっとりとしていて、程よく柔らかい。バターの風味が口いっぱいに広がって、噛む度にそれが深みを増していく。少し甘みが強くて、甘いものの好きな僕にも満足のいく味付けだった。僕は無心のまま咀嚼して、一思いに飲み込んだ。

「おいしかったかな?」

「ぴこぴこっ」

迷わず頷く。

「わっ、すっごく気に入ってくれたみたいだねっ。お姉さん嬉しいよっ。もう一ついかがかな?」

「ぴっこり」

その後僕とお姉さんは二人して、袋に詰められたクッキーを一つも残さず食べたのだった。

 

……クッキーを食べ終えてから、ほんの暫く後のこと。

「ぴ……こ……」

「眠くなってきたのかな……?」

不意に、強い眠気を覚えた。目の前がぼんやりとしてきて、足元がおぼつかない。だんだんと意識がふわふわしてきて、夢うつつの狭間を彷徨い始める。急に訪れた眠気に、僕はちょっと戸惑いながらも、それに身を委ねてしまいそうだった。

「ぴこぉ……」

「そっか……眠くなってきたみたいだね。それじゃあ、今日はもうお家に帰ろっか」

お姉さんはそう言い、僕を抱えたまま立ち上がる。

「今日はお姉さんに付き合ってくれて、どうもありがとうっ。お礼っていうわけじゃないけど、ポテト君の家まで送っていってあげるね」

「……………………」

………………

 

そこから先のことは、よく憶えていない。

ただ、お姉さんに抱かれながら、もと来た道を歩いて……

商店街に入って……診療所の前でお別れをして……

ほとんど眠ったまま、出てきた化粧室の窓から中に入って……

それから……

 

それから……

 

………………

…………

……

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。