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第百二十九話「Chatting Time #4」

「おはようございますっ!」

「おはようございますだよぉ」

「おはようあゆちゃん。佳乃ちゃんも一緒みたいだね」

部室に入ってみると、まず川名さんが一同を出迎えてくれた。やはりこの暑さは堪えるのか、小さな卓上扇風機を回して風を浴びている。吹きぬける風で髪が揺れて、見るからに涼しそうだった。

「霧島さん、おはようございますっ」

「おはよう栞ちゃん。今日も一人かなぁ?」

「ちょっとちょっと、ちゃんと周り見てる? 今日はあたしもいるわよ」

「よう香里、久しぶりだな」

「わ、香里~。今日は来てたんだね」

「そうね。ここんとこはずっと家の中だったし」

栞ちゃんと美坂さんの姿も見える。美坂さんのほうはしばらく姿を見ていなかったけど、今日は姉妹揃っての登校みたいだ。夏風邪はもう治ったのだろうか? 前に比べて、顔色は幾分良いように見える。

「美坂さぁん、もう風邪は治ったのかなぁ?」

「まだ少し体がだるいけど、もう寝込む必要はなさそうね。聖先生の薬が効いたみたいだわ」

「霧島さんのおかげです。いつもお世話になっちゃってます」

「いいよぉ。ぼくとお姉ちゃんは人を治すのがお仕事だからねぇ」

いつもの明るい笑顔を覗かせながら、佳乃ちゃんが机の上に鞄を置いた。この顔を見ていると、僕は何ともいえず安心した気持ちになれる。誰かが明るい笑顔でいてくれているだけで、周りの人も穏やかな気持ちになれる。いいことだと思った。不安な気持ちが広がるのは御免だけれど、明るい気持ちが広がるのは大歓迎だ。

「名雪は今日部活休みなの?」

「うん。だからね、こっちの見学に来たんだよ」

「ほほー。名雪ちゃんも熱心ね~。やっぱり相沢君のこと、ほっとけないんだよね~」

「し、茂美ちゃんっ?!」

回転いすに乗ってきゅらきゅらと音を立てながら、不意に川口さんが姿を現した。メモ帳を携え、にやにやしながら何かを書き付けている彼女の姿は、そこはかとなく怪しげな人っぽいというか、むしろ全面的に怪しい人だった。

「……って、川口っ! お前いきなり何言い出すんだっ!!」

「まーまーそう熱くならないで。お熱いのは二人だけでやっちゃってくださいな」

「わー! そ、そういうのじゃないよっ! そういうのじゃないんだよっ!!」

「ひゅーひゅー。名雪ちゃんって分かり易いわねー。顔、真っ赤っかになっちゃってるわよ」

「相変わらず言いたい放題ね、茂美は……ま、あたしも同意見だけどね」

ニヤニヤしながら自分たちを見つめる川口さんと美坂さんに、祐一君も水瀬さんもまともに言い返せないようで、お互いに顔を赤くして俯いてしまっている。これじゃあ川口さんに「分かりやすい」なんて言われちゃっても仕方ないだろう。僕でも二人の気持ちが分かっちゃうくらいだし。

さて、僕たちがそんな話をしているその横では。

「えと……川名先輩。深山部長はどうしていますか?」

「ゆきちゃん? 今ちょっとジュースを買いに行ってるけど、もうすぐ戻ってくるよ」

古河さんと川名さんが話していた。古河さんは少し不安そうな面持ちで、部長さんが戻ってくるのを待っている。川名さんの話だと、深山さんはもう少しすれば戻ってくるらしい。ということは、今日はもう部室へ来ているということになる。

「川名先輩、深山部長のことなんですが……」

「うん。どうかしたのかな?」

「今日は……怒ってたりしませんでしたか?」

「昨日のことだね。それなら大丈夫だよ。あの後寮に戻ってみたけど、ゆきちゃんいつも通りだったからね。今日も普通だったよ」

川名さんは古河さんの声色で事情を察したのか、安心させるかのようなしっかりとした口調で告げた。

「そうでしたか……もしかしたら昨日のことで、深山部長を怒らせてしまったんじゃないかと思って……」

「古河さん、優しいからね。気にしちゃうのも分かるよ。でも、そんなに気にしちゃだめだよ。ああいうことは滅多にないから、私も驚いちゃったくらいだし」

「はい……」

「ゆきちゃんってしっかりしてそうに見えるけど、ああ見えて結構おっちょこちょいなんだよ。この前なんかね、いちごジャムと間違えてブルーベリージャムを……」

川名さんが笑いをこらえながら、続きを言おうとしたときのことだった。

「ちょっとみさき! それは言わないって約束だったでしょ! 大体、みさきはブルーベリージャムの方が好きなんだからいいじゃない。私がいちごジャムを食べ損なっちゃっただけなんだから」

缶ジュースを二つ抱えた深山さんが、ひょっこりその場に姿を見せた。川名さんに自分の失敗談を暴露されそうになったのが恥ずかしかったのか、いつもよりも少し話速が速い。

「お帰りゆきちゃん。ジュース、買って来てくれた?」

「買ってきたわよ。次はみさきのおごりだから、ちゃんと憶えておいてね」

「うん。私、記憶力はいいほうだからね」

深山さんは笑って会話に応じながら、川名さんにジュースを手渡す。果汁百パーセントのオレンジジュースだ。対する深山さんは……スポーツドリンクのようだ。濃い青を基調としたデザインが、しきりに僕の目を引く。

「あっ、あの……深山部長っ。お、お話がありますっ」

「渚? どうしたのよそんなに改まって……ほらほら、怒ったりしないから、落ち着いて話してみて」

「えと……怒ってませんか……?」

「怒ってる? もしかして、昨日のことかしら?」

「はい……ひょっとすると、私が部長を怒らせてしまったんじゃないかと思って……」

不安げに呟く古河さんの様子を見た、深山さんの反応は。

「心配させちゃったみたいね。今はもう大丈夫よ。あの時、ちょっと気が立ってただけだから」

「本当ですか……?」

「私はフィクションを演じるけど、言うことにフィクションはないのが主義よ。これも本当のことなんだから」

「部長……」

「心配かけさせちゃって、ごめんなさいね。渚は少しも悪くないわ。私はもう怒ってないから、安心してちょうだい」

古河さんの肩に手を置きながら、深山さんが穏やかに微笑んでそう告げた。これでようやく不安が晴れたのか、古河さんの表情に笑顔が戻った。

「ほらね? ゆきちゃん、もう怒ってなかったでしょ? これで一件落着、だね」

「はいっ。良かったです。これで安心して練習ができますっ」

「いい心がけね。練習は大切だから、私もおろそかにしないようにしなきゃ……ああ渚、これ一人で飲むにはちょっと多いから、一緒に飲まない?」

「えと……いいんですか?」

「いいのよ。紙コップもあったはずだしね。それじゃあ、ここで待ってて。すぐに持ってくるから」

穏やかで明るい演劇部の風景の中で、時間もゆっくりと過ぎていく。

 

「ふぃー……それにしても最近あっついわね……どう思う?」

さっきまで川名さんが使っていた卓上扇風機を、今度は川口さんが使っている。川口さんは扇風機をフルパワーにしてかなり強い風を浴びながらも、まだ満足していないようだった。おさげにした黒髪が、風邪に煽られてぱたぱたと揺れている。

「夏が暑いのは毎年のことじゃない……とは言っても、今年が特に暑いのは間違いないわね」

「そうだね。ちゃんと水分を取らないと、熱中症になっちゃうよ」

「んむ。名雪ちゃんの言うとおり……あっ、ちょっと待った」

「どうしたのよ、一体」

「名雪、名雪、名雪……おぉ……名前に『雪』って入ってるからかどうかは分からないけど、なんか『名雪』って何回も言ってたらだんだん涼しくなってきたかも!」

「わ、わ、ちょっと、恥ずかしいよっ。そんなに何回も名前を呼ばないでよっ」

「なゆき、名雪、なゆき、名雪……これは素晴らしいクールダウン効果! 名雪ちゃん、便利な名前してるわねぇ」

「便利なんかじゃないよ~。涼しくなんかならないよ~」

「むしろ、茂美の思い込み能力の方が便利そうに見えるけどね……」

美坂さんの意見がもっともすぎて、僕はこれ以上突っ込む気になれなかった。川口さんは……なんというか、何を考えているのか本当に分かりにくい人だと思う。多分、面白くて優しい人だとは思うんだけども……

さてさて、別の場所に目を向けてみると。

「なんか茂美ちゃん、また面白いことを思いついたみたいだね」

「面白いというか……ま、茂美なら何をやってもおかしくないわね」

「うんうん。川口さんなら何をしてても納得だよねぇ」

「はいっ。私もそう思いますっ」

川口さんとは長い付き合いになるだろうこの四人が、さして驚いた様子も見せずに感想を述べ合っていた。古河さんはすっかり元気を取り戻したようで、いつも通りの明るい表情を見せている。

「……さて。茂美はいつも通りだから放っておくとして、さっきの続きを聞きましょうか」

「どこまで聞いたかな……確か、職業体験を提案するところまでだっけ?」

「うんうん。華穂さんにも話をしてねぇ、一緒に保育所で職業体験をすることになったんだよぉ」

話は職業体験のことだったようだ。そういえば、まだ部長さんには話してなかったっけ。

「杏さんから聞いたんですけど、保育所の人も大丈夫だって言ってるみたいです」

「なるほどね……その職業体験の手伝いをする関係で、もしかしたら練習に来られないかも知れないってわけね」

「そうなんだぁ。もちろん、行ける日は必ず行くよぉ」

「無理しなくても大丈夫よ。霧島君は台詞覚えも早いし、ちょっとくらい休んでもすぐに追いつけるわ」

深山さんは佳乃ちゃんが部活動を休むかもしれないと聞いても、穏やかな表情を崩さなかった。やっぱり、普段はこんな風に落ち着いた感じの人なんだろう。それだけに、昨日突然激昂した理由が気になるというのが、僕の本音ではあるけれど。

「それより職業体験の方、頑張ってね。話を聞いてると……椎名さんのところ、家庭環境が複雑そうな感じがするし」

「大変そうだね。私やゆきちゃんがお手伝いできそうなことがあったら、どんどん言って欲しいな」

「私もお手伝いします。霧島さんたちがしようとしてることは、とても素晴らしいことだと思いますから」

どうやら話はまとまったみたいだ。僕は再び場所を変え、他に面白そうな話をしている人がいないかを探しにかかる。

……と、そこで。

「今更だが、お前と栞が話したことって今まで一度も無かったよな」

「そういえばそうですよね。美坂栞です。よろしくお願いしますっ」

「あっ、こちらこそよろしくお願いしますっ」

栞ちゃんとあゆちゃんの顔合わせだ。祐一君の言うとおり、確かにこの二人が一緒にいるのは珍しい。珍しい、ということは即ち面白いということなので、僕は例によって話がよく聞こえる場所まで移動し、彼らの話に耳を傾けるのであった。暇だなぁ、僕も。

「えっと……栞ちゃん、でいいかな?」

「はいっ。それじゃあ私も、あゆさんと呼ばせてもらいますね」

「うんっ。なんだかいい感じだねっ。栞ちゃんはどんなものが好きなのかな?」

「えっとですねー……」

口元に指先をあて、栞ちゃんがはにかんだような表情を見せる。そして少し間を置いて、質問を投げかけたあゆちゃんに答えを返す。

「アイスです。アイス、おいしいですよね?」

「わぁ……いいねっ。暑い時は冷たいアイスが一番だよっ」

「そうですよね。でも、寒い時に食べてもおいしいんですよ」

「暑い時に熱いものを食べると旨いように、寒い時に冷たいものを食べても旨いのか……」

あまり想像が付かないけど、栞ちゃん曰く、寒い時にアイスを食べても美味しいらしい。確かにアイスは溶けにくくなるし、おいしい状態のまま食べられるような気はするけど……いや、それでも寒さの方が上回る気がする。

「あゆさんは何か好きなもの、ありますか?」

「ボク? ボクはたい焼きが大好きだよっ! 焼きたてであつあつのたい焼きっ!」

「たい焼きですか……いいですねっ。たい焼きとアイスを合体させて、たい焼きアイスにしたらもっとおいしいと思いますっ」

「熱いのか冷たいのか、はっきりしない感じだな……」

「外は熱々で、中はひんやりしてるんだよっ。すっごくいいと思うよっ!」

……少し前、それととてもよく似たものをどこかのパン屋さんで食べたような(僕が食べたわけじゃないけど)記憶があるのは、僕の気のせいだろうか……

「あゆさんとはとても気が合いそうです。今度一緒にアイスを食べに行きましょう」

「うんっ。それがいいねっ。みんなで一緒に食べれば、きっとすっごくおいしいよっ」

二人はすっかり仲良くなったようだった。なんだか気が合いそうな予感はしていたけども、こうもあっさり仲良くなっちゃうとまでは思わなかった。やっぱり、「演劇部」という一つのくくりがあると、それだけでずいぶん話しやすくなるのだろう。

「おっ、すっかり仲良くなったみたいねー。感心感心っ」

「わっ、川口さんっ!」

相変わらず回転椅子に載ったまま、川口さんが器用にこちらへと近づいてくる。きこきこと音を立てながら前進する彼女の様子は、なんとなく可笑しなものに見えた。

「これであゆちゃんも立派な部員ねっ。分からないこととかあったらさ、容赦なく私とか渚とか部長に聞いちゃってちょうだいよ」

「うんっ! ボク、頑張るよっ!」

「にししっ。可愛い可愛い」

川口さんに頭を撫でられ、あゆちゃんが嬉しそうに応じる。あゆちゃんの笑顔を見ている川口さんの顔もまた、同じように綻んでいく。

「んー……夢だったらこのままあゆちゃんをお持ち帰り……あっ」

不意に川口さんが言葉を切って、しきりに動かしていた手をぴたりと止めた。その様子を不審に思ったのか、祐一君が声を上げる。

「どうしたんだ? 急に……」

「いや……ちょっとね、昨日の夜にヘンな夢見たのを思い出してさー……」

「それって、どんな夢ですか?」

「ホントにヘンな夢なんだけどね……」

 

「……白黒。白黒の世界に行く夢を見たのよ」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。