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第百三十三話「Encounter the Ultimate」

「そろそろ時間ね。みんな、今日はこの辺にしましょ」

もうすぐ十二時、という段になって、部長さんが皆に練習終了の合図を出した。あちこちで練習していた部員達がその動きを止めて、ゆっくりと部長さんの下へと歩いていく。どうやら、今日の練習はこれでおしまいにするみたいだ。

「霧島さん、練習はどうでしたか?」

「まぁまぁかなぁ。少しずつだけど、ちゃんと進んでるよぉ」

「はいっ。それならよかったです」

部長さんと水瀬さんの話が済んでから、僕はずっと佳乃ちゃんの練習を見ていたけど、佳乃ちゃんは着実に演技や台詞を憶えていっている。のんびりしていそうな佳乃ちゃんだけど、実は地道に努力しているみたいだ。それを表に出さないのが、いかにも佳乃ちゃんらしい。

「栞ちゃんはどうだったかなぁ?」

「あっ、はいっ。私も順調に進んでます」

「頑張ってるねぇ。ぼくも見習わなきゃぁ」

朗らかに笑う佳乃ちゃんに、栞ちゃんはちょっとずつ距離を縮めながら、佳乃ちゃんへと近づいていく。それを知ってか知らずか、佳乃ちゃんはそこから動こうとしない。僕は栞ちゃんの様子を眺めながら、多分、佳乃ちゃんに何か言いたい事があるのだろうと考えた。そしてそれは多分、みんなの前では言いづらいことなのだろう、とも予想した。幾分、勝手な予想だとは思うけど……

「えっと……霧島さん」

「うんうん。どうしたのかなぁ?」

「えっと……その……」

声をかけたのはいいけれど、どうにも言いあぐねている様子の栞ちゃん。佳乃ちゃんは特に急かすようなこともせず、栞ちゃんからの次の言葉を待ち続けている。栞ちゃんはちらちらと佳乃ちゃんの様子を窺いながら、丸い頬をほんのりと紅く染めている。僕の予想は当たったみたいだ。

「その……大したことじゃないんですが……」

よっぽど言いづらいことなのか、栞ちゃんはそうしてしばらくもじもじしていたのだけれど。

「ほら栞、言いたい事があるんでしょ?」

「わっ、お姉ちゃんっ?!」

「今言わないでいつ言うのよ。さっ、頑張って」

言いあぐねていた栞ちゃんの横から、颯爽と美坂さんが現れた。栞ちゃんの肩をぽんと叩いて励ますと、本人はどこか別のところへ去っていってしまった。栞ちゃんは顔をさらに真っ赤にして、再び佳乃ちゃんの顔を見つめる。佳乃ちゃんはきょとんとした表情で、目の前にいる栞ちゃんと去っていった美坂さんを交互に見つめていた。

「え、えっと……霧島さんっ」

「ぼくはここにいるよぉ。どうしたのぉ?」

「え、えっと……」

ところどころ言葉を詰まらせながらも、栞ちゃんは確実に言葉を紡ぐ。佳乃ちゃんはその様子を見守りながら、次に出てくる言葉を待ち続けているようだった。

「こ、今度……霧島さんの……」

「……………………」

「霧島さんの家へ……遊びに行っても……いいですか……?」

ようやく言い終えた言葉を全部つなげてみて僕は、確かにこれは言いづらいなぁ、恥ずかしいなぁ、と実感するのだった。全然関係ない、まったくの部外者である僕でさえそう感じるのだから、女の子、かつ思い切り関係者の栞ちゃんが、緊張して恥ずかしがってしまうのも無理は無い。

「もちろんいいよぉ。その時は、また連絡してねぇ」

「あ、はいっ。どうもありがとうございますっ」

「あははっ。気にすることなんかないよぉ。また一緒に遊ぼうねぇ」

「はいっ」

佳乃ちゃんから快諾をもらった栞ちゃんが目に見えて明るい表情をして、去っていった美坂さんの方に向かって走っていった。佳乃ちゃんはその様子を、にこにこしながら見送っていた。

「なんだなんだ霧島。ずいぶんと仲いいな」

「ほへっ? そうかなぁ?」

「栞ちゃん、霧島君のこと、ずいぶん意識してたみたいだよ」

栞ちゃんがこの場から去った後、祐一君と水瀬さんが揃って近づいてきた。二人の顔はちょっとにやけていて、佳乃ちゃんと栞ちゃんのやり取りを冷やかそうとしているのは見え見えだった。そんなこととは露知らず、佳乃ちゃんはいつものきょとんとした表情を向けるばかりだ。

「霧島と栞って、あんなに仲良かったんだな。正直驚いたぞ」

「そうだねぇ。中学校の時から一緒だからねぇ」

「わ、それは初めて聞いたよ。どうして知り合ったの?」

「えっとぉ……木にぶつかったのが理由っ」

「……木?」

「そうだよぉ。木にぶつかったのが理由なんだぁ」

「……名雪。翻訳頼む」

「祐一、霧島君はちゃんと日本語をしゃべってるよ……」

佳乃ちゃんの「木にぶつかったのが理由」という言葉に、祐一君と水瀬さんが揃って首をかしげた。けれども佳乃ちゃんはまるで意に介していないようで、罪の無いにこにこ笑顔を向けるばかりだった。

「木にぶつかったって、どういうことだ?」

「ぼくが木にぶつかったら、そこに栞ちゃんがいたんだぁ」

「……そ、そうなんだ……」

「……名雪。お前、分かってないのに適当に相槌を打つのはよくないぞ」

「うー。祐一だって分かってないのは一緒だよっ」

「いーや! 俺は分からないことにはちゃんと分からないって言うぞ! お前も俺を見習え!」

「会話の流れだよっ! 祐一はもっと相槌の練習をしなきゃだめだよっ!」

「何ぃ! 大体お前は昔苺嫌いだったのに、何で今は大好物になってるんだよっ!」

「全然関係ないよっ! 祐一は脈絡がなさ過ぎるんだよっ!」

「ふかーっ!!」

「ふーっ!!」

「ふごーっ!!」

「きしゃーっ!!」

「あははっ。あつあつさんだねぇ」

『違う(わ|よ)っ!!』

はやし立てていたはずの佳乃ちゃんから的確な突込みをもらい、二人が揃って反論した。まあこの二人の場合、放っておいたら勝手に言い争いを始めちゃうから、佳乃ちゃんとしてもやりやすいんだろうなぁ、とは思うけど……

「……ぴこぴこ」

この二人を眺めるのはこれくらいにしておいて、他の人たちの様子を見に行くことにしよう。

「月宮さん。練習は順調に進んでるかしら?」

「えっと……うんっ。少しずつだけど、ちゃんと憶えてますっ」

「いい心がけです。何か分からないことがあったら、いつでも訊いてください」

その場にいたのは、部長さん・古河さん・川名さん・川口さん(今更だけど、部長さん以外の三人にはみんな「かわ」という読みの漢字が入っていることに気づいた)の四人と、さっきまで練習に励んでいたあゆちゃんの合計五人だった。会話の内容から察するに、多分あゆちゃんの練習状況なんかについて話しているのだろう。

「部長ー。あゆちゃんってすっごい努力家なんだからっ。さっきだって、私に台詞のチェックをお願いしてたくらいだしねっ」

「すごいね。そんなに頑張ってくれてるんだ」

「うん……やるからには、全力でやらないとっ」

そう言い、小さく拳を握ってみせる。その可愛らしい様子に、演劇部の主要メンバー四人は揃って頬を緩めた。

「あゆちゃんって可愛いね。ちょっと、こっちに来てくれないかな?」

「えっと……はいっ」

川名さんに呼ばれて、あゆちゃんが彼女に近づく。川名さんはあゆちゃんの大まかな位置を捉えると、

「ちょっと、じっとしててね」

「え? あ、はい……」

両腕を広げ、あゆちゃんへとゆっくり歩み寄る。あゆちゃんはこれから何が起きるのか分かっていないようで、少し不安げな表情を浮かべている。そんなこととは露知らず、川名さんはあゆちゃんにどんどん近づいていく。

……そして。

(……ぎゅっ)

「わっ?!」

……風子ちゃんにしたときのように、あゆちゃんを「ぎゅっ」と抱きしめた。急に抱きしめられて戸惑ったのか、あゆちゃんは身動き一つ取れずにいる。

「かわいいかわいい」

「え、えっと……その……」

「かわいいかわいい」

「う、うぐぅ……」

川名さんはあゆちゃんのことがよほど気に入ったのか、しっかり抱きしめてひたすらかいぐりかいぐりしている。ああ、そう言えば風子ちゃんのときも、ずいぶんと長いことかいぐりかいぐりしていたっけ……多分、川名さんなりの愛情表現……いや、なんていうかこう、親しみの表現なのだろう……

「かわいいかわいい」

「……………………」

「かわいいかわいい」

戸惑っていたあゆちゃんも、川名さんに悪意や敵意が無いことを感じ取ったのか、徐々にその表情を柔らかくしていく。純粋に暖かくて気持ち良いのだろう。川名さんってこう、いい意味で「年上」っぽい感じがするし。ある意味、お姉さんやお母さんに抱きしめられているような感じなのかもしれない。

「かわいいかわいい」

「えへへ……」

「あゆちゃん、なんだか嬉しそうです」

「まぁね……何だかんだで、みさきって人を抱きしめるのが上手だし」

「そうだよね。私もさっきやってもらって思ったよ」

そんなふうにして、穏やかな時間は過ぎていく――

 

「杏っ。帰りに何か買い物するんでしょ。そろそろ行こうよっ」

「そうね。その途中で、舞台演出とかの話もしたいし」

いよいよ帰る段になり、皆が帰宅の準備を始める。川口さんと藤林さんはさっきも話していた通り、帰りに必要なものを買って帰るみたいだ。

「あ、茂美。悪いけど、ついでに買ってきてほしいものがあるの。頼まれてくれる?」

「全然おっけーっすよ! で、何買ってくればいいの?」

「木工用の接着剤。今回大道具でたくさん使ってるから、そろそろ残りが心配なのよ。お金はこれで足りると思うから、任せたわよ」

「了承っ! いつもの銘柄でいい?」

「それが一番信頼できるから、それでお願いするわ」

部長さんが川口さんにお金を渡し、受け取った川口さんと藤林さんが揃って部室を後にする。

「いやー……しかしつくづく思うんだけど、あと一人ピンク色の髪の毛の女の子がいたら、私と杏と椋とその子で幸運の星になれそうな気がするんだけどねぇ」

「相変わらずよく分からないこと言ってるわねぇ……ピンク色の髪の子が欲しいなら、深山部長でも誘ってみればいいじゃない」

「……………………」

「……どうしたのよ。急に黙り込んで……」

「……アリかも知れない」

「いや、そんな真顔で言われても……」

楽しげ(?)に話をしながら、二人は部室から去っていく……

……と、そのとき。

「あっ……佳乃っ! 集合するのは夕方で、場所は保育所だったわよね?」

「そうだよぉ! 昨日と同じ場所だからねぇ」

「おっけー。多分瑞佳と一緒に行くから、遅れないで来てちょうだいよ」

「もちろんだよぉ。それじゃあ、またその時にねぇ」

佳乃ちゃんと夕方の約束について言葉を交わしあい、今度こそ二人は部室を後にした。

「それじゃあ部長さん、今日はどうもありがとうございました」

「こちらこそ。また時間があったら、自由に見学していってちょうだいね」

「部長さん、お疲れ様でしたっ」

「お疲れ様。風邪とか引かないように、体調管理には十分気を配ってね」

水瀬さんたちが固まって挨拶をし、揃って教室を出て行こうとする。ここには一緒に来たことだし、一緒に帰るのが自然なことだろう。

「ねえあゆちゃん。せっかくだから、わたしの家で、一緒にお昼ご飯食べない?」

「えっ?」

「悪くないな。どうだあゆ、一緒に昼飯でも食わないか?」

「えっと……ごめんね。悪いけど、今日は家でお母さんと一緒に食べるから……」

「そっかぁ……じゃあ、また今度一緒に何か食べようねっ」

「うんっ。ボクも楽しみにしてるよっ」

そんなことを言い合いながら、水瀬さんたちも部室から出て行く。

「それじゃあポテトぉ、ぼくたちもそろそろさよならしよっかぁ」

「ぴこぴこっ」

佳乃ちゃんに促され、僕と佳乃ちゃんも部室を出た。

 

「今年の夏はあっついねぇ」

「ぴこぴこ」

下足室を出てグラウンド沿いをゆっくりと歩きながら、佳乃ちゃんがそんなことを呟く。いつも聞いているような気がする、何てことない呟きだ。

「でも、今年の夏は楽しいねぇ。いろいろなことがあって、胸がどきどきしちゃうよぉ」

「ぴこぴこっ」

それには僕も賛成だ。今年の夏はまだまだ始まったばかりだというのに、ずいぶんとたくさん刺激的な出来事が起きている。それがみんな佳乃ちゃんの身の回りで起きている気がするから、僕も自然とそれに関わる事ができる。こんなに忙しくて、こんなに騒がしい夏は、初めてかもしれない。

「……………………」

「……………………」

無言のまま空を見上げ、佳乃ちゃんが額に手をかざす。見つめた先にある雲はとても雄大で、何者にも動かされない、立派な入道雲だった。青い空、大きな入道雲。見上げた空は、夏空だった。

「今年の夏は、きっとすごいことが起きるよぉ……」

「……………………」

「びっくりするくらいの、すごいことが……」

僕らが揃って、空と雲を見つめていた――

 

 

「そこの女の子、ちょっと話したいことがある」

 

――そのとき、だった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。