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第百三十二話「Theatrical Execute and Release Service」

「ただいまー……」

「お帰り祐一……あれ? どうしたの? なんだかちょっと元気がないみたいだけど……」

「ああ。ちょっとな……」

言葉を濁しながら、祐一君は空いていた椅子に座った。出て行くときとはまるで違う祐一君の様子に、水瀬さんはちょっと心配そうな表情を浮かべて、祐一君の顔を覗き込んだ。

「くーっ……何であんなこと言われなきゃいけないのよっ……!」

「お帰り茂美ちゃん……と言いたいところだけど、何かあったみたいだね」

「ええ。あまりよくないことが、ね」

同じく椅子に腰掛けながら、川口さんと深山さんがそれぞれ言う。川名さんは深山さんの言葉で何かを察したようで、その表情をわずかに曇らせた。深山さんの元へと近づき、いつもよりも幾分小さな声量でもって、深山さんに話しかける。

「誰かに何か言われたのかな?」

「そうね。久瀬君に出会ったのよ。下の掲示板の近くでね」

「……そういうことだったんだね。久瀬君と茂美ちゃん、あんまり仲良くないからね」

「今回はそれが顕著に出たわね。久瀬君って、いろいろと不器用だから」

「うーん……でも、悪い人じゃないと思うよ。ちょっと、仕事熱心すぎるだけなんじゃないかな」

「まあね。みさきがそう言うんだから、私もそうだとは思うけど」

「うん。私、人を見る目はあるからね」

朗らかな笑顔を添えて、川名さんがそう会話を締めくくった。

「えと……部長、下で何があったんですか?」

「大したことじゃないわ……と言うべきところだけど、そう言うわけにも行かないわね。渚は最近夏祭りのポスターが切り裂かれてること、知ってるわよね?」

「はい。お母さんが、よくポスターを貼り替えに行ってます。あの、もしかして……」

不安げな表情と共に問うた古河さんに、深山さんは深く頷き、落ち着き払った口調で答えた。

「想像してるとおりの出来事よ。下の掲示板に貼ってあった夏祭りのポスターが、例によってズタズタに切り裂かれてたわ。藤林さんが部室に来てなかったのは、騒ぎの収拾に当たってたからだったのよ」

「そんな……ひどいことが……」

「意図が分からないから、余計に不安になるのよ……ここ最近、犯行の頻度が上がって……」

ため息混じりにつぶやいた深山さんだったけれども、その隣では。

「夏祭りのポスターがボロボロになって……中の人たちが……中の人たちがっ……!」

「……渚? ねえちょっと、渚?」

「せっかぐ……ぜっがぐなづまづりをたのじみにじでだのに……ぼろぼろにざれじゃっで……」

「ちょ、ちょっと渚……ポスターなんて印刷機を回せばいくらでも刷れるんだから、そんなことで泣かなくても大丈夫よ」

「はひ……ずびばぜん……」

マジ泣きし始めた古河さんに、深山さんが慌ててフォローを入れた。古河さんはハンカチで涙をぬぐいながら、それでも時折しゃくり上げていた。隣で困った表情をしている深山さんを見ていると、部長さんも楽な仕事じゃないんだなぁということを、僕はしみじみと実感する。

「あれ? 部長ー、なんで渚が泣いてるの?」

「ポスターのことを話したら、ポスターの中の人たちに感情移入しちゃって、それで泣いちゃったのよ……それより茂美、もう落ち着いたの?」

「いやー、さっき先輩にこのこと話したらね、久しぶりにかいぐりかいぐりしてもらっちゃってさー。そしたらね、なんか怒ってたのがどーでもよくなっちゃった!」

「中学生の時以来だからね。懐かしい感じがしたよ」

「……みさき、茂美。やるのなら、学校の中だけにとどめておいてちょうだいね……」

僕はこの一連の会話のどこから突っ込むべきなのか、一人頭を抱えた。あっさり機嫌を直す川口さんに突っ込むべきか、川口さんを慰めるためにかいぐりかいぐりした川名さんに突っ込むべきか、それは中学生の時にもあったのかと突っ込むべきか、そして学校の中でなら許可するのかと深山さんに突っ込むべきか……つっこみどころがありすぎて、逆に突っ込む気が失せた。

あまり深山さんたちにくっついていてもしょうがないので、僕は場所を変えることにした。

「下にいた藤林さんに訊いてみたら、またポスターが破られちゃったって言うんだぁ」

「そうだったんですか……騒ぎが起きていたのは、そのせいだったんですね」

「うんうん。人がたくさんいて、大騒ぎだったよぉ」

すぐ近くに、僕は佳乃ちゃんの姿を見つけた。栞ちゃんに下で起きたことを話しているけれど、美坂さんの姿は見えない。どこかに出かけているんだろうか?

「何が理由かは分かりませんけど、やっぱり、悪いことは悪いと思います。悪いことをしてたら、いつか罰が当たっちゃいます」

「そうだよねぇ……悪い子には、必ず罰が当たるからねぇ」

その言葉をつぶやいたとき、佳乃ちゃんの表情が一瞬曇った……ように見えた気がした。あくまで「気がした」だけで、本当に佳乃ちゃんがそんな表情をしたのかは分からない。けれども一瞬、僕が引っかかりを覚えたのは事実だった。

「……………………」

「霧島さん……どうかしましたか? なんだか、ちょっと元気がないです」

「ううん。大丈夫だよぉ。ちょっと、寝不足なんだぁ」

栞ちゃんの問いかけに笑みを浮かべて答えを返す佳乃ちゃんだったけれど、その笑みが作られたものであることは明らかで、僕はなんだか心がちくちく痛んだ。

「……………………」

忘れたいことを、いつでも忘れられたらいいのに。

そんな、願うはずもない、本当に他愛もないことを、僕は願うのだった。

 

「さ、あんまりしゃべってばっかりいちゃいけないわね。そろそろ練習を始めましょ」

パンパンと手のひらを二回たたいて、深山さんが部室にいたメンバーたちに告げた。あちこちに散らばって雑談をしていた部員たちがおしゃべりを止め、各々の担当――役者・舞台演出・照明・脚本・小道具……――に分かれて、練習や作業を始めた。

「栞ちゃん、台本と台詞があってるか、見ててくれないかなぁ?」

「はいっ。あ、お姉ちゃんのも一緒に見ます」

「助かるわね。それじゃ栞、任せたわよ」

「はいっ。任せてくださいっ」

台詞のチェックをする人がいれば……

「昨日風子ちゃんと打ち合わせたけど、照明の切り替えに合わせて音も切り替えればいいんだよね?」

「そうですね。このシーンは、一度実際にやってみたほうがいいと思います」

「うん。私もそう思うよ」

舞台の演出を詰めている人もいる……

「小道具作り?」

「ああ。今回のは妙に多いんだ。というわけであゆ、お前の手を貸してくれ」

「うんっ! ボクに任せてよっ!」

小道具作りをする人もいれば……

「ねぇ茂美、今日後でちょっと買い出しに行かなきゃいけないんだけど、一緒に行ってくれない?」

「おっけーおっけー。何が足りないの?」

「スケッチブックとか、ペンキとかね。澪ちゃんのシーン、今回スケッチブックを使うから」

「おー、そう言えばそうだった。んじゃ、お昼ご飯ついでに買いに行きますかっ」

今後の予定を立てている人もいる。みんな忙しそうだ。

「……………………」

……そんな中にいると、僕の暇人(暇犬?)さ加減がよりはっきりと分かるような気がして、僕はほんのちょっとだけ憂鬱な気分になるのだった。

………………

…………

……

 

みんなが練習を始めて、しばらくした後のことだった。

「あれ……?」

みんなの練習風景を見学していた水瀬さんが、小さな紙切れを見つけて拾い上げる様子が見えた。退屈していた僕は水瀬さんに近づき、その紙が何なのかを見ようとする。

「なんだろう、これ……チラシかな?」

それは色あせた藁半紙で、演劇部の公演を告知するチラシだった。時期から察するに……たぶん、去年の文化祭のために作られたものだろう。すっかり色が落ちてしまっていて、詳しい内容までは読み取れない。

「場所に、時間に……なんだろう? ティー、イー、エー……」

水瀬さんが「T・E・A……」と順番につぶやいていった、その時だった。

 

「『T.E.A.R.S.』<ティアーズ>。ティアーズって読むのよ」

 

「懐かしいチラシね。こんなところに落ちてたなんて……」

「わ、部長さん」

「貴方も陸上部の部長さんでしょ、水瀬さん」

深山さんが横から水瀬さんの持っていたチラシをのぞき込んで、楽しげな笑みを浮かべて見せた。

「やっぱりチラシだったんですか……あっ、深山先輩。一つ聞いてもいいですか?」

「『「T.E.A.R.S.」って何ですか?』かしら?」

「T.E.A.R.S.って何です……わっ?! 先に言われちゃったよ……」

呆気にとられた面持ちの水瀬さんを、深山さんは尚も楽しそうに見つめていた。

「『T.E.A.R.S.』っていうのはね、私たち演劇部のチーム名なのよ」

「チーム名……ですか?」

「そう。『Theatrical Execute And Release Service』<シアトリカル・エグゼキュート・アンド・リリース・サービス>の頭文字を取って、T.E.A.R.S.。簡単に訳すと、『演劇の実行と公開を行う部』になるわね」

腕組みをしながら由来を語る深山さんに、水瀬さんは興味深そうに頷いていた。

「それで……どうして『T.E.A.R.S.』<涙>なんていう単語がチーム名になってるか、それも気にならない?」

「はい。気になります」

「そうよね……これはもちろん、さっきの長い正式名の頭文字を取った……というものもあるわ。でも、これは後付の理由に過ぎないのよ」

「後付の理由……ですか?」

水瀬さんからの問いかけに、深山さんは静かに頷く。そして……

「そう。本当の理由はね……」

 

「人は『涙』を流す生き物」

「笑っても」

「怒っても」

「悲しんでも」

「人は『涙』を流さずにはいられない生き物なの」

 

「『涙』は感情の証」

「『涙』は感動の証」

「『涙』は感激の証」

 

「私たちは……」

 

「『涙』を流すほど面白い演劇がしたい」

「『涙』を流すほど悲しい演劇がしたい」

「『涙』を流すほど……素晴らしい演劇をしてみたい」

 

「私たちは……」

 

「安っぽい、作り物の『涙』じゃない」

「本物の、心の底からあふれ出た『涙』を」

「止めどなくあふれる、感情の証としての『涙』を……」

 

「……『演劇』という表現を通して、みんなに流してもらいたいの」

 

「……だから、私は決めたの。チーム名は『涙』にしよう、って」

ここまで一気に言い終えると、深山さんは満足げに大きく息をついた。その様子を見て初めて、僕は深山さんの言葉と振る舞いに聞き入り、見入っていたことに気づいた。それほどまで深く、僕は深山さんの言葉と振る舞いに惹き付けられていたのだ。

「すごい……それで、『T.E.A.R.S.』に……」

「そうね。我ながらいいチーム名だと思うわ」

笑顔で言う深山さんは、はっきりとした自信に満ちていた。その言葉に、僕はただ同意するだけだった。本当によく考えられていると思う。心の底からそう思った。

「ぴこぴこ……」

僕が納得して、深山さんの言葉の余韻に浸ろうとしていたときだった。

「……ああ、そうそう。ここだけの話だけど……」

「どうしたんですか?」

 

「T・E・A・R・Sそれぞれのアルファベットから始まる英単語を探して、ちゃんと意味の通る英語にしたの、茂美なのよ」

 

僕も水瀬さんも目が点になったのは、言うまでもあるまい。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。