給食制度を止めて昼食をお弁当にすると決めた当初は、保護者から随分反対があったらしい。いろいろ理由はあったけれど、詰まるところ手間が掛かるからだろう。なので、ということで設置されたのがこの食堂だ。これは保護者も安心しただけでなく、生徒たちからも好評を持って迎えられた。まだまだ選択権の少ない僕らのような中学生にとって、広くないとは言え食べるものを「選べる」食堂というシステムは魅力的だったのだ。
「このさ、うどんとかに載ってる赤いカマボコって、『すあま』そっくりだよね」
「そうだよねー。でも、うどんにすあまの味が合わさったら、ちょっと……うーん、ってなっちゃうかな」
「違いないや」
苦笑する中原さんを隣に連れて、僕たちは空席を探してホール内を歩いていた。さすがにお昼休みの時間帯は利用者が多くてごったがえしている。右へ左へ蛇行しながら歩いて、隅にいい塩梅に空いている座席を見つけることができた。中原さんに目配せするとすぐに察してくれたようで、さっと奥へ向かってくれた。僕がトレイを置くと同時に中原さんも続いて、僕らは向かい合って座った。他から少し離れた場所にある二人席。話をするにはうってつけだ。
特に――ポケモンのような、あまり他の人には聞かれたくないような話には。
「川島くん、そのうどんだけでいいの?」
「うん。僕はそんなに食べないからね。中原さんは……それ、鶏唐丼だっけ?」
「そうだよ。ご飯の上に切った鶏の唐揚げを載せて、上から錦糸玉子と紅しょうがと青ねぎ、それから刻み海苔をまぶして、最後に甘辛いタレを掛ける。これ、わたしの大好物なんだよ」
「作り方を詳しく知ってるってことは、家でも作ってたりして」
「あはは、バレちゃったね。その通りっ。簡単に作れるから、家でもよく作ってるんだよ。お母さんもお父さんも喜んでくれるしね」
温かいうどんを注文した僕に対して、中原さんはそこそこボリュームがありそうな「鶏唐丼」を注文した。確認するけど、僕は男の子で、中原さんは女の子だ。ボリューム的に逆だろお前という僕の冷めた部分の突っ込みは聞き流して、僕はプラスチックの箸を手に取った。別にいいじゃないか、小食な男子がいたって。これもいわゆる個性なんだ、個性。
「食べ物の好みは自由なんだ、世の中には一度にカレーを何皿も平らげる先輩さんだっているんだ」
「それって、全然別の作品にほとんど同じ名前のまったく同じ声をした人がいる人のほうかな?」
「うーん。僕が今考えてたのは、親友が演劇部の部長さんをしてる人のほう」
僕も中原さんも、何故か無駄に回りくどい言い方をするのが得意なようだ。というか、この会話は一体何なんだ。
「カレーはともかくとして、昨日はどこまで話したっけ……そうそう。ネイティが見える人の話だったよね」
「そうだったね。あの人、家族には心の病気だって思われて、大変な目に遭ったって聞いたよ」
「うーん、他の人には見えないものが見えてる、なんて言ったら、病気だって思われちゃっても仕方ないのかもね」
箸で半分に切った鶏の唐揚げをぱくんと口へ放り込んで、中原さんがもぐもぐと小さな口を動かした。僕は僕で箸で掴んだうどんをそっと冷ましながら、口へ運ぶ機会をうかがう。
ポケモンの一種であるネイティが見えた少女・弘前理子さんは、それを病気だと思った家族に連れられて、数え切れないほどの病院を回ったという。言うまでも無く大変だったみたいで、しかも結局病院通いではネイティを消すことはできなかったらしい。それどころか、ネイティの姿も声も却ってはっきりしてきて、ますますネイティに掛かりきりになってしまったと聞くから、逆効果もいいところだった。
ポケモンが見えるようになって、それを周囲の人に話してみたら、弘前さんのようにいきなり病院へ連れて行かれたという話は枚挙に暇が無い。なまじ「うつ病は病院へ行かないと治らない」といったような知識が(中途半端に)広まったものだから、尚更病院へ直行させられるパターンが増えてきている。ポケモン、イコール精神的な病気だという認識が広がっている何よりの証拠だ。
「でも、ポケモンが見えるからって、すぐに命に関わるようなものでもないと思うけどね、僕は」
「わたしも同じだよ。チェリンボが見えるようになって結構経つけど、病気だって思ったことは無いよ」
「そうだよね。だから、ポケモンが見える、だから病気だ、病院へ行かなきゃってのは、僕も違うと思う。けど――」
「けど?」
「別の意味では、僕は病気だと思うよ」
多感な時期に、他人には見えないものが見えている。世の中ではこれを、こういう名前で呼んでいる。
「いわゆる、中二病だよ。一般人には見えないポケモンが僕らには見えてるんだ、的な」
「なるほど! わたし達は、一万人に一人の選ばれしポケモンウォッチャー、ってところかな? あははっ、ダメダメ。自分で言ってて可笑しくなってきちゃったよ」
「もうこれさ、言っちゃうと完全に邪気眼なんだけど、見えてるものがなぁ……頭蓋骨被った臆病な怪獣と足のついたサクランボじゃ、いまいち締まらないよね」
「ふふふっ。カラカラくんもチェリンボも、カッコいいというよりカワイイって感じだしね」
残念ながら、僕らは揃って中二的センスには欠けているようだった。せっかく自分以外には見えないものが見えているのだから、もっとこう痛々しい……じゃなかった、カッコいいものが見えててもいいと思うんだけど。遺伝子操作された凶悪な生物兵器(得意技は超能力(と書いてサイコキネシスと読ませる))とか、古今東西の時空を渡り歩く時の精霊(住処は神聖っぽい森)とか、火山を噴火させるほどの力を持つ大地の神様(ライバルに海の神様がいる)とか、そういうのの方がよかった。
「けどさ、不思議だよ。僕にはカラカラが側にいて、中原さんにはチェリンボが付いてる。人によって違うのはどうしてなんだろう?」
「そうだよね。もし、ポケモンが見えることがホントに何かの病気なら、同じ種類のポケモンというか、同じものが見えてもおかしくないと思うけど……」
「前にポケモンについての本を読んだときに、それについて触れてる箇所があった気がしたんだけど、読んだのがもう三年くらい前だからなあ……」
「三年一昔。時間が経ったら、忘れちゃうことだってあるよ……もちろん、どれだけ時間が経っても、忘れられない事だってあると思うけどね」
そう呟くと、中原さんは一旦箸を置いてコップの水を一口飲むと、小さく息をついた。
「中原さん、今日もチェリンボは服の中かな?」
「うん、そうだよ……あれ? おっかしいなあ、さっきまで居たと思ったんだけど……」
「居なくなっちゃった? でも、ポケモンは遠くへは行かないし、この辺りに居ると思うけど」
「……あっ。川島くん、いたいた。足元足元、見てみて」
「足元?」
チェリンボを見つけたという中原さんは、僕に足元を見るように促した。言われたとおり体を捻って机の下を覗き込むと、そこには確かにチェリンボの姿があった。
「遊んでるのかな、これ」
「うん。きっとそうだよ。チェリンボもカラカラくんも、楽しそうにしてるし」
「へえ、ポケモン同士が遊ぶこともあるんだね」
足元に居たチェリンボは、同じく僕の足元で座っていたカラカラとじゃれあっていた。いつも笑顔でいるように見えるチェリンボはもちろんだったけど、カラカラが珍しく楽しそうな表情をしているのが見えて、僕はちょっとばかり驚いた。こいつ、こんな表情もできるんだ。骨で覆われた顔はほとんど表情が伺えなかったけど、それでも楽しそうな様子が伝わってくるんだから間違いない。
カラカラが、笑っている。
いつになく元気なカラカラはチェリンボの丸い体が気に入ったのか、しきりに撫でたり触ったりしている。チェリンボは小さな体を揺らして、くすぐったそうな表情を見せてはにかんでいた。
「ふふっ。チェリンボったら。わたしと川島くんみたいに、カラカラくんといい感じになったみたい」
「僕と――中原さんみたいに……?」
「……はっ」
ぽかんとした表情(だったことだろう、間違いなく)で呟いた僕の様子を見た中原さんは、ほんの一瞬動きが止まったかと思うと、次の瞬間顔を真っ赤にしながらあたふたし始めた。
「ご、ごめんごめん! わたしっ、ヘ、ヘンなこと言っちゃった……! あの、ウソウソっ……えっと、あっ! 違う違う違うっ! わたしが川島くんのことキライとかそんなんじゃなくて、嘘っていうのが嘘で、でもそれだと、それだと!」
「お、落ち着いて、落ち着いて中原さんっ。よ、よく分からないけど分かったからっ、よく分からないけど分かったから、と、とにかく落ち着こうっ!」
しきりにそう言う僕がある意味中原さん以上に落ち着いていないというのは、お約束だ。
「あう……ごめんね、急に訳わかんないこと言ったり、あたふた慌てたりして……」
「いや、僕の方こそ、なんかスイッチ押しちゃったみたいで……」
僕は気まずさをごまかすために、どんぶりの上に浮いていたカマボコを一つ箸で掴んで口へ放り込む。そのままもしゃもしゃ、もちろん味なんて分からない。今この瞬間噛んでいるカマボコが固いのか柔らかいのかさえも分からないくらいだ。
よくよく今の状況を整理してみる。僕はクラスメートの女の子と一緒にご飯を食べていて、割といい具合に話ができていて、そしてその女の子は楽しそうにしている。僕も楽しい気持ちになっている。
これって、なんなんだろうか。いや、悪いことじゃないってのは分かる。多分、いいことだ。僕らには共通の話題――ポケモンのことだ――があって、そのことで話をすることができている。ただ単にそれだけかも知れなかったけど、でも、何か違うような気がするぞ。
今僕が感じている気持ちは、一体何なんだ。
(……なんだろう、これは)
僕と中原さんが揃ってもどかしそうな表情をしている状態がしばらく続いたけれど、ふと中原さんが僕の後ろへ目線をやるのが見えた。なんだろうと後ろへ振り向くと、向こう側から胸に深緑のリボンを結んだ女の子が歩いてくるのが見えた。あれは、一年生だ。東中の女子用の制服は、一年生は深緑、二年生は群青、三年生は真紅のリボンを結ぶのがルールになっている。だから一目見ただけでどの学年か判別できるというわけだ。
「唯奈ちゃん! わたしだよ、ともえだよ!」
「あ、中原先輩……」
中原さんに呼びかけられるまで、一年生の少女は俯いたままだった。先輩・後輩の間柄ということは、多分クラブ活動の知り合いだろう。僕は椅子に座り直して、中原さんの側まで歩いてくる「唯奈」という後輩の女の子を出迎えた。
「唯奈ちゃん、どうしたの? 元気ないみたいだけど……」
「すみません……この間のことで……」
他人同士の話に聞き耳を立てるのはマナー違反だ。少なくとも僕のポリシーには反する。僕は意識的に二人を視界と意識から外して、それとなく遠くへ目をやった。
食堂のホール内は相変わらず人ごみに溢れていて、席を探して歩いている人もあちこちで見掛けることができる。多くの生徒たちは何人、多くなると十何人と固まって、楽しそうにおしゃべりに興じている。
彼らは、同じものを見ているのだろう。
同じ世界の同じもの。それは――例えば教室で行われる授業だったり、例えば昨日のテレビ番組だったり、例えば流行りのファッションだったり、例えば噂で聞いた面白い動画だったりする。彼らはほとんど変わらぬタイミングで、それらを見て、ほとんど同じ感想を抱いている。それを無個性と批判したり嘲笑したりすることは難しくない。けれど、彼らがそうやって築き上げた世界は、ゆるい繋がりとなって共有される。
人と違うものが見えていることは、果たして幸せなことなのだろうか。僕の問いに、僕は思う。何か特別なものが見えたところで、それが幸せに繋がるわけじゃない。むしろ、他人と変わらないものの見え方をしている方が、ひょっとすると幸せなのかも知れない。こと、社会という名前を持つこの共同体の中を生きていく上では、その方が都合がいい。たくさんの本の中に一枚だけCDが混じっていたら、それだけ別の棚に置いておきたくなるように――人間が異質なものを区別しようとするのは、自然な心の動きによるものだ。
他人と違うということは、時として相応の痛みを伴うものだと、僕は自覚しているつもりだ。
「――大丈夫、唯奈ちゃんは悪くないよ。これだけは、何回でも言っておくよ。絶対に悪くないからね」
「中原先輩……本当に、ありがとうございます」
「わたしも気をつけておくから、何かあったら必ず言ってね。誰かは分からないけど、悪戯じゃ済まされないもん」
「はい、分かりました。迷惑をかけてしまって、すみません」
「大丈夫大丈夫! ちっとも迷惑なんかじゃないから、安心してね。それじゃ、また放課後にね!」
僕が意識を中原さんたちへ戻す。内容は聞かなかったけれど、後輩の女の子は中原さんに何か相談をしていたようだ。力強い中原さんの励ましを受けて、俯いて意気消沈していた後輩の子が、少しだけど明るさを取り戻していた。
立ち去っていく後輩を見送って、中原さんがふっと肩の力を抜くのが見えた。
「何か、相談されてたみたいだね」
「うん……あの子、唯奈ちゃんって言うんだけど、部活で困ったことがあって、悩んでたみたいだったから。ちょっとでも元気になってくれればいいんだけど……」
「大丈夫だよ。中原さんみたいな頼れる先輩が居るんだから」
「そう言われると、ちょっとくすぐったいよ」
さっきまでのきりっとした表情とはうって変わって、中原さんがはにかんだ笑顔を浮かべて見せた。
そのままとりとめも無い話を幾らか交わしてから、僕らは食堂を後にした。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。