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#06 Simple Life

一週間くらいが経った後のこと。

「休みの日に市立図書館まで行ってもよかったんだけど、あそこ結構混雑するからなあ」

「そうだよね。図書館ってもっとこう、しんと静まり返ってるイメージがあるんだけど、市立図書館はわいわいがやがや、って感じだしね」

「本の数は少なくても、静かな学校の図書館の方が都合がいいね」

中原さんの部活が無い日を選んで、僕らは放課後に東中の三階にある図書室へ赴いた。がらららら、と少しガタの来ている扉を開けると、中では図書委員の男子が一人、気だるそうな顔をして受付に座っているのが見えた。他の利用者はごくまばらだ。いて三、四人といったところだろうか。僕と中原さんは連れ立って、図書室の隅にある四人席へ向かう。もちろん、僕ら以外にそのテーブルを使っている人はいない。他のテーブルからも目に付きにくい場所に位置していた。

椅子を引いてカバンを置くと、僕は真っ直ぐに「心」のコーナー……と言っても、三段になっている棚を一段分割いただけの猫の額並のスペースしかないけど、便宜上心理学や心の悩みとかを扱った本が固められている場所へ向かった。微妙なお年頃の僕らには心の持ちようのガイドブックとでも呼ぶべき本がもっとたくさん必要だと思うのだけど、新規に置かれる本は旬を過ぎた「かつてのベストセラー」が大半を占めている。三ヶ月くらい遅れて流行の本が入ってくるわけだ。気に掛ける人はとっくに読んでるだろうし、興味の無い人は図書室に入ったからといって格段興味を持つわけでもない。一言で言うと、どこにもニーズがなかった。

図書室の奥へ追いやられている「心」のコーナーには、数冊だけポケモンに関わる本があることを知っていた。この図書室は一応ポケモンの本を入れる気があるんだ、ということは分かっていたけれど、先週末から張り出された図書通信の「今月の新規図書」欄に、今まで読んだことの無いポケモンに関する書籍が入っているのを見掛けたときは流石に驚いた。本を追加で入れるということは、そのジャンルに興味がある人がいるという一つの指針になる。ポケモンは見えなくても、ポケモンに興味はあるという人がいるのかも。僕はそう思うことにした。

「あったあった。借りられてなくてよかったよ」

幸い、お目当ての新規図書は借りられることなく本棚に入ったままで、僕が手にとって読める状態にあった。出版されてやっぱり三ヶ月くらいになる二百ページほどの新書、タイトルは「ポケモン世代の登場/”モンスター”の正体とは」というものだ。新書らしくタイトルが長い上に直球なのか捻ってるのか分からないのはご愛嬌。棚から本を抜き取ると、小脇に抱えて座席まで戻る。僕の姿が視界に入った中原さんがしゅっと顔を上げる。

「お帰り、川島くん。本、見つかったみたいだね」

「うん。借りられてなくてよかったよ。中原さんのは……さっき言ってた本?」

「そうそう。ちょっと高かったけど、自分のお小遣いで買ったよ」

彼女は図書室にある本は大体読み終わっていたので、この間自分のお小遣いで買ったという本を代わりに持ってきていた。分厚いハードカバーで、タイトルは――

「あっ。僕も読んでみたいな、それ」

「ふふっ。そう言うと思ってたよ。ポケモンが見える人なら、絶対気になる題名だよね」

タイトルは――「ネイティのいた日々」。著者は言うまでも無く、あの弘前さんだ。タイトルから大体の内容が想像できて、想像できるが故に読みたくて仕方が無くなった。

「そんなの出てたんだ。もっとちゃんと調べとけばよかったなあ」

「ホントにこの間、先週の金曜日に発売されたばっかりだからね。わたしが読み終わったら、川島くんに貸してあげるよ」

「助かるよ。ありがとう、中原さん」

「どういたしましてっ」

ありがたいことに、中原さんから貸してもらえることになった。中原さんから借りて、ゆっくり読めばいいだろう。

なるほど。自分以外にポケモンが見える人がいるというのは、こんな風に本の貸し借りをしたりできて、お互いに足りないものを補完し合えるということなのか――僕は些か遅まきながら、中原さんがポケモンを見られることに感謝した。一人きりなら、こうは上手くいかなかったろう。

「ふう……」

そうやって僕が一人で納得していると、向かい側の座席に座っている中原さんが、小さく息を吐いて肩をぐるりと回している姿が目に飛び込んできた。少し辛そうな顔をしながら、しきりにとんとんと肩を叩いたり、首を回したり曲げたりしている。

僕は椅子から立ち上がると、中原さんの背中側へすっと回りこんだ。

「やっぱり、ちょっと痛いなあ……あれ? 川島くん? いつの間にわたしの後ろに……」

「もしかして中原さん、肩凝ってたりする?」

「あっ……うん。見てて分かっちゃったかな?」

「仕草を見てたら、なんとなく分かるよ。疲れが溜まってるみたいだね」

「そうなんだよね……部活もそうだし、勉強で遅くまで起きてたりもするからね」

肩凝りが残っているせいか、困った表情をする中原さん。彼女の姿を見た僕は何も言わず、そっと手を肩に載せた。

「……あれ? 川島くん?」

「肩凝りには肩叩き。しばらく楽な姿勢にしててね。それっ」

とん、とん、とリズミカルに肩を叩く。強すぎず弱すぎず、適度な強さで肩叩き。中原さんの華奢な体を壊さないように、丁寧に慎重に肩を叩く。

「ああ……うん、うん。そこそこ、そこだよ。すっごく気持ちいい……」

「叩いてても分かるよ。ここが凝ってるな、ってね」

「ごめんね、川島くん。気を使わせちゃっただけじゃなくて、肩まで叩かせちゃって……」

「気にしないでいいよ。僕も――肩を、叩いてみたかったんだ。普段はやりたくてもできないしね」

僕が肩を叩いてあげると、中原さんは気持ちよさそうに表情を緩めて、身体を自然とリラックスさせ始めた。見るからに効いているのが分かる。いい感じのようだった。

「肩叩きは不慣れなんだけど、痛かったりしない?」

「うん、すごく上手……力が抜けていって、痛いところがすーっと消えていくような感じだよ」

「何かあったら言ってね。そこでちゃんと止めるからさ」

「ありがとう、川島くん。わたし、うれしいよ」

穏やかな表情を見せる中原さん。やっぱり肩を叩いてあげてよかったと、僕は思うのだった。

「でもさ、可笑しいよね」

「何が?」

「わたし達、人気の無い放課後の図書室で、肩を叩いたり叩かれたりしてるんだよ?」

「はっきり言葉にしてみると、確かに笑っちゃうくらいヘンだね」

「ふふっ、そうだよね。わたし達、やっぱりどっかズレてるんだって思うよ」

「僕と中原さん、どっちもズレてるのかな」

「だって、わたし達だけにカラカラくんやチェリンボが見えてるんだよ? ちょっと普通じゃない。きっと、そうに違いないよ」

「普通って、言葉からは想像できないくらい高嶺の花なんだなあ」

中原さんの肩叩きを続けながら、僕は静かに呟く。

普通ってなんだろう。僕は時々そう思う。漠然とした形はあるけれど、はっきりとした定義があるわけじゃない。多分、それくらいのことは皆共通認識として持っているのだろう。その上で、僕はどこか普通じゃないんだろうか。僕の普通じゃない部分が、カラカラという形を持った存在になって現れているのだろうか。

(ポケモンが見えるようになった人には、共通して大きな悩み事がある――そんな調査結果があったっけ)

以前読んだ本の中に、要約するとそういう意味になることが書かれていた。ポケモンが見えると証言する少年少女に聞き取りを行ってみたら、そのほとんど全員が「何か悩み事を抱えている」と答えた。それらは、調査に当たった大人たちにしてみれば取るに足らない言わば「つまらない悩み」だったけれど、彼らにしてみると思考回路の大部分を動員してその悩みの心理的処理に費やさねばならないほど深刻なものばかりだった。

だから、ポケモンが見えるようになるという現象が起こる理由として、微妙な時期の微妙な心理状態が齎す悩みが具象化したものだ、という仮説がある。この仮説はなかなか有力視されているみたいで、テレビや新聞なんかじゃこれが唯一絶対の理由のように扱われている(彼らは分かりやすさを重視するから、一概にその姿勢を糺すべきとは言えない)。僕もその仮説に賛成の立場だ。

何故なら――僕に見えているカラカラが、その仮説にピタリと当て嵌まるからだ。

僕はそれで納得がいく。分からないのは、

(中原さんのチェリンボも、これと同じなんだろうか)

中原さんの側にいるサクランボの形をしたポケモン、チェリンボだ。サクランボがモチーフとなったフォルムに女の子っぽさを感じるのは、中原さんのポケモンだから特に違和感は無い。ただ、どうしてこんな形をしているのかが分からない。中原さんのポケモンがチェリンボである理由が分からない、と言えば分かりやすいだろうか。チェリンボのような特徴的なカタチをしたポケモンが見えるようになるからには、やっぱり何がしかの理由があるはずだ。

そうなると、やっぱり……中原さんにも、何か悩み事があるのだろうか。チェリンボのカタチをしたポケモンが具象化するような、そんな悩みがあるのだろうか。

(チェリンボ……名前はやっぱり、チェリーとサクランボの合わせ技かな)

肩叩きから肩揉みにしれっと切り替えて、僕はチェリンボと中原さんの関係性を妄想、じゃなかった、考察し始めた。

(チェリー、サクランボ……さくらの花びら……)

ああ、チェリーってそういえばああいう意味があるんだっけ。でもあれってどっちかっていうと男子向けの単語だったような、でも僕が知らないだけで、同じ意味で女子が使う可能性だってあるのかも知れない。

それもあるし、チェリンボはなんかちょっと見た目的に未成熟な感じがするんだよね。中原さんって背丈も小さいし明らかに童顔だし、きっとまだそんなところまで行ったことないに違いない。でも、確か別のクラスの篠崎さんだったっけ? 又聞きだけどもうとっくに済ませたって聞いた気がするぞ。昔から女の子は早熟ってよく言うし、ちっとも興味を持ってないなんてことは考えづらい。というかありえない。

ええと、つまりあれだ。中原さんにチェリンボが見えたのは。

(……ごくり)

僕の中坊真っ盛りの脳みそが弾き出した答えは、はっきり言って大方の予想通りだと思うので、わざわざ書くなんて野暮な真似はしないでおこうと思う。

纏わりつく煩悩を振り払うのか放置しておくのか曖昧なまま、僕はしかし肩揉みの手を抜くことは無かった。これは僕が真面目なのであって、断じて邪な理由からではない。例えば女の子の体に堂々と触れるからとか、そういうことを考えてるわけじゃない。本当だから信じて欲しい。我ながらあまりの説得力の無さに笑う。

「うん、そこそこ、そこだよ……川島くん、いいよ、上手だよ。最高の手つき」

「えっ、あっ」

「揉んでもらったのなんて初めてかも……すっごくいい気持ちになれるんだね」

「うん、それは、よかった」

「ふう……天にも昇っちゃいそうって、きっとこんな感じなんだろうな……」

「ああ、うん、まあ、その」

少し離れた座席に着いて本を読んでいる同級生と思しき女子が、僕ら二人に思いっきり怪訝そうな眼を向けているのは、きっと気のせいじゃない。気のせいなんかじゃない。僕には分かる。

ごめんなさい。僕はやっぱり不真面目です。少なくとも下半身は。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。