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#17 The Day of Judgement

何から訊ねようか、どう話し掛けようか。あれこれ思案しているとどうしても考えが纏まらなくなって、中原さんとどう相対すればいいのか分からなくなってしまう。無論、そんな心境で一気に複雑化した僕と中原さんの関係に立ち向かえるわけもなく、昨日に輪を掛けてもどかしい状態が続いた。彼女に声を掛けようとして踏み止まる、それを幾度と無く繰り返していた。

だけどどこかで話を切り出さなきゃいけない。僕にだってそれは分かっている。完全ではないにしろある程度踏ん切りを付けたところで、お昼休みには何が何でも彼女に声を掛けると心積もりを持った。どうしても訊ねたいことがある。僕の記憶が正しいのか、それを確かめなきゃいけない。

四時間目終了のチャイムが鳴る。教師が退出して、クラスメートがお昼ご飯の準備を始める。僕は静かに椅子を引いて立ち上がると、中原さんの下へ向かおうとした。

(……あれ? あの子、この間食堂で話をしてた……)

ところが中原さんには先客がいた。以前、といってももうかなり前になるけど、僕と中原さんが食堂でお昼ご飯を食べていたときに彼女に話し掛けてきた後輩の女の子――確か、唯奈ちゃんって名前だったか――が、どうしてかこの時間に中原さんのところへやってきていたからだ。教室の外から中原さんを呼ぶと、何やら少し話をしているのが見えた……かと思うと、二人は連れ立って歩き出した。

先輩と後輩で一緒にお昼ご飯を食べると言うこと自体は、そんなに珍しいことじゃない。中原さんは後輩の面倒見もいいし、今までだってあってもおかしくなかったはずだ。ただ、さっきの二人は何か様子がおかしかった。特に唯奈ちゃんの方だ。遠目から見ても憔悴している様子が伺えて、これから先輩と昼食を取る、なんてテンションにはとても見えなかった。

それに、今二人が歩いて行ったのは……

(向こうの階段、校舎裏にしかつながってないはずなのに)

食堂や購買につながる、僕から見て右側の通路ではなく、屋外用の階段のある左手側だ。お昼を食べに行こうっていうなら、とても適当な場所とは思えない。

何か胸騒ぎがする。これは、ただの思い込み、思い過ごしだ。気にするほどのことじゃない。そう考えようとすればするほど、ごくごく些細な違いがやけに不穏に感じられて、結局不安が増大してしまう。中原さんと唯奈ちゃんは何をするために校舎裏へ向かったんだ。

(ただの思い過ごしなら、僕の過剰な心配性を嗤うだけでいいじゃないか)

結局僕は、二人の様子を気にしないわけには行かなかった。

 

コンクリートの冷たさが感じられる無骨な階段を下りて、左右を軽く見回す。辺りに二人の姿は見当たらない。そうなると、やはり向かったのは裏手か。僕は息を潜めて、壁伝いに校舎の裏側へ回り込んだ。

「先輩……私、もう限界です。限界なんです」

背筋に冷たいものが走った。これは穏やかじゃない。僕は直感的に、中原さんと後輩の唯奈ちゃんの間に、ただならぬ空気が流れていることを察した。小さく燻りつづけていた胸騒ぎが、ここに来て俄に大きくなるのを感じた。

唯奈ちゃんは中原さんに相談を持ちかけていた――というより、日々を過ごす中で胸の内に鬱積していったネガティブな感情を、中原さんに対してぶつけている、吐き出していると言った方が正しかろう。僕は物陰に隠れながら、二人のやりとりを固唾を呑んで見詰めていた。

「私のために、先輩が部活のときにいろいろ気を遣ってくださっているのは分かります」

「だけど、先輩の目が行き届かないところで、嫌がらせが続くんです」

「持ち物をどこかへ隠されたりとか、みんなで無視したりとか……数えればきりがないです」

「この間だって、ホワイトボードから私の名前が消されたりしてました」

「こんなことが、これからずっと続くと思うと……もう、耐えられません!」

唯奈ちゃんは、バドミントン部の中でいじめを受けていた。

僕の直感は当たっていたようだ。食堂で中原さんに相談を持ちかけた時から薄々察しがついていたけれど、やはり、という思いだった。中原さんも、部活の中で厄介なことが起きていると言っていた記憶がある。その「厄介なこと」は、今のやりとりを受けてみれば火を見るより明らかだ。部内で嫌がらせを受け続けている唯奈ちゃんに他ならない。

声を震わせながら事情を切々と訴える唯奈ちゃんを前にして、中原さんは直立不動のまま、何も言わずただ傾聴に徹していた。僕に対して背中を向ける形になっているから、今彼女がどんな表情をしているかを伺うことはできなかった。

「ごめんね、唯奈ちゃん。わたし、力になれない、本当にダメな先輩で……」

「中原先輩は悪くありません。ですけど、もう辛くて、辛くて仕方ないんです」

「唯奈ちゃん……」

「こんなことなら、最初からここにいなきゃよかった……そんな風に、考えてしまうんです」

最初からここにいなければよかった。その言葉を口にした直後、唯奈ちゃんはブレザーの内ポケットへ手を差入れて、おもむろに何かを取り出した。

「ですから、私は……」

遠目から見ても、それが何なのかを峻別するのは容易いことだった。

「……今ここで、死のうと思います」

唯奈ちゃんが懐から取り出したのは――大きな刃を持つ、工作用のカッターナイフだった。

その様子を見た直後に想起したのは、昨日中原さんが僕に見せてくれた、左手首に巻かれた包帯だった。衝動的に自分を傷付けてしまうくらいなんだ、中原さんのほうの心だって十分千々に乱れているというのに、唯奈ちゃんがあんなものを見せたらどうなってしまうのか、率直に言って僕には見当も付かなかった。だから、今この場面から目を離すわけには行かないと、一層神経を集中させて二人の姿を瞳の中に捉え続けた。

「ただ、黙って死んでいくのは、嫌なんです」

「誰にも理解ってもらえないまま、自分だけが惨めな思いをして死んでいくのは、私の望むところじゃありません」

「私が死んだことを、後悔させてやらなきゃいけないんです」

カッターナイフを胸に、唯奈ちゃんが積もり積もった思いを中原さんに吐露している。対する中原さんは少しも動かず、真正面から唯奈ちゃんと向かい合っていた。

「中原先輩は、私のことをずっと気遣ってくれてました。心配してくれていました」

「いじめを無くそうとして、いろんな手を尽くしてくれているのを見ていました」

「ですから私は……中原先輩、あなたに看取られながら死にたいんです」

唯奈ちゃんの鬼気迫る調子は、明らかに演技や狂言の類ではない。死ぬ気だ、本気で死ぬ気だ。本心から死ぬつもりで、その傍らに中原さんがいて欲しいと言っている。

どうすればいい? ここで僕が飛び出して、やめるんだと言うべきか? いくらなんでも唐突過ぎるだろう。今この瞬間が見て見ぬふりをしちゃいけない場面だってことは僕にだって分かっている。だけど、僕が動いたところで根本的に何かが変わるとは思えない。じゃあ何もしないのか。それもまた人としておかしいじゃないか。

葛藤を続けながら顔を上げると、ゆらり、と影が動くのが見えた。

「そっか。唯奈ちゃん、本気なんだね。本気で、死ぬ気なんだね」

中原さんは欠片も動揺することなく、一歩前に出たかと思うと、唯奈ちゃんが固く胸に抱きしめていたカッターナイフへすっと右手を伸ばした。唯奈ちゃんは一瞬身を固くしたように見えた。けれど中原さんの優しい手つきに絆されたのか、やがて躰の緊張を解いて、中原さんのするがままに任せたようだった。

指先がカッターナイフに触れる。中原さんは右手でカッターナイフを握ると、ひったくるのではなくあくまで、あくまで丁寧に、唯奈ちゃんからカッターナイフを受け取った。所有者が唯奈ちゃんから中原さんへ変わる。僕は中原さんが何をするつもりなのか、瞬時に幾つもの可能性を考えた。たくさんの可能性の中で僕がもっとも恐れているケースが、もっとも強く起こりうるのではないかという危惧が、僕の心臓を鷲掴みにした。

気紛れに僕の足元を見ると――カラカラが、怯えたように震えていた。

「唯奈ちゃんは、それで満足なのかな?」

「満足って……どういう、ことですか」

「そんなに簡単に死んじゃって、本当にそれでいいのかな、って思ったんだよ。でも、唯奈ちゃんがそうしたいって思ってるなら、わたしはそれを手伝ってあげなきゃって思うよ」

カチ、カチ、カチ。カッターナイフに収納されたアルミの刃が、乾いた音を立てて一枚ずつ外へせり出していく。

「きっと、今まで経験が無いと思うから」

「先に、わたしが唯奈ちゃんにお手本を見せてあげるよ」

お手本、という言葉に明らかに困惑したのか、唯奈ちゃんが体を前のめりにした。中原さんはまるで動じず、カッターナイフを手に持ったまま制服のブレザーの裾へ手を掛けた。本棚に並べられた本のズレを直すかのようなごくごく自然な仕草で、音も無く裾を少し下げる。

「……! 中原先輩、それは……!」

間を置かず、白い包帯の巻かれた左手首が露になった。

「ごめんね。ビックリさせちゃって。部活のときは、暑くてもリストバンドを巻いてたから、唯奈ちゃんは分からなかったよね」

「そんな、どうして先輩が……」

「大丈夫、気にしないで。ただ、ヘマをして死に損なっちゃっただけだからね」

中原さんは包帯を解くと、左手首を外気に晒す。手首を外側に曲げてくいくいと確認しながら、唯奈ちゃんにもその様を見せた。唯奈ちゃんは完全に狼狽していて、落ち着き無く目線をあちこちに向けている。先程までとは、状況が明らかに変わっていた。

「わたし、今まで十四年間悪いことばっかりしてきたから、真面目な唯奈ちゃんと同じ場所にはいけないと思うけど」

「もし」

「もし唯菜ちゃんが、向こうでわたしの”お姉ちゃん”に会ったら、一つお願いがあるんだよ」

ぐっと顔を上げて、中原さんがこう言い放った。

 

「『クズな妹は、地獄へ落ちました』――そう伝えておいて」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。