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#16 Unidentified Child

夕方。僕は一人きりの自室で、ベッドに寝転がったまま取りとめも無い考えをこね繰り回していた。

お昼休みの一件の後から、僕は中原さんと話をすることができていない。あれから何度か機会を窺ったけれど、中原さんは固く対話の扉を閉ざしてしまっているようだった。僕が目を向けても、逃げるように目を背けてしまう。けれど中原さんにも迷いがあるようで、授業中も幾度となく僕に視線を向けているのを目にした。話したいと思っている、けれど何から話せばいいのか分からない。彼女の思いが見て取れた。

屋上での中原さんは、普段押し隠している「素の部分」がかなり浮き彫りになっているように見えた。昨日は朝美さんと隆史さんと三人で楽しい時間を過ごした、それにも関わらず……いや、むしろそのせいで、中原さんは耐えられなくなってカッターナイフで自分の手首を切りつけた。結局躊躇ってしまって自殺までには至らず、今朝の鬱々とした表情にその気持ちが顕れた――そんなところだろうか。ここで一番重要で、かつ一番僕が知りたくて、そして一番分からないのが、家族三人で楽しい時間を過ごしたことが、どうして中原さんにとって発作的に自傷に至るくらい苦痛だったのか、ということだ。

一連のやり取りの中で、中原さんは「自分に存在価値がない」という意味の言葉をしきりに発していた。僕は、もしかするとそこが鍵じゃないかと思った。中原さんは自分に存在価値・存在意義を見いだせなくて、ここにいる意味がないと思っている。そんな自分の思いに対して、両親は自分を心から大切にしてくれている。そこのギャップから生じる罪悪感のようなものが、中原さんを苦しめているんじゃないか。一つの可能性としてはあると思う。

ただ、これには最も肝心な部分が抜けている。中原さんがどうして「自分に存在価値がない」と考えるようになったのか、その理由だ。

答えを導き出すために僕が知り得る唯一の手がかりは、チェリンボだ。彼女のアイデンティティは、そのまま彼女の一番大きなコンプレックスになっている。だとすると、それがポケモンのチェリンボとして顕在化したと考えるのが一番筋が通るし、何より彼女自身も言っていたことだ。チェリンボの姿形に、中原さんを縛りつけているコンプレックスの答えがあるはずだ――ここまでは簡単だ。わざわざ整理しなくたっていい、前提条件みたいなものだ。

じゃあ、チェリンボの姿形にはどういう意味があるんだ?

ベッドで寝転がってああでもないこうでもないと考えているのは、まさしくその一点だ。いくら考えてみても分からないし、率直に言って分かるわけがなかった。チェリンボはざっくり言えば歩くサクランボだ。そこから何か意味を見出せって言われたって、そう易々と思いつくわけがない。僕のカラカラなら、見る人が見れば恐らく意味は分かるだろう。分かりやすい記号を幾つも持っている。僕の後ろ暗い部分がカタチを得て歩いているようなものだ。だけどチェリンボはそれとは何かが違う。中原さんにしか分からないメッセージが込められているとしか思えない。

「後ろについた小さな顔、か……」

チェリンボはただの歩くサクランボ(それ自体が十分非日常的で異様な「歩くサクランボ」に「ただの」と付けていいのかは、発言者である僕としても大いに疑問符を付けざるを得ないけど)というわけじゃなかった。今日になって分かったのが、後ろに顔の付いた「果実」が付いているって事だ。あんな異様なものにまったく何の意味もないとは、僕は到底思えない。

それに――チェリンボが今まで巧妙に存在を隠してきた顔を、あのタイミングで僕に曝け出したということは、それ自体にメッセージがあると思っていいんじゃないか。僕の勝手な想像に過ぎないけど、あの小さな「果実」にこそ中原さんとチェリンボの関係を読み解くための鍵があるんじゃないかと思う。

それこそ、僕のカラカラが被っている「骨」のように。

「だけど、それでも分からないものは分からないよなあ……」

結局はここに行き着いてしまう。あの小さな果実に何か意味があると推測したところで、それがどんな意味だと一歩踏み込むと途端に答えが分からなくなる。本当の答えを知っているのは中原さんだけで、当の本人が答えを明かすことを拒んでいるのだから、僕がいくら想像を膨らませたところでそれは所詮ただの可能性に過ぎない。彼女の本心を知るには程遠いというのが、今の状況だった。

考えが纏まらず、取りとめも無く手を伸ばす。ちょうどその先、学習机の上に、彼女から借りたばかりの本があった。「ネイティのいた日々」だ。

本でも読んで気を紛らわすとしよう。ポケモンの本だし、チェリンボの意味を考えるに当たって何かの取っ掛かりになるかも知れない。それに、ちょうど話が佳境に差し掛かろうとしていたところだ。弘前さんのネイティがどうなったのか、今日のうちに読んで確かめておこう。

ぐっと身体を伸ばして、「ネイティのいた日々」を取ろうとした――が。

「あっ」

声を上げたときには、もう時既に遅しだった。学習机との微妙な距離が災いして、「ネイティのいた日々」が下へバサリと転げ落ちてしまった。すぐに拾わなきゃ。こんなことなら横着せずにちゃんと立ち上がって取りに行けばよかったと思いつつ、だけどこの先も似たような失敗を繰り返すんだろうな、とも思わずにはいられなかった。人間は基本的に楽をしたがる生き物だからしょうがない。

カーペットに転がった「ネイティのいた日々」は、表紙をこちらに向けてうつ伏せで転がっていた。本文が折れてなきゃいいけど、大丈夫だろうか。借り物だからちゃんと扱わないといけないな。そう反省しつつ、僕は本を取り上げた。

手に取った本を裏返した直後、僕の目にこんな文言が飛び込んできた。

「さよならネイティ」

それは、最終章のタイトルページだった。

 

――翌日。

(……話の最後に、ネイティは消えた、か……)

昨日残りをすべて読み終えた「ネイティのいた日々」を思い返して、僕は遠くの空を仰いだ。今日は曇天、厚い雲が空一面に広がり、そこにあるべき太陽を覆い隠している。いつだったか読んだ短い小説の中に、暗い夜空を自分の気持ちに例えるなんておこがましい、なんて言葉があったのを思い出す。そうと知りつつも、今の空模様は僕の心情とリンクしているように感じられてならなかった。

読み残していた残り三割。そのほぼすべてが、ネイティとの別れのエピソードに費やされていた。弘前さんの前にネイティが現れた理由、彼女の抱えていたコンプレックス、そして訪れたネイティとの愛別離苦。今までぼかされていた真相が、立て続けに明かされていく。本に記されたすべてを余すところなく読み終えたあと、僕は思わず考え込んでしまった。

これを読んで、中原さんは何を思っただろうか?

ネイティは予想通り、彼女の抱えていた深刻な悩みに呼応する形で現れた。二年以上に渡るネイティとの対話を通して、弘前さんは自分のコンプレックスと真正面から向き合うことを決意する。そして彼女がすべてを受け入れた時、ネイティは彼女の前から姿を消した。「悩んでいる自分」を逃げずに受け止めて飲み込んだことで、悩みの具象化であるネイティは存在する必要がなくなったのだ。

(だから……このまま、チェリンボとカラカラくんが見えてたままの方がいい。ずっと、ずっとこのままがいい)

(わたし、今のままが一番いいよ。今更もう、一人ぼっちになんてなりたくない)

(秀明くんと二人で、ずっと同じものを見ていたいから)

あの時の中原さんの言葉の意味するところが、今になってようやく理解できた。

彼女の側にチェリンボがいる理由。それと真正面から対峙するということは、弘前さんの例から言って、チェリンボが……いや、ポケモンそのものが見えなくなるということを覚悟しなければならないことを意味する。彼女は今まで何度も「ポケモンが見えること」の「特別さ」を口にしていた。ポケモンが見えるということが、僕と中原さんを結び付けている――そうとも取れるニュアンスを込めて、だ。

そして僕も、それは認めざるを得ないと思った。大本を辿れば、僕が中原さんに声を掛けたのは、チェリンボの姿を目撃したからに他ならない。ポケモンが僕ら二人を結び付けているというのは、間違いでもなんでもないどころか、疑いようのない事実だった。

ポケモンが見えなくなれば、僕との関係は失われる。中原さんはそう考えていると思って間違いない。

(でも、どうして?)

どうして中原さんはチェリンボと別れることを恐れているのか? それは、僕と結びつきを持っていたいから。じゃあ、どうして中原さんはどうして僕と結びつきを持っていたいのか? それは、僕がポケモンを見ることのできる存在だから。問いが答えで、答えが問いの二つの事柄。これですべてが完結して、内部でループを繰り返しているように見える。

だけど、本当にそうなのか?

何かがズレている気がしてならないけれど、何がどうズレているのかが分からない。僕と中原さん、中原さんと僕。この間に存在する関係は、一体何なのだろう。

今の僕には、その真意は理解できそうになかった。

「僕と……中原さん、か……」

何を思うわけでもなく呟いたのと、ほとんど同時だった。

「ポスター……?」

町内会の掲示板に貼付されたポスターを見て、僕は無意識のうちに足を止めていた。貼られてから間が経っていないのか、ポスターは真新しさを感じさせた。そのポスターの内容自体は至って大したことのないものだ。簡単に言うと「友達を大切にしましょう」「友達と仲良くしましょう」という程度の、健全でありふれたものに過ぎない。僕が立ち止まった理由は、ポスターの標語を見たからじゃない。

道路の近くで泣いている女の子を、男の子が慰めている。その構図を、どこかで見た気がしたからだ。

(あれは……いつだったっけ?)

僕の意識は瞬時に過去へ飛んだ。見覚えがあったのは、別の場所でこれと似たようなポスターを見たからというわけではなく、ポスターで言うところの男の子のポジションに、僕がいた記憶があったのが理由だ。思い出そうと思えば、案外簡単に記憶を引きずり出すことができた。

そうだ、あれは――カラカラが見えるようになってすぐの頃だから、小学四年生の二学期頃だったはずだ。

僕は学校から帰る途中だった。住宅街に幾つもある横断歩道の一つ、そこを通りがかろうとしたときに、僕はしゃくり上げながら泣いている女の子の姿を見つけた。女の子がただ泣いているだけなら、ちょっとばかり気の毒に思うだけで見過ごしたに違いない。僕が目を留めたのは、女の子が思いも寄らぬ行動を取ろうとしていたからだ。

横断歩道の前に立つ。眼前の信号は青で、そのまま歩いて行くことができる状態だった。けれど女の子は立ち止まって、真っ赤に腫らした目を信号に向けていた。やがてその目に感化されたように、歩行者用の信号が点滅し始め、彼女の瞳と同じ赤に切り替わった。何を思ったか、彼女は信号が赤、即ち「渡ってはいけない」状態になってから、横断歩道を渡ろうとしていたのだ。

「待って。危ないよ」

「……っ」

隣に立っていた僕が彼女の手を取ったのは、咄嗟の判断ですらなかった。まったく意識しないうちに、僕は彼女の手を握って足を止めさせた。女の子はほんの僅かに抵抗したかと思うと、すぐに力を緩めて前へ行こうとするのをやめた。涙で顔をくしゃくしゃにしたまま、僕の目をじっと見つめてきた。一体どうしてそんなに悲しい顔をしているのか、僕には理由こそ分からなかった。

だけど、彼女の目を見たとき――僕は何よりもまず先に「悲しい」と思った。戸惑いや違和感よりも先に、「悲しい」という気持ちが押し寄せてきた。

すぐに、彼女の目はどこかで見たことのある目だと思った。間を置かずに続けて、どこかで見たことのあるというその「どこか」は、他でもない僕自身だということを思い出した。彼女は僕が泣いていた時と同じ目をしていた。僕が酷く「悲しい」と感じたのは、それが理由だった。

「信号、赤じゃないか。渡ったら車にひかれるよ。危ないよ」

「……車にひかれたら、死ぬよね」

「それは……死ぬこともあると思う。必ずじゃないと思うけど」

顔を俯けさせて、女の子が消え入りそうな声で呟いた。

「わたし、死にたいよ」

僕は無意識のうちに、こう応えていた。

「きみが死んだら、ぼくが悲しいよ」

そう。確か、それが僕の応答だったはずだ。

(……あれは、一体なんだったんだ)

どうして今になってこんなことを思い出したのだろうと、僕は言い知れぬ違和感に包まれた。じっとりとした違和感は、拭いようのない不安に変貌していく。どこかで何かを忘れていて、それが小さな出来事をトリガーにして蘇ってきた。この記憶が、今僕が置かれている状況と何がしかの関連があるとでも言うのだろうか。

……いや、待て。

まさか、これは。

(もし、さっきの車に轢かれて、死んじゃったりしたら)

(……わたしは、きっと誰かが悲しんでたと思うよ)

あれは、もしかして――。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。