かよ子の足取りといったらもう、マグカルゴの歩みのようにのろまで、サイホーンの足踏みみたいに重たいものでした。
「はぁーあ。また、面倒くさい係にされちゃった」
教科書とノートがたっぷり、おまけに筆箱まで入った赤いランドセルはずっしり肩に沈んで、ただでさえ重い気持ちがもっともっと重くなってしまいそう。ときどき肩ひもを直しては、大きなため息をひとつ。かよ子の様子といったら、見ているこちらがどんよりしてきそうでした。
道ばたに転がっていた小石を軽く蹴とばして、かよ子は体を引きずるようにして歩いてゆきます。かよ子の歩いている河原は夕焼けがとっても綺麗で、道行く人も思わず足を止めて見入ってしまうほどでしたけれど、今のかよ子の目にはちっとも入ってきません。
「一学期は図書係で、遅くまで残らなきゃいけなかったし」
ここでちょっとだけ、かよ子についてお話ししておきましょう。
かよ子はわかば市に住んでいる、三年生の女の子。背はちょっと低め、体はやせ気味、髪型はいつでも二つのおさげ。丸っこい顔はいかにも子供っぽくて、たまにしか会わない親戚のおじさんやおばさんからはいつも一年生や二年生に間違えられてばかり。性格もレディバみたいに怖がりでひかえめ、自分から手を上げるなんてもってのほか。簡単にまとめちゃうと、おとなしくて目立たなくてちんちくりん、そんな女の子です。
これだけだとちょっと物足りないので、もう少しだけ、かよ子について教えましょう。いちばん好きな食べ物はイチゴの乗ったショートケーキ、いちばん嫌いな食べ物はピーマン。四つ上のお兄ちゃんがいますが、今は家を出てひとり旅をしています。ちょっとやんちゃで時々泣かされちゃったけど、よくいっしょに遊んでくれて、ときどきおやつを分けてくれた優しいお兄ちゃんでもありました。かよ子もお兄ちゃんのことが大好きだったから、家を出て行ってしまった時はとても悲しくて、一日中声をからして泣いていたくらいです。
「生き物係なんてぜったい大変だし、疲れちゃうよ」
さてさて、そんなかよ子が呟いたのは、「生き物係」という言葉でした。今日の学級会で係決めをして、たくさんある係の中からかよ子は「生き物係」に選ばれました――もっとも、これはかよ子が自分から「やりたい」と言い出したわけではもちろんありません。係決めの時に誰も手を上げないので、先生がみんなに「生き物係になってほしい人がいる人」と聞きました。すると、誰ともなく「かよちゃんがいい」なんて言い始めて、そのままあれよあれよという間にかよ子に決まってしまったのでした。かよ子は生き物係なんてちっともやりたくありませんでしたが、先生とみんながそろって言うので言い返せませんでした。
生き物係というのは、その名前の通り生き物の係です。学校で飼育している生き物をみんなでお世話して、元気に過ごせるようにしてあげるのが仕事になります。かよ子の学校ではお世話をしてあげる生き物として、ポケモンを何匹か飼っています。これはかよ子の通っている学校だけのことではなくて、周りにある別の小学校でもみんな同じなんです。もっともっと昔は、ポケモンではなくて普通のウサギやカエルを飼っていたのですが、それはみんないつの間にかミミロルやニョロモに変わって行きました。
何はともあれ、明日からは毎朝鳥小屋へ行かなければなりません。早起きするのはちょっと苦手で、いつもお母さんに「早く起きなさい」と怒られてから起きるのに、大丈夫なのでしょうか。かよ子はとても心配です。
「早く帰って、塾にいかなきゃ」
かよ子は学習塾に通っています。家から自転車で三十分くらいかかるちょっと遠い場所にあって、帰るころには道がすっかり暗くなってしまいます。おまけに、行くたびにたくさん宿題が出ます。とってもたくさんです。学校の宿題といっしょになかよくかよ子にのしかかって、全部終わるころにはへとへとになってしまいます。かよ子は塾なんて全然行きたくないのですが、お母さんが何べんも「行きなさい」と言うので、仕方なく通っています。
学校に行けば生き物係で、家に帰れば塾と宿題。かよ子の気が休まるのは、夜におふとんに入って寝るときくらいでした。
「明日大雨が降って、学校も塾もお休みになればいいのになあ」
雨でも降っちゃえばいいのに。そう思って空を見上げてみるけれど、あいにく空は雲ひとつないすっきりぶり。きっと明日もお日様がさんさんと地面を照らす、日本晴れのようなお天気になることでしょう。この分だと、雨なんてちっとも降りそうにありません。かよ子の周りだけ、どんより曇った雰囲気でいっぱいです。
うかない顔で足をずりずり引きずって、体までカビゴンみたいに重くなってしまったような気持ちになりながら、かよ子はそのまま家に帰りました。
*
お日様はすっかり沈んで、代わりにお月様が空にのぼるような時間になってからのこと。
「ただいまぁー」
ずいぶんと間のびした声を上げながら、かよ子は社宅の重たいドアを開けました。どうやら塾から帰ってきたようです。肩からさげたカバンはランドセルに負けずおとらず重そうです。くたくたになったかよ子が靴を玄関に脱ぎちらかして、ずっしり中身の詰まったカバンをゆらしながら子ども部屋へ入っていきます。子ども部屋には学習机がふたつありますが、使われているのはひとつだけで、それがかよ子の机になります。もうひとつの方はお兄ちゃんのもので、今はお兄ちゃんが留守にしているのでがらんとしています。
はぁーあ、とため息をついて、カバンを自分の学習机の上へ置きました。そのまま椅子に座り込むと、ぼーっと天井をながめ始めます。学校から家まで帰ってくるとすぐに自転車をこいで塾まで走って、そこで二時間たっぷり勉強してきたばかりなので、かよ子はもうへとへとです。でもこの後、学校の宿題もしなきゃいけません。うんざり、といった顔つきで、かよ子がほほを風船のようにふくらませました。
「もう、かよ子ったら。のんびりしてないで、早くごはん食べちゃいなさい」
「……はぁーい」
子ども部屋でぼんやりしているとお母さんがやってきて、かよ子に晩ごはんを食べるようにせかしました。かよ子のお母さんといったら、こんな風にいつも「早くしなさい」と言ってばかりで、とにかく急いでばかりいます。かよ子は(今から食べようと思ってたのに)と再びふくれっ面をして、しぶしぶ部屋を出てお茶の間へ行くことにしました。
お腹が空いていたかよ子は晩ごはんのマーボー豆腐と春雨スープをあっという間に平らげてしまうと、今度はお母さんに言われる前に自分からお風呂に入ることにしました。もし、ごはんを食べてからのんびりテレビなんて見ていたら、早速「早くお風呂にはいりなさい」「早く宿題をやっちゃいなさい」「早く寝なさい」の三点セットが来るに決まっていたからです。
「お母さんったら。あんなにせかさなくたって、かよ子だってちゃんとできるもん」
ひとりでほかほかの湯ぶねにつかりながら、かよ子は本日三回目のふくれっ面をして見せました。けれどそれも、体が温まっていくうちにだんだんほぐれて行って、いつしかゆるゆるの顔になっていきます。
こうやってあったかいお湯の中にいると、だんだん気持ちよくなってきて、このまますぐにふかふかのおふとんで寝てしまいたいなあと、かよ子はいつも思います。でも、そんな風にうまくはいきません。お風呂から上がったら、髪の毛を乾かして、パジャマに着替えて、学校の宿題をして、明日の時間割を見て、ランドセルに必要なものを入れて、目覚まし時計をセットして……まだまだやることはたくさんあります。かよ子はまたげんなりしてしまって、お湯の中に顔を半分くらい沈めてぶくぶくと泡を立てました。
お風呂から上がると、お母さんにドライヤーで髪を乾かしてもらって、着古したパジャマに着替えて、学校の宿題をがんばって片付けて、時間割を見て教科書とノートをつめて、すみっこに筆箱を押しこんで、最後に目覚まし時計をいつもよりちょっとだけ早くセットして。はーっ、と大きく息をはき出したかよ子は、これまた大きな大きなあくびをひとつすると、そのままもぞもぞとおふとんにもぐりこみました。買ったばかりの文庫本はいいところで止まっていました――パーティの最中に悪者がやってきて、主賓である婦人を誘拐してしまうという、お話がいちばん盛り上がるところです――し、ゲームは今のステージをあと少しでクリアできそうでした――金ぴかのイワークみたいなボスがなかなか倒せなかったけれど、今日お友達から「矢で相手の頭をねらうといいよ」と教えてもらいました――けど、かよ子は疲れてしまってどちらにも手がのびません。ぼんやりしたまま、おふとんの上でごろごろします。
明日は生き物係があるので、早起きして学校へ行かなきゃいけません。かよ子のクラスがお世話をするのは、グラウンドのいちばん奥にある「鳥小屋」にいるポケモンたちです。「鳥小屋」という名前なので、いるのはもちろんとりポケモンばかりです。かよ子もそこまでは知っていました。でも、じゃあ実際にどんなポケモンがいるのかと言われると、困ったことに一匹も浮かんで来ませんでした。なにせ、一度も見に行ったことがなかったのですから。
(とりポケモンって、どんなのがいたかなあ)
眠い目をこすって、かよ子は少し考えてみます。すぐに思い浮かぶのは、よく道ばたをちょこまか跳ねているおとなしいポッポ、ご近所のお姉さんが飼っているきれいな声のヤヤコマ、テレビでよく見る気性の荒いオニスズメ、海辺をのんびり飛んでいるキャモメ、暗くなるとどこからともなく集まってきて怖いヤミカラス。あとは通りすがりのトレーナーが連れていた、ちょっとふしぎな感じのするネイティ。こんなところでしょうか。鳥小屋にいるのはこの中のどれかかも知れませんし、ぜんぜん違うかもしれません。
ここでまた皆さんに少しだけ、かよ子のことについてお話しします。今度はかよ子とポケモンについてです。
かよ子の住んでいるわかば市やその近くの町では、普通は五年生になるまでポケモンを持てません。「ポケモンジム」というところへ通っていたりすれば、特別にポケモンを持つことができますが、わかば市にポケモンジムはありません。ですので、三年生のかよ子はまだポケモンを持つことができないのです。
少し話がそれますが、かよ子のお兄ちゃんについて。まだわかば市に住んでいた頃、お兄ちゃんはどうしてもポケモンがほしかったので、家からちょっと離れた場所でポケモンの研究をしているえらい博士にお願いをしました。博士はお兄ちゃんのお願いを聞いて、ポケモンのタマゴをプレゼントしてくれました。そのタマゴからかえったのが、お兄ちゃんのいちばんの相棒のガーディです。きっと今も、お兄ちゃんといっしょに旅をしていることでしょう。
さてさて、かよ子はまだポケモンを持つには早いので、もちろん自分のポケモンはいません。ですが、学校ではときどき「生活」や「道徳」の時間を使って、ポケモンとなかよくなるための授業をします。教室で先生のお話を聞くこともありますが、外に出てポケモンたちとふれあうこともあります。これは、五年生になってそのまま学校へ通うかポケモントレーナーになるかを選ぶときに、前もってポケモンに慣れておくための準備でもあります。ポケモンに触ったこともないのに、いきなりトレーナーになるのはちょっと難しいですからね。
時々そんな催し物をしているので、かよ子も何回かポケモンに触れたり、いっしょに遊んだりしたことがあります。いちばん前にポケモンに触ったのは、幼稚園に通っていた頃にあった「移動動物園」です。幼稚園まで何匹かポケモンをつれてきてもらって、見たり触ったりできるのです。これはかよ子にとっても楽しい思い出でした。ドードーやゴマゾウがやってきて、ずいぶんとにぎやかなものでした。首を曲げたドードーの頭をそっとなでてあげると、目を細くしてうれしそうにしてくれたのを覚えています。
小学校に上がってからは、一年生の時に先生につれられて行ったポケモンセンター見学がありました。ポケモンセンターで働いている人からここがどんな施設かを説明してもらって、傷ついたポケモンをあっという間に回復させるところを見せてもらったりしました。案内してくれた人のアシスタントとしてラッキーがとなりにいて、お別れの時に握手をしてもらいました。ラッキーの手は毛布みたいにやわらかくて、とっても気持ちよかったなあ……と、かよ子はときどき思い出すのでした。
最近だと、一学期の途中にもう一度ポケモンセンターへ行ったことでしょうか。今度はいろんなポケモンとふれあおうというもので、建物の外にある広場でポケモンたちと遊ぶことになりました。時間になるとみんな一斉に好きなポケモンのところへ走っていきましたが、ひかえめなかよ子はちょっと出遅れてしまいました。あれこれ迷ってから、かよ子はようやくピンクでまるまるとしたかわいらしいポケモンのプリンと遊ぼうと思いましたが、あいにくプリンは大人気で、ボールみたいにみんなの間を楽しそうに跳ね回っていました。
あきらめて別のポケモンを探してみると、一匹でぽつんと立っている小さなポケモンを見つけました。かよ子はその姿に見覚えがあって、すぐにそれがでんきリスポケモンのパチリスだということを思い出しました。パチリスは大きな木の実をかじっていて、ほほをいっぱいにふくらませています。かよ子はパチリスの仕草をかわいいと思って、いっしょに遊ぼうと近くまでかけよります。
「パチリスちゃん、かよ子と遊んで!」
ところが、パチリスの方は急に自分の方へ走ってきたかよ子にびっくりして、大きなシッポからバチバチッ! と放電してしまいました。今度はかよ子がおどろいて、その場に急ブレーキです。恐る恐るパチリスの方を見てみると、なんと近くの地面が真っ黒にこげています。パチリスが放電して、その電気が地面を焼いたのです。もしあんな電気に当たったなら、ひとたまりもありません。かよ子は小さなパチリスがとんでもないパワーを持っているのを見て、すっかり怖気づいてしまいました。
こんなことがあったので、かよ子はポケモンに触るのが少し怖くなっていました。そんな時に生き物係に当たってしまったのですから、もう災難と言うほかありません。生き物係はポケモンをお世話してあげることを通して、子どもとポケモンがなかよくなることが目的なのですが……。
(男子は大介くんだけど、ちゃんと朝起きれるかなあ)
生き物係はかよ子だけではありません。男子からもひとり、生き物係が選ばれました。それがすぐ近くの席に座っている大介くんです。大介くんは気のいい大柄な男の子で、かよ子もやさしくしてもらっています。なので、いっしょに係をやるのは決して嫌ではないのですが、朝がとっても弱くてよく遅刻してしまうという短所があります。さて皆さん、生き物係はいつお仕事をするか、覚えていますでしょうか。そう、朝一番です。朝に弱い大介くんが明日ちゃんと来てくれるかどうか、かよ子はとっても不安でした。
明日はちゃんと来てほしいなあ。かよ子は心細さを感じながら、そろそろ寝ることにしました。その前に、いっしょに寝るぬいぐるみを選ぶことにしましょう。学習机のとなりにある棚には、カービィとワドルディのぬいぐるみがなかよく並んでいます。カービィもワドルディもかよ子の大のお気に入りで、眠るときはいつもどちらかを抱いて寝ています。少し前まではメタナイトもいっしょにいましたが、いとこの公太郎くんがほしいと言ったので、かよ子はお姉ちゃん気取りであげてしまいました。
(今日はカービィとワドちゃん、どっちにしよう)
棚にいるのはカービィとワドルディくらいで、ポケモンのぬいぐるみは見当たりません。お友達の中にはたくさんのポケモンぬいぐるみを持っている子もいましたが、かよ子は今までひとつも買ってもらったことがありません。かよ子はぬいぐるみを買ってもらうときに、お母さんから「ポケモン以外のぬいぐるみにしなさい」と言われたのを覚えています。と言っても、かよ子はポケモンぬいぐるみがどうしても欲しかったわけでもなかったので、ぜんぜん気にしていませんでした。代わりにカービィやワドルディがほしいと言うと、お母さんは喜んで買ってくれたものです。どちらも丸っこくてかわいらしくて、かよ子はとっても満足でした。
そう言えば、少し前のお誕生日のプレゼントにニンテンドー3DSを買ってもらった時も、お母さんは「いっしょにソフトもひとつ買ってあげるけど、ポケモンXとYは絶対にだめ」と何べんも繰り返していました。これもかよ子は特にほしくなかったので、あっさり「いいよ」と言って、もっとほしかった別のソフトを買ってもらいました。どうも、かよ子のお母さんはポケモンが好きじゃないようです。時々かよ子も理由を考えてみますが、いまいちピンと来ませんでした。
今にも閉じちゃいそうな寝ぼけまなこで考え事をしつつ、カービィとワドルディのどちらといっしょに寝ようかなと、かよ子がぬいぐるみを選びます。たくさん迷ってから、今日はワドルディを抱っこすることに決めたようです。ワドちゃん、いっしょに寝ようね、と言いながらワドルディを棚から下ろすと、枕元からおふとんへ入れてあげます。電気を豆球にすると、かよ子もおふとんに入りました。
ひとり残ったカービィはやさしい笑顔をうかべて、すやすや眠るかよ子とワドルディを見守っていました。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。