夕暮れ時の道を、かよ子とアチャモが元気よく腕をふって歩いています。目指すはおとなりの町、吉野市です。
ときおりかがんでアチャモの頭をなでてあげながら、かよ子は迷わず前へとすすんでゆきます。
「アチャモって、ホウエンってところから来たんだよね」
「ちゃも!」
かよ子から訊ねられて、アチャモは大きな頭を大きく振ってうなづきます。アチャモは賢いので、自分が豊縁から来たことも覚えていましたし、かよ子の言葉もしっかり理解することができました。
「かよ子のおばあちゃんの家も、ホウエンのムロってところにあるけど、ここからだとすっごく遠くて、なかなか遊びにいけないんだ」
「ちゃもちゃもっ」
「どれくらい遠いかって? うーんと、かよ子の家からだと、電車を三つ乗って、船に乗って、それからまた二回電車に乗らなきゃいけないくらい。朝お家を出て、夕方おばあちゃんの家に着くから、すごく長いよね」
「ちゃもー」
「あと、なんかね、お母さんが行きたがらないから。おばあちゃんの家。お母さん、おばあちゃんのこと、あんまり好きじゃないみたい。ケンカしたりはしないけど、でも、仲良くしてるところも見たことないよ」
「ちゃも」
「おこづかいくれるし、お兄ちゃんにもかよ子にも優しくしてくれるから、かよ子はおばあちゃんのこと好きだけどね」
どういうわけかはちょっと分かりませんが、お母さんはおばあちゃん――お母さんにとってのお母さんと、ちょっとうまくいっていないみたいでした。おばあちゃんの家にいけないのはとても遠いから、ということもありましたけれど、それ以上に、お母さんが行きたくないという気持ちが強いから、みたいでした。
「そうだ。いつかかよ子といっしょに、ホウエンまで行ってみたいね」
「ちゃも! ちゃもちゃも!」
「アチャモがうまれた場所にも行ってみたいし、おばあちゃんにアチャモのこと見せたげたいし……やりたいこと、たくさんあるね」
いっしょに豊縁へ行ってみたいね、かよ子からそう言われたアチャモは、ぴょんぴょんとうれしそうに飛び跳ねて、はちきれんばかりの笑顔をかよ子に投げかけました。その様子がまたかわいらしくって、かよ子はにこにこしながら見ています。
吉野市に向かって走っていく電車をながめながら歩いていると、かよ子が「あっ」と何かを思い出したような顔をしました。
「ねえねえアチャモ、ちょっと思い出したことがあるんだけど」
「ちゃも?」
「えっとね、前におばあちゃんの家に遊びに行ったときに、ヘンなものを見つけたんだ」
えーっと、と首をかしげてから、かよ子がぽんと手を打ちます。
「そうだそうだ、思い出したよ。オオスバメ。オオスバメって知ってる?」
「ちゃも!」
「うん、スバメがおっきくなったみたいな、シュッとした感じのとりポケモン。オオスバメを連れた女の子の写真がね、古ーいアルバムに入ってたの」
「ちゃもー」
「お母さんとおばあちゃんがどこか行ってる間に、お兄ちゃんと一緒に二階へ上がって遊んでたら、偶然見つけたんだ。押入れの奥にしまってあったんだよ」
かよ子が見つけたのは、オオスバメを連れた謎の女の子の写真が入った、とても古いアルバムでした。
「それでねそれでね、今思い出したんだけど、その人すごくカッコよかったんだ」
「ちゃもちゃも!」
「オオスバメが隣にいて、女の子もオオスバメもキリッとした顔してて、強そうな感じだったよ。ホントにカッコよかった」
「ちゃもぉ……」
「うーん、顔はちょっと思い出せないけど、でもね、とにかくカッコよかったの! かよ子もあんな風になりたいって思っちゃった」
短い間に三回も「カッコよかった」と繰り返すほどですから、よっぽど強く印象に残ったのでしょう。オオスバメを連れた謎の女の子について話すかよ子の目は、きらきらとまばゆく輝いていました。
と、熱い気持ちで勢いよく話していたかよ子ですけれど、ここでちょっと気になることがあったようです。
「でも……ヘンだよね。あの人、いったい誰なんだろう?」
オオスバメを連れていてカッコいいのはよかったのですが、肝心の女の子の正体がちっとも分からなかったのです。
「誰だろう……おばあちゃんかな? でも、おばあちゃんの写真にしては新しかったし……」
「ちゃも? ちゃもちゃもっ」
「お母さん? うーん、それはないかなぁ。だってお母さん、ポケモン大キライだし。触ったこともないって言ってたくらいだから、ぜったい違うよ」
女の子の正体は、あの家に住んでいたおばあちゃんでもお母さんでもなさそうです。ではいったいぜんたい、誰なのでしょう?
「お母さんの友達とかかな? それだったら、あるかも知れないよね。でも……友達だけ写った写真をアルバムに入れとくのって、なんだかちょっとフシギだし……やっぱり分かんないなあ」
ああでもない、こうでもない、ああかな、こうかな、と考えるかよ子に、アチャモはしきりにうなづいていました。アチャモも謎の女の子のことが気になっているみたいです。
「そうだ。それとね、もう一個気になるものがあったんだった」
「ちゃもー?」
オオスバメの女の子とは別にもう一つ、かよ子は気になるものを見つけていました。
「古い机の引き出しの奥の方に、ぼろぼろになった地図帳が入ってたんだけど……」
「ちゃもちゃもっ」
「そこにね、『夢の泉』ってボールペンで書いた、ピンクのふせんがはさまってたんだ」
机の奥に隠すように入れられていた地図帳、そしてそこに挟み込まれていた「夢の泉」と書かれたふせん。謎が謎を呼ぶ、不思議な見つけもの。そのことを、かよ子はよく覚えていました。
「ふせんがはさまってたところをお兄ちゃんに見てもらったら、なんかね、北の方の『シンオウ』ってところの地図だったって」
「ちゃもぉ?」
「かよ子もよく知らないけど、すごく広くて、冬になるとびっくりするくらい寒くなる場所だって聞いたよ。なんでそんなところの地図に目印なんてつけてたんだろうね」
「ちゃもぉ、ちゃもぉ」
「詳しい場所はわかんなかったけど、一ヶ所にボールペンでぐるぐるぐるぐる、いっぱい丸を付けてあったんだって。もしかすると、そこが『夢の泉』かもしれないね」
地図帳に描かれていたのは、ここから遠く離れた深奥の地図。そしてあたかも目標地点を指し示すかのように、一ヶ所に何重も「○」が書かれていたのでした。かよ子は、そこがふせんに掛かれていた「夢の泉」なのかも知れないと考えました。
「でも……『夢の泉』って、なんだろうね?」
「ちゃもー……」
「なにかの場所なのかな? けど、それにしては変わった名前だよね。『夢の泉』って」
「ちゃもっ」
「メルヘンチックな雰囲気で、夢がわいてくる泉、とかかもね」
ここまで話して、かよ子は「夢の泉」という言葉そのものに思い当たる節があることに気がつきました。
「『夢の泉』って、なんかどっかで見たり聞いたりしたような気がする……どこだったっけ?」
夢の泉。どこでかはさっぱり思い出せませんが、かよ子はその言葉に聞き覚えがありました。聞いたのはそれほど前ではなくて、少なくともかよ子が物心着いた頃のことだった気がしますが、細かいことはやはり覚えていません。
かよ子はその言葉を、いつも側にいたあの人を通して聞いていたのですが、今それを思い出すことはできませんでした。
「――ま、いっか。今は吉野市へ行くのが先だよね!」
「ちゃも! ちゃもちゃも!」
小難しい考えごとはここでおしまい。かよ子とアチャモは歩くペースを上げて、一博くんと駄菓子屋さんが待っている吉野市に向かって、まっすぐ歩いてゆきます。
夕焼け空の映える小径に伸びる、ふたつの小さな影。それらはどこまでもどこまでも、いっしょに並んでいたのでした。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。