「ふぁ……あぁ」
あたたかい朝の日差しが部屋に差しこんできて、かよ子はあくびをしながらゆっくり体を起こしました。普段ならしばらく寝ぼけ眼でぼーっとするところなのですが、今日に限ってはお目々がぱっちり開いて、意識もハッキリしているようです。不思議そうな表情をして、ついさっきまで見ていた夢を思い出します。
かよ子は見た夢の中身をしっかり覚えていて、細かいところまできっちり思い出すことができました。自分が狭くて白い部屋に閉じこめられていたこと、部屋の外にはとてもきれいな世界が広がっていたこと、炎の龍が部屋を壊して自由にしてくれたこと、炎の龍の能力の正体はあのアチャモだったこと、アチャモを追いかけて外の世界へ走っていったこと。その全部を、かよ子はまるで本当のことのように思い出せたのです。
(ふしぎな夢だったなあ。でも、気持ちよかった)
アチャモといっしょに外の世界を自由に走り回る心地よさも、かよ子はもちろん覚えていました。こんな風にとってもいい夢を見られたので、今日はいつもよりずっとすてきなお目覚めになりました。ふと後ろにある目覚まし時計を見てみると、なんと、いつもより二十分も早く起きています。目覚まし時計が鳴りだす前に起きられるなんて、滅多にありません。かよ子は思わず得意な気持ちになりました。
それにしても、昨日眠るときにあんなに不安だったのがウソのようです。すがすがしい気持ちで満たされて、怖いものなんて何もないって気さえしてきます。すてきな夢を見られたこと、そして朝の明るい日差しをたっぷり浴びられたことで、かよ子は元気いっぱいになれたみたいです。
「よーし、学校いーこうっと!」
かよ子は布団をめくって起き上がると、ひとりでてきぱきと朝の支度をはじめました。
ランドセルをしょって、いつもより軽い足取りで通学路をてくてく歩きながら、かよ子は昨日見た夢を再び思い返していました。とてもすてきな夢でしたけれど、ひとつだけ、どうしても気になることがあったのです。
(アチャモが出てきたのは、どうしてかな)
かよ子の夢の中には、学校でお世話をしてあげている、あのアチャモが出てきました。白いカベをこっぱみじんに壊した炎の龍の正体で、そしてかよ子を外の世界へ導くように走って行ったアチャモ。夢の中にどうしてアチャモが出てきたのか、かよ子はあれこれ理由を考えています。
寝る前にアチャモのこと思い浮かべたからかも、かよ子が夢に出てきたアチャモのことを考えながら歩いていると、河原の途中にある分かれ道までやってきました。
(ここで曲がると、かよ子の学校。まっすぐ行くと、吉野市へ)
普段は通りすぎてしまう分かれ道の前で、かよ子はふと足を止めます。
このまままっすぐ続いている道の向こうには、お兄ちゃんと行ったあの駄菓子屋さんも、一博くんが住んでいる団地もあります。けれど、お母さんからは行ってはいけないと言われていて、かよ子は今までちゃんとその言いつけを守ってきました。
お母さんの言葉と、お兄ちゃんや一博くんの姿を互いちがいに思い出しながら、かよ子は遠くに見える吉野市を、まん丸い瞳の中に映しだしていました。
給食のコーンポタージュスープを飲み終わったかよ子は、今度は今朝のアチャモの様子に思いをはせていました。
「アチャモ、今日も外ばっかり見てたなあ」
鳥小屋のアチャモには、大暴れのやんちゃし放題な日とずっと外を見つめている静かな日があって、今日は静かな日の方でした。本当に何もしなくて、ポッポにちょっかいを出したりすることも、中を走り回るようなこともありませんでした。
相方の大介くんは「おとなしくて助かるよ」って言っていましたけど、かよ子は心の中で「それは違うよ」と思いました。少しの間ですけど、ひとりでアチャモを見ていたかよ子には分かるのです。あれは間違いなく、外に出たいんだ、と。
そして――もうひとつ、大事なことがありました。
(アチャモみたいに、かよ子もお外に出てみたい)
外に出たがる、外にあこがれるアチャモの姿を目にしたかよ子は、それが今の自分にそっくりだということに気がつきました。安全だけれども狭い場所に閉じこめられて、自分の行きたい場所へ行くことができずにいる。「外」ばかり見て、届かないものだとあきらめている。かよ子は、自分も同じだってことに気がついたのです。
自分だけで外に出るのは、今のかよ子にとっては初めてのことです。もしお母さんにばれたりなんかしたら、きっとカンカンになって叱られるでしょう。けれど、かよ子はちっとも気にしていませんでした。自分のしたいことを自分で決めて、自分の力でやりぬいてみたいと、とても強く思っているからです。
(このまま家でじっとしてるだけじゃなくて、お外に出て、いろんなことをしてみたい)
かよ子は決めました。外に出て自分の行ってみたい場所に行ってみよう。やりたいことをやってみよう、と。これだけでも、かよ子にとっては十分大きな決断でした。とっても大きな、大きなことなのです。
ですが――かよ子の決心は、これにとどまりませんでした。
*
放課後になりました。運動場でドッジボールをして遊んでいる下級生の子や、教室に残って勉強している上級生の人を見ながら、かよ子は廊下をまっすぐ歩いて、下足室までやってきました。いつもどおりに履きなれた運動靴に履き替えて、足取りも軽くさっそうと運動場へ出ます。目指すは校門……かと思いきや、そうではなく。
かよ子がやってきたのは、普段なら朝の生き物係の時間以外に来ることなんてまずない、あの鳥小屋の前でした。そっと中をのぞきこむと、三羽のポッポが固まってぐっすり眠っているのが見えます。かよ子はポケットから小さなカギを取り出して、ガチャリと回してとびらを開きました。
「ねえ、アチャモ。起きてる?」
中に入ったかよ子が声をかけたのと、外を見ていたアチャモがおどろいたように振り向いたのは、ぴったり同じタイミングでした。(こんな時間に誰?)といった具合に、アチャモの顔には?マークがいっぱいに浮かんでいます。そして、そこにいるのが生き物係で自分をお世話しているかよ子だと気づくと、身を固くして警戒しはじめました。普段やんちゃし放題なので、かよ子が仕返しにやってきたのかもと思っているようです。
ですが、それは違いました。アチャモにある知らせを持ってきたくて、かよ子は放課後になってから鳥小屋までやってきたのです。かよ子はアチャモの目をぶれずにしっかり見つめながら、大きく息を吸い込みました。気持ちを落ち着けてから、かよ子がアチャモに語りかけます。
「あのね、アチャモ」
「今日はね、だいじなお話をしにきたの」
かよ子はまばたきもせずに、ずっとアチャモのことを見つづけています。いつもとちょっと雰囲気の違うかよ子に、アチャモは少しとまどっているようでした。
「今までずっと、アチャモの気持ち、ぜんぜん考えてなかった」
「ただやんちゃでわがままで、好き放題してるだけだって思ってた」
アチャモの目つきが目に見えて変わりました。かよ子への敵意が消えて、きょとんとした表情を見せています。かよ子はもう一度気持ちをまっすぐにして、アチャモにこう言いました。
「アチャモは――お外に出たいんだよね」
「だから、いっつも外ばっかり見てる」
「出たくても出られないから、怒って暴れたり、いたずらしたり、わがまま言ったりしてる」
「ホントはお外に出て、いっぱい走り回ったり、寝っ転がったり、飛んだり跳ねたりしたいんだよね」
かよ子の言葉を、アチャモは惚けた顔で聞いていました。本当のこととはぜんぜん思えないみたいで、まるで夢を見ているような顔でした。
「かよ子もね、アチャモと同じで、お外に出てみたいの」
「家からはなれた場所にある、ちょっと遠くの街まで行ってみたい」
「今まで、かよ子に『お外』があるなんて、ぜんぜん、ぜんぜん思ってなかった」
「でも、アチャモのおかげで、かよ子分かったの。かよ子にも『お外』があるんだって」
「だからね、アチャモ。かよ子に『お外』があるって教えてくれたアチャモに、お礼がしたいの」
そう言われたアチャモが、次に目にしたのは。
「アチャモ、いっしょに行こう?」
「いっしょに、お外へ行ってみようよ」
両腕をいっぱいにのばして、いっしょにお外へ行こう、そう言っている、かよ子の姿でした。
やさしくほほえんで、自分が飛びこんでくるのを待っているかよ子を見たアチャモは、つぶらな瞳をかがやかせて――
「……ちゃも! ちゃもちゃも!」
「わ、っと……ありがとう、アチャモ! よく来てくれたね!」
今までいっぺんだって見せたことのない、弾けるような笑顔を見せて、かよ子の胸の中へまっすぐ飛んでいきました。目を細くしてよろこぶアチャモは、本当の本当にうれしそうで、見ている方までしあわせな気持ちになってくるほどです。かよ子は飛びこんできたアチャモをしっかり抱きしめて、胸の中へ入れてあげました。
するとかよ子が、あることに気づきます。
「わ……アチャモって、あったかい」
「ホッカイロみたいにぽかぽかしてて、気持ちいいね」
胸の中にいるアチャモは、とってもあったかかったのです。じんわり伝わってくるやわらかなあたたかさに、かよ子は思わずほほをゆるめました。でも、どうしてこんなにぽかぽかしてるんだろ……と、かよ子がちょっとふしぎに思った、すぐ後のことでした。
(そうだ、大介くんが言ってた)
(アチャモには「ほのおぶくろ」があって、そこで火を起こしてるんだ、って)
大介くんから聞いた、アチャモの体のひみつ。体の中に「ほのおぶくろ」を持っていて、そこで起こした火を口から吐いて敵を攻撃する、というものでした。お話を聞いたときは、火を吐けるなんて危ない、としか思っていませんでしたけど、今はちょっと違います。
「そっか。火って、危ないだけじゃなくて、あったかいんだ」
「アチャモって、こんなにあったかかったんだね」
かよ子に抱きしめてもらったアチャモは、とってもうれしそうに目を細めて、かよ子に何べんもほおずりしました。それが気持ちよくって、かよ子はますますアチャモのことを好きになりました。
「ありがとう、アチャモ。かよ子のところに来てくれて、ホントにありがとう」
「いっしょに、お外へ行こうね」
アチャモをしっかり抱きしめながら、かよ子は鳥小屋をあとにしました。
かよ子はアチャモを抱いたまま学校を出て、そのまましばらく歩いていましたけれども、急に「あっ」と何かに気づいたみたいな顔をして、道の途中で立ち止まりました。
「そうだ、アチャモ」
「ちゃも?」
「せっかくお外に出られたのに、いつまでもかよ子がつかまえてちゃダメだよね」
そう言うと、かよ子はアチャモをそっと道路へ下ろしてあげました。アチャモは自分の足で道路に立って、ぱあっと目をかがやかせました。周りをちょこちょこ歩き回って、とってもうれしそうです。夕暮れ時のすずしい風を全身であびて、アチャモはすっかりご機嫌のようでした。
かよ子が自分の足で歩かせてくれたことに、アチャモはますますよろこんでいました。人懐っこい笑顔を見せて、かよ子の足に顔をすりすりしはじめました。かよ子はくすぐったくって、きゃっきゃと朗らかな笑い声をあげました。
再び歩き始めたかよ子にアチャモはしっかりくっついて、並んでいっしょに歩いていきます。辺りに人の姿はなくて、いるのはかよ子とアチャモだけです。でも、かよ子はちっとも寂しくありません。日はだいぶ沈んでいて、周りも薄暗くなっています。だけども、かよ子はこれっぽっちも怖くありません。
なぜなら、かよ子のとなりには、小さいけれど熱い心を持った、たのもしいアチャモがいてくれているからです。
だいだい色に染まる空を背にして、かよ子とアチャモはのびのびと歩いていきます。夕焼けに照らされた道には、かよ子とアチャモの長い影が、大きく大きく伸びていました。
「かよ子の行きたい吉野市って街にはね、おいしい駄菓子屋さんがあるんだよ」
「夜遅くまでやっててね、やさしいおばあちゃんがお出迎えしてくれるの」
「あとね、ニャースも飼ってるんだ。いつでものんびり寝てて、撫でたげるとごろごろ言ってかわいいの」
「お菓子もめずらしくておいしいのばっかりで、どんなにいても飽きないくらい」
「ポケモンが食べられるお菓子もいっぱいあったから、アチャモにも好きなの食べさせてあげるね」
「お兄ちゃんが家に帰ってきたら、またいっしょに駄菓子屋さんでお菓子を食べるんだ」
吉野市にある駄菓子屋さんのことをかよ子が楽しそうに話すのを、アチャモはニコニコしながらしっかり聞いていました。
「それとね、かよ子といっしょの塾に通ってる、一博くんって男の子がいるの」
「やさしくてね、おしゃべりしてるとすっごく楽しいよ」
「あっ、思い出した。一博くんね、ほのおポケモンとなかよくなりたいって言ってたから、アチャモのこともきっと気に入ってくれるよ。一博くんポケモン大好きだから、アチャモにもやさしくしてくれるはずだよ」
「そうだ、いいこと思いついた! もし一博くんがよかったら、いっしょに駄菓子屋さんに行こうっと!」
「お金はちゃあんと持ってるよ。いっぱい買って、みんなで食べようね」
「もうすぐ遠くの延寿市へお引越ししちゃうって言ってたけど……でも、新しい家の住所とか、電話番号とか聞いて、また遊びに行くんだ。かよ子、ひとりでだって遊びにいくもん」
大好きな一博くんの話をして笑うかよ子に、アチャモもほほがゆるみっぱなしです。かよ子の話を聞いて、アチャモも一博くんに会ってみたくなったようでした。
「ねえ、アチャモ。お外、気持ちいい?」
かよ子がアチャモに訊ねます。
「ちゃも!」
アチャモはちっとも迷わずに、元気よく声をあげて答えました。
「うん、うん。かよ子もね、とっても気持ちいいよ」
「気持ちがはずんで、今にもスキップとかしちゃいそうなくらい」
さわやかな笑顔を見せたかよ子に、アチャモも短い羽をはばたかせて答えました。
そして……。
「ここが分かれ道。まっすぐ行けば、吉野市へ行けるよ」
かよ子とアチャモはふたりそろって、分かれ道の前までたどり着きます。いつもはまっすぐ家に帰る道を選ぶ、あの分かれ道です。
アチャモに目くばせしてから、かよ子はまっすぐ前を向いて、一度目を閉じます。小さくうなづいてから目を開くと、にっこり笑って、胸を大きく張って、かよ子は――。
「よーし! アチャモ、吉野市に向かって、しゅっぱつしんこーう!」
「ちゃもちゃもー!」
かよ子は、普段の帰り道とは反対の、吉野市につながるもうひとつの道を選んで、ゆっくりと、でも一歩ずつ着実に、前に向かって歩きはじめました。
前へ、前へ。一歩ずつ、一歩ずつ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。