日が傾いてきた頃のこと。シラセは船着き場を離れてひとり歩いていた。目的地は商店街、街の中心にある大きな通りだ。
他にまとめて買い物ができるような場所もないので、商店街はいつもそれなりに賑わっている。野菜や果物、肉に魚、服飾から電化製品まで、生活に必要なものは大体この辺で揃えることができた。中程に鉄道の駅が隣接していることも大きかった。学校帰りの学生や、仕事終わりの会社員の姿をしばしば見かける。榁で人の多い場所はどこか、と訊ねられれば、大半の人がこの商店街を挙げることだろう。
シラセは道の隅をてくてく歩く。ポケモンを連れ歩いている人もそこそこいるためか、シラセが道端を歩いていても不思議がるような人は皆無だ。たまに顔見知りの人が通りすがって「シラセちゃんだ」とか声を掛けられる程度である。道行く人をひらひらと避けつつ、シラセは商店街の北にある八百屋の辺りへ向かった。
「ありゃま、シラセじゃない。お出迎え?」
理由は簡単。月曜日のこの時間になると、瑞穂が決まってそこで買い物をしているから。この習慣はもう三年近く崩れていない。シラセもすっかり覚えてしまって、いつしか瑞穂を迎えにいくことが常識になっていった。瑞穂は月曜日だけは店を早めに閉めてしまい、商店街に繰り出して家で食べるものを買うようにしている。腕に引っ掛けたエコバッグは少しふくらんでいて、買い物があらかた終わった様子が伺えた。
よしよし、と瑞穂に頭を撫でてもらって、シラセが彼女の横に寄り添う。シラセが側にいると安心だよ、そんなことを口にする瑞穂に、自分はあまり戦いは得意じゃないのだけれど、と少しばかり遠慮めいた気持ちを抱きつつ、シラセは隣に居られることを嬉しく思うのだった。
他に何か買うものはあったかな、と独り言をこぼした瑞穂が、少し歩くスピードを落とした。シラセが目線を上げると、色褪せて古びた看板がひとつ飛び込んでくる。
――「マママート」、白地に朱色のやや古めかしい書体で記された店名を、シラセはもちろんよく知っていた。手作りのお惣菜とお弁当を売っているお店で、シラセがここにやってくるずっと以前から営業している。瑞穂が時折買い物をしていて、沙絵もしばしばここでコロッケを買い食いしていた。沙絵はシラセといる時はもう一つ余分に買って、シラセにおすそ分けしてくれるのが常だった。
瑞穂がヒョイとカウンターを覗き込むと、奥で作業をしていた店主の女性が姿を表す。ひらひらと手を振って合図をする瑞穂に、女性は腰を折って丁寧にお辞儀をして見せた。
「カガミさん」
「まあ、瑞穂さん。いらっしゃいませ」
カガミ、瑞穂は女性をそう呼んだ。髪を後ろで括ったエプロン姿の女性で、瑞穂より少しだけ年上に見える。見た目は落ち着いた感じがするのだが、それに反して割と慌てん坊だったりおっちょこちょいだったりするところがある。コロッケの具を間違えたりすることはそう珍しいことではない。ただ、人柄が誠実で基本的にはおいしいものを出しているから、街の人からの人気は高いと聞く。おかげさまで、ここマママートはいつもほどほどに繁盛しているとか。
彼女に変わったところがあるとするなら、シラセがここを訪れた三年前から、姿形がまるで変わっていないことだった。毎年歳を重ねているのは誰しも同じはずなのだが、カガミについては年月の経過を少しも感じさせない容姿をしている。けれど瑞穂や沙絵がそれを不思議がる様子は無いし、他の人もまた同じだった。気にするほどのことではないのかも知れない、シラセもまた去年くらいからそう考えるようになり、今では「そういうもの」だとしか思っていなかった。
「今度また、ペリドットに行きたいんですけど、あの……グレープフロートって、まだ置いてますか?」
「カガミさん、それ好きですよね。もちろん置いてますとも。腕によりを掛けて作っちゃいますからね」
瑞穂とカガミの世間話。これが始まると、どんなに短くても五分は終わらないので、シラセは足を畳んで地面へ座り込んだ。他のお客が来る気配もない。シラセは小さくあくびをして、二人が満足するまで待っていよう、と気楽に構えることにした。こうやってあれこれお喋りをする様子を見ているのは、平和な感じがして悪いものでもない。
「あ、そうそう。瑞穂さん。この間、楓子ちゃんを見たんです」
「えっ、ふうちゃんを? ってことは、榁に帰ってきたのかな、ふうちゃん」
「もしかしたら人違いかもって思ったんですけど、でも、あの子は絶対楓子ちゃんだって思って」
この間の雨のこと、久しぶりに見かけた女の子のこと、ジムで催されたイベントのこと――二人ともポンポン話題が変わって、どちらもそれにちゃんと付いて行っている。言葉を発して何かを伝えるということをしないシラセにとっては、瑞穂もカガミもさりげなく凄いことをしているのでは、という思いがしばしば去来した。
二人がお喋りに興じている間にも、多くの人が道を通りすがっていく。あの水色のランドセルを揺らして走っている女の子はマリで、後ろから付いて行っているのはケン。マリの側にはフィオネがふわふわと漂っているし、ケンは♀のプルリルを抱きかかえている。どちらも名前を知っていて、シラセとも面識がある。ポケモンもまた然りだ。
反対側へ目を向けると、鈴木さんと花子が手を繋いで歩いている。鈴木さんは初老の男性、花子はヒロより二回りほど背丈の低い女の子だ。シラセはこの二人も知っている。二人してペリドットを訪れたこともあった。この街に住む人々のことを、シラセは三年の間にすっかり覚えてしまっていた。どういったリズムで生活しているか、どんな特徴があるか、シラセはやや曖昧で朧げで色の濃淡はあれど、それを無意識のうちに記憶していた。
商店街にいると、たくさんの人に出会う。静かな場所で過ごすのは心地よいけれど、それはいつでも訪れることができる賑やかな場所があってこそだ、と感じずにはいられない。
願わくば、いつまでもこの穏やかで賑やかな空間がここに在ってくれれば。
シラセはそっと目を閉じて、人知れず星に願うのだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。