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廊下の椅子に腰かけて、のんびり時間が過ぎるのを待つ。これと言ってすることもなく、ただ人が来るのを待つだけだ。何かを待つことはトレーナーとして旅する中ではよくあること、日常茶飯事のひとつだった。ひゅう、と軽く口笛を吹いて、リラックスした姿勢を保つ。

ベルトに付けたモンスターボールへ目をやる。ウインディは気持ちよさそうに眠っていて、マッスグマは退屈そうにあくびをしている。オオタチは長い体を丸めてドーナツのようになっているし、ニョロゾは座ってのんびりしている。みんな思い思いに過ごしているようで、見ていた俺も穏やかな気持ちになった。外に出して一緒に遊んでやりたかったけど、まだ中にいなきゃいけないのが残念だった。

「そうだ。あいつも見てやらなきゃな」

ベルトを探ってもう一つボールを持ってくる。中に入っているのは、まだ幼いチルットだ。道端でケガをして倒れているのをマッスグマが見つけて、俺に教えてくれた。放っておくことなんてできなかったから、持っていたモンスターボールへ入れて連れていくことにした。幸い今はケガも治って飛べるようになるまで回復したけれど、みんなと仲良くなった上に俺に懐いてくれたみたいだったから、一緒に連れていくことにしたばかりだ。

「こういう可愛いポケモンなら、喜んで触ってくれるかもな」

家で留守番をしている妹の顔が目に浮かぶ。ずいぶん長いこと会っていないけれど、元気にしているだろうか。電話くらいしてやればよかったかな、ふとそんなことを考える。家を出てからもう一年半が経つ。その間一度も声を聞いていないから、俺としても恋しい気持ちがある。

(父さんも家を空けがちだったから、母さんと二人きりになることが多かっただろうし)

母さんもどうしているか気になった。結局ケンカ別れして家を飛び出す形になったわけだけど、今にして思えば母さんの言い分も理解できた。同意できるってわけじゃないけど、俺のことを心配してたってのは分かる。実際危ない目にだって遭ったし、こんな風にトラブルに巻き込まれたこともあった。今回はこんがらがって、いつもより面倒なことになった。

面倒なことっていうのは、若葉市から遠路はるばる浅葱市まで、家族に来てもらう必要が出てきたってところで。

「圭太!」

「母さん」

そんなことをぼんやり考えていると、母さんが俺の名前を呼ぶのが聞こえた。椅子から降りて立ち上がると、小走りにこちらに向かって駆けてくる母さんを出迎える。

「圭太、ここにいたのね」

「久しぶり、母さん。元気そうでよかったよ」

「こっちはそれどころじゃないわ。警察の人の話は終わったの?」

「もう済んだよ。それで外で待ってたんだ」

大方の予想通り、母さんは憤りを隠せない様子だった。そりゃ無理もない、子供との久々の再会が警察署の中じゃ、何があったんだと言いたくなるだろう。ましてや、ケンカして出て行ったわけだから、印象だってよくないに違いない。だから俺は、母さんが怒っているのは自然なことだと思っていた。

「警察のお世話になるようなことって、圭太、あなた一体何をしたの」

「相手がさ、自分のオタチを虐めてたんだ。それで、止めに入ったってわけさ」

「……ポケモンを虐めてた? それを止めに? でも相手の親は、圭太がポケモンをけしかけたって……」

「ああ、そうさ。それは間違ってない」

俺は続けざまに、母さんに向けてこう言った。

「相手がライターの火を押し付けてさ、喚き散らしてたんだ」

「なんだっけな、『お前のせいで負けたんだぞ』とかなんとか、自分勝手なことを言ってさ」

「だから俺、見てられなくって、オタチに向かってニョロゾに水ぶっかけさせたんだ」

ありのままのことを告げる。中身は何もいじってない、今日起きた出来事そのものだ。

俺がポケモンを、ニョロゾを繰り出して相手に絡みに行ったのは事実だ。間違ってない。けど、あくまで狙いはポケモンで、相手自身に危害を加えるつもりなんてこれっぽっちもなかったし、実際加えてもいない。まあ、水しぶきはちょっとばかり飛んだかもしれないけど。

母さんの目が大きく見開かれるのを見た。こんなこと予想もしてなかったって顔だ。無理もない、前もって聞かされてた話と今聞いてる話とで、何から何まで食い違ってるんだから。

「早めに水ぶっかけたおかげで、オタチは大した火傷もせずに済んだんだけどさ、当然何すんだってなるだろ」

「それで相手が掴みかかって来て、おいおいやめろよ落ち着けって言ってたら、ちょうど警察の人が通りがかって」

「相手が『こいつがいきなり絡んできた』って、俺を掴みながら叫んでさ、とにかく警察まで来なさいってなったんだ」

そうして今、俺は警察署にいるってわけだ。もっとも、俺は少し話を聞かれたらすぐ外へ出てもよくなって、こうして母さんが来るまで待ってた。そういうことだ。

「じゃあ……圭太は、虐められてたオタチを助けようとして……」

「ええ。圭太くんの言う通りです」

ちょっと前に部屋から出てきて話を聞いていた警察官の一人が、念押しをするように続けて言ってくれた。

「虐待されていたオタチを助けて、相手の子にも何も危害は加えていません。被害者なんです」

「へへっ、ケガはしてないけどなっ。俺もほら、オオタチと一緒にいるからさ、虐める奴は許せなくてさ」

「そう……そういうこと、だったのね。圭太……」

「まあな。でも母さん、心配かけてごめんな。いきなり『警察署にいる』なんて言われたら、なんかやらかしたって思うもんな、普通は」

母さんはどこか力なく、首を横に振って見せた。

「いいえ、それならいいの。お母さんが早とちりをしてしまっただけだから」

「ま、言われてみると、母さんらしくないかもな」

「てっきり、圭太が相手の子を傷付けたって、そう考えちゃって」

「相手の親がさ、またずいぶん前のめりな人だったんだよ。俺に親の連絡先教えろって凄んできて、これだぞって教えたら、いきなりあることないこと言って母さん呼び出してさ」

「電話を掛けてきたのは、確かに相手の親だったわ。圭太が子供にケガをさせた、ポケモンに襲わせたって言って」

「だろ? けど、物分かりはよかったみたいでさ。警察の人と話したら事情を理解して、今はそいつと二人で別の部屋にいるんだ。こってり絞られてると思うぜ」

俺がおどけて言ってのけると、母さんはがっくりと肩を落として、こんなことを口にした。

「お母さん、圭太を信じてあげられなかったのね。自分の子が悪いと頭から決めつけるなんて、母親としてどうかしてるわ」

そんなに気に病むことでもないのに、と思うと同時に、母さんの気持ちもよく分かった。俺と母さんとの別れ方はまあ最悪だったし、あの電話でそれでも俺を信じるって方が無理な相談だ。だから、俺は母さんを悪く思う気持ちなんてこれっぽっちもない。

「けど母さん、こうやって若葉から浅葱まですっ飛んで来てくれたってことはさ、俺のこと、まだ自分の子供だって思ってくれてたってことだよな」

「圭太……」

「それでさ、こんなところで言うのも何なんだけどさ」

「どうかしたの?」

「――俺、トレーナー卒業して、家に帰ろうと思うんだ」

「……えっ!?」

また母さんの驚く顔を見られた。俺が家にいたときは母さんのこんな顔見たことなかったから、純粋に面白いなって思う。母さんの目を見て話をするのは何年ぶりだろう。それも肩の力を抜いて、リラックスして話すのは。

「静都を一周して、それからちょっと豊縁にも足伸ばして、すっげー楽しかったぜ」

「ガーディはウインディになったし、他の仲間もいっぱいできた。どいつもこいつも頼もしいやつばっかりだ」

「けど……俺もそろそろ、勉強が恋しくなってきてさ。大人になったときに父さんや母さんみたいにしっかり働けるように、勉強しようって思ったんだ」

「塾に通えるくらいのお金も貯まったし、中学通うまで勉強漬けになるんだ」

こんなことを言われるなんて思ってもみなかった、母さんの顔がそう言っている。自分でも言っていて少しこそばゆいくらいなんだから、言われる方からするともっと戸惑うだろう。けど、俺はシャレや冗談で言ってるわけじゃない。本気で思ってるからこそ、こうやって母さんに話してるわけだ。

「これからは家のことだってするよ。母さんひとりで忙しいだろうし、手伝わなきゃな」

「だから母さん、いいだろ?」

そう言って俺が話を締めくくると、母さんは、今度は首を縦に振った。

「いいわ、圭太。ごめんなさい、まさか圭太からそんなことを言われるなんて、思ってもみなくて」

「だよなあ。俺も自分から『勉強したい』なんて言うなんて、出ていくときは考えもしなかったしな」

「しばらく顔を合わせてない間に、圭太がこんなに変わっていたなんて……見違えたわ、本当に」

「だろ? 身長だってだいぶ伸びたんだぜ。この時間だと、若葉に帰るのは明日かな。俺も一緒に付いていくよ」

こうして俺は、旅を終えて若葉へ帰ることになった。

「留守番しててくれたかよ子にも、元気な顔を見せてやらなきゃな」

妹のかよ子が待っている、故郷の若葉市へ。

 

翌朝。俺と母さんは浅葱の東にある駅へ来ていた。

ここから若葉までは何本か電車を乗り継いで移動する必要がある。浅葱からまず延寿へ出て、延寿からは小金へ、小金から桔梗へ移動して、桔梗から吉野を経由して、やっと若葉まで到着だ。朝早く出て到着するのはお昼過ぎ。とは言え旅をしていた頃はほとんど徒歩と自転車だったから、それを思えば驚くほど早くて快適だ。

素泊まりで朝から何も食べてなかったから、腹が減ってしょうがない。駅の売店で弁当を二つ見繕って、待合室のベンチで座る母さんのところまで走って帰った。

「母さん、弁当買って来たよ。腹減っただろ」

「圭太ったら、いいのに。そんな気を遣わなくたって」

「だって母さん、昨日来てから何も食ってねえじゃん。ちょっとは食べた方がいいって」

母さんに釜飯弁当を渡して、自分は帆立の載った弁当を開ける。俺が持っていた弁当の中身を見た母さんが、何度目か分からない、驚いた顔を見せた。

「まあ、圭太。貝を食べるようになったのね。前は嫌いだって言って食べなかったのに」

「へへっ。先輩のトレーナーさんに、食い方をレクチャーしてもらったんだ。そうしたら旨くてさ、気に入ったんだ」

「好き嫌いをなくしたのね。いいことだわ、本当に」

軽くペットボトルのお茶を流し込んでから、帆立弁当をかき込む。程よく醤油味の馴染んだ帆立としっとりした米が、空きっ腹にいい具合に染みた。

(食える時にはしっかり食っとけ、父さんから言われたっけな)

子供の頃トレーナーをやってたっていう父さんから、旅立つ前にたくさんのアドバイスをもらった。そのほとんどは今もよく覚えていて、旅をする中でずいぶん役に立ってくれた。父さんは二年でトレーナーの旅を止めたって言ってたから、俺はそれより少し早めに切り上げたことになる。ま、長けりゃいいってものでもないけどな、こういうのは。

俺が瞬く間に弁当を半分ほど腹の中に収めたところで母さんの手元を見ると、まだせいぜい二口か三口ほどしか食べられていないようだった。気分が沈んでいる、俺は母さんの様子をそれとなく察した。時折様子を伺いながら、母さんが何か言い出すのを待った。たぶん、俺に何がしか言いたいことがある、そう思ったからだ。

「ごめんなさい、圭太」

「圭太に……謝らなくちゃ」

そうしていると、不意に母さんが口を開いた。弁当を食べる手を止めて、母さんの顔を覗き込む。

「一昨年の春に、ガーディと一緒に家を飛び出したときは、もう家に帰ってこないと思っていて」

「上手く行くはずがない、きっとすぐに潰れてしまう、そんな風に考えていたわ」

「けれど、圭太は」

「ポケモンをたくさん仲間にして、いろいろなものを見て回って、なんでも食べるようになって」

「酷い目に遭っているポケモンを進んで助けようとする、そんな優しさまで身につけた」

「旅に満足して、きちんと区切りを付けて、ちゃんと将来のことまで考えて、自分から『勉強がしたい』なんて」

「お母さんの知らなかったところで、お母さんの見ていなかったところで、圭太はすっかり立派になっていたのね」

「本当、お母さん、恥ずかしいわ。自分が情けなくなっちゃう」

「家にいる間、かよ子に……『お兄ちゃんみたいにならないで』『お兄ちゃんみたいに出て行っちゃダメ』って、そんなことばかり言っていたの」

「かよ子が悲しそうな顔をするのも道理だわ。慕っていたお兄ちゃんを、お母さんが悪く言うなんて」

「私より圭太と一緒にいることの多かったかよ子には、圭太はそんなヤワじゃないって、きっと分かっていたのね」

今にも泣き出しそうな母さんの顔。家ではきりっとした顔しか見たことがなかった母さんが、すっかり小さくなって、弱々しい声でつぶやいている。そんなに気に病む必要なんてどこにもないのに、母さんは根が真面目だから深く考え込んでしまう。俺は母さんの肩にそっと手を当てた。

「母さん。俺だって、かよ子がいきなり『家を出てトレーナーになる』なんて言ったら、羽交い締めにしてでも止めるよ」

「圭太……」

「あの時母さんの言った通りだったよ、トレーナーってホント大変なんだな」

「それでも圭太は、ここまで一人でやり遂げたじゃない」

「そりゃ、自分で選んだ道だからな。俺の夢だったんだ。こんなとこで諦めねえぞって、何回もそう思ったさ」

「自分で選んだ道、圭太の夢……だから」

「まあな。けどさー、あんなにケンカしてまで出て行くことはなかったよな。無理言って家飛び出して、ごめんな、母さん」

「……いいの。いいのよ、圭太。こうして、私にもう一度元気な姿を見せてくれたんだから」

「これからはしっかり勉強もして、家のことだってたくさんやるよ。皿洗いに掃除、洗濯に飯炊き、外に出てる間にいろいろバイトして、どれも母さんほどじゃないけどできるようになったからさ」

「ありがとう、圭太。すっかり頼もしくなったわね。厚かましいけれど、もうひとつ、お母さんからお願いしてもいいかしら」

「いいよ、母さん。言ってみて」

母さんがゆっくり頷く。痛切な顔をして、続けてこうつぶやいた。

「家に帰ったら、かよ子のこと、また可愛がってあげてちょうだい」

「圭太がいない間、かよ子には……ほとんど甘えさせてあげられなくて、一人きりにすることばかりで」

「お母さんのだめな部分を、たくさん見せてしまったから」

言われるまでもなく、そのつもりだった。独りぼっちで寂しい思いをさせたかよ子には目いっぱい甘えさせてやりたかったし、俺もかよ子に聞かせてやりたい話がたくさんあった。

「もちろんさ、母さん。留守番の付き合いも、ゲームの相手だってしてやるさ」

「かよ子だって、相方がデデデ大王ばっかで飽きてきた頃だろうしな」

俺はもう一度母さんの背中を軽く叩いてから、椅子に深く腰掛け直す。電車が来るまではまだ時間がかかる。食べかけの弁当に蓋をして膝の上へ置いてから、今までの旅を――特に、浅葱へ来る直前までいた、豊縁での出来事を振り返った。

豊縁へ行ったのは、もちろん豊縁の各地を見て回りたいという思いがあったからだ。マッスグマとチルットはここで仲間になってくれたわけだし、灰を噴き出すでっかい火山だとか、木の上に家がある街だとか、海に素潜りして貝を取る女の人だとか、静都じゃ見られないものをたくさん見てきた。有意義、って言葉がピッタリだと思う。

ただ、俺が豊縁を訪れたのは、それだけが理由じゃない。別にもう一つ目的があったからだ。

(父さんと母さんの実家は、豊縁の榁にある。それは俺も知ってる)

(けど、昔何してたのかとか、榁で何があったのかとかは、少しも知らなかった。話してもくれなかった)

(母さんがトレーナーにならなくて、父さんが途中でトレーナーを辞めた理由、それを知りたかった)

一ヶ月ほど前、浅葱から海凪を経由して榁へ乗り込んだ。父さんの実家に挨拶をしてから、そこでまず父さんの話を聞いた。婆ちゃんは包み隠さず全部話してくれて、父さんがトレーナーを辞めた経緯を教えてくれた。

(ポケモンリーグへ挑戦するために死に物狂いで頑張ったけど、及ばなかった……そんなところだった)

(俺みたいにあっちこっちを見て回りたいっていうお気楽なトレーナーじゃなくて、ガチでやるつもりだったんだ、父さんは)

二年間半死半生になりながら全力を尽くして、けれどどうやっても上へ上がれず、そこで心が折れて榁へ帰ってきた。廃人にならずに学業へ復帰できたのは奇跡だ、婆ちゃんは言葉こそ選んでたけど、そんな風に言っていた。

父さんのことは分かった。じゃあ、母さんはどうか。今まで一度しか行ったことのなかった母さんの実家を改めて探して、俺は母さんの方の婆ちゃんに話を聞きに行った。

(母さんはどうしてトレーナーにならずに榁にいたのか、榁に残って何をしてたのか、今榁から遠く離れた若葉にいるのはどうしてか。その辺を全部聞いた)

婆ちゃんは不意に訪れた俺を快く出迎えて、母さんの話を山ほど聞かせてくれた。

(母さんは双子の妹で、細かいところまでそっくりな顔をした姉貴がいた)

(その姉貴が旅に出るって言い出して、自分もトレーナーになりたかったのに、家に残らざるを得なかった)

(母さんには愛佳って親友がいて、ほとんどいつもその子と一緒にいた、そういうことを聞いた)

(そいつと一緒にツイスターって名前のオオスバメを育ててて、ずいぶん強かったらしい)

そして婆ちゃんがさらに一歩踏み込んで細かく聞かせてくれたのは、母さんが中学に通ってるときに所属してた「ポケモン部」って部活のことで。

(母さんはポケモン部に入って大活躍して、二年の春に早々と部長になった)

(全国大会にも何回も出場して、強豪校の一つに数えられるようになった)

(そんな時に……姉貴が殺人を犯して、新聞沙汰になった)

(双子だった母さんにも疑いの目が向けられて、部活を辞めざるを得なくなった)

(挙句の果てに――殺されたのは、母さんの親友の、愛佳の姉貴だって)

(連れてたグラエナをけしかけて、それで相手を死なせてしまって)

(母さんは愛佳と自分から関係を切って、ツイスターも野生に返した。それからはずっと独りだった)

大筋で、こんなところだった。

驚くことばっかりだった。家ではずっとポケモン嫌いで通してたはずの母さんが、中学の頃までは大のポケモン好きだったって言うし、ましてやポケモン部で活躍してただなんて想像もしていなかった。そしてポケモン部での強さと統率力に至っては、話を聞いただけで化け物じみたものだったことが伝わってきた。小山中という狭い「ポケット」に現れた未曾有の「モンスター」、それがかつての母さんだった。

そして輪を掛けて驚かされたのは、母さんに双子の姉貴がいたってことだ。そんな話は一度もしたことがなかったし、想像だってしていなかった。婆ちゃんから聞かされたのが、正真正銘初めてだった。

だけど同時に、母さんが俺やかよ子に向けてその話をしたがらない理由もよく分かった。母さんの姉貴はハッキリ言えば殺人事件の加害者で、しかも被害者は同郷の同級生、おまけに罪が重くなるポケモンを使った殺人っていう、まあ考えられる限り最悪なケースで、進んで話す理由なんてどこにもなかった。俺だって、婆ちゃんから聞かされた日の夜は深く考え込んでしまって、寝つきを悪くしたぐらいだった。

(母さんが俺の旅立ちに反対したのも、若葉からすっ飛んできたのも、全部納得だ)

(どれもこれも、自分の姉貴にそっくりだったんだから)

俺がトレーナーになることを嫌がっていたことも、警察署で顔を合わせるなり「何をしたの」と問い質してきたことも、母さんの境遇を思えば当然のことだった。トレーナーになるって夢も、学生ポケモンリーグで頂点に立つって夢も、身勝手な姉貴一人に叩き潰された。これが母さんの考え方や行動に影響を与えないわけがなかった。

自分が悲しい目に遭った、だから俺やかよ子にはポケモンに関わらないで欲しい。全部が全部同意するわけじゃないし、俺はウインディたちと一緒に旅をして良かったと思ってる、だけど母さんは母さんなりに俺やかよ子のことを思って、心配している。それは間違いなかった。旅をして、世間を見て回って、母さんの過去を紐解いて、俺にもそれが理解できるようになった。

(なんで母さんが榁を出てったのか、そこは婆ちゃんもぼかしてたけど……あの様子じゃ何かあったんだろうな、きっと)

母さんは高校を卒業すると同時に、父さんと二人で駆け落ち同然に榁を飛び出した。そこまでは婆ちゃんも話してくれたけど、出て行った理由まではハッキリしなかった。婆ちゃんのずいぶん喋りにくそうな様子を見る限り、婆ちゃんとの間に何か諍いがあったように見えた。けど婆ちゃんが口にしたがらない以上、俺にそれ以上深く踏み込む資格なんてない。母さんの昔のことが分かっただけでも十分だった。

(母さんには、いろいろ心配かけちまった)

(これからはちょっとでも、母さんを楽にしてあげなきゃな)

若葉までの道程は長い。しっかり腹ごしらえをしておく必要がある。俺は食べかけの弁当の蓋を開けて、帆立の貝柱を一つ口へ放り込んだ。

 

いくつかの電車を乗り継いで、若葉に到着した頃には、お昼をとうに過ぎていた。

「今日は塾もないから、かよ子が家で留守番をしているはずよ。一緒にご飯が食べられるわね」

「しっかし一年半ぶりの家かぁ、ビックリするだろうな、かよ子」

「きっと喜んでくれるわ。今日は圭太とかよ子の好きなものを作らなきゃね」

母さんはだいぶ気持ちが落ち着いたみたいで、いつもより心なしか楽しそうな様子で話している。深く悩んでるよりこっちの方が断然いい顔つきだったから、俺も隣で見ていて嬉しくなった。

駅から出て少しした頃だった。不意に携帯の着信音が鳴る。

「誰かしら? 圭太、少し待ってて」

母さんが素早くバッグからスマホを取り出して、着信に応答した。

「はい、北原です。はい、ええ、今若葉市駅の近くに……えっ」

誰からの電話かは分からないけど、何かあったような感じがする。俺はそれとなく聞き耳を立てて、会話の行方を見守る。

「どういうことですか? かよ子が……?」

「えっ、ええ。昨日は留守にしていて……はい、その時に……」

かよ子、ということは、電話を掛けてきたのは学校の先生だろうか。何があったんだ、俺がそう思っていると、母さんが驚きに目を染めた。

「かよ子が――」

 

「――学校で飼ってるアチャモを、引き取りたい、って……!?」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。