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Stage 8-2: Phase 2

家族の誰よりも早く目覚めた朝。わたしは、小さな冊子を手に取っていた。

(「星のカービィ スーパーデラックス」……)

一ヶ月ほど前、佳織ちゃんが好きなカービィの新しいゲームが出ると知って、お小遣いをはたいてスーパーファミコンと一緒に思い切って買ったものだ。カービィが出てくることもあったし、何より「二人で遊べる」というところに心を惹かれた。新しいシステムを搭載していて、カービィが仲間にした敵キャラクターを操作して一緒に遊ぶことができるというのだ。佳織ちゃんはきっと喜んでくれる、わたしはそう確信した。

わたしが買ったばかりのゲームを見せて、いっしょに遊びたいと言うと、佳織ちゃんは声を上げて喜んで。

「愛佳、ありがとう!」

「これ私も遊んでみたくて、買おうと思ったんだけど、もう売り切れちゃってたんだ」

「それで、愛佳が私と一緒に遊びたくて買った、って言われたら、すごく嬉しくて」

「ふたりでゲームができたらもっと楽しいって、ずっと思ってたんだ」

わたしたちは時間があればこのゲームで遊んで、たくさんの冒険をした。佳織ちゃんがカービィを操作して、わたしはその横でアシストをする。わたしがうまく操作できなくてやられちゃっても、カービィがいればまた呼び出してもらえる。その安心感があったから、わたしは気兼ねすることなく遊ぶことができた。わたしが佳織ちゃんのピンチを救うことも何度かあって、佳織ちゃんが褒めてくれたのを覚えている。

国中の食べ物を奪った大王を懲らしめて、作物を荒らす巨大な鳥を退治して、ライバルとのレース対決を制して、大きな大きな洞窟を探検して、カービィの住む国に反旗を翻した騎士と対決して。数々の戦いの果てに、最後のメインゲームが解放された。

(「銀河にねがいを」)

その名が付けられたメインゲームは、これまでの集大成と言える内容だった。カービィはケンカを始めた太陽と月を仲直りさせるため、どんな願いもひとつだけ叶えてくれるという機械仕掛けの大彗星「ノヴァ」を呼び出す旅に出る。そのためには宇宙に広がる七つの星を巡り、それぞれの星をつながなければならない。

大彗星ノヴァ。夢を叶えてくれる星。星の夢を見る機械。姿かたちはまるで違っていたけれど、その有り様はどこか、豊縁に古くから伝わる星の神――「ジラーチ」を思わせる存在だった。

ジラーチは千年に一度、彗星と共に姿を現すと言われている。七日間だけわたしたちの前に現れ、自分を見つけた少年少女の願いを、夢を、ひとつだけ叶えてくれるという。豊縁の各地で神様として祀られていて、ここ榁の星宮神社も例外ではない。心を司る海の神と、時を司る森の神と共に、夢を司る星の神として祀られている。

(ジラーチが祀られているのは、あの洞窟……石の洞窟に、大昔に彗星が落ちたと言われているから)

かつてお姉ちゃんがクーちゃんと出会った「石の洞窟」には、今も天体の欠片が無数に埋まっていると聞いた。かつて榁に彗星が落ちたからだと先生に言われたのを、今も覚えている。

ジラーチを思わせる星、大彗星ノヴァ。冒険の果てにカービィはそれを呼び出すことに成功するけれど、一連の事件を仕組んだ黒幕が先に願い事をして、カービィの母星へ向けて侵攻を開始する。夢を叶えようと暴走する星を止めるために、カービィと仲間が最後の戦いに挑む――このシチュエーションが好きだった。絶対に負けられない戦いという感じがして、好きだった。

佳織ちゃんとふたりで一緒に世界を救う、そんな夢を見ていられる気がして。

(でも、もう)

湧き上がってきた喪失感に押しつぶされそうになりながら、ベッドで半身を起こしたままぼうっとする。時間の流れさえも曖昧になっていく、そんな中で、それは起きた。

「……電話の音?」

外にある電話が鳴っている。こんな朝早くに誰だろう。わたしはどこか胸騒ぎを覚えて、抑えられなくて、布団を蹴飛ばしてベッドを降りた。近くにある子機を手に取る、受話器をそっと耳元へ当てる。

電話の向こうから聞こえてきた、その声は。

「――愛佳」

「佳織……ちゃん!?」

佳織ちゃんの、声だった。

 

(「放課後、屋上で待っていて」)

佳織ちゃんはただそれだけを告げて、電話を切ってしまった。家族の……お母さんの目を掻い潜って電話を掛けてきたみたいで、息を殺して小さな声で言葉を発していた。今にも消えてしまいそうなか細い声、けれどそれは紛れもなく佳織ちゃんの声で、一週間ぶりに耳にした、佳織ちゃんの声で。

それからどうやって学校へ来たのか分からない。どんな風に授業を受けたのか思い出せない。お昼を食べることなんて忘れてしまった。大きすぎる胸騒ぎに、休むことなく高鳴り続ける鼓動。わたしはすべてを無理やり胸のうちにしまい込んで、ただその時を、放課後を待った。

人ごみに紛れて屋上へ向かう。定位置について、校舎へ戻るドアを視界に入れながら、何かが起こるのを待ち続ける。

本当に佳織ちゃんは来るのだろうか。佳織ちゃんに対する疑問ではなく、わたしに対する疑問。わたしが電話を取ったのは、現実だったのだろうか。都合のいい夢を見ていて、本当は電話なんて掛かってきてなくて、わたしが一人芝居をしているだけじゃないのか。そんな不安が、時間を経るごとに膨らんでいく。佳織ちゃんを信じる思いと、自分への猜疑心の狭間で、ただ苦しむ。それでもわたしは、待ち続けた。

(佳織ちゃん)

(……佳織ちゃん)

その名をどれだけ呼んだだろうか。その名をどれだけ求めただろうか。

伸びて、伸びて、何倍にも感じられる時間の中で、永劫とも思える時間の果てに、それは起きた。

「……佳織ちゃん!」

佳織ちゃんが、ドアを開けて、姿を現した。

制服姿の佳織ちゃんが、そこには立っていた。他の誰でもない、紛れもなく佳織ちゃんその人で。夢じゃない、現実の確かな光景として、わたしの目の前にいて。佳織ちゃんは目を伏せたまま、わたしのすぐ側まで歩み寄る。わたしは鼓動が限界まで早くなって、口から今にも飛び出しそうになっている心臓を抑えながら、佳織ちゃんを待ち受けた。

わたしの前に立った佳織ちゃんが、重々しく、伏せていた顔を上げる。

その目は真っ赤になっていて、泣き腫らした痕が生々しく、痛々しいほどに、あからさまになっていて。

「佳織ちゃん……」

名前を呼ぶ。佳織ちゃんはわたしから片時も目を離さずに、溢れ出る気持ちを抑えつけるように、きゅっと唇を真一文字に結んでいる。わたしはもう一歩前に歩み出た。佳織ちゃんに近付きたくて、今にも切れてしまいそうな縁という糸をもう一度結びたくて。

もう一度、佳織ちゃんと一緒にいられるようになりたくて。

「佳織ちゃん、聞いて」

「お姉ちゃんが死んだのは悲しいよ。すごく悲しい。今でもまだ、わたしの中で整理できてない」

「気持ちが落ち着くまで、まだ時間が必要だって思う」

「でも! わたしは佳織ちゃんが好き、佳織ちゃんと一緒にいる時間が好き……好きだよ!」

「だから、佳織ちゃん。佳織ちゃん……」

「これからも、わたしと――」

いっしょにいようよ、その言葉を言い終える前に。

「……それは、できない」

「私には、もう、その資格がないから」

佳織ちゃんは、首を横に振った。

「私は、愛佳を苦しめたくない」

感情を徹底的に押し殺して、それでもなお滲み出る悔恨の念。わたしは佳織ちゃんとの間にできた底なしの溝を、天辺の見えない壁を、まざまざと実感してしまう。共にありたいと、どちらも思っているのに、ずっと大きな得体の知れない影が、わたしたちが手を取り合うことを阻んでいる、拒んでいる。

佳織ちゃんの右手には、古びて傷だらけになったモンスターボールがあった。わたしがそれに気づくと同時に、佳織ちゃんが手の力を抜いて、モンスターボールをコンクリートの床へ落とす。

光と共に、中からツイスターが飛び出してきた。悲しげな顔をしている、一目で分かってしまった。佳織ちゃんと二人でこの八日間、どれだけの辛さ苦しさを分かち合って来たのだろう。こんなにも悲愴な顔つきをしているツイスターの姿を見るのは、初めてのことで。

「私はもう戦えない」

「私の姉が――天野佐織が、ポケモンを人に嗾けてしまった」

「その刃が向けられた相手は、他の誰でもない、愛佳のお姉さんの、真帆さんで」

「挙句の果てに、真帆さんを……死なせてしまった」

「愛佳から、大切なお姉さんを、奪ってしまった」

切々と語る佳織ちゃんに、わたしは何も言えない。何の言葉も発せられない。

「ポケモンを使った人殺しの妹が、そのままポケモンと共にいられるほど、この世界は甘くない」

「私と姉は疑う余地なく血がつながっていて、姿も顔も瓜二つで、そして姉は、方々で顔を知られてしまった」

「私はもうこれ以上、ポケモンと共にあることはできない」

「かごの中で、姉は私を笑っているはず」

「ずっと妬んでいた、憎んでいた私から、榁から飛び立つための翼を奪えたのだから」

佳織ちゃんがツイスターを一瞥して、ツイスターが佳織ちゃんに視線を投げかける。言葉なんて必要ない、二人は強い絆で結ばれている。

つながりを断ち切らねばならないこの時に、つながりの強靭さを確認することほど、痛切なことはなかった。

「愛佳の悪夢を必ず止める、私はそう約束した」

「けれど、私の翼はもがれた。もう、約束を守ることはできなくなった」

「私はこれから先、二度とポケモンに関わらない。あの人のような、悲しい事件を起こすようなことはしない」

「その証明のために、私はここで、全部終わりにする」

夢の終わり。すべての終わり。

佳織ちゃんの「終わり」という言葉が、幾重にも残響して、頭の中を縦横無尽に響き渡って。

「愛佳。愛佳は前に、自分にはポケモンの、ラルトスの血が流れていると言っていた」

「私は思った。あの悪夢は、愛佳がポケモンとして人に捕まえられて、閉じ込められてるものだって」

「それを、私が終わらせる」

「自分は自由だ、どこにも閉じ込められてなんかいない、所詮夢は夢に過ぎないんだと、そう思ってもらうために」

「愛佳に勇気を与えるために、愛佳の悪夢を終わらせるために」

地面に転がるもの。赤と白の、見慣れた球体。佳織ちゃんが、それに目を向けて。

まっすぐに、見据えて。

「跡形もなく壊す」

「人がポケモンを縛り付けるためのものを」

「ポケモンを閉じ込めるもっとも窮屈なものを」

「あらゆる自由を奪う『かご』を」

そして――

「……私自身で!」

――そして。

 

佳織ちゃんは、ツイスターに紐付けられたモンスターボールを。

その足で、粉々に、踏み砕いた。

 

「……これで、自由になった」

「愛佳も、ツイスターも」

「あなたたちを縛るものは、何もなくなった」

跡形もなく粉砕されたモンスターボールから足を退けて、佳織ちゃんは乾ききった声で呟いた。ツイスターが隣で声を上げて、悲しげな声を上げて、佳織ちゃんに呼びかける。

佳織ちゃんがその場に屈み込んで、ツイスターを強く抱き締める。ピンと立った尾羽を、すらりとした身体を、小さな頭を、慈しむように、別れを惜しむように撫でていく。

ツイスターの目からは、大粒の涙が、いくつもいくつも、止めどなく零れて、流れ落ちていた。

「……私といっしょにいると、あなたは不幸になっちゃう。だから、私とは別の道を歩んで」

「ツイスターはもう、一人でも立派に生きていけるよ。傷付いて、怯えてた、あの頃とは違う」

「強くなったね、ツイスター。すごく、強くなった。誰にも負けない、強いオオスバメになれたね」

「あなたと一緒にいられて、私は、幸せだった」

「だから」

「だから、外へ出て、自分の生き方を見つけて」

佳織ちゃんがツイスターと目を合わせる。ツイスターが佳織ちゃんと目を合わせる。

「あなたは、かごの外へ」

「私は――かごの中で」

ツイスターを、強く、強く抱き締めてから、佳織ちゃんが手を離した。ツイスターは最後まで決して目を離さずに、佳織ちゃんが離れていくのを見つめつづけた。

羽ばたく。風が巻き起こる。身体が浮かび上がる。風を掴む。空高く飛び上がると、一際大きな声で鳴いてから、泣いてから、ツイスターは、遠くの空へと消えていった。

ツイスターの、彼女の、最後の言葉は。

(「カオリちゃん、ありがとう」)

(「……さようなら。さようなら」)

――感謝と、別れの挨拶だった。

「愛佳」

「どうか――ひとりの人として、自由に、精いっぱい生きて」

「それが、私からの、最後のお願いだから」

「さようなら、愛佳」

ツイスターと別れた佳織ちゃんは、最後にそう言い残して、屋上から去ってゆく。

あとにはただ、跡形もなく踏み砕かれたモンスターボールが、わたしの足元に残るばかりで。

 

他にはもう何も、残されていなかった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。