二時間目の国語。あたしはぼーっとしたまま、先生の話を聞いてるのか聞いてないのか、自分でもよく分かんなかった。よく分かんないし、多分ろくすっぽ頭に入ってないだろう。そうは言っても、お腹空いたし眠いし、やる気なんて出るわけない。出るのは欠伸ばっかりだ。
とまあ、あたしは欠伸止まりで一応起きてはいたわけだけど、お隣に目を向けると。
(あー……また寝てるよ、ネネ)
ネネは欠伸なんて可愛いもんじゃなくて、机に突っ伏してフツーにすやすや眠っていた。教科書を前に立ててごまかすとかそういうこともしなくて、堂々と寝てる。目をしっかり閉じて、定期的に体が浮いたり沈んだり。これを寝ていると言わずしてなんというのか。あたしには分かんない。
こうやって何にも気にせず授業中に寝てるネネだけど、周りの子も先生も、特に気にしてる様子なんてない。ネネが新聞配達をしていて朝から走り回ってるのは、割とみんな知ってることなのだ。ゆみは知らなかったけど、そもそもゆみはあたしと他に何人かとしか話さないから、単純に伝わってなかっただけだと思う。こんなことは、一度や二度じゃないってのは確かだ。
まあ、朝から自転車乗ってあっちこっち走ってたら、そりゃ疲れるだろう。しかもこれが毎日なんだから、正直よくやるよって思う。つくづく思うけど、あたしには絶対無理だ。朝弱いし。
(ネネが寝てると、大体あたしに回ってくるんだよね)
ほとんどの先生も、ネネがバイトをしていることは知ってるみたいだった。ネネが寝ていても特に注意しなくて、大体の場合は次の席の子を当てて、ネネの代わりに問題を解かせたり本を読ませたりする。
その「次の席の子」というのが、大体あたしだったりするわけだけど。
ネネと仲がいいというか、いつも一緒にいるからだと思うけど、先生の間じゃあたしがネネのサブ保護者的な扱いになってるみたいだった。言うなれば、ちょっと手の掛かる子の面倒を見てくれる聞き分けのいい子、そういうポジションだ。ネネの場合は、手が掛かるとはまた少し方向性が違うわけだけど。
だからだろう、クラスは二年連続でネネと同じだったし、座席も大体ネネの隣にされる。席替えを先生が全部やるこの学校ならではの采配だ。おかげでネネが寝ていてもあたしが答えればいいってわけだから、先生としてはやりやすいはず。まあ、ネネの番になる度にいちいち進行がストップしてたら、テンポだって悪いだろう。
(けど……あれだ。中学生でバイトするとか、普通絶対アウトだよね)
先生もよくネネのバイトを許可したなぁって思うし、授業中に寝てるのをスルーできるなぁって思う。よっぽどのことがない限り、どっちも普通にアウトになるはずだし。やっぱり凛さんも入れて話したりしたんだろうか。
ああ、多分そうだ。ネネは時々担任の先生と話してることがあって、それはあたしを含めた他の子と比べてもずっと多い。前にチラッと聞いた時の感じだと、まだ二年生なのに「高校」とか「就職」とかそういう単語が出てきてたっけ。たぶん、卒業したあとの進路の話だと思う。
(なんかネネ、中学卒業したら働くとか言ってたっけ)
前に凛さんと一緒になった時、ネネがさりげなく「卒業したらスーパーで働く」とか言ってた記憶がある。高校には行かないのって聞いたら「行かない」って返されたはずだ。あと、西の外れにあるシルフカンパニーの工場も就職先として挙がったらしいけど、それはネネが「モンスターボールを作るのはいや」って断ったそうだ。本人が言っていたからまあ間違いない。ただ、なんで嫌なのかは分かんなかったし、聞いても教えてくれなかったけど。
あたしは中学を出たらたぶん紫苑市のどっかの高校に進学すると思うけど、ネネが働きだしたらさすがに会う機会は減りそうだ。ネネも高校行ったらいいのにって思ったけど、きっとあれだ、お金が足りないんだろう。それはしょうがない。中学校と高校は義務教育じゃなくて、通いたい人がお金を払って通う場所だ。中学校は家庭環境次第で入学金と学費の免除が認められるけど、高校にはそういう制度は無い。今でさえ新聞配達をしてるくらいだ、家計がカツカツなのは想像が付く。
(だから新聞配達するのは分かるけど、けど寝るにしては堂々としすぎっていうか)
こんな風にバイトでお金を得る代償として授業中ちょくちょく寝るから、もちろんネネの成績は概ね低空飛行だ。音楽と体育だけ並で、後は大体「もっとがんばりましょう」的な感じだって言ってた。授業中寝た分、結局後から勉強しなきゃいけないわけだから、元々バイトや家事で時間の少ないネネが勉強不足になるのも道理だ。自分でもやってるみたいだけど、分かんないときは凛さんに聞いたり、あたしに聞いたりしてくる。そうやって、ネネなりにフォローはしている。
あたしも、成績いい方とは言えないけど。
(……それにしても、なんかヤな感じの話だなー、これ。やるのもうちょい先だけど)
今受けている国語の授業では、一つのお話を大体五回から六回に分けて勉強することになっている。あたしは図書室に通ってるくらいだから本を読むのが好きで、それは国語の教科書でも同じだ。国語の教科書にはいろいろな話の断片が載ってるから、ちょこちょこ読んでみると結構面白かったりする。この時だけは、朝のゆみの気持ちが分かる気がした。
で、あたしは授業を受けるふりをして、今やってるちょっと退屈な話のところに中指を挟んでおきながら、後でやることになる話を暇つぶしに読んでいたりする。これが結構楽しいし、割と予習にもなるから、一石二鳥ってやつなのだ。
けど、この後に載ってる話って言うのが率直に言ってかなり後味の悪い話で、授業でやるのがやだなー、なんて感想を抱いてしまう内容だった。
(『そうか、そうか。つまりきみはそんなやつなんだな。』……これきっついなー、ホントきつい)
あらすじはこんな具合だ。主人公はチョウチョとかの標本を集めていて、隣の家に住んでるちょっと嫌味な男の子がものすごく珍しいガ――本によると「クジャクヤママユ」とかいう珍妙な名前のガを手に入れたと聞く。主人公はクジャクヤママユの標本を見せてもらおうと男の子の家へ行くわけだけど、男の子はあいにく留守にしていた。男の子の部屋に入ってみると、そのクジャクヤママユの標本が置かれてるじゃないか。
今なら手に入る、自分のものになる。主人公はそう思ってクジャクヤママユの標本を盗んじゃうわけだけど、嬉しかったのもつかの間、手違いでそれを壊して台無しにしてしまう。壊したものを直せるはずもなくて、もう二度と元には戻らない。どうしようもなくて隠していたけれど、お母さんに相談すると「ちゃんと謝りなさい」と諭される。仕方ないので男の子にわけを話すと……さっきの台詞を言われて、主人公は正論を前に為す術なく叩きのめされるという落ちだ。
(そりゃあ、欲しいって気持ちも分かんないわけじゃないけど……けど、後先考えて無さすぎでしょ)
目の前に欲しいものがあって、それを盗んでも誰も分からない――なんて状況に置かれれば、盗んじゃえって気持ちが出てくるのも理解できないことじゃない。とは言え理解と共感は別で、あたしはこの主人公のやらかしたことにはちっとも共感できない。盗んだ挙句取り返しの付かない状態にするとか、まあ最低だって罵られても文句は言えまい。
あたしだって欲しいものはたくさんある。いっぱいある。それでも、人様のものを盗むようなことはしない。いくらなんでも、そこまでクズじゃない。
(さて、そろそろ元のページに戻っておきますか)
そろそろ演習問題が始まる。あたしは中指を栞代わりに挟んでおいた本来のページを開いて、授業を受けるモードに戻った。
「あ、またいなくなってる」
待ちに待ったお昼休み。カバンからお弁当箱を引きずり出して机の上へ置いたあたしが隣を見ると、さっきまでいたはずのネネの姿が忽然と消え失せていた。と言っても、別に行方不明になったとかそういうのじゃない。これはいつものこと、毎日見かける光景。
ネネはお昼ご飯の時間になると教室から出て行って、どこへともなく姿を眩ましてしまうのだった。
(購買に何か買いに行ってるわけじゃないみたいだし……マジでどこ行ってんだろ)
前に見たちらっと見たときは、お弁当箱っぽいものを持ってたような気がする。だから多分、購買で何か買って来てるってわけでもないだろう。大方、外でお弁当を食べるのが好きだからそうしてるだけだと思う。
思うんだけども。
(ていうか、ネネもしかして一人でご飯食べてたりする……?)
そもそも、ネネが誰かと一緒にお昼ご飯を食べているのを見た記憶がない。いつもネネと一緒にいると思われてるあたしも例外じゃなかった。あたしはだいたいゆみかケイ、どっちもいなかったらまた別の友達と食べるから、一人になるなんてことはまず無い。一人で食べてたりしたら、友達いない子だって思われそうだし。けど、マイペースなネネなら、一人で食べててもおかしくないかも知れない。
(昔なんかのマンガで、お弁当に変な物持ってきてるから他の子に見られたくなくて、お弁当箱を隠しながら食べる……みたいな話が載ってた気がするけど、そういうのだったりするのかな)
あんまり見栄えが良くないとかで、お弁当を見られたくないって思う人はいるかも知れない。あたしももしお弁当が変だったら、隠して食べたり人に隠れて食べたりとかは、もしかしたらするかもって思う。
まあ――ネネに限っては、そんなことちっとも気にしなさそうにしか見えないけど。
「今日も知代ちゃんイラついてるっぽいね。なんかカリカリしてる」
「アレでしょアレアレ、ジュニアリーグの地区予選があるからとかじゃない?」
「やっぱそれかなー。いっつも妹がどうこうっていってるやつだよね」
「そうそう。知代がイラついてるときの原因大体それだから。妹ばっかり可愛がってるってよく言ってるし」
「はぁーあ。怒ってるときリンクにメッセ連打してくるの、どうにかなんないのかな。ちゃんみおのとこにも来るでしょアレ」
「来る来る来る。けど無理だよー。だって元々ああいう性格だし、簡単には治んないって」
あたしもお弁当食べるかなー、お腹空いたし。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。