八月十日。
お母さんが「家のお掃除をするから」ってことで、夕方頃まで出かけてほしいと言ってきた。しょうがないから言う通りにして、いつも行ってる図書館まで足を運んだ。席を確保してから適当に手に取ったのが「ゼロの使い魔」で、巻数も結構揃ってたから都合もよかったってわけで、お昼頃から夕方までひたすら読んで時間を潰した。
内容は、時間を忘れて読んでたからきっと面白かったはずなんだけど、あたしの今の心境が心境だけに、いまいちどんな感じだったか思い出せない。心ここにあらずで、適当にページをめくってたせいだと思う。
「アレだなぁ……あたしも異世界に召喚されて、この世界から消えたりできないかなあ」
そんなことあるわけもなくて、閉館時間になったので家へ帰ることにした。空は青と橙の中間色って感じで、夕方になってきているのが分かる。そろそろ掃除も終わった頃だろう。あたしの部屋もかれこれ半年近く全然手を入れていない。片付けなきゃと思いつつ、その前に頭の中を整理した方がいいんじゃないかとも思う。
鍵を開けて中へ入ると、家の中の様子がいつもと違うことに気づいた。何か変というより、そわそわする雰囲気って言った方がいいのか。よく分かんないけど、料理の匂いも漂ってくる。一体どういうことだろう、とにかくリビングまで歩いていく。
「えっ、これ……何これ、色々並んでるけど……」
鶏手羽先のロースト、白アスパラガス入りのグリーンサラダ、エビの入ったグラタン、フライドポテト……ずいぶん前に食べたいって言ってた、マッハピザのツナコーンピザもある。普通じゃ考えられないくらいのごちそうが並んでて、あたしはただただ戸惑うばかり。
これはなんだ、なんだこれは。きょろきょろしながらその場に立ち尽くしていると、お母さんが台所から姿を表す。
「えっ、お母さん、これ……」
「あら、とぼけちゃって。今日は八月十日、サッちゃんの誕生日でしょう」
「――あっ、八月、十日……」
「こんな日に限って、お父さんが出張なのは残念ね。けれど、ほら。ケーキを買っておいてくれたのよ。今日届いたわ」
そう、今日は八月十日。あたしの誕生日だ。
あの事件以来気が沈みっぱなしで、誕生日のことなんてすっかり忘れていた。頭の片隅にも上らなかったくらいだ。けどお母さんの言う通り、八月十日は確かに誕生日だ。あたしが言うんだから間違いない。
(……誕生日とか、祝える気持ちじゃないんだけどな、正直)
むしろ自分なんてクズが生まれてしまったことを呪う毎日だったから、なおさらそう思うわけで。
「ちょっと早いけど、冷めないうちに食べましょ。サッちゃんの好きなもの、いっぱい作ったの。食べたいって言ってたピザも取ったのよ」
後ろめたい気持ちになりながら、お母さんに促されて席へ付く。
向かい合う形で座ったお母さんは、自分の分とあたしの分の二つのグラスへ封を切ったばかりのグレープジュースを注いで、あたしに勧めてくる。あたしが少し躊躇いがちにグラスを取ると、お母さんが微笑むのが見えた。
「そうそう。誕生日といえば、これは欠かせないわね」
お母さんはそう言って、側に置いてあった紙袋を持ち上げる。
「ほらほら、見てちょうだい。ちゃんとプレゼントも用意してるのよ」
「プレゼント……?」
「そう。サッちゃんが欲しいって言ってたものよ」
「あたしが欲しいって言った、もの……」
「ビックリしたでしょう? けど、お母さんだってちゃんと約束は守るわ」
サッちゃんが欲しいって言ってたもの――そう言われた瞬間、頭の上から氷水をぶっ掛けられたような気がした。
まさか、まさか、まさか、そんな。そんなバカな。そんな、バカな。
「お母さんだけじゃ難しかったけれど、この間ちょうど榛名ちゃんがミアレにいるって聞いたから」
「榛名ちゃんに連絡して、頼まれてほしいことがあるってお願いしたの」
嘘だ、嘘だ。
ミアレって、榛名に頼んだって、それって、それって――。
「けど、不思議なことあるものね。お母さんがお願いしたら『もう見つけてあるんです』なんて言われちゃって」
「サッちゃんが欲しがってるってこと、榛名ちゃんも知ってたみたいなの。ほんと、どうして分かったのかしらねえ」
お母さんが紙袋の中から取り出すだろうと思ったものと、実際にお母さんが紙袋の中から取り出したものは、驚くほどピタリと一致していた。
赤と白の、モンスターボールだった。
「さあ、サッちゃん。中を覗いてみてちょうだい。きっと喜んでもらえるわ」
「これからはこの子と一緒よ。大切にして、可愛がってあげてね」
言われるがまま、ボールの中を覗き込む。
ボールの中にいたポケモンと視線が交錯して、その姿が露になって。
紫色の丸い瞳が、あたしの目を、じっと見つめていた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。