「シズ姉ちゃん、聞いて聞いて! マッシュが『キノコのほうし』を覚えたんだ!」
「本当!? やったね! どんな相手もたちどころに眠っちゃうから、きっと心強い切り札になるよ」
「そうだよね。最近パパがよく眠れないみたいだから、これ使ってあげようかなあ」
「わ、ダメダメ、人に使っちゃいけないよ。体からキノコが生えてきちゃうかも知れないからね」
「うわあっ、それやだっ、ボク絶対使わないっ!」
「約束だよ。お父さんが眠れないみたいだったら、肩を叩いてあげたり、マッサージしたりしてあげるといいよ。体は一つしかないから、労ってあげてね」
「じゃあ、そうしようっと」
小中学校が夏休みに入ってまだ日の浅い、ある日のお昼のことだった。シズはヒワダジムにて、妹のシズと共にトレーナーたちの監督をしていた。ツクシがジムリーダーの定例会合で出掛けていたために、二人がトレーナーたちの面倒を見ることとなっていた。ヒワダジムのトレーナーはほとんどが子供、それも幼稚園児から小学生までの幼い子供が大半を占めており、ジム内は活気に溢れていた。
「このクルミルちゃん、かわいい着こなしだね。今着てる服、クルミルちゃんが自分で作ったの?」
「うん。でもね、ミルク、ちょっと作るの大変そうにしてたから、おてつだいしてあげたの」
「そうなんだ、えらいね! ミルクちゃん、将来はもっとお洒落さんになるよ。そうそう、サツキちゃんもね。この服、かわいいね。ミルクちゃんは、きっと親に似たんだよ」
「えへへ、ありがとう」
「お洒落かあ……わたしも、もっと気を遣わなきゃいけないなあ……」
「そうかな? シズお姉ちゃんは、今のシズお姉ちゃんのままのほうがいいよ」
「あはは、褒め言葉として受け取っておくよ」
シズは一所に留まらず、方々のトレーナーに声を掛けて回っていた。話すことは大抵他愛ない世間話ばかりで、特段中身のあることではなかったが、トレーナーは皆シズが話しかけてくれるのを楽しみにしているようだった。シズもそれを理解していたので、ジムにいる間は休むこと無く見回りを続けるのが通例だった。
一方、ジム内にはもう一人、見回りをする影が。
「そうじゃないそうじゃない! 指示を出す時は、ポケモンの目をしっかり見る!」
「えっと……コンちゃん、ねんりきだよ」
「それじゃダメだって! もっとお腹に力を入れて、しっかり声を出す! そんなんじゃトレーナー失格よ!」
シズによく似た背格好ながら、穏やかに微笑む彼女とは対照的な強い言葉が口を突いてポンポン飛び出しているのは、ご存知の通りスズだった。スズから指導を受けている少女は些か戸惑いつつ、「コンちゃん」と呼ばれたコンパンに指示を出している。しかしその指示から今ひとつ覇気が感じられないためか、スズは直立不動のまま、さらに強い口調で少女を指導した。
「何回も言ってるじゃない。相手を容赦せずに徹底的に叩き潰すつもりで行かないと、戦いなんて絶対勝てないのよ。聞いてるふりして、全然分かってないでしょ? 本当にダメね」
「…………」
「バトルはね、トレーナーが本気にならなきゃ、ポケモンは強くならないの! 分かってる?!」
「そうだけど、わたし……」
「分かってるんならすぐに実践する! また見にくるから、その時はちゃんとやりなさいよ!」
厳しい口調でスズに命じられた少女はすっかり肩を落として、大きなため息を吐いた。主の姿を不憫に思ったのか、コンちゃんが心配そうな目を向ける。両腕で大きなコンちゃんを抱いた少女が、途方に暮れていた。
「どうしたの? ミズキちゃん、何かあったのかな」
元気をなくしている少女――ミズキの姿を見掛けたシズがパタパタと駆け寄っていく。屈み込んでミズキと目の高さを合わせると、優しい口調で問い掛けた。
「あ……シズお姉ちゃん。さっきね、スズお姉ちゃんが来て、それで……」
「……もしかして、何かきついこと言われちゃった?」
「……うん」
「そっか……スズ、言い方がちょっと強いから。でもね、それはミズキちゃんのことを嫌いになったとかじゃないよ。スズは熱心だから、ミズキちゃんのことを思って……」
「でも、違うんだもん」
「違う?」
「わたし、別にコンちゃんを強く――」
シズがミズキから事情を聞いていた最中、ジム内で事件は起きた。
「ひどい……どうして、どうしてこんなことするの!?」
「違うよ! わざとじゃない! わざとじゃないって!」
「ケンジくんのウソつき! 絶対ウソだもん!」
「ウソじゃないよ! どうしてウソだなんて言うんだよ!」
男の子と女の子が言い争っている……いや、女の子が男の子に抗議しているといった方が正しかった。周囲で練習や談笑に興じていた他のトレーナーたちが、続々と一所に集まっていく。シズは室内の空気が一変した事に気付き、ミズキに「ちょっと様子を見てくるね」と言い残し、直ちに現場へ急行した。
到着したシズが目撃したのは、思いの外厄介な光景だった。
「サッちゃんのミルクが糸を欲しがってるみたいだったから、それで……」
「ウソばっかり! まっすぐわたしに飛んできたの、わたし見たもん!」
先程シズが会話したサツキという少女の衣服に、無数の白い糸が絡みついていた。相対するケンジの足元には、おろおろと困惑した表情を浮かべているキャタピーがいた。ほぼ間違いなく、このキャタピーが吐き出した糸が少女に絡まってしまったのだろう。服を台無しにされたサツキが、半泣きになりながらケンジに怒りをぶつけている。
「待って、待って。サツキちゃん、ケンジ君、何があったの? わたしに……」
「ケンジくんがわたしの服にいたずらしたの!」
「してないよ! ぼくはわざといたずらしたりなんかしないって! なんでぼくが悪いことになるの!?」
これはまずいと、駆け付けたシズが仲裁に入る。だが、サツキもケンジもすっかり頭に血が昇ってしまっていて、シズに「相手が悪い」「自分は悪くない」と主張するばかりだった。これでは話し合いの余地など無い。
「二人とも、お願いだから、ちょっと、落ち着いて……!」
「ケンジくんのいじわる! だいっきらい!」
「ぼくだってサッちゃんなんて嫌いだ! 絶対わざとじゃないって言ってるのに!」
ケンジは間に立ったシズを押し退けると、糸まみれになっているサツキの首根っこを、怒りに任せて掴みかかった。
「うっ……うわあぁぁああん……! ケンジくんが、ケンジくんがいじめたぁー……!」
「だから、ぼくは悪くないって言ってるんだ!」
乱暴に掴まれたサツキは、ついに我慢の限界に達したのか、堰を切ったように泣き始めた。サツキに泣かれたためにケンジはさらに逆上し、サツキを前後に揺さぶり、しきりに「ぼくは悪くない」と繰り返す。こうなってしまってはもうどうしようもない。
(どうしよう、どうしよう……どうしてあげれば、サツキちゃんとケンジ君の二人を……!)
この状況をどうすればいいのか分からず、シズは困惑した表情のまま手を拱いていたが――その後ろから、つかつかと歩み寄ってくる影があった。
そして。
「やめなさい!」
「うわっ!?」
シズの後ろから現れたスズは、ケンジとサツキの間に割って入ると、すぐさま力づくで二人を引き剥がした。ケンジは突然の出来事に対応できず、素っ頓狂な声を上げた。
「つまんないことでケンカしない! 人に技を掛けないって、もう何回も言ってるじゃない! 一回でちゃんと聞いときなさいよ!」
スズはケンジにぎろりと鋭い目を向けると、人間に技を使うなと注意しただろうとケンジを強く諭した。ケンジは目線を落として、しかし時折スズの目をちらちらと伺いながら、はっきりしない態度を見せていた。
「バカ! どうして言われた通りにできないのよ! 人に技を掛けたらどうなるかくらい、ちょっと考えたら分かることでしょ!」
「だけど……」
「だけどじゃない!!」
バシッ、という乾いた音が、辺り一帯に響き渡った。スズに反論しようとしたケンジを、スズがすかさず引っ叩いたのだ。スズが勢いよく右手を振り抜くと、ケンジはもんどりうってその場に倒れこんだ。一閃されたケンジの頬は、赤々とした痛々しい色になっていた。
「ひっく……ひっ……」
「そっちも! いつまでもベソかいてないで、さっさと顔を洗ってきなさい!」
泣いていたサツキに対しても、スズはまったく容赦しなかった。サツキは泣き止むどころか却って一層深刻な泣き方になってしまい、周囲のトレーナーたちもどう接すればいいのか分からない状況に陥っていた。
文字通り手も足も出ない状況に立たされていたのは、トレーナーたちだけではなかった。彼らを監督していたシズも、呆然としたまま何一つリアクションが取れずにいた。頭の中が完全に真っ白になっていた。そんなシズの様子を目にしたスズは、姉のすぐ側まで歩み寄る。
「まったく。甘やかしてたら、ろくなことにならないんだから」
「トレーナーを厳しく指導できないジムリーダーなんて、ありえないわ」
「今からこんなんじゃ先が思いやられるわ。潰れちゃうのも時間の問題ね」
これ見よがしに辛辣な言葉を立て続けに吐いたスズに、シズが驚愕の目を向ける。スズは「不甲斐ない」とばかりに姉から冷たく目線を逸らすと、気まずい状況が続いたために言葉を失ったままその場に立ち尽くしているトレーナー一同に向けて、大きな声を張り上げた。
「ほら! ぼさっとしてないで、さっさと練習に戻る!」
一喝するかの如きスズの声を受けたトレーナーたちは、一目散にその場を後にして、めいめい活動を再開した。スズは各人が練習に戻った様子を見てそこそこ満足げに頷いていたが、ジムの雰囲気はサツキとケンジがケンカを始める前と比べて、確実に硬直的なものに変質していた。談笑する声はまったくと言ってよいほど無く、時折トレーナーが各々のパートナーに指示を出す声が響く程度だった。
その場に残されたシズは、顔面蒼白のまましばし佇んでいたが、自分の側からケンジとサツキが離れずにいることに気がついた。自分がフォローをしなければ。シズはどうにか気持ちを切り替え、二人に声を掛ける。
「うぐっ……! ひっく……」
「ほら、サツキちゃん。このままだとお家に帰れないから、一緒に事務室まで来て、ね?」
「…………」
「ケンジくんも。辛かったら、今日は早めに帰って、明日また来てくれればいいよ。リーダーにはわたしが伝えておくから、心配しないで。大丈夫だから」
ケンジはシズの言葉を聞き終えるや否や、キャタピーをモンスターボールへ戻し、返事一つせず横をすり抜けてエントランスから外へ出て行ってしまった。全身から悔しさが滲み出ていて、到底納得しているようには見えなかった。シズは乱暴に閉められたドアを見ながら、胸がシクシクと痛むのを感じていた。
帰ってしまったケンジは仕方ない。残るサツキをケアしてあげなければ。糸が絡まったままのサツキの手をゆっくり引いて、シズが事務室まで連れていく。
「おねぇ、ちゃん……ふく、よごれ、ちゃっ……ひっく……」
「うん、うん。大丈夫、大丈夫。わたしが必ず綺麗にしてあげるから、心配しないで」
「だいじな、だいじなっ……!」
「お気に入りのお洋服だったんだね。辛いよね、悲しいよね」
「おねえちゃっ……おねえちゃん……!」
「ごめんね、もっと早く気づいてあげられれば良かったんだけど、わたしが、わたしが遅れちゃったから、あんなことに……サツキちゃん、ごめんね。本当にごめんね」
サツキの服はシズの想像以上に大変なことになっていた。キャタピーの糸は強い粘性で、一度絡みついてしまうとそう易々と拭い取れるものではない。これは専用の洗剤を使う必要がある、シズは直ちにそう判断した。
「サツキちゃん、手伝ってあげるから、お洋服脱いでもらえるかな?」
「う、ん……」
シズがサツキを手伝って服を脱がせてやる。糸はサツキの髪や腕にまで絡みついていたので、彼女の体を洗ってやる必要もあった。サツキを奥にあるシャワールームまで連れていくと、シズが同伴してサツキの全身を洗ってやった。シャワーを使って髪を洗い、腕を拭き、顔を綺麗にしたところで、サツキはどうにか落ち着きを取り戻したようだ。シズはドライヤーを使って髪を乾かすところまで済ませ、サツキに服の処遇について告げた。
「お洋服、わたしが預かって綺麗にするよ。家だと洗えないかもしれないし、クリーニングに出してもダメって言われちゃうと思うから、わたしが洗うね」
「……きれいになる?」
「必ず綺麗にする。約束だよ。心配しないで」
「……わかった」
「ありがとう、サツキちゃん」
服はシズが一旦手元に預かることになった。これは後で念入りに洗うとして、差し当たっての問題はサツキの着る服が無いことだった。
「このままだと着て帰る服が無いから、わたしのお古で悪いけど、服、持ってくるね。ちょっと待ってて」
シズは暫し思案した末、自分が使っていたお古の服をサツキに着せることにした。シズがサツキの年齢だった頃のことを思い返し、サイズは恐らく合うはずだと判断した。シズはサツキが風邪を引かないようにバスタオルを巻いてやると、すぐさま自宅へ急行した。
自室のクローゼットに収納していた古い衣類を一揃い取り出すと、すぐさまジムへとって返して事務室へ駆け込む。サツキに服を渡すと、サツキは素直に服に袖を通した。少しサイズが小さいようだが、サツキが家まで着て帰る分には問題なさそうだった。
「大丈夫? 着られた?」
「……うん」
「よしよし。ちょっとサイズ小さいけど、少しの間だから、我慢してね。これからお家まで送っていくよ」
いきなり出掛けたときと違う服を着て帰れば、親が何事かと驚くに違いない。自分が事情を説明せねば、そう考えたシズは、サツキを家まで送っていくと請け合った。サツキは身支度を済ませ、シズと共に裏口から外へ出る。
サツキの自宅は歩いて二十分ほどのところにあった。シズが門の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
「はーい、どちら様……あら、シズちゃん?」
「お忙しいところすみません。ヒワダジムでサブリーダーをしています、シズです」
応対に出たのはサツキの母親だった。シズは恭しく頭を下げ、畏まった口調で自分の名前を名乗った。
「いえいえ、こちらこそ。ところで、どうされたんです? わざわざうちまで来ていただくなんて……もしかして、サツキのことで?」
「はい。実は……」
「ママ……」
シズに促されて、背中に隠れていたサツキが恐る恐る顔を出す。サツキの母親はサツキの姿を見て、すぐさま出掛けたときとの違いに気が付いたようだった。
「まあ、サツキ。その服はどうしたの? 出るときに着て行った方は?」
「すみません。ジムでトレーニングをしているときに、別の子のキャタピーが吐いた糸がサツキちゃんに飛んでしまって、着ていた服に絡まってしまったんです」
「ああ、それで……」
「はい。ひどく汚れてしまったので、わたしが一度預かって洗うことにしました。今着ているのは……すみません、わたしの、子供の頃の服です。このまま処分してくださって構いません」
「そういうことだったんですか。気を遣わせてしまって、ごめんなさいね」
「いえ……わたしがきちんと見ていれば、前もって防げたかも知れませんので……。ご迷惑をお掛けして、本当に、申し訳ありませんでした。あの、サツキちゃんが悪いことをしたわけでは無いので、どうか、叱らないであげてください」
「大丈夫よ、お互いに子供だから、そんなことがあっても仕方ないわ。おかえりなさい、サツキ。今日は早く帰ってきたから、おやつの時間にしましょうね」
「うん。おやつたべる」
サツキがシズの元を離れると、母親に先んじて家の中へ掛けて行った。
「すみません、わたしが、ちゃんと見ていなくて……」
「シズちゃん、そんなに気にしないで。サツキのこと、これからもよろしくお願いしますね」
「はい、分かりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
今一度深く頭を下げたシズに会釈をして、母親が続いて家の中へ退いた。シズは扉が閉まり終えるのを待って、ゆっくりと顔を上げる。
「はあ……」
大きなため息を吐き出し、シズがサツキの家を後にした。
*
その夜。
「綺麗に、してあげなくちゃ……」
ジムへ戻った直後、すぐにサツキの服の手洗いを始めたシズだったが、結局一度では洗いきれなかった。一旦水に浸して置いておく。続きは家事を一通り済ませてからになる。
お気に入りの服が汚れたと泣いていたサツキの姿が脳裏に蘇り、胸にずきずきとした痛みが走る。自分がケンジとサツキの様子を見てあげていれば、危ないから少し下がっていてと言えていれば、せめて二人がケンカになる前にきちんと止めてあげていれば――無数の「こうしておけばよかった」が沸いてくる。今考えたところでどうにもならぬというのに、今更になってどうして。シズはきつく歯噛みするばかりだった。
ツクシが入浴を済ませて、残るはシズのみとなった。シズは後で入るからと言い、家族には先に床に着くよう促す。
「サツキちゃんの服、ひどく汚れちゃったみたいね……。シズ、あとはお母さんが洗うわ。あなたも疲れてるでしょうし、お風呂に入って、ゆっくり休んで」
「ううん。大丈夫だよ、お母さん。わたしがやらなきゃ。わたしがちゃんと様子を見てなかったから、サツキちゃんに迷惑を掛けちゃったんだし……」
夜遅くまで冷たい水でごしごしと手洗いをするシズの姿を見かねた母親のスギナが、シズに代わろうと声を掛ける。しかしシズは首を横に振り、あくまで自分で服を洗うと譲らない。スギナは心配そうな表情をして見せると、シズの肩を抱いて声を掛けた。
「そんなに思い詰めないで、シズ。子供なら、こんなことはよくあることだもの。シズはジムでもよくみんなの様子を見てくれてるわ。ツクシも、親御さんたちも、みんなそう言ってくれてるもの。お母さんはちゃんと知ってるから、シズはもっと自分を労ってあげて。ね?」
「……ありがとう、お母さん。もう少ししたら、お風呂、入るね」
無理しないでね。そう言い残して去っていくスギナの背中を見送り、シズが洗濯を再開した。
(わたしのやり方、やっぱり間違ってたのかな)
シズの胸中に去来する思い。自分は間違っていたのではないかという、悔恨の念だった。
(スズみたいに……厳しく指導して、初めからケンカを起こさせないようにしたら、サツキちゃんは泣かずに済んだかも知れないのに)
(わたしには、それができなかった)
これまでにここまで拗れてしまうようなことはなかった。未然に防いだり、ケンカになりそうになっても止めることができた。けれど、それは今までがうまく行きすぎていただけで、いずれこんな結末を迎えることは目に見えていたのではないか。自分が甘えていただけではないのか。自分のやり方が甘かったのではないのか。
こんなことでいいのか。来年から、自分がジムを取りまとめていかなければならないというのに。
(どうしよう、わたし……)
(スズみたいに、てきぱき指示を出すなんて、できないよ……っ)
スズのように規律を持って監督に臨まなければならない、だが自分にはそこまで厳しい態度を取れるだけの自信が無い。あれは、スズだからできることだ。自分にはできない、無理だ。臆病な自分が首を擡げてくる。だが、現実は甘くない。あと半年と少しで、シズはヒワダジムのトップに立つのだ。
無理だとかできないとか、そんなくだらない泣き言を喚いている場合ではないのだ。
憔悴しきった表情で洗濯を続けていたシズだったが、ある程度区切りがついたようだ。服を洗う手を止めた。
「今日は水に浸したままにして、明日の朝にもう一度洗ってみなきゃ……」
どうにか目立つ汚れは落としたが、まだ細かく糸が残っている。一日水に浸したままにして、もう一度洗う必要がある。今日できる作業はここまでだ。シズが額の汗を洗面所のタオルで拭い、入浴の準備を始める。
いつものようにさっと入浴を済ませたシズが、既に寝静まっている家族を起こさぬように静かに移動し、自室まで戻ってくる。疲れがどっと出てしまった。今日はもう寝てしまおう。そう考えて、部屋に入るまでに半分微睡んでいたシズだったが、机の上に放り出してあった携帯電話が目に留まった。メールや着信だけでも確認しておこう。
眠い目を擦ることもせずに携帯電話を取り上げ、決まりきった動作で開いたシズだったが。
「……!」
次の瞬間、彼女は思わず目を見開いていた。
届いていたのは、一通のメール。
「リョウタ、君……」
差出人曰く――明日会えないか、とのことだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。