季節は巡る。人の移ろいと共に。
あれから初めての夏を、ここヒワダジムにいるすべての人間とポケモンが、心から満喫していた。
「ねえ、シオリちゃん。私のお姉ちゃんと一緒に、ダブルバトルしようよ」
「いいよ! カオリはどう?」
「お姉ちゃんが戦うなら、私だって! 準備は万端だよ!」
マイがシオリに声を掛けて、ダブルバトルをしようと誘う。シオリは即座に了承すると、側にいたカオリにも声を掛ける。姉がフィールドに立つなら自分も戦うと胸を張り、既にモンスターボールを構えている。
「よーし、カオリはいつでも大丈夫だね。今日はどっちを戦わせる?」
「うーん、どっちにしようかな。お母さんに教えてもらった技を使ってみたいから、バルちゃんにしようかなあ……でも、今日はお姉ちゃんと一緒だから、やっぱりマーちゃんで行くよ!」
「分かったわ。それなら、あたしもヤンくんにするね。あたしたちの『ダブルソニック』で、ユイさんとマイさんを蹴散らしちゃおう!」
二人の仲睦まじい様子を見守りながら、ユイがマイに声を掛ける。
「シオリちゃんとカオリちゃん、いつも本当に仲がいいね。これは、私たちも負けてられないよ!」
「もちろん! 私とお姉ちゃんの絆、あの二人に見せつけてやりましょ!」
「うん! 剣道で磨いた流れを読む力、ここで発揮しなきゃね!」
シオリとカオリ、そしてユイとマイがフィールドに立つ。一瞬の間を置いて、四つのモンスターボールが宙を舞った。
戦場から少しばかり視線を移すと、大きめのむしポケモン三体に囲まれた少年の姿を見ることができる。
「ケム太もケム子もよう大きなって、どっちも名前が似合わんようになってもたなあ。全然ケムッソの雰囲気あらへん」
「こっちのアゲハントがケム太で、あっちのドクケイルがケム子って言うんだよね。ずいぶん立派に育ったね」
「それにテツヤ君、クル美ちゃんもハハコモリにしちゃったもんね。ミルクがいつも可愛がってもらって、すごくうれしそうにしてるよ」
アゲハント・ドクケイル・ハハコモリに囲まれ、その全員からとてもよく懐かれて真ん中に立っているのは、テツヤだった。そのテツヤの側に、トランセルに進化したグリーンを連れたケンジと、同じくクルマユに進化したミルクを近くに置いたサツキが並んで立っていた。
「ねえねえテツヤお兄ちゃん、この水鉄砲みたいな道具、何に使うの?」
「これは『サポートガン』と言ってな。シズの母親が、アサギシティにある……こほん。よし、一息で行くぞ。携帯獣捕獲補助銃専門店の『プリエール』というところまで出向いて、テツヤ君のために入手してきたものだ。開発したのは、確か『ミヤニシ アキラ』という方だったか」
同じくテツヤの側に立っていたトモミチが、テツヤが右手に持っている拳銃状のデバイスは「サポートガン」と呼ばれる道具であると、質問を投げかけた少年に答えて見せた。
「へぇー、携帯獣捕獲補助銃なんてものがあるんだ!」
「おお……お前、ずいぶん滑舌がいいな。と、それはともかく。知っての通り、テツヤは右腕が不自由だ。モンスターボールも満足に投げられないくらいな。だがあの『サポートガン』を使えば、軽い力でボールを撃ち出してポケモンを捕まえることができる。テツヤはそれを使って、今はアゲハントとドクケイルになった二匹のケムッソを捕まえたというわけだ」
念願のポケモン捕獲に成功したテツヤは、その後思いも寄らぬ才能を開花させた。
「しかし、二匹のケムッソを捕まえてからまだ一年も経っていないのに、その両方を最後まで進化させてしまうとはな……」
「テツヤ君、ポケモン育てるのすごくうまいですよね。クル美ちゃんもハハコモリにしちゃいましたし」
「まったくだ。シズから聞いたが、今あのクルマユとレディバを可愛がってやっているハハコモリは、つい一年程前まで隅で引きこもって身動き一つしていなかったんだろう?」
「うん。誰が近付いても、いやいやって首を振るばっかりで、遊んだりもできなかったくらいだったもん」
「ああ、そう聞いている。それが今はどうだ。積極的に前に出て、小さなポケモンたちに目を掛けてやっている。自分が受けた愛情を返すように……と言うと出来すぎかも知れないが、あながち間違っているとも言えまい」
捕獲でずっと躓いていたテツヤだったが、それを乗り越えて「ポケモンの育成」というフェーズに入った時には、凄まじい力を発揮した。弱々しいケムッソだったケム太とケム子を瞬く間に育て上げただけでなく、ずっと対話の門を閉ざしていたクルマユのクル美の心を開き、優しさに溢れたハハコモリにまで進化させてしまった。
「ねえねえテツヤお兄ちゃん、今度僕にもいろいろ教えてほしいな」
「ええよええよ。自分言うてそない大層なことできひんけど、できることやったら何でも教えたるから」
他のトレーナーたちから持ちかけられる育成の相談にも乗ってやり、自分に自信が持てるようになったのだ。
ジムの中央から少し離れた休憩スペースでは、クミとルミが少年トレーナーと楽しげに話をしていた。
「近頃のコウキ君、何かちょー調子いいみたいだねー」
「少し前はちょっと大人しすぎるかもって思ってたけどお、最近はみんなとも元気に遊んでるよねえ」
「うん。僕は一人じゃないって、ちゃんと分かったから」
何気に女子高生二人に挟まれ両手に花状態となっている少年は、コウキだった。
「ママと話をしたんだ。『一緒にいられなくて寂しい』って」
「そうしたら、ママも同じように考えてて、僕とあまり会えなくて寂しいって思ってたんだって」
「ゆっくり話をして、特別にお仕事してるところを見せてもらえることになったんだ」
「すごくかっこよかったよ。キーボードをカタカタ手早く打って、電話もすぐ取って応対して、たくさんの人から相談に乗って、会議もきっちりまとめてて、大活躍してたんだ」
「それでね――机の上を見たら、僕の写った写真が飾ってあって」
「『いつも僕のことを見てくれてるんだ』。そう思って、もう寂しくなくなったんだ」
母親とあまり会う時間が取れずに寂しい思いをしていたコウキだったが、ある時思い切って母親に自分の思いを打ち明けた。すると母親はそれに強く共感し、自分もまた寂しいと感じていたことをコウキに打ち明けた。お互いに分かり合うために、母親はコウキに自分の職場を見学させた。コウキは母親がプロジェクトマネージャとして活躍している光景を目の当たりにし、さらに自分のことをいつも気に掛けてくれているのだということを実感でき、寂しさを打ち消すことができた。
「なるほどお。それで今は、遅くまで残ってる子たちのまとめ役をしてくれてるんだあ」
「シズも言ってたよー。コウキ君がしっかりしてくれてるから、すごく助かってるって」
「うん。僕もママみたいに、みんなをまとめていけるようになれたらなあって思ったんだ」
コウキの側には、以前ツクシとのバトルでも登場したツボツボのポットがいた。それだけではない。クミがコウキの肩を見ると、そこには小さな小さなバチュルの姿もあった。
「バチュルの……えーっと、『コンセ』君だっけ。お母さんと一緒にイッシュ旅行に行った時に見つけたんだよねー」
「そうだよ。一緒に遊んでたら仲良くなって、こうやってヒワダまで付いてきてくれたんだ」
「何回見てもちっこいよお。ホントに可愛らしいよねえ」
ルミがちょいちょいと指先で撫でてやると、コンセはくすぐったそうに目を細めた。
彼女らのすぐ隣では、机の上にワークブックを広げて勉強している別のトレーナーがいるのが見える。
「よっす、ヒロト。勉強は捗ってるか?」
「リョウタ兄ちゃん。うん、進んでるよ。すぐに終わらせて、マッシュたちと遊んであげるんだ」
「そりゃいい心がけだ。けどよ、真面目だよな。俺が小学生の時は、真面目に勉強してたことなんて無かったな……」
「きっとリョウタ兄ちゃんは、元々よくできるんだよ」
「話をしてると、俺はヒロトの方が明らかに出世しそうだって思うぞ」
こつこつと問題を解いていくヒロトの隣で、リョウタが進捗具合を見守ってやっている。上手く先輩の顔を立てるヒロトに、リョウタは苦笑いを浮かべながら舌を巻いていた。
「一時はジムを辞めるかも知れなかったらしいけど、こうやって続けられてよかったな」
「僕も塾に行こうかどうか迷ったけど、やっぱりジムに通いたかったから、代わりに家で勉強することにしたんだ。お母さんもお父さんも、それでちゃんと納得してくれたよ」
「そうか……元々自分で勉強してたって言うし、こっちの方がヒロトには向いてたのかも知れないな」
ジムを辞めて学習塾へ通うかどうかの瀬戸際に立たされていたヒロトだったが、親との話し合いを経て、自主学習とジムを両立させることで双方合意の上決着した。日中はこうしてジムの空き時間に勉強を進め、終われば相棒のマッシュたちと遊ぶ。そうしてメリハリをつけて、今も活動を続けていた。
「シズから聞いたけどさ、こうやって勉強し始めてから、成績も伸びてきたんだよな」
「うん。それにね、お母さんとお父さんに答え合わせをしてもらったり、一緒に問題の解き方を考えたりしてくれるようになったから、頑張るぞって気合いが入るようになったんだ」
親が自分の勉強をサポートしてくれている。そう実感したヒロトは、ますます身を入れて勉強するようになった。結果として成績も上がり、両親も今の選択を最適だったと考えるに至ったようだ。
真面目に勉強を続けるヒロトと、彼を見守るリョウタから一旦視線を外して、ジムの隅にある「やつあたりの木」が植えられている小さな庭へ視点を移す。
「こんな感じでいいかな、水やり」
「いいぞいいぞ。水だけはしっかりやってくれよ。その代わり、水をやるだけで勝手に育つんだぞ、こいつはな」
アドバイザーから具合を見てもらいながら、カンタがゼニガメを模した形のジョウロで「やつあたりの木」に水をやっているという光景が、そこにはあった。
別の地方や別のジムへ異動するという話も出掛かったが、本人の希望と実績が評価され、今しばらくはここジョウト地方のヒワダジムでアドバイザーとして活動できることが決まった。これまでと変わらず、どっしり構えた数少ない「頼れる大人」として、若年層でメンバーが固められているヒワダジムを手厚くサポートしている。
「しかしカンタ、前に比べてずいぶん男前になったな。何かいいことでもあったのか?」
「あったよ。ミホが俺と一緒に歩けるようになったんだ」
「確か、まだ生まれたばっかりの妹さん、だったよな。前は一緒にいるのも嫌だって有様だったのに、何があったんだ?」
以前「いなくなっちゃえばいい」とまで言っていた妹のミホ、そのミホの成長を喜んでいるカンタの変わり様に、アドバイザーが興味を惹かれたようだ。
「去年の秋ぐらいに、ミホと二人で留守番するってことがあったんだ」
「最初は大人しくしてたけど、ミホがなんとなく寂しそうにしてて、ちょっとぐらいだったらいいかって思って、一緒に遊んであげたんだ。そんな、大したことはしてないけど」
「でも、そうやって遊んであげたら、なんだかミホがすごくうれしそうで、楽しそうにしてたんだ。それを見てたら、こっちまで楽しくなってきて」
「その日だけじゃなくて、それから毎日一緒に遊んでたら、ミホが俺のことを『にいに、にいに』って呼んでくれるようになったんだ。ちゃんと俺を見て、『にいに、にいに』って」
「俺、分かったんだ。母ちゃんと父ちゃんは俺のこと見えてなかったけど、ミホはちゃんと見ててくれたんだ、『兄ちゃん』だって分かってくれてたんだ」
「たまに婆ちゃんの家に行って、そこでもミホを抱っこしたりして二人で遊んでたら、婆ちゃんに『カンタは優しいね』って褒めてもらったりもした。すごく嬉しかった」
「それだけじゃないんだ。俺が父ちゃんや母ちゃんに怒られてたら、ミホが泣いて悲しんでくれるようになったんだ」
「泣いてるミホのところに俺が行ったらすぐに泣き止んで、またいつもみたいに笑ってくれるんだ」
「そんな風にいつもミホと一緒にいたら、急にミホのことが可愛く見えてきて、一緒にいてあげたくなって」
「『お兄ちゃんも悪くないぞ』――そう思うようになったんだ」
「母ちゃんと父ちゃんはまだ相変わらずだけど、今はミホに夢中なんだって思うと、別に腹も立たなくなってきて、まあ、今は大目に見てやることにしたんだ」
最近は立って歩けるようになって、家の中にいるとよく後ろから付いてくる、それがまた可愛いんだ――すっかりミホと心を通わせている様子が、ありありと伝わってくる話ぶりだった。
「そうか、そうか。カンタ君は、もう立派な『兄ちゃん』だな。これからもミホちゃんのいい兄ちゃんでいられるように、運動も勉強も、それにポケモンも頑張っていこうな」
「うん。俺、もっと頑張るよ」
カンタに年長者としての風格が出てきたことを喜びながら、アドバイザーはカンタにさらなる奮起を促した。
そのすぐ近くでは、コンパンを連れた少女が、ジムバッジを付けた幾分背丈の高い少女に話しかけていた。
「あのっ……スズお姉ちゃんっ」
「あら、ミズキちゃんじゃない。どうしたの?」
懸命に視線を上げるミズキに、スズがさっと中腰になって彼女と目線の高さを合わせてあげる。
「あのね、前にスズお姉ちゃんに、ちゃんと声を出しなさいって言われて……」
「その時はね、コンちゃんをバトルに出すのがなんだか怖くて、うまくできなかったの」
「でも……カオリちゃんがバトルしてるのを見てたら、すっごくかっこよくて」
「コンちゃんもマーちゃんを見てね、自分もあんな風に戦ってみたいって思ったみたいなの」
ミズキの言葉を一つ一つ零さずに拾い上げて、一つ受け入れるごとにスズは深く頷く。彼女の話に確かに耳を傾けているというサインを、ミズキに伝えるために。
「わたし全然やったことないから、最初はへたっぴだと思うけど……」
「もしかしたら、怒られちゃうかもしれないけど……」
「でも――でもね、でもね、わたしもバトルできるようになりたいの」
「コンちゃんと一緒に練習して、強くなりたいの」
「今度はね、ちゃんと声も出して頑張るから……だからね、スズお姉ちゃん」
「わたしに、バトルのこと、教えてください」
ミズキはコンちゃんと共に、目の前にいるスズに深く頭を下げた。バトルのルールや戦術について、スズから教授してほしいという、たっての願いである。スズからはかつて「声が小さい」と叱責を受けたことがあった。それでもミズキは勇気を振り絞り、戦いの腕が立つスズに「教えてください」と頼み込んだ。
どうしてもやってみたい――その自発的な思いを、ミズキは無理に抑え込まずに、ありのままに解き放ったのだ。
「ミズキちゃん……」
スズは自分にレクチャーを請いたいと言ってきたミズキを見て、感慨深げに声を漏らした。
以前の、己れのあり方を顧みる前の自分なら、これにどう応えただろう。今の、周囲にまで目が行き届くようになった自分と、どのくらい差があっただろう。スズは目を閉じて物思いに耽りながら、自分が「変わった」のだということを、確かな感覚として味わっていた。
「――任せて。ミズキちゃんとコンちゃんが心も技も体も強くなれるように、あたし、精一杯頑張るから」
「ホントに!? スズお姉ちゃん、わたしに教えてくれるの!?」
「ええ! 二人が付いていけるように、しっかり支えていくわ。専属コーチとして、ね」
爽快な表情を見せて、スズがミズキの専属コーチになると高らかに宣言した。ミズキは想像していた以上のいい返事を貰い、コンちゃんと一緒に飛び上がって喜んでいた。
「やったね! コンちゃん! コンちゃんもわたしも、スズお姉ちゃんに見てもらえるんだよ!」
喜びに沸くミズキとコンちゃんを、目を細めて見ていたスズ。さあ、これから忙しくなるぞ、一から十まできちんと教えてやらねばと意気込む――のだが。
「コンちゃんの『サイコキネシス』も、『シグナルビーム』も、きっともっと強くなるよ!」
「……えっ? ちょ、ちょっとミズキちゃん、コンちゃんもうそんな強い技覚えてるの?」
「うん。お外で一緒に遊んであげてたら、いつの間にか覚えちゃってたの。この間ね、お婆ちゃんがモンジャラに巻き付かれそうになって危なかったんだけど、コンちゃんに『シグナルビーム』を撃ってもらってやっつけたんだよ!」
一から十のうち、三から九くらいまではスキップできそうな気がする――スズはミズキとコンちゃんの意外な一面を目の当たりにして、可笑しさがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
「あははっ。ミズキちゃん、きっと将来大物になるわね。あたしも気を引き締めなきゃ!」
腕まくりをして見せたスズが、朗らかに笑った。
そして、彼女のすぐ後ろでは。
「よかったよ、ミノリちゃん。すっかりみんなと仲良くなれたみたいで。セイジくんのおかげだよ」
「いやいや、先輩が背中を押してくれなかったら、俺きっとまだ迷ってましたよ」
ヒワダジムのもう一人のジムリーダーであるシズと、年長組の男子トレーナーであるセイジ、そして。
「やっぱり私みたいな子って、そんなにいないと思いますから」
「ミノリちゃんは特に分かりやすいよ。何せ、左腕がストライクの鎌になってるからね」
左腕が「ストライクの鎌」になった、少し変わった風貌の少女「ミノリ」が、三人並んで立っていた。
このミノリという少女は、人間の女性と♂のストライクの間に生まれた子供である。ほとんど人間その物のフォルムを持って生まれてきたが、ただ一つ「左腕」だけは、鈍い光を放つストライクの鎌になっていた。年を経るごとに人間の体と歩調を合わせて成長してゆき、今では右腕より少し大きなサイズにまでなっていた。
分かりやすく言うと、人とポケモンのあいの子である。
「でも、セイジさんが話しかけてくれて、ホントに嬉しかったです」
「お母さんと一緒にジムへ来てくれたときは完全に塞ぎ込んでて、隅っこで小さくなってたからなあ。どんな風に話し掛けようかって、俺もだいぶ考えたよ」
「今までみんなから『かまきり娘』だとか、『危ない子』だとか、そんな風にずっと呼ばれて、仲間外れにされてて……ここでもみんなから苛められないかって、最初はすごく不安だったんです」
「そうだよね。お母さんから事情は聞いてたから、わたし、ミノリちゃんにみんなと仲良くなってほしいと思ったんだ。セイジ君と一緒に遊ぶようになってから、気付いたら他の子たちも遊んでくれるようになったんだよね。本当によかったよ」
ジムに来る前は、学校でも遊び場でも容姿のことで手酷い差別を受け、心に深い傷を負っていたミノリだったが、シズに背中を押されたセイジがそっと手を差し伸べたことで、再び心を開いた。今は他のトレーナーたちともすっかり仲良くなり、「ちょっと変わった左腕を持った普通の女の子」という認識を持たれていた。
ミノリは、ここで――ヒワダジムで、塞ぎ込んでいた過去を乗り越えて、もう一度立ち上がることができたのだ。
年上のセイジと仲良く遊ぶミノリを微笑ましげに見つめながら、シズが一旦その場を離れる。
「来た来た。お姉ちゃんっ、見回り終わったよ。全員問題なし、バッチリやってくれてるわ」
「ありがとう、スズ。こっちも大丈夫。みんな元気に活動してくれてるよ」
中央で待っていたスズと合流して、お互いにジム内の状況を報告し合う。それが終わると、また別の話が始まった。
「明日また夜に、確認会の時間取れないかな? 来週忙しいから、早いうちにやった方がいいかなあって思って」
「いいわよ。あたしも夏休みの宿題片付けなきゃいけないから、一緒に勉強しましょ」
シズはツクシやスギナと相談した上で、通信教育で勉強を続けることを選択した。定期的に送付されるテキストと問題集を使用し、自宅で学習を行う仕組みだ。これを三年間きちんと修めれば、普通科の高校を卒業したものとみなされる。シズは怠りなく自己学習を進めつつ、平日は普通科の高校に通うスズから学業のサポートを受けていた。
と、立て付けはそうなっていたのだけども。
「というか……本音を言うと、いつもみたいにお姉ちゃんにちょっと手伝ってもらいたいんだけどね。いいかな?」
「もちろん! わたしの勉強にもなるし、お安い御用だよ」
実際のところは、もちろんスズがシズをサポートすることもあったが、どちらかというとスズの方がシズにサポートされ気味という、まあ案の定な状態になっていた。とは言えシズとしても学業を積むよい機会だったし、スズにはジムでも家事でも支えてもらっていたために、まったく気に掛けていなかった。
二人が談笑していると、横からリョウタとトモミチが顔を揃えてやってくる。
「シズ、こっちは大丈夫だ。ケンカも無し、イザコザも無し。報告する内容に困るくらいだな」
「トモミチの方も、この分じゃ何にもなさそうね」
「ああ、その通りだ。だが、何も無いに越したことはない。そうだろう?」
「うん。みんなが元気よく遊んだりトレーニングしたりしてくれるのが、何より大切だからね」
ヒワダジムに復帰したリョウタはトモミチらと共に、ジムリーダーであるシズとスズのアシストを担当していた。トレーナーたちの監督や指導を引き受けてくれていたのである。
「なあスズ。今日は午後から挑戦者が来るんだよな」
「そうね。事前に連絡があったのは二人。午前中に予約が入らなきゃ、多分この二人だけで終わると思うわ」
「二人にはそれぞれ、十四時からと十六時からに認定試合をセッティングしてるよ。出るのは、十四時からの分がわたしとスズ、十六時からの分がわたし単独かな」
「一人はアサギシティ出身の女子トレーナーで、今年春のポケモンリーグにも出場した強豪らしいな」
「そうだよ。それでね、リーグにも出てすっかり満足したから、今月いっぱいでトレーナーは引退して、地元に帰るって聞いたよ。だからもうインセクトバッジも持ってるんだけど、もう一度挑戦したいって連絡をくれたんだ。わたしと戦うのを、今までずっと楽しみにしててくれたんだって」
「それでもう一人が、今年の六月にトレーナーになったばかりの、キキョウシティに住んでる男の人だったっけ」
「そうそう。今日が初めてのジムへの挑戦で、こっちもずっと楽しみにしててくれたみたい」
シズが皆に向かって、凛々しい表情を見せる。
「どっちの試合も、今から腕が鳴るよ。全力で行かなきゃね」
その面持ちはまさしく、戦いを前にしたジムリーダーの表情そのものだった。
「頑張れよ、シズ。俺が側で応援してるからな」
「それを聞いちゃったら、ますます手は抜けないよ。わたし、頑張るね!」
「一人目は相当な強敵だ。エキシビションマッチということもあるし、使える手はすべて使っていくべきだろうな」
「逆に言えば、全力でぶつかれるってことでもあるわ。あたしとお姉ちゃんの連携、トモミチもしっかり見ててよね!」
シズとリョウタ、スズとトモミチが、それぞれ親しげに――いや、仲睦まじげに話すのを。
「いいなー。シズもスズも、いつの間にかあんな感じになっちゃってさー」
「ちゃっかりしてるよお。気付いたらあたしたちだけ女同士だしい」
「そろそろあたしたちもー、お隣が欲しいお年頃よねー」
「うんうん。その通りだよお」
例の双子がちょっと遠巻きで羨ましげに眺めていたのは、まあご愛嬌といったところか。
そんな視線があるとはつゆ知らず、シズがポケットから何かを取り出す。
「これの使い方、やっと慣れてきたよ。またちぃちゃんに使い方のコツ聞かなきゃ」
「やっぱり慣れるまで結構大変よね、スマフォって」
スマートフォンのディスプレイを何度かタッチして、シズが目当てのアプリのアイコンにタッチする。
アイコンには――「LINQ」の文字が入っている。
「メッセージが二つ来てる。一つ目は……マユコ先生からだ」
「あの先生からね。それで、なんて書いてあるの?」
「『いやっほー愛しのシズちゃん。夏を炎上、じゃなかったエンジョイしてるー? 今度商店街にできた喫茶店で優雅にお茶でもしましょ! 追伸。妹同伴可』……だって」
「あのさ、お姉ちゃん……あの先生ホントに国語の教師やってんのよね? なんか将来すっごい不安なんだけど」
スズの不安は、もはやごもっともと言う他あるまい。シズも隣で苦笑するほかなかった。
とは言え、さりげなくシズを気遣い、対面で相談をする機会をもうけてくれている。そこへスズも参加させていいという気配りも忘れていない。マユコ先生らしいメッセージだと思わずにはいられなかった。
そして、もう一通のメッセージは。
「――ふふっ。よかった、こっちも元気そうだね」
送られてきたメッセージの文面を見たシズが、口元から笑みを零す。
「ねえお姉ちゃん、そっちはどんなメッセージ?」
姉に問い掛けるスズに――シズは。
「メッセージは――」
「『現実と向き合うのもいいけど、たまには休めよ。ジムリーダーさん』――だって」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。