――空けて翌朝、月曜日。
「行ってきますっ!」
「おうっ! 今日も頑張って来いよ!」
「うんっ! お父さんもね!」
「任せろ! 俺が本気を出せば仕事なんて秒殺だぜ!」
隆史と挨拶を交わし、ともえが家の門をくぐった。今日は週明け、月曜日である。
「今日もよく晴れて、いいお天気だよ」
雲ひとつ無い快晴の空にお礼を言いつつ、ともえは学校に向けて歩き始めた。
「リアンさん、無事に帰ってきたかな……」
そんなともえの懸念事項は、金曜日に「魔女界で面倒なことがあった」と言い残し、土曜・日曜と向こうへ帰ってしまったリアンのことだった。休日はリアンの言ったとおり一度もアトリエへ足を運ぶことは無かったが、週が明けるとやはり心配にもなる。
「あさひちゃんとみんとちゃんを連れて、今日の放課後に行ってみようっと」
二人を連れて、様子を見に行くのが一番手っ取り早い。ともえはそう判断を下し、放課後にアトリエを訪問することを決めた。土日でカタが付いて、リアンが帰ってきていればいいのだが――
「あ、中原さん」
――ここまで考えた時点で、ともえは後ろから掛けられた声で思考を中断した。
「細野さん! おはよっ」
「おはよう、ってとこかしらね」
ともえを呼び止めたのは、クラスメートの「細野」さん――本名・細野香苗(かなえ)――だった。長い長いツインテールを揺らしながら、ともえに向けて小走りで駆け寄ってくる。スカートからわずかに顔を覗かせるスパッツが少々まぶしい。
「細野さん、いつもより少し早い?」
「あ、気付いた? そうね。あたし、今日は飼育当番だから、早めに出なきゃいけないのよ」
「そっか、細野さん、飼育委員だったね」
萌葱小学校では、他の小学校でもよくあるように、選抜された生徒が持ち回りで動物の面倒を見る「飼育委員会」が存在した。細野さんはそのメンバーの一人で、朝に世話をするために早めに家を出たという形である。
「モコモコはともかく、ピョンタはすばしっこいから、困っちゃうのよね」
「前に見せてもらったけど、捕まえるの大変そうだったからね……」
「名前どおり、ピョンピョン跳ねるのよね。今日は寝てる間に全部終わらせられればいいんだけど」
なんとなく聞き覚えがあるような無いような大気的な微妙な気持ちに襲われる飼育中の兎二匹の名前はともかくとして、細野さんは兎の面倒を見なければならないらしい。
「それにしても……斉藤のやつ、今日もサボったら承知しないんだから」
「斉藤君、前の当番の時に来なかったんだ……」
「そうなのよ。おかげで、あたしが全部やるハメになったのよ。仕事もしないで、飼育委員を名乗らないで欲しいわ」
口ぶりから分かるとおり、細野さんは気が強く、少々ツンツンしたところのある性格だった。大本の性格が生真面目なので、そこから来ているものが強い。
「わたしも細野さんだったら、斉藤君に一言言っちゃうと思うよ」
「そうでしょ? 中原さんみたいに、真面目な人が多かったらよかったんだけど」
「わたしって、そんなに真面目かな?」
「真面目よ。勉強もしっかりしてるし、仕事はきっちりやるし。せっかくだから、中原さんと斉藤君を変えてもらいたいくらいだわ」
「兎が懐いてくれたら、わたしでもできそうだね、飼育委員」
ツンツンキャラの細野さんだが、ともえのことは高く評価しているようだ。斉藤君について話をしている時と、ともえに言葉を掛ける時では明らかに表情が違う。
「うちのクラスの男子、どうしてこんなにだらしないのばっかなのかしら? 斉藤とか、曽我部とか」
「そうだよね、曽我部君はいけないよ。麻衣ちゃんに悪戯ばっかりしてるし」
「手島さんも手島さんで言い返せばいいんだけど、まず手を出すほうが悪いわね。ホントに頭にくるわ」
準はここでも評判が悪い。あさひに「ちょっと殺す」宣言をされ、細野さんからは「頭にくる」と言われる。本人はどう思っているか定かではないが、少なからず良からぬ印象を抱いている人は多いようだった。
「この前もひどかったんだよ。空き教室の前で麻衣ちゃんの筆箱をぶん取って、返してあげなかったんだよ」
「なんか、容易に想像が付く光景ね」
「うん。それで、わたしと……えっと、関口さんで、曽我部君のところまで行ったんだよ」
一瞬「みんとちゃん」と言いかけたともえだったが、「ひょっとすると誰か分からないかも知れない」と判断し、通りのいい「関口さん」に切り替えた。
「その後、からかうのを止めない曽我部君をすっ転ばせて、筆箱を取り返したよ」
「度胸あるわね! それくらいしなきゃ、ああいうのには分かんないわよ」
「わたしだって、怒る時は怒るよ。麻衣ちゃんが可哀想だったもん。それで、麻衣ちゃんに筆箱を返したんだけど、それが終わった後が最悪だったんだよ」
「その後? 曽我部が何かしでかしたのね」
「そうそう。曽我部君は転ばされて仰向けに寝転んだまま起きなかったんだけど……どこを『見てた』と思う」
「仰向けに寝転ばされて、見てた方向……?」
「わたし、その時スカートだったんだけど……」
例の件である。構図を頭に思い浮かべて、細野さんは凄まじく怪訝な表情をして見せた。ほとんど嫌悪の表情に近い。
「……最悪。ホントに最悪。あいつ、今度何かしでかしたら許さないんだから」
「最悪だよね……あんまり腹が立ったから、寝たままの曽我部君にエルボードロップを食らわせてやったよ」
「え、エルボードロップって……中原さん、思ってた以上に度胸があるって言うか、結構やるのね……」
ともえのエルボードロップは、さしもの細野さんも驚いたようである。まあ、普通はスカートを押さえて恥ずかしがるというのが関の山だろうから、そこで落ち着いてダウン攻撃のエルボードロップを叩き込むともえが別なのだが。
「そういえば、その時委員長一緒にいたんでしょ?」
「うん、そうだよ」
「結局、委員長じゃなくて中原さんが解決しちゃったわけね、曽我部の件」
「そういうことに……なるのかな?」
「ふーん……委員長、真面目に仕事をしてくれるのはいいけど、もう少し強く出たほうがいい場面も多いのよね」
細野さんの様子を見ると、みんとの基本的な仕事振りは評価しつつも、控えめな性格にもどかしさを覚えるところが少なからずあるようだった。強気な細野さんからすると、確かにみんとは押しの弱いところがあるかも知れない。
「細野さん、土日は何してたかな?」
「あたし? あたしは買い物に――」
二人はとりとめのない雑談を交わしつつ、学校目指して歩いていった。
――日和田市立萌葱小学校。
「じゃ、あたしは飼育小屋に行くわ」
「うん。気をつけてね」
細野さんと校門を入ってすぐのところで別れ、ともえが一人校舎に向かってゆく。
「細野さんの髪、長くてちょっと可愛いなあ……わたしも、もう少し伸ばしたほうがいいのかな?」
短い二つ結びをちょいちょいと弄る。赤いヘアバンドと桜色の小さな二つ結びは、ともえのトレードマークのようなものだった。それほど強い特徴があるわけでもないのだが、遠目から見ても一発で「ともえだ」と分かる、彼女と不可分の髪型である。
「お父さんは、『これが一番可愛い』って言ってくれてるけど……」
まあ、あの人ならどんな髪型でも「ともえーっ! 可愛いぞーっ!」と絶叫してくれそうだ。多分。
「今度、お母さんに相談してみようっと」
女の子の事は女の子(あさみは「女の子」でも通用するだろう)に聞くのが一番。ともえはあさみに相談することに決めたようだった。
「あら、中原さん。ご機嫌いかが?」
「高槻さんっ。おはよっ」
「ふふふっ。今日も快活でいいことですわ。やはり、朝はこうでなくてはいけませんわね」
前から歩いてきたお嬢様、もとい珠理に挨拶される。ともえが会釈をすると、珠理は微笑んで立ち止まった。
「あっ……おはようございますっ」
「おはよっ。高槻さん、この子は?」
珠理の後ろからひょっこり現れ、律儀に頭を下げて挨拶をして見せたのは、赤いポニーテールの少女であった。恐らく同級生。よく運動をしているのだろう、肌が日に焼けているのが分かる。
「紹介しますわ。D組の『多田瑪瑙(めのう)』さんでしてよ」
「多田さん、だね」
「はい。よろしくお願いしますっ」
多田瑪瑙。それが彼女の名前だった。ともえは顔と名前を繋げると、再び珠理に向き直った。
「多田さん、高槻さんの友達かな?」
「そういうことになりますわね。もっとも、知り合ったのは先週の土曜日ですわ」
「はいっ。私が自転車を倒してしまって困っていたところを、高槻さんが手伝ってくれたんです」
「高槻さん、困ってる人は見過ごせないタイプだからねっ」
「もちろんでしてよ。淑女たるもの、人助けは最低限の礼儀ですもの」
得意気に手を当てる高槻さん。やっていることは高飛車な風味なのだが、根は間違いなくお人よしである。がたがたと倒れた自転車を高槻さんが一つ一つ起こしているところを想像すると、なんとなく微笑ましい。
「それで、A組に所属していると聞いて……」
「なるほど、それで一緒にいたんだね」
「中原さんの仰るとおりですわ。クラスは離れてますけれども、お付き合いをするには差し支えありませんわね」
今更ながら、「瑪瑙」も宝石の一種だ。珊瑚・瑠璃・琥珀、そして瑪瑙。「宝石トリオ」が「宝石カルテット」にクラスチェンジするのも秒読み段階といえるだろう。
「多田さん、よく日に焼けてるけど、何か運動してるのかな?」
「はいっ。日和田市の南西にある、女子サッカーチームに所属しています」
「サッカーチームに? それはすごいよ~」
これといって習い事などをしているわけでもないともえにとっては、女子サッカーチームに入っているという瑪瑙の発言は新鮮さを感じるものだったようだ。
「まだまだ、控えにいることが多いですけど……でも、いつかレギュラーに入って見せます!」
「やる気だね! その気持ちがあれば、絶対にうまく行くよっ」
「はいっ。ありがとうございます!」
はきはきした受け答えは、チームに所属する中で身についたものに違いない。ともえは、瑪瑙ともすぐに仲良くなれたことに嬉しさを感じていた。
ともえは二人と連れ立って、教室のあるフロアへと向かう――。
――これといって変わったことも起きることなく、お昼休みを迎える。
「『瑪瑙』って、あんなに難しい漢字なんだ……」
授業中にこっそり引いた漢字字典に書かれていた「瑪瑙」という字のあまりの難しさに、ともえはしきりに頷きながら廊下を歩いていた。「瑪瑙」。とっさに書けと言われて書けるだろうか。筆者は恐らく「瑪」までは書けるだろうが、「瑙」は書けないだろうと思う。そんなことはどうでもよい。仕事に戻ろう。
「……あっ、本庄さんだ」
職員室の前まで差し掛かったときに、ともえはまたしてもりりこと出くわした。ただし、りりこのほうはともえの存在に気付いていない。というのも、
「先生と何か話してるのかな……」
りりこは担任と思しき教師と、面と向かって話をしていたからである。角度的に、ともえは視界に入らない。
「……………………」
悪いとは思いつつ聞き耳を立ててみるものの、何を話しているかまでは伝わってこなかった。りりこの表情と教師の様子を勘案する限り、おちゃらけた話をしているわけではないというのは確かなようである。
「分かんないけど……もしかして、卒業した後の進路の話とかだったりして……」
あり得ない話ではない。りりこは図書館で「一般相対性理論」なるおよそ小学生には縁の無い本を読んでいたし、図書室でも、いつも小難しいを通り越して大難しいという造語を当てたくなるような難解な本を読みふけっていた。先生がりりこの将来を慮り、通常とは違う進路を提案する可能性も否定できない。
「あんなすごい子がこの学校にいるなんて……もっと、お話してみたいな」
ともえの周りにも、豪快さでは誰にも巻ける気のしない乙女や、根を詰めて日夜キャラ対策に励む格ゲー少女、男にしか見えない詐欺のような女の子など、別の意味ですごい人は多数いるのだが、りりこはそれらとはややベクトルの異なるすごさである。
「今度、また図書館に行ってみようっと」
未だに教師と話すりりこを背に、ともえは教室へと戻った。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。