――明けて翌日、日曜日の朝のこと。
「~♪」
大きな如雨露を片手に、庭に咲いている小さな花々に水をやる桜色二つ結びの少女。ともえである。今日は朝から図書館へは行かず、家で過ごしているようであった。
「……よし! こんなところかな?」
あらかた水遣りを終え、如雨露を一旦地べたへ置く。
「と~もねぇ~っ!!」
異様に通りのいい声が近所一帯に響き渡ったのは、その直後のことであった。
「あの声……もしかして!」
ともえが門を開けて、表へ飛び出す。
「……やっぱり!」
彼女の前方から、小さな影が爆走してくる様子が見えた。ともえが少し腰を落とし、身構える。
「とも姉ーっ! 遊びにきたっすーっ!」
「よーしっ! 捕まえちゃうよ!」
間もなく、小さな影だったそれの具体像が明らかになってきた。
「いよっしゃぁっ! とも姉に薫り高いダイビングクロスチョーップ! と見せかけて風味豊かなダイビング抱きつきーっ!」
「なんの! その手は読めてるよっ」
射程距離に入るや否やジャンプして飛び込んできたのは、ともえよりも二周りほど小さい女の子であった。
「キャッチ! 捕まえたよっ!」
「にゃはー! 掴まっちゃったっすー!」
猛スピードで飛び込んできた女の子をキャッチし、ともえが胸の中でしっかり抱きとめた。女の子も負けじと? ともえの背中に手を回し、がっちり抱きつく。
「今日も元気だね、もえこちゃん!」
「うぃっす! あたいは元気がとりえっすからー!」
ともえに抱きついたのは、「もえこ」――十中八九、漢字表記は「萌子」――という名前の少女であった。ともえの慣れた様子から、まず間違いなく顔見知り同士だろう。
「もえこ、ともえちゃんに無茶な抱きつき方をしちゃだめでしょ」
「伊吹さん! 一緒に来てくれたんですね」
「ちぇー。いぶきは相変わらず頭カタいなぁーっと」
その後ろからゆるり、と現れたのは、白いワンピースを身につけた、高校生くらいと思われる少女「伊吹」だった。伊吹ともえこは姉妹で、ともえから見ると共に従姉妹だ。日和田のすぐ近くにある桔梗市に住んでいるため、時折こうしてふらりと中原家に遊びに来る。
「ともえちゃん、ごめんなさいね。もえこ、ともえちゃんに会うのを楽しみにしてたから」
「大丈夫ですっ。もえこちゃんも伊吹さんも、来てくれてうれしいです」
「あたいもちょーうれしーっすよー! もう涙ちょちょ切れの切れ味抜群六本セット半額セールの大安売りっす」
先ほどから思うのだが、このもえこという少女、言語センスが若干人とずれているようである。この場にはいないが、まりえとはいい勝負ができそうだ。
「すぐ近くまで来たから、お邪魔させてもらおうと思ったの」
「ありがとうございます! せっかくですから、うちに上がっていってください」
「いよっ! とも姉太っ腹! あーっと! 体形のことじゃないっすから! 精神的な意味っすから! 勘違いしないでくださいっす!」
「えへへっ。分かってるよ、もえこちゃん」
見ていて飽きないといえば飽きないし、まあいいことだろう。
「こらこらもえこ、あんまり変な事言っちゃだめよ」
「ぶー。とも姉とくらべていぶきの頭のカタさといったらないっす。頭だけで瓦二十枚叩き割りの営業一筋勤続二十年叩き上げって感じぃー」
口をへの字に曲げるもえこ。ともえに対しては「とも姉」とそれなりに敬意を払っているようだが、姉の伊吹にはとにかく生意気である。Synthesizerのもえこちゃんは生意気カワイイ。清清しいほど流行らなさそうなゴミジャンルである。
「こら、もえこちゃん」
「……とも姉?」
と、ここで突然ともえがもえこの肩を持って、彼女の目をきっと見据えた。
「だめだよ、そんな風に言っちゃ。伊吹さん、もえこちゃんのお姉ちゃんでしょ?」
「あっ……」
「お姉ちゃんのことを呼び捨てにしちゃ、失礼だよ。ちゃんと『お姉ちゃん』って呼ばなきゃ」
おちゃらけたところのないともえの言葉に、さすがに調子に乗りすぎたと感じたのか、もえこが一気に言葉を詰まらせた。ともえの射抜くような視線が、もえこを突き刺す。
「……………………」
伊吹は少し伏目がちに、もえこを諭すともえを見つめている。
「……おねえちゃん、ごめんなさい。ちょっと、調子に乗りすぎました」
「いいのよ、もえこ。でも、人前であんまりはしゃぎすぎちゃだめよ」
「はーい。あたい、ちょっといい子を目指すっすー」
「大丈夫大丈夫。もえこちゃんは、素直でいい子だよ。ちゃんと『お姉ちゃん』って言えたしね」
きちんと謝ったもえこを、ともえが褒めてやる。褒められたもえこは、再び明るい表情を取り戻した。
「いやっほーい! あたい褒められちゃったっすー!」
「うんうん。わたしもちょっときつく言っちゃったけど、大事なことだからね」
「うぃっす! あたいもとも……えっと、ともえお姉ちゃん目指して……」
「あははっ。わたしは『とも姉』で大丈夫だよ。その方が聞きなれてるしね」
「あざーっす! あたいもとも姉目指してがんがんばりばりがんばるんばのバスガス爆発っす!」
すっかり調子を取り戻したもえこは、無邪気な笑みをともえに向けていた。
――ともえの家から歩いて五分ほどの距離にある、小さな児童公園。
「さあ、もえこちゃん! 今日こそ決着をつけるよ!」
「あいっす! あたい、とも姉が相手でも容赦しないっす!」
その片隅で、ともえともえこが対峙していた。もえこは腕まくりまでして、気合十分といった様子である。
「よーし! それじゃ、行くよ!」
「だっさなっきゃまっけよっ、最初はぐー!」
「「じゃんけんっ……ホイっ!!」」
勝者はもえこ。
「あざっすっ! あっち向いて……ほいっ!」
「なんのっ!」
上に向けられたもえこの指先をひらりとかわすかのよう二、ともえは落ち着いて右を向いて見せた。もえこの攻撃は空振りである。
「第二戦! じゃんけんっ……ホイっ!」
勝者はともえ。
「よしっ! あっちむいて、ほいっ!」
「おぉっとぉ! その手は桑名の焼きとうもころし七国山病院直送便っ!」
左に向いた指先に対して、もえこの視線はキッと上を向いている。なかなか、お互いにうまく相手の攻撃をかわしている。
「第三戦! じゃーんけーん……」
「うふふ。もえこちゃん、本当に楽しそうね。私も楽しくなっちゃう」
「はい。ともえちゃんが優しくしてくれるので、懐いちゃったみたいで」
所謂「あっち向いてホイ」に熱中するともえともえこを、ベンチに腰掛けたあさみと伊吹が見守っている。大人びた伊吹と若々しい顔立ちのあさみが並ぶと、まるで姉妹のような装いであった。
「ともえちゃんからすると、きっと、妹ができたみたいなんでしょうね。もえこちゃんは」
「そうですね。もえこも、ともえちゃんのことを『とも姉』って言って、慕ってますから」
伊吹が微笑むと、あさみもそれに呼応して笑った。従姉妹同士が仲良くするのは、よほど理由が無い限り悪いことではない。
「もえこも楽しそうにしてますし……また、こうして、遊びに来てもいいでしょうか」
「もちろんよ。その方が……きっと、ともえちゃんも喜ぶはずだから……」
微笑んでいたあさみが、少しだけ目を伏せた。物憂げな色が、ほんの少し差し込む。
「……わたしも、隆史さんも、仕事が忙しくて……どうしても、ともえちゃんを一人にしちゃうことが多いから……」
「お仕事、ですか……」
「……ええ。ともえちゃんといる時間を、もっと増やしてあげたいんだけど……」
仕事でよく家を空け、留守をともえに任せてしまうこと。あさみは、その事でともえに少なからず負い目を感じているようだった。
「あれくらいの年なら……もっと、わがままを言ったり、甘えたりしても良いと思うんだけど……」
少なくともあさみが知っている限り、ともえは、両親に無理を言ったりわがままを言ったりしたことは、一度としてなかった。寂しくても気丈に留守番をし、積極的に家の手伝いをして、勉強も一人でしっかりこなしている。しっかりしているからこそ、あさみの心配は募っていた。
「ともえちゃんに、直接言ってあげるといいかも知れませんよ」
「そうね……そうしたほうが、ともえちゃんも分かりやすいわよね」
相手からアクションを起こされるのを待っていても、こちらの意思は伝わらない――あさみは、そう考えたようだった。
「にゃはー! やっぱりとも姉にはかなわないっす! とも姉マジぱねぇっす!」
「ふっふーん! もえこちゃん、まだまだだねっ」
軍配はともえに上がったようだ。もえこの頭を撫でてあげながら、ともえが小さく勝ち誇る。
「もえこちゃん、他に、何かして欲しいことはあるかな?」
「もちっす! あたいともっと遊んで欲しいっすー!」
迷わずこたえるもえこに、ともえはもう一つ質問をした。
「それで、もえこちゃんは幸せかな?」
「たりめーっすよー! とも姉と遊んでると、ヤなことぜーんぶぶっ飛びかっ飛びひとっ飛びって感じっす!」
「……ありがとう、もえこちゃん。じゃ、もっと遊ぼっか!」
「やたーっ! あたい、限界まで遊ぶっすよー!」
穏やかな公園に、もえこの通りのよい快い声が、いっぱいに響き渡った。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。