――ともえが空子を家に泊めてから、一週間と少しが経った週末のこと。
「お掃除、お掃除♪」
そこには、玄関を楽しげに掃くあさみの姿があった。休日を利用して、家の掃除をしているようだ。
「やっぱり、箒を持つと気分がノっちゃうわね♪」
掃除というと普通はそれほど楽しいものでもないと思うが、そんなことはお構いなしに、あさみはやけに楽しそうにしている。箒片手にはしゃぎ気味に掃除をする姿は、「若奥様」……というよりも「幼妻」という言葉を想起させた。いろいろな意味でグレーゾーンである。
「ふんふんふーん♪」
あさみは鼻歌交じりに玄関を掃きつつ、門に据付けられているポストへと向かう。郵便物が届いていないか、確認するためだ。
「何か来てないかしらーっと……あら?」
何も来ていないだろう。そう思っていたあさみの目に、意外な光景が飛び込んできた。
「珍しいわね……手紙なんて、久しぶりに見たわ」
ポストには一通の手紙が届いていた。あさみは手紙を手に取り、差出人とあて先を確認する。
「差出人は『東野空子』……あて先がともえちゃんになってるから、きっとともえちゃんの友達ね」
あさみは手紙を持って家の中に入り、ともえの名前を呼ぶ。
「ともえちゃ~ん! 空子ちゃんって子から手紙が来てるわよ~っ」
「えっ?! 空子さんから?!」
奥の部屋でテレビを見ていたともえが、あさみの声を聞いて慌ててすっ飛んできた。
「お母さんっ、空子さんから手紙って、ホント?!」
「ええ、これよ。はいっ」
あさみはともえに手紙を渡す。ともえは興奮気味に、あさみから手紙を受け取った。手紙の封筒には確かに「東野空子」と書かれている。十中八九、あの空子からの手紙だろう。
「ホントだ……空子さん、手紙書いてくれたんだ……」
「……………………」
瞳を輝かせながら手紙を見つめるともえの隣で、あさみが頬に手を当てて不思議そうな表情を見せた。
「ねぇ、ともえちゃん。一つ、聞きたいんだけれども……」
「えっ? どうしたの?」
「さっきから空子『さん』って呼んでるけど……空子ちゃんって、ともえちゃんよりも年上のお友達なのかしら?」
あさみはともえが空子を「さん」付けで呼んでいることに、軽い違和感を覚えたようだ。ともえは「ぎくっ」と気まずそうな表情を浮かべ、額にうっすら冷や汗を滲ませる。
「え、え~っと……そ、そうなの! と、図書室で知り合った六年生の人で、そ、それで……」
「そういうことだったのね♪ 年上の子とも仲良くなっちゃうなんて、さすがはともえちゃんね!」
「う……うん。だから、気にしないでねっ」
その場から逃げるように、ともえは二階の自室へとぱたぱたと走っていった。あさみはともえの様子に気づく事もなく、再び掃除を始めた。
(バタン)
急いで部屋のドアを閉めて、小さく息をつく。額に浮かび上がった汗を、シャツの袖で拭った。
「……ふぅ~。なんとかごまかせたよ……」
一連の話をすると、いろいろとごたごたがあるだろうと判断したともえは、適当に話をでっち上げてごまかすことにしたようだ。幸い封筒は名前と宛先だけで、特に怪しまれるようなことは書かれていなかった。
「落ち着いたみたいだし……読んでみようっと」
ともえは学習机の椅子に座って、手紙の封筒に手をかけた。端を丁寧に破り、中に入っている手紙を取り出す。
「……………………」
四つ折にされた手紙を、ともえは一つ一つ、丁寧に開いていった。すっかり手紙を開き終えてから、ともえは手紙に書かれている内容を読み始める。
「……『やっほー☆ ともえちゃん、この間はホントにありがと! おかげで、調べたかった事もばっちり調べられたわ。ともえちゃんがいなかったら、一体どうなってたことやら……感謝するわね、ともえちゃん。』」
「……『それで、ちょっと急な話なんだけれども……あたし、日和田が気に入っちゃって、しばらく日和田で暮らす事にしたのよ。いいところよねー、日和田って』」
「……『で、せっかくだから、ともえちゃんに遊びに来てもらいたいのよ。ちょっと、ともえちゃんに見せてあげたいものもあるしね。場所は……』」
「……『来てくれれば、いつでも歓迎するわ。気が向いたら、いつでも来てちょうだいね。それじゃ☆』」
要約すると、空子はここ日和田に(恐らく一時的な)住処を構え、ともえにそこへ遊びにきて欲しい、ということのようである。空子の手紙を、ともえは何度も繰り返し読んだ。
「空子さん、日和田に住むことにしたんだ……!」
ともえが瞳を輝かせる。空子とまた会えるのが、うれしくて仕方ないのだろう。
「ようしっ……善は急げ、って言うよね。お昼ごはんを食べたら、遊びに行こうっと!」
そうと決まれば、行動は早い。ともえは手紙をクリアファイルへしまいこみ、お昼に片付けるつもりだった宿題に取り掛かった。
――ともえがお昼ご飯を食べた後。
「お母さん、ちょっと出かけてくるね」
「ええ。気をつけて行ってらっしゃい。夕飯までには帰って来れそう?」
「うん、大丈夫だよ」
「それならよかったわ。おいしいものを作って待ってるわね」
小さな手提げカバンを提げて、ともえは自宅を出た。
「手紙に書かれてる住所は……ここから、少し南みたいだね」
歩いて三十分くらいで辿りつくだろうと、ともえは付け加えた。
「空子さん、元気にしてるといいな……」
空子の声と姿を思い浮かべながら、ともえは歩いていった。
――日和田市新開町・南東部。
「海って、意外と近くにあるんだなぁ……」
手紙に書かれていた簡単な地図を見ながら、ともえはてくてく歩く。日和田の南は海沿いで、民家がぽつぽつと建っている。海から吹くゆるい潮風が、ともえのりんごのような頬をやさしく撫でた。
「……………………」
自宅を出て歩き続ける事およそ三十分。ともえが口にした時間の通りに、目的地にまでたどり着いた。
「『Atelier Cerulean』……ここのことかな?」
アトリエ・セルリアン。ともえの目の前には、その名前に違わぬアトリエ風の小さな一軒家があった。新しく作られたばかりのようで、真っ白な外壁からは真新しさが感じられた。
「……よしっ」
小窓の付いた扉の前に立ち、ともえが小さく気合を入れる。そして意を決して、ドアの隣についていた呼び鈴を押した。
「……………………」
アトリエの中から音が聞こえる。恐らく、空子が入り口に向かってきているのだろう。
(カラン・カラン)
取り付けられた鈴が涼やかに鳴って、アトリエへの扉が開かれた。
「は~い、どなた……って、おお! ともえちゃんじゃない!」
出迎えた空子は、ともえの顔を見るなり明るい笑みを浮かべた。それにつられて、ともえも笑顔を見せる。
「空子さん、お久しぶりですっ! お手紙、ありがとうございました!」
「いや~、早速来てくれたのね! ささっ、入って入って」
空子は扉を開け放ち、ともえをアトリエの中へと案内した。
「わぁ……外から光が差し込んで、気持ちのいい場所ですね」
「でしょ? まだ何も無いけど、その分すっきりしてるわよ」
アトリエの中に入ると、ベージュのソファと背の高い大き目の丸テーブル、そして片隅にノート型のパーソナルコンピュータが、木目調の洒落た事務机の上に置かれていた。事務机の上には、少なくとも日本語で書かれているわけではなさそうな分厚い本が、何冊も重ねられている。部屋の片隅にある背の高い観葉植物が、大きな窓から差し込む光を浴びていた。
「……………………」
ともえが右手に目をやる。何かの絵を描きかけたキャンバス、粘土細工のような風変わりなオブジェ、小瓶に詰められたカラフルな砂――その他諸々。空子はここで、創作活動をして過ごしているようだった。
「空子さんって、いろいろなものを作ってるんですね」
「そうなのよ。あたしって、物を作るのが好きだから。だから、この静かな日和田市で、ゆっくり創作に専念しようと思ってね。必要なものを、ここまで持ってきたのよ」
「そうなんですか……なんだか、素敵ですね!」
感嘆するともえに、空子は満足げに笑って頷く。初めて出会ったときとは打って変わって、いきいきとした表情を見せていた。
「確かともえちゃんのエプロンって、自分で作ったモノだって言ってたわよね?」
「はい。前にも言いましたけど……わたしが使うものですから、自分で作りたかったんです」
「ふふっ、そうそう。そうだったわね。あたしも、同じ考え方なのよね。物を作るのが好きになったのも、大本を辿れば、自分のものは自分で作りたかった。そこにあるもの」
「えへへっ。空子さんもそうだったなんて、なんだかうれしいです」
「あたしもよ。だから、ともえちゃんにはあたしのアトリエに来てもらいたかったの。ともえちゃんに見せたいもの、たくさんあるしね」
しっかりとした口調で答えるともえの様子を見て、空子は改めて感心するのだった。
「さ、ともえちゃん。今日はよく晴れてるし、結構歩いたはずだから、喉渇いてるでしょ。何か飲み物を出すわ」
「えっ? いいんですか?」
「ともえちゃんも、あたしに麦茶を出してくれたじゃない。あれはホントに生き返ったわ」
ともえをソファに腰掛けるように促しつつ、空子がともえの前に立つ。
「じゃ、飲みたいものを言ってくれる? リクエストは何でも受けるわ」
「何でも……ですか?」
「ええ。りんごジュースでもオレンジジュースでも、緑茶でも紅茶でも、コーヒーでもコーラでも、牛乳でもどろりとした濃厚な何かでも、ホント、何でも構わないわよ」
「ホントに、なんでもいいんですか……?」
最後のほうの選択肢がよく分からないが、ともえはその点については特に気にしていないようだった。得意げに言う空子に、ともえは少しばかり迷いつつも、何を飲もうか考えているようだった。
「えっと……じゃあ、アップルティー、ってありますか?」
「お、なかなか渋いところを突いてくるわね~。でも大丈夫、ちゃーんと用意してあるわ」
そう言うと、空子はともえにウィンクをしてみせた。ともえはくりくりとした大きな目を見開いて、空子の行動を見守っている。
「うし。ともえちゃん、アップルティーでいいのね?」
「は、はい……」
空子が念押しし、ともえが頷く。それを確認した空子は、おもむろに右手を掲げ……
(パチン☆)
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。