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S:0060 - "Writing implements."

――開けて翌朝、水曜日。

「みんと、忘れ物はないですね?」

「……はい、母上」

「みんと、時間割に間違いはないか?」

「……はい、父上。朝に、もう一度確認しました」

関口家にて。ランドセルを背負ったみんとが、両親から見送りを受けていた。直立不動のまま、父と母の言葉に耳を傾けている。

「よろしい。関口家の世子たるもの、間違いがあってはならぬからな」

「……はい。心得ています」

「良いことですよ、みんと。あなたは、私たちの誇りですから」

「……ありがとうございます、母上」

終始畏まった様子で、みんとは両親と相対する。その視線は、一時もぶれていない。

「関口家家訓之一。常に皆を導く存在であれ」

「……常に、皆を導く存在であれ」

「関口家家訓之二。常に前に立つ気概を抱け」

「……常に、前に立つ気概を抱け」

「関口家家訓之三。常に清く正しい心を持て」

「……常に、清く正しい心を持て」

父親が述べた関口家の家訓を、みんとは一つも取りこぼすことなくすべて復唱した。凛然としたみんとの様子に、父親も母親も満足げな表情を見せていた。

「みんと。怪我などしないように、十分気をつけなさいね」

「……分かりました、母上」

「うむ。では、みんと。行ってきなさい」

「……分かりました。行って参ります、父上、母上」

最後のそう言い残し、みんとは両親に一礼する。姿勢を正してから、ガラス戸を開けて外へと出て行く。

(……がらららっ)

ぴしゃん。静かに戸を閉めると、みんとはほう、と大きく息をついた。少し肩の力を抜いて、軽く首筋をひねる。そのまま、先程出たばかりの家を見上げた。

「……間違いがあっては、ならない……」

自分に言い聞かせるように呟くみんとの目には、

「……私は、関口家の娘だから」

――関口家の大きな屋敷の全景が、いっぱいに映りこんでいた。

 

「あ、みんとちゃん!」

「……姉上」

それから間もなくして、みんとはともえと合流した。

「おはよっ、みんとちゃん。もしかしたら、と思っていつもより早く出てみたら、ぴったりだったみたいだね」

「……ひょっとして、私のために?」

「うん! せっかく仲良くなれたんだから、一緒に学校に行けたりしたらもっといいかな、って思って」

「姉上が、私のために……」

自分のことを思って早く家を出てきてくれたともえに、みんとが感慨深げな表情を浮かべる。

「……私も、姉上と一緒に学校へ行けたら、うれしいと思ってた」

「えへへっ。みんとちゃんも同じだったみたいだね。それじゃ、学校行こっか」

「……(こくり)」

屈託の無い笑みを見せるともえに、みんとは照れたように笑った。

「あさひちゃん、今日はアトリエに行けたらいいんだけどね」

「弟さんの風邪が、治っていればいいけれど……」

「うん。風邪は万病の元、だからね。早く治るに越したことは無いよ」

みんとの水色の長く美しい髪が、朝の涼やかな風にゆるやかに揺らされる。やや暗みのかかった赤いカチューシャが、水色の髪との明快なコントラストを描き出していた。

「そうそう。みんとちゃんって、来週の将棋大会に出るんだよね」

「……うん。父上から、いくらか戦術は学んでるから……戦えないことは、ない」

「頼もしいねっ。みんとちゃん、頑張ってね! 応援してるよ」

「大丈夫……クラスの皆のためにも、負けられない」

ともえとみんとがあれこれと話をしながら歩き続け、後五分ほどで校門が見えてくる、というところまで差し掛かった頃だった。

「……………………」

「……あっ」

二人の前を歩く、大きなリボンをつけた少女の姿が見えた。その様子を目にしたともえが、思わず足を止める。

「どうしたの?」

「うん……あの子、D組の本庄さんじゃないかな、って思って」

「本庄さん……? あの……?」

本庄さん、という名前を耳にしたみんとが、ともえにきょとんとした表情を向けた。本庄さんのことを一切合財まったく知らない、というわけでは無さそうだ。りりこは二人が後ろに居ることには気付かず、すたすたと学校へ向かっていく。

「みんとちゃん、本庄さんのこと知ってるの?」

「……聞いたことはある。とても、頭が良いって……」

「うん、そうだよね。学校の図書室で、いつもすっごく難しい本を読んでるんだよ」

「姉上は、本庄さんと話したことが?」

「あるよ。二回くらいだけどね。おとなしくて、静かな子かな」

図書館で本を取ってあげたときのことと、学校の図書室で珊瑚の手伝いをした後。ともえの言う「二回」の内訳は、そんなところだ。

「もっと、本庄さんと話してみたいんだけどなぁ……」

「私も……今度、図書室に行ってみようと思う」

「うん! それがいいね」

萌葱小学校の図書室の利用割合はそれほど高くないという。二人のように、動機はなんであれ図書室へ行こうという人が増えれば、それは良いことだろう――

 

――などと考えていた、その矢先のことだった。

「……姉上。本庄さんが、話があるって……」

「はえっ?! わたしに?!」

教室に到着した後、一時間目の国語の授業のために準備をしていたともえは、少々大きな驚きの声を上げた。

(そういえば、前にも似たようなことがあった気がする……)

実は上げた声までまったく同じなのだが、いつだったかは咄嗟には思い出せなかった。何のことだったっけと煮え切らない思いを抱えつつ、それを解決するよりも先にりりこの話を聞かねばと、ともえは急いで席を立った。

ともえが教室の扉の前に立つと、

「……(そぉーっ)」

半分ほど身を隠したりりこが、恐る恐るともえの様子を窺っていた。ちょこんと水色チェック模様のリボンだけが顔をのぞかせる様子は、なんとなく可笑しなものだった。

「ごめんね本庄さん。どうしたのかな?」

「……えっと……」

りりことともえが向かい合う。ごく普通に声を掛けたともえに対して、りりこは少々話を切り出しづらそうな様子を見せていた。悩み事や相談の類だろうか。

「あのね……お願いがあるの」

「お願い? いいよ。わたしにできることだったら、何でも言ってね」

「……あのね……」

手元をもじもじさせつつ、りりこが逡巡する。

「……(もじもじ)」

なかなか言葉が出てこない。ともえはゆったり構えて、りりこが自然に話しやすいように待ち続けた。

(難しい相談があるのかな……どうしたんだろう?)

そう思いつつも、ともえはりりこに話すよう促したりはしなかった。

「……………………」

「……(もじもじ)」

そうしてたっぷり一分ほど時間を置いてから、ようやく、りりこの口からこんな言葉が出てきた。

「あのね……」

 

「……筆記用具を、貸してほしいの」

 

「えっ? 筆記用具? 鉛筆とか、消しゴムとか?」

「そうなの……」

かなりの時間を使った割には、りりこから言われた内容はごくごく他愛ないものだった。りりこはともえに、筆記用具を借りに来たのである。

「昨日、家で勉強した後に、ランドセルに筆箱を入れるのを忘れちゃったの……」

「なるほど~。それで、筆記用具が必要になっちゃったんだね」

「うん……ごめんなさいなの」

ぺこぺこと頭を下げるりりこ。表情から、いや体全体から、申し訳ない、という彼女の気持ちが伝わってくるようだった。

「中原さんがだめだったら、無理しなくても大丈夫なの……」

「大丈夫だよっ。いつも、筆記用具は多めに持ってくるようにしてるからね」

「貸してもらっても、大丈夫?」

「任せて! ここでちょっと待っててね。ペンケースを持ってくるよ」

ともえはりりこの頼みごとを請合うと、さっと教室の自席まで走っていった。机の上に置いてあったペンケースを取ると、すぐさま教室の入り口まで戻る。

「えーっと……鉛筆がいい? それともシャーペンがいい?」

「あ……よかったら、シャープペンシルを貸して欲しいの」

「いいよ、はい。芯の替えも一緒にどうぞっ」

「芯も……いいの?」

「もちろん! 芯が切れちゃったら、シャーペンだと何もできなくなっちゃうからね」

ペンケースからシャープペンシルと交換用の芯を取り出し、ともえがりりこに手渡す。りりこは恐る恐る手を伸ばして、それらを受け取った。

「あとは……赤ペンと、消しゴムと、定規があれば大丈夫かな?」

「えっ……? そ、そんなに貸してくれるの……?」

赤ペン・消しゴム・15cmの定規と、ペンケースから後続をどんどこ取り出しては自分に手渡すともえに、りりこは戸惑った表情を見せた。ともえは一向気にせず、授業で必要になりそうな筆記具をりりこに一通り手渡した。

「……よしっ。これで全部かな? 本庄さん、他に何か貸して欲しいものある?」

「えっと……これだけあれば、十分なの……でも……」

「うん、それなら大丈夫。あ、もし、後でまた借りたいものが出てきたら、いつでも言ってね」

「中原さん……」

ともえから貸してもらった筆記具を手にしながら、りりこが眼前のともえの顔をまじまじと見つめた。

「……ありがとう。とっても、助かるの」

「どういたしまして! 勉強には筆記具が欠かせないからね。本庄さん、勉強頑張ってね」

「うん。りりこ、頑張るの」

りりこはともえにあどけない笑みを向けると、ゆっくりと振り返り、自席のあるD組へと戻っていった。

「あれ……? 巴ちゃん、あの子って、D組の本庄さん?」

「あ、おはよっ、麻衣ちゃん。そうだよ。筆箱を忘れちゃって、わたしが筆記用具を貸したんだよ」

「そうなんだ……わたしも、本庄さんみたいに勉強頑張らなきゃ……」

「わたしも見習わなきゃねっ。算数の図形とか、ちょっと苦手だし……」

登校してきた麻衣と話をしながら、ともえは一旦教室に戻った。

 

――来訪者の多い日はあるというもので……。

「中原さん」

「えっ?」

始業前、一度手洗いに行って戻ってきたともえが、後ろから呼び止められた。振り向いてみると、そこには。

「ごめんね、急に呼び止めちゃって」

「晶さん。どうしたんですか?」

琥珀の兄である晶が立っていた。ともえが応じると、晶が早速話を切り出す。

「実は今日、琥珀が風邪をこじらせちゃって……学校を休むことになったんだ」

「風邪引いちゃったんですか……わかりました。琥珀ちゃんのこと、先生に伝えておきますね」

「ありがとう、助かるよ。そんなに苦しがってなかったから、明日か明後日には登校できると思うよ」

「はい。風邪、早く治るといいですね」

風邪が流行っているのだろうか? そう言えば、昨日はあさひの弟である真人も風邪を引いて休んでいた。真人も琥珀も虚弱体質で病気がちという欠点がある。風邪は人体が弱ったタイミングで襲ってくるものだから、ある意味的確だといえた。

いずれにせよ、早急に治癒することが望ましいのは言うまでも無い――そう考えた直後のことだった。

「お……よっす! 姉貴」

「あさひちゃん! おはよっ」

「おはようさん。誰と話してんだ?」

一瞬考えに昇ったあさひが、タイミングよく姿を現した。相変わらず、どう見ても男子にしか見えない風貌である。

「琥珀ちゃんのお兄ちゃん。晶さんっていうんだよ」

「初めまして。僕は長倉晶。キミは……そうだ、あの時の……。この前は坂口が迷惑を掛けたね。あの後、大丈夫だったかい?」

「ああ、あの時のことか。大したことねえぜ。軽くいなしてやったら、まるっきり手も出さなくなったからな」

「それなら良かった。あちこちで問題を起こすから、みんな冷や冷やしてたんだ」

得意げに言うあさひの様子を見て、晶がほっと胸をなでおろす。心配していたようだ。

「今日、琥珀ちゃんが風邪を引いちゃってお休みするから、わたしにそれを伝えに来てくれたんだよ」

「なるほど、そういうことだったんだな。把握したぜ」

「うん。琥珀は生まれつき体が弱いから、よく体調を崩しちゃうんだ。もし、廊下や教室で具合を悪そうにしてたら、声を掛けてあげてくれると助かるよ」

「お安い御用だぜ。俺にも体の弱い弟がいるから、その気持ちはよく分かる。長倉のこと、大事にしてやってくれよな」

「ありがとう。それじゃあ、僕はこれで失礼するね」

晶は用件を伝えると、A組の廊下から立ち去っていった。

「あれが長倉の兄貴か……いるって話は聞いてたが、妹思いのいい兄貴だな。感心したぜ」

「そうそう。すっごく優しいんだよ。学校に行く時も、琥珀ちゃんくっついて離れないし」

「ああ、あれなら分かるさ。俺の兄貴も、もう少し頼りがいがあればいいんだけどよ」

心優しい晶の様子を見て、あさひは晶のことが気に入ったようだった。あさひ自身も言っていたが、体の弱い弟・妹がいるという似たような境遇も、晶への印象に影響を与えたのかもしれない。

「そうだ、姉貴。昨日はアトリエで何があったか、教えてくれねえか?」

「うん。大したことじゃないんだけどね――」

始業のベルが鳴るまで、二人は廊下で話し続けていた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。