「みんとちゃん、今日は大丈夫?」
「……大丈夫。ちゃんと、アトリエに行ける……」
学級委員のみんとがこまごまとした仕事をすべて片付け終えるのを待ってから、ともえが彼女に声を掛けた。今日は習い事も無く、アトリエに行くことができるようだ。心なしか、みんとの表情が綻んでいるのが分かる。
「あとは、あさひちゃんだけど……」
「……一応、聞いてみたほうが良いと思う」
「そうだね。じゃ、C組に行ってみよっか」
ともえとみんとはランドセルを背負い、揃って教室を出る。向かう先は、あさひのいるC組だ。
さて。二人はC組の教室に入り、あさひに声を掛けたわけであるが。
「姉貴、悪い! 今日は早く帰らなきゃいけねえんだ」
「何か、用事があるのかな?」
申し訳なさそうに頭をかきながら、あさひが決まり悪そうに言った。ともえが訊ねると、あさひが少々俯き気味に言葉を返す。
「ああ。正人のやつ、風邪をこじらしちまって、学校を休んでるんだ。様子を診てやらねえと……」
「風邪引いちゃったんだ……それなら、早く帰ってあげたほうがいいね。リアンさんには、そう伝えておくよ」
「恩に着るぜ、姉貴。明日は大丈夫だろうから、その時またよろしく頼むな」
「うん! 正人君に、お大事に、って伝えておいてね」
弟が風邪を引いてしまったなら仕方が無い。そちらを優先してやるべきだ――あさひの家の事情も鑑み、ともえはそう判断した。家ではきっと正人が、心細い中で一人横になっているに違いない。あさひが早く帰ってやるのが、一番の特効薬だろう。
「それじゃ、わたし達はアトリエに行くね」
「おう! 気をつけてくれよな!」
「……分かった。あさひも、気をつけて帰って……」
「任せろって。俺を襲おうなんて命知らずがいたら、トラウマを叩き込んでやるぜ」
いやはや、なんとも頼もしい限りである。若干頼もしすぎるきらいはあるが。
「リアンさーんっ!」
「はーい!」
「わたし……って、わっ?!」
いつものように「リアンさーんっ! わたしでーすっ!」と呼びかけようとしたところ、「リアンさーんっ!」の時点で本人が登場した。ともえはちょっと面食らい、一歩ばかり後ずさりをする。リアンはともえの声だけで判断が付くようになってきたようだった。
「おー、今日はみんとちゃんもいっしょね」
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ! んでもって……今日はあさひちゃんが欠席?」
「はい。弟さんが風邪を引いちゃって、今日は早く帰るって言ってました」
「なるほど、それなら仕方ないわね。さ、二人とも上がって上がって」
「お邪魔しますっ」
ともえとみんとが白壁の門をくぐり、揃ってアトリエに入る。
「あら、ともえにみんとじゃない」
「……ルルティさん、お昼寝中だった?」
「そんなところかしらね。ちょうど、今起きたところだけど」
少々乱れ髪気味のルルティが、ソファからひょいと体を起こした。午後の昼下がり、これといってすることも無く横になっていた様子が窺える。猫ゆえによく寝るのは仕方の無いことだとも言えた。
「リアンさん、今日は絵は描いてないんですか?」
「そうね。今日は少し仕事を片付けようと思って、ね」
「仕事……ですか?」
リアンがちょいちょいと指差した先の事務机の上には、リアンが使用しているノートブックタイプのコンピュータが置かれていた。少々大きめのサイズに、スノーホワイトのカラーリング。ディスプレイの奥には、太陽光の差す海中の風景が広がっていた。
「……このパソコンを使って、作業を?」
「その通り。具体的には……そうね、ちょっと見せてあげるわ」
事務机に向かい、リアンがおもむろにキーボードをたたき始める。タタタンタタンタタンタタン・タン。リズミカルに入力を終えた後には、ディスプレイに大きなウィンドウが広がっていた。
「なんだか、文字がいっぱい書いてあるよ……」
「……単語ごとに、色が付いてる……?」
「シンタックスハイライトの機能ね。プログラムで使うキーワードを見分けやすいように、自動的にカラーリングしてくれるのよ」
「プログラム? リアンさん、プログラムを作ってるんですか?」
「その通り! 他の魔女から注文を受けて、オーダーメイドで魔法プログラムを書いてるのよ」
リアンがしていた仕事は、「魔法プログラム」を書く――というものだった。興味を持ったともえが、リアンに質問を浴びせる。
「魔法プログラムって、どんなものなんですか?」
「そうね……平たく言うと、難しい魔法を全自動でこなしてくれる、便利な道具よ」
「……難しい魔法を?」
「ええ。魔法はただ願えば使えるというわけじゃなくて、順番に段階<ステップ>を踏む必要があるの。長くて複雑な魔法になると、数万ステップの規模になることもあるわ」
「数万?! そんなに長くなっちゃうんですか?!」
「そういうことも、ごくまれにだけどあるのよ。そうなってくると、記憶だけに頼って魔法を使うのは大変でしょ? そこで出てくるのが、魔法プログラムというわけよ」
自分の領域だからだろうか。得意気な面持ちで、リアンが講釈を始めた。
「あらかじめ魔法を書き込んでおくことで、一連の処理を自動的に行えるようにする……魔法プログラムの考え方は、概ねそこに集約されるわ」
「先にプロシージャを作っておいて、使う時にコールする形。要は、コーディングの先取りをするってわけよ」
「もちろん、場合によってはバッチ処理だけじゃ対応できなくて、インタラクティブな処理を要求されることもある。そういう魔法プログラムを書くために必要なコンポーネントも、別途用意してやる必要があるわ」
「難しい魔法をプログラムにして、固有の名前をつけて呼び出せるようにすれば……ワンフレーズで、長い長いステップを要求する魔法が使えるようになるわけ」
リアンの話を整理する。魔法プログラムとは、冗長になりがちな魔法をあらかじめプログラムとして用意しておき、それぞれに名前をつけておくことで、好きなタイミングで魔法を使えるようにするための仕組み、というわけだ。
「最近は自分で魔法プログラムを書く魔女が減ってきたから、あたしのようなフリーの魔女に魔法プログラムの開発案件が飛んできたりするって訳ね」
「リアンさんは他の魔女のお願いを聞いて、その魔女が必要としているプログラムを作ってあげる……そういうことですよね!」
「うむ! いっぺんの曇りもなしの大正解! で、今日はいくらか溜まってた案件を、まとめて消化してたのよ」
他の魔女から要請された「こんな魔法を作って欲しい」という案件を受領し、リアンが実装して納品する、という形で、リアンは仕事をしているようだった。
「こういうことを仕事にしてる魔女って少ないから、結構仕事が来るのよね」
「……リアン先生は、そうやって生計を立てていると……」
「そうそう。ま、趣味の延長線上にあるものだから、苦にはならないけど、ね」
ふっ、と笑みを浮かべて、リアンがディスプレイを見つめた。
「おー、みんとちゃん、空を飛ぶのは得意みたいね」
「……コツは、掴んだ気がする」
「みんとちゃん、うまく飛べてるよ! すごいね!」
みんとはリアンから手ほどきを受けて、ともえとあさひも行った空を飛ぶ練習をしていた。空を飛ぶことについては、ともえから見てもリアンから見ても、不安になる要素は何一つ無いようだった。みんとは瞬く間にコツを飲み込むと、空をすいすい飛びまわっている。みんと本人も、不安を感じている様子はまったくなかった。
「……(すとん)」
「うむ、着地も問題ナシ。みんとちゃん、すぐにでも空の散歩ができそうね」
「……とても、気持ちよかった。空を飛ぶのは、初めてだったけど……」
「気持ち良いよね! わたしも初めて飛べたときは、すごく嬉しかったよ」
「姉上……」
着地も綺麗に決めたみんとに、ともえが駆け寄る。みんとの満足げな様子、取り巻く二人の安心した表情。みんとの物事の習得の速さは、本物のようである。
「さて、ここらで休憩にしましょうか……あ。みんとちゃん、飲み物もアウトだったっけ?」
「……お茶なら、大丈夫」
「お、それならオッケーね。そいじゃ、みんとちゃんにはお茶を用意するわ。今日はいい天気だから、冷たいのがよさそうね」
「……(こくり)」
お茶は飲んでも大丈夫なようだ。リアンは安心した表情を浮かべ、アトリエの中へ戻っていった。後に残されたともえとみんとが、変身を解きながら言葉を交わす。
「みんとちゃんって、外でお菓子を食べたりしちゃいけないって言われてるんだよね」
「……そう。それが、母上の考え方だから……」
「今までずっと、それを守ってきてるんだよね。みんとちゃん、やっぱり真面目だよ」
「……………………」
母親の言いつけに従って外でものを食べないよう心がけているというみんとを、ともえは賞賛して見せた。対するみんとは少々複雑そうな面持ちを見せながら、それ以上言葉を発することはなかった。
「……宇治茶?」
「お、鋭いわねー。正解よ。産地に住んでる友達がいて、送ってもらったのよ。気に入ってもらえた?」
「……はい。ありがとうございます」
湯飲みでお茶を啜るみんとが、ほう、と小さく息をつく。冷たい宇治茶を淹れてもらったようだ。品の良いお茶で気分が解れたのか、自然と表情も綻ぶ。
「リアンさんのほかにも、人間界に住んでる魔女がいるんですか?」
「うむ、その通り。前にも話したとおり、向こうが今ひどいことになってるから、ね。こっちに避難してる魔女、結構多いのよ」
「そうなんですか。やっぱり、落ち着いた場所で静かに暮らしたいですよね……あ、そうだ!」
ライチティーを飲んでいたともえが、カップを置いてポンと手を打つ。何か思い出したことがあるようだ。
「みんとちゃん、さっきのことだけど……」
「……そうだ。先生に、一つ聞きたいことが……」
「およ、あたしに? いいわよ、みんとちゃん。どうしたの?」
「実は……」
ともえとみんとがリアンに聞きたいこと。
「……かくかくしかじか」
「……ふむ。暗い色のローブを着た魔女らしき人影を見た、なるほどね」
それは今日の朝の教室で、二人で話し合ったことだった。
「それで、リアンさんの他にも、魔女がこの辺りに住んでるのかな、って思ったんです」
「先生は、何か知りませんか……?」
みんとが目撃した、空を飛ぶ暗色のローブを身にまとった魔女らしき人影の話をリアンに聞かせる。リアンは一つ一つ頷きながら、ともえとみんとの質問への答えを準備し始めていた。
「そうねぇ……あいにく、話には聞いてないけど、可能性としてはいるかも知れないわね。もしかすると、あの子なら……」
「少なくとも、私が散歩してる範囲内にはいないわ。あまり広いとは言えないけれど、参考にはなるはずよ」
「あ、ルルティさん」
ひょっこり顔を出したルルティが、リアンの話に付け加える形で会話に加わった。先程は少々眠たげな目を見せていたが、今はもうすっかり目が覚めたようだ。セルリアンブルーの美しい瞳を、ともえとみんとに向けている。
「あら、ちょうど良かったわ。せっかくだから、お茶、淹れましょうか?」
「頂くわ。ああ、もちろん冷やしてからよ。熱いのは嫌いだから。分かってるでしょ?」
「ま、猫だものね。分かってますって」
椅子からさっと立ち上がり、リアンがキッチンへ向かう。ルルティが定位置の事務机の端にひょいと飛び乗ると、わずかばかり上からともえとみんとを見下ろす形になった。
「みんと、アナタの見たものは子供だったかしら? それとも、大人だったかしら?」
「……遠くて、確実ではないけれど……もしかすると、子供かもしれない」
「ふぅん……少し気になるわね。ここって、魔女界じゃ全然知られてない場所だから、そうそう魔女が来るわけないはずだけれど」
「えっと、ルルティさん。逆に、魔女界から見た人間界の有名な場所って、どんなところがありますか?」
「そうね。都心の東京や大阪はもちろんだけど……意外と、辺鄙なところが有名だったりするわ。あれはどこだったかしらね。高名な魔女が同時期に二人も移住した、郊外の小さな町があって……」
「あーそれ、あたしも思い出せなかったのよね。喉まで出掛かってるんだけど」
クラッシュドアイスを無数に浮かべ、ライチティーを満たしたグラスを持ってきたリアンが、今度はルルティに加わる形で会話に復帰した。グラスをルルティの前に置き、再び椅子に腰掛ける。
「あたしもまだまだ若いつもりなんだけどねぇ……なーんか出てこないのよ」
「ねえ、みんとちゃん。こう、喉まで出掛かってて出ないのって、すごくむずむずするよね」
「……私も、姉上とまったく同じ意見」
「しっかりしなさいよ、リアン。アナタ、その二人の魔女からプログラムの案件を受注したのが自慢だったでしょ?」
「そうそう! よくぞ言ってくれました! やぁねぇルルティ。たまには気の利いたことも言うじゃない」
「アナタ、いつもそれを宣伝文句に使ってるじゃない。嫌でも覚えるわ」
顔を少しほころばせながら、リアンが得意気になってみせた。結構な自慢のようだ。
「へぇー、リアンさん、そんな有名な人からお仕事を請けたんですか!」
「そんなに大した仕事じゃなかったんだけどね。なんか、調べたらあたしが一番低い予算を提示したらしくて」
「お金が少なくても、大丈夫……?」
「大丈夫大丈夫。あたしは個人営業だから、最低限、あたしとルルティが食べていければ十分なのよ」
「こういう適当さ加減でも、こんな風に好き勝手に暮らせるんだから、プログラミングセンスだけはお墨付きね」
「待て待て白猫。設計も重要よ。ま、実装はもっと重要だけど、ね」
こうして、四人の談笑はしばらく続く――
………………
…………
……
「リアンさん、今日もありがとうございました!」
「……先生、今日もお世話になりました」
午後五時半過ぎ。アトリエでの活動を終えたともえとみんとが、門扉の前でリアンに別れの挨拶をしていた。今日はここで帰るようだ。
「いやいや、あたしも楽しかったわ。また、いつでも来てちょうだいね」
「はい! ありがとうございます。リアンさん、さようなら」
「うむ、二人とも気をつけて帰ってね」
「……はい。ありがとうございます」
二人揃って一礼してから、アトリエから歩調を合わせて出て行く。ともえが丁寧に門扉を閉めたのを見てから、リアンは二人に会釈をして中へと戻っていった。
「みんとちゃん、空飛ぶのすごく上手だったよ。わたし、見ててびっくりしちゃった」
「……姉上にそう言ってもらえると、私も頑張れる気がする」
「うん! その意気その意気っ! わたしも頑張るから、みんとちゃんも一緒に頑張ろうよ!」
「……(ぐっ)」
ともえの言葉に、みんとは凛々しい表情を見せて、小さく握りこぶしを作って応えた。言葉は少なかったが、上達してやるという明確な意思が感じられる応答だった。
「それはいいとして……結局、みんとちゃんの言ってたローブの魔女のこと、何も分からなかったね」
「先生もルルティさんも、心当たりは無いと……けれども、あれは、確かに人だったと思う」
「うん。みんとちゃんが言うなら、間違いないよ。もしかすると、普段は隣町とかに居て、夜に散歩をしにきただけとかかも知れないし」
「……なるほど。それだと、ルルティさんの行動範囲に居ないのも、頷ける……」
普段は別の場所に居て、たまたま日和田市に来ていた――ともえの推測は、可能性としては十分ありえるものと言えた。ルルティの行動圏内は日和田市の南東部全域に限られているというし、行動圏外に魔女や魔女見習いが居てもおかしいことは何も無い。
「どんな人がいるのか、興味が湧いてきちゃうねっ」
「また、新しい人と出会えるかもしれないから……私も、姉上と同じ意見」
そうして二人が言葉を交わしつつ、道なりにのんびり歩いていた時のことだった。
「おねえちゃん、これからどこへ行くの?」
「それはー、とーっても楽しいところなのですー。お花とお友達でいっぱいの、素敵な場所なのですー」
ともえ達と同世代と思しき少女が、三つほど年下に見える少女の手を引いて歩いてくるのが見えた。
「そうそう。さっきの話の続きだけど、土日が大変だったのは、厄介な新興宗教の団体があったとか、って話だったよ」
「子供を勧誘して、盾として使っている……許せない」
「許せないよね。そういうのにだまされない様に、わたしもみんとちゃんも気をつけようね!」
「……もちろん。いつも、清流の心を忘れずにいたい」
ともえ・みんとと、年下の少女を導く少女とがすれ違う。
「おともだち、たくさんいるの?」
「たくさんいますよー。らいとちゃんも、きっとすぐにお友達になれるのですー」
少女は年下の少女にしきりに話しかけながら、手を引いてどこかに導いていった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。