「あさ~、あさだよ~。朝ごはん食べて学校行くよ~」
名雪の声が聞こえてくる。その声を合図に、ゆっくりと目を開ける。昨日の疲れは、眠ることですっかり取れたようだ。今日も朝から、新しい気分で一日を迎え
「にょわああああああああああああっ!!!」
……ようと思った矢先、隣の部屋から聞こえてくる超絶大絶叫。聞き覚えのない声だったが、なんとなく予想はついていた。何故大絶叫なのかは分からないが、まぁ何かあったんだろう。その程度の認識だった。朝であまり頭が働いていなかったのが、逆に冷静な思考をさせてくれたのかも知れない。
「……さて、確認がてら名雪を起こしに行くか……」
俺はそう言ってベッドから立ち上がり、あらかじめ用意しておいた制服に身を包み、鞄を持って自分の部屋のドアを開けた。
「おーい。名雪ー、入るぞー」
一応声をかけてから、「なゆきのへや」と書かれたプレートの吊り下げられたドアを開く。すると、そこには……
「ねこーねこーねこー」
「にょわあああああ!」
「ねこーねこーねこー」
「にょわあああああ!」
「ねこーねこーねこー」
「にょわあああああ!」
「ねこーねこーねこー」
「にょわあああああ!」
……大体、予想通りの光景が広がっていた。俺は額に手を当てて二、三回被りを振ると、ベッドの下に打ち捨てられていたけろぴー(名雪が世界で四番目に大切なかえるのぬいぐるみ)をゆっくりと手に取り、
(ごぉん!)
名雪の頭に思いっきり打撃を加えた。なにやらぬいぐるみらしからぬ音がしたのがちょっと気がかりである。
「うにゅ……」
「起きたか?」
「祐一、朝からひどい起こし方するね」
「お前のやってることの方がよっぽどひどいと思うぞ」
と言ってやると、名雪は我に返って自分のやっていることを確認した。
「わ」
「んにー……」
「ねこさんがみちるちゃんに変わってるよ~」
「どんな夢を見てたのか恐ろしく分かりやすいな」
みちるは名雪に夜中ずっと抱きしめ(締め上げたともいう)続けられ、意識がこちらの世界とあちらの世界を行き来しているようだった。とりあえず、みちるは遠野家の子だから、向こうの世界に送っちゃったらいろいろ問題があると思う。
「……にょわ! あれ? みちるはどうしてこんなところにいるんだー?」
……さて、皆さんそろそろ気付いている頃だと思うから、本題に入るとするか。
「その様子だと、元に戻ったみたいだな」
と、俺が言うと、みちるは今になってようやく気付いたようで、
「……おぉっ! 本当だーっ! 元に戻ったぞーっ!」
「わ、そう言えば、昨日は中身が真琴だったんだよね。良かったね。みちるちゃん」
名雪も今気付いたようだ。そりゃあ、夢の中で猫と勘違いしてたんだったら、中身が真琴だろうがみちるだろうがあんまり大差はないと思うけど。
「……ということは、真琴は今頃遠野家か……後で引き取りに行かなくちゃな」
「にゃははー。やっぱりみちるはこの体の方がいいぞーっ」
「真琴も今頃同じことを言ってるだろうよ。とりあえず、元に戻ってよかったな」
どうやら、俺の予想は当たっていたらしい。一日夜を越すと、入れ替わっていた人格が元に戻るようだ。やれやれ。一日だけだったとは言え、なかなか奇妙な体験だったな。もっとも、こんなことはもう起きないとは思うが。
「それじゃあ先に下に行ってるから、なるべく早く来るんだぞ」
「うん。分かったよ」
そう言っておいて、俺は下に降りた。
「おはようございます」
「おはようございます。祐一さん」
秋子さんといつもの挨拶を交わす。ようやく、いつもの風景が戻ってきた感じだ。
「秋子さん、みちると真琴、元に戻ったみたいです」
「あら。良かったですね。後で真琴を迎えに行って来ますね」
「お願いします」
秋子さんはにっこりと微笑んで、台所へと消えた。
それからしばらくすると、
「おはようございますだぞーっ」
「おはようございまふぁ~……」
元気のいい声と、今にも眠ってしまいそうな二つの声が聞こえてきた。けろぴーでぶん殴られてもまだ半分眠っているとは……名雪もとい「寝雪」、恐るべしっ。
「おはようございます。みちるちゃん」
「んに。おはようございます」
「みちるちゃん、朝はパンかしら? それともご飯かしら?」
「んにー。いつもはご飯を食べてるけど、今日はパンにするぞー」
「はいはい。ちょっと待っててくださいね」
秋子さんは再び台所へと消える。次に出てきた時には、名雪の分とみちるの分を合わせて持ってくるのだろう。
「くー」
「んにー。この人寝てるけど、いいのかー?」
「ああ、心配しなくていいぞ。うちではコレが普通なんだ」
「ふーん。にゃはは。そーなのか」
みちるが笑って、いつもは真琴がかける席に座る。いつもとは違う、ちょっと不思議な朝食風景だ。
少し時間があるので、俺はみちると話をすることにした。
「ところでみちる、お前が最後に『真琴』だったのは、いつだ?」
「んに? えっと……」
「……………………」
「んに。昨日寝るまでは、まこまこの体だったぞー。でも、寝てすぐに気が付いたらここにいたぞー」
「そうか……寝るまでは、真琴の体だったんだな」
理由は分からないが、人格入れ替えは一日で元に戻るようだった。それなら、(いや、もうこれ以上ありえないとは思うが)今後また人格入れ替えが起きてしまったとしても、一日経てば元通りになるだろう。一安心だ。
と、俺がほっと胸をなでおろしていると、
「……およ? これはなんだー?」
みちるが自分の腕に巻かれた「とあるもの」を指差して言った。
「……あっ……」
……それは、黄色いバンダナだった。
(……しまった……)
それを見てようやく、昨日俺が咄嗟についた嘘のことを思い出す。
「そう言えば……お前あの時、確かこれのこと見てなかったんだよな……」
「んに。見てなかったぞー」
「そうか……実はな……」
俺は素直に事実を話した。俺が咄嗟に付いた嘘を佳乃が真に受け、七瀬と七瀬の妹を仲直り(そもそも妹などいないのだが)させようと黄色いバンダナを自分で買ってきて、それを七瀬の妹(みちる)に巻きつけたことを、である。
「……というわけなんだよ」
「んにー。嘘は良くないぞー」
「しょうがないだろ。あのままだったら、真琴が連れ戻されると思ったんだよ」
みちるは不満げな顔を浮かべていたが、しばらくするとそれも元に戻って、
「にゃはは。でも、これはもらっておくぞー」
「ああ。なんだかんだで佳乃の気持ちがこもってるんだ。もし遠野と喧嘩しそうになったら、それを巻いて仲直りするといいと思うぞ」
「んに。そうする」
笑顔に変わった。
(……なかなかかわいいとこあるじゃん。こいつ)
俺は純粋にそう思った。
「名雪、みちるちゃん、はい」
「わ~……けろぴーの姿煮……」
「怖いことを言うな」
寝ぼけた名雪(寝雪)が、秋子さんが運んできてくれたパンを見て(?)そうつぶやいた。
(姿煮……)
縦にスライスされたけろぴーが醤油で煮付けられ、お皿に上にでんと盛り付けられた図を頭の中で描き、想像してみる。
(……ぐあぁ)
想像しただけでいろいろと問題のある光景だった。
「んに。いただきます」
「くー。けろぴー、これからはわたしの中で生きるんだおー」
意外に礼儀正しくいただきますを言ってから食べるみちると、運ばれてくるや否やイチゴジャムを大量に塗りまくってパンを頬張る名雪。すまん。俺の中で今みちるの好感度が急上昇中だ。あと、その糸目はどうにかしたほうがいいと思うぞ。俺。
「もぐもぐ……」
「……………………」
みちるはごく普通にパンを食べていたのだが、それを見た秋子さんがぽつりとつぶやく。
「みちるちゃんは、ジャムはつけないの?」
……………………
「んに。みちるはバターの方が好きー」
……………………
「ひょっとしてみちるちゃん、甘いものは苦手なの?」
……………………!
蘇ってくる光景。以前見たことのある光景。
「……………………!」
「……………………!」
……思い出したくない、光景。
「んにー。甘いのはちょっと苦手ー」
「あらあら、そうなの。でも……」
「……甘くないのも、ありますよ?」
「ごちそうさまでしたっ!」
「お母さん、行って来るねっ!」
「あらあら。気をつけて行って来てくださいね」
俺と名雪、示し合わせたかのように席を立つ。秋子さんが笑顔で見送るが、その顔を直視することは到底出来そうにない。
「んに? あの二人、どうしたんだー?」
きょとんとしているみちるのあどけない姿が、俺の胸にぐさりと突き刺さる。すまん、みちる。許してくれっ……
「きっと、学校に遅れそうなんですよ。それより、これを試してみてくれませんか?」
俺たちは最後まで言葉を聞くことができず、その場をダッシュで立ち去った。
「……はぁっ、はぁっ……ま、まさかこんな展開になるなんてな……」
「う、うん……こんなことになるなんて、思ってもみなかったよ」
あの場からどうにか逃げおおせることの出来た俺と名雪。しばしの安堵感が身を包む。
「……うー、みちるちゃん、かわいそうだよ」
「そんなこと言ったってだなぁ」
しかしそれは瞬く間に、みちるを彼女の伺い知らぬ間に地獄の断頭台(ギロチン)に上らせてしまったことへの、耐え難い罪悪感となってのしかかってきた。俺も名雪も、しばらく言葉が出ない。
……そして、数刻の後。
「にょ、にょわあああああぁぁぁぁぁぁぁ…………」
……今日の朝は、憂鬱な気分で始まった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。