「祐一、放課後だよ」
「何ぃっ?! もう放課後だとぉっ?!」
「相変わらずだな、相沢」
「相変わらずね、相沢君」
六時間目の授業を受け、終礼を適当に過ごしていると、気が付かない間に放課後になってしまっていた。なんだかんだで、最近一日の流れが速くなった気がするなぁ。
「俺も歳取ったのかなぁ」
「祐一、急にどうしたの?」
「いやぁ、人生について哲学してただけだぞ」
「相沢君って、考え事するのが好きね」
「ああ。俺の数少ない趣味の一つだからな」
「趣味なのか……」
「ところで名雪、お前今日部活か?」
「うん。だから、一緒には帰れないんだよ。ごめんね、祐一」
「そうか……それじゃ俺、ちょっと行くところがあるから」
「うん。分かったよ」
「それじゃ、あの話は明日にお預けかな」
「悪いが、そういうことになるな」
なんてことない会話を交わしながら、今日これから行かなければならない場所について考える。下足室で、舞と佐祐理さんが待ってるはずだ。
「じゃあな」
「おう。また明日」
「気を付けてね」
名雪たちと別れの挨拶をして、俺は教室を出た。
「あっ、祐一さーん。こっちですよー」
下足室まで降りてみると、そこにはもう二人が待っていた。ちょっと出てくるのが遅れたからな。
「すみません佐祐理さん。ちょっと授業が長引いて」
「あははーっ。いいんですよー。佐祐理と舞も今来たばっかりですからー」
「……はちみつくまさん……」
「それじゃ、行きましょうか」
「あ、はいー」
軽く挨拶をして、すぐに歩き出す。目指すは、佐祐理さんの自宅だ……
……と、ここで一つ気付いた。
「……佐祐理さんの家って、どこでしたっけ?」
俺は佐祐理さんの家の所在を知らなかった。なんかこう「町外れに『倉田』という表札がかかった桁外れにでかい邸宅がある」「その邸宅で召使いが出入りしてるのを見た」っていう話はちょくちょく聞くんだけど、肝心の場所は知らなかったのだ。
「あ、そう言えば祐一さん、佐祐理の家は知らないんでしたよねー。それじゃ、佐祐理と舞が案内しますよー」
「よろしくお願いします」
まぁ、ここにはその家に住んでる人がいるんだ。その人についていけば間違いはないだろう。
……しかし、佐祐理さんの住んでる家って、一体どんな家なんだろうか……「桁外れにでかい」っていうぐらいだから、きっと……
…………きっと…………
………………
…………
……
どこまでも広がる高い塀……終わりを知らない家の屋根……
「ゴールっ……!」
……最後にはどうか……
……幸せな記憶を……
「あの塀ー どこまでもー 高かったー……」
「ふぇ? 祐一さん、どうしたんですかー?」
「……あ、いや、何でもないです……」
しまった……思考があまりにぶっ飛びすぎて、思わず別の世界に逝ってしまうところだった……というか、一瞬だけど逝っちゃってたような気がしないでもないぞ。あれだな。想像が飛躍しすぎるとどうしてもあの詩を思い出しちゃうんだよな。悪いクセだと思うんだけど、なかなか直せない。困ったもんだ。
と、その時だった。
「……ぐしゅ……」
突然横から聞こえてくる、すすり泣くような声。
「……舞? ど、どうしたの?」
「お、おい……どうしたんだ? ……舞、お前……ひょっとして、泣いてるのか……?!」
「……思い出した……」
……おぉっ! 意外なところに同志がっ! そうかそうか。舞、お前もあの詩で泣ける口か。そりゃそうだよなぁ。舞はこう見えて純粋な心の持ち主だし、きっと心の奥底の優しさをあの詩が穏やかに引き出して自然と涙腺を緩め
「……カラスさん、お酒を無理矢理飲まされて、かわいそう……」
「……………………」
「……………………」
先生、ここに感動の仕方を間違ってる人が一人います。
学校を出て、佐祐理さんの指示に従いながら歩いてゆく。佐祐理さんの家への道は、途中までは俺が帰る道と同じだ。だから、時々学校へ行く途中で出会うんだろう。
ただ、途中交差点を右に曲がった後は、俺の知らない道がずっと続いていた。この街に来て結構な月日が経つが、それでもまだ俺の知らない場所や道はまだまだたくさんあるようだ。今度名雪とでも一緒に、じっくりと散歩してみるのも悪くないかな。あいつも喜ぶだろうし。
で、道すがら、出る話題はずっとこれだった。
「それで、弟さん……一弥さんは、他にどんなことを言ってたんですか?」
とりあえず、佐祐理さんから聞きだせる情報は聞き出しておきたかった。正直、俺が出向いただけで解決する問題とは思えなかった(ひょっとすると、弟さんは本当に精神的にまずいことになっちゃったのかもしれないし)が、それは別として、とにかく情報が欲しかったのだ。
佐祐理さんはしばらく思い出すのに時間をかけていたが、やがて記憶を辿ることができたのか、こんな話をしてくれた。
「えっとですねー……あっ、あと、『しかし、困ったな……倉田さんの弟さんが、後になって私のところに来るようなことが無ければいいのだが……』……なんて言ってましたよー」
「……私のところ……?」
……なんだか妙な言い方だよなぁ……口調はどこか男っぽいんだけど、一人称は「私」だし。いやまぁ、「私」が一人称の男なんてたくさんいるけど、なんか引っかかる。
あっ、そう言えばさっき佐祐理さん、こんなことも言ってたような……
「一弥が……か、カッターナイフをポケットに……胸ポケットにそっと忍ばせて、か、鏡を見て『ふむ。こういうのも悪くはないな。貴重な体験になるだろう』って独り言を言ってたんです……っ!」
「はい……それで、佐祐理が一弥に声をかけると……声をかけると……こ、こう言ったんです……!『ああ、ここは倉田さんの家だったか。なるほど。そうなると、私は君の弟、というわけだな。興味深いな。まさか、この私の身にこんなことが起きるとはな』」
……カッターナイフ……「貴重な体験」……「この私の身」……「こんなこと」……
「……………………!」
……おいおいちょっと待て……いくらなんでも、そりゃありえないだろ、俺……
(いや、でもひょっとすると……)
……………………
(いやいや、いくらなんでも考えすぎだ。あんな妙ちくりんな出来事がこんなに頻繁に起きるわけがないだろ……)
俺はぶんぶんとかぶりを振って、頭の中に沸き起こった妙ちくりんな考えを必死に振り払おうとした。ぶんぶんぶんぶん。
「……祐一、急に頭を振らないで……」
「あ、悪ぃ……ちょっと、とんでもないことが頭をよぎって」
「ふぇ……どんなことですか?」
佐祐理さんが興味を持った。ここはあんまり深く踏み込ませないほうがいいかな。
「大したことじゃないんですけどね。佐祐理さんの弟さんの心と、俺の知ってるとある人の心が、ひょっとしたら入れ替わっちゃったんじゃないかなー、って思って」
「……祐一、それは唐突過ぎ……」
「あははーっ。祐一さん、面白いこと考えますねーっ」
どうにかやり過ごすことが出来た。やれやれ。昨日あんなことがあったからって、それに何でもかんでもつなげるのはよくないと思うぞ、俺。
で、会話から推測するに……どうやらこの二人はまだ、この街で起きたあの精神入れ替え現象について知らないようだ。それはそれで、いちいち説明する手間が省けるからありがたいんだけども……
……などと、俺が考えていると、
「しっかし、なんで間違うたんやろなぁー……」
「うん。ちょっと、気になるよね」
俺のすぐ傍を通り過ぎていく、二つの人影。二人は手をつないで、歩道をゆっくりと歩いている。
(あれは……観鈴と晴子さんか?)
一人は俺のクラスメート・観鈴。もう一人はその観鈴の母親・晴子――本名は「神尾晴子」……って、観鈴の母親だから当然だよな――だった。観鈴は制服のままなので、きっと街中で偶然出会ったのだろう。
「あれやな。きっと観鈴が背ぇ伸びて、うちみたいなグラマラスでスレンダーなぼでぃになったからやで」
「にははっ。そうだとうれしいな」
「よっしゃ観鈴! うち帰ったら身長測ったろ! なんや久しぶりやなぁ」
二人はそのまま歩いて行き、やがてその姿を夕闇に消した。
……しっかし、仲良いなぁあの二人。名雪と秋子さん顔負けだぞ。
まぁ、母娘仲がいいのは、別に悪いことじゃないよな。俺としては今後を見据えて、むしろ父娘仲がよくなる方向へ世の中が動いてくれると超ハッピーだな。
そんでもってだな、俺と俺の娘の間でプレゼントとか心のふれあいとか体のふれあい(詳細は聞くな)でもって親密度を高めて、そしてあるフラグを立てたまま特定の選択肢を選ぶと念願の俺の娘シナリオに入
「はぇー……祐一さん、どうしたんですかー?」
「……あっ、すみません。ちょっと、知り合いがいたんで」
「……祐一、なんかヘンな目つきしてた……」
「俺はいつだってマジメな模範的優等生だぞ」
……い、いかんいかん。俺としたことが、何やら本当の意味でこのSSをえいえんに処分しなければならないような妄想に走りかけていたぞっ。まぁ、一歩手前で踏みとどまったから、よしとしとくか。よしとしとこう。よしとするぞっ。よしとするんだっ。
……俺、ひょっとしたら、ものすっごく疲れてるのかもな……
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。