「こ、ここが佐祐理さんの家……」
「そうですよー。ここが佐祐理の家ですー」
俺は佐祐理さんの家の前に到着するなり、そのスケールのでかさに思いっきり圧倒されまくっていた。さすがに俺の想像のような「端から端まで行くのに一日かかる」というような度の過ぎたでかさではなかったが、それでも普通の家と比べると、そもそも比べてはいけないもののようなでかさを誇っている。
さすがは……お嬢様。
「さ、中に入ってくださいねー」
「それじゃ……お邪魔します」
「……………………」
無言でずかずか入っていく舞と、一応挨拶をしてから恐る恐る入っていく俺。この辺に、やはり俺と舞の佐祐理さんとの付き合いの長さの差を感じずにはいられない。俺もいつかはこの家に自然に入っていける日が来るのだろうか。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「うわ! 本物のメイドさんがいるよ!」
素で驚いてしまった俺。自分でもバカな驚き方をしてしまったと思う。それに比べて舞は……
「……………………」
もう見慣れてるんだろうなぁ。全然驚いてないぞ。俺一人で驚いて、なんだか恥ずかしいぞ。とりあえず、このメイドさんと佐祐理さんが素で流してくれることを期待するしか……
「あははーっ。仁科さん、一弥の具合はどうですか?」
「はい。朝とお変わりありません」
よしっ。素で流してくれたっ!
「……そうですかー。やっぱり、変わってませんですか……」
「そちらの方は、お友達の方ですか?」
「あ、はいー。ちょっと客室まで案内してあげてください。佐祐理は着替えてきますからー。あ、舞に祐一さん、今から仁科さんが客室に案内してくれますから、そこでちょっと待っててくださいねー」
「ああ、そうさせてもらいます」
「……はちみつくまさん……」
「はい。それでは、お部屋をお連れいたします」
「……?」
あれ? 今なんかどっかで聞いたことのあるようなセリフが俺の耳を駆け抜けていったなぁ。どこで聞いたんだろう。聞き覚えがあるのは間違いないんだけどなぁ。少なくとも、この街で聞いたセリフじゃないよな。
「こちらへどうぞ」
「あ、はい」
「……………………」
とりあえずメイドさん……仁科さんだったかな。その後について、俺と舞が歩いていく。
「それでは、こちらでお待ちください」
仁科さんはそう言って一礼し、静かにその場を去った。
「……それじゃ、待たせてもらうかな」
「……………………」
俺はそう言ってソファに腰掛け、客室の中を見回す。
(しっかし……これで客室だってんだから、驚きだよな……)
客室だと言われて入ったその部屋は、俺にはとても客室には見えない客室だった。正直、この部屋の面積は明らかに水瀬家のリビングの二倍よりさらに広い。掛け値なしに広い。俺の心と同じぐらい広い。
「……それは違う……」
「……そうだな……」
……ああ、そう言えば舞は不思議な力を持ってるんだったな。それを使えば、読心術なんてちょちょいのちょいで出来てしまうのだろう……ぐあぁ……どうしてそのことに気付かなかったんだ、俺っ。
と、俺が悶絶しながら後ろを振り向くと、
(……子供?)
客室の隅に設置してある柱時計の方を向いて、一人の男の子らしき人影が立っているのが見えた。その人影は柱時計をずっと見つめたまま、微動だにしない。
(……ひょっとして、あれが……)
この家にいる子供。佐祐理さんはもう(いい意味で)子供と言えるような年齢ではないし、そうだとすると、可能性として残されるのはあの人物だけ。今日の昼休みになって唐突に存在を明かされた、現在佐祐理さんを最も悩ます、あの人だけだ。
(……一弥……か?)
それはまだ確信とは言えなかったが、佳乃製、いや、可能性としては十分高いと言えた。
(まだ佐祐理さんは来てないけど……話ぐらいは聞いてもいいかな)
俺はそう考え、ゆっくりとソファから立ち上がった。ちなみに、舞はテーブルの上に置かれていたお茶菓子をゆっくりと、しかし全力を持って始末し続けており、俺が動くのなど目にも入っていない様子だった。っていうか、俺にもちょっと残しておいて欲しいんですけど、舞さん。
とりあえず俺はそのまま一弥(らしき人物)のところまで歩いて行き、ゆっくりと声を……
………………
(……いや、待てよ……確か一弥は、今ちょっとおかしくなってるんだよなぁ。それだったら、普通に声をかけても上手くいかないかも知れない……)
俺の冷静な思考が、そのような可能性を俺に伝えてくる。そうだ。相手は自分が誰かすらいちいち確認しないと分からない、場合によっては本当にしかるべきところでしかるべき治療を受けたほうがいいような相手だ。
(もしかすると、驚かせたら元に戻るかも知れない)
俺はそう考えた。しゃっくりだってそうだ。驚かせれば、しゃっくりは元に戻る。ならば、人格が変わってしまったのも、ひょっとすると驚かせれば元に戻るかも知れない。ここで一撃で元に戻すことができれば、佐祐理さんはきっとすごく喜んでくれるだろう。それに、俺としても抱えている問題を一瞬で解決できてしまうわけで、まさに一石二鳥と言える。
(……ちょうど後ろを向いてることだし、やっぱこれしかないよな)
そう考え、俺は両手を構えたままそろりそろりと距離をつめ、一弥(らしき人物)の背後を取る。そして、そのまま……
(ばっ)
「?!」
「よしっ」
手を目に被せた。いわゆる、「だーれだ?」の状態だ。もちろん、相手は俺のことなんて知らな
「ほほう。これはどういうつもりかな? 相沢祐一、君……」
「……な、なっ……!?」
……それは、ありえない答え。聞けるはずのない答え。その口からは、語られるはずのない答え。
「……ど、どうして俺の名前を……?!」
「まずはその手をどけたまえ。話はそれからにしようではないか」
「……どうしてお前が俺の名前を知って」
俺が再度言葉を被せた、その直後。
(きらり)
(ひたり)
(びくり)
……俺の右手首に添えられた、冷たい感触。
「早く離してくれないかな? この感覚はどうも落ち着かなくてな」
……それは、ありえない感触。感じられるはずのない感触。その手からは、伝わるはずのない感触。
「すまないな。職業柄、刃物はどうしても手放せ無くてな。今回は残念ながら一本しか持っていないが」
「……しょ、職業柄って……お、お前……じゃなかった、あ、あなた、まさかっ……!」
……それは、捨てたはずの考え。
「……ひ、聖先生ですかっ?!」
「ご名答」
……よーし、落ち着け俺。落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ、人と言う字を手に書いて……あぁ、手は今使えないんだった。じゃあ足にでも書いて飲み込もう。落ち着け俺。足にどうやって人文字なんか書くんだ。落ち着くんだ俺。それじゃあダイレクトに舌に書いてそのまま飲み込めば万事オッケーバンジージャンプだ。バンバンバンババンジー。
……ダレカタスケテ!
(ばっ)
俺はとりあえず両手を離し、そのまま手を後ろへ持っていった。それを合図に、くるりと振り向く倉田一弥君……
……もとい、霧島聖先生。
「ど、どうして……聖先生が……佐祐理さんの……弟さんに?!」
「私にも分からん。朝起きてみたら、この通り倉田さんの弟になっていた、というわけだ」
「そ、それじゃあ、もしかして……!」
「ああ。昨日水瀬さんと遠野さんとの間で起きた人格入れ替え現象が、どうやら私と倉田さんの弟の間でも起きてしまったみたいだな。朝起きたらいきなり性別が変わっていて背も半分以下になっていたんだ。驚いたぞ」
「なんてことだ……」
俺は思わず頭を抱えた。ちょっと待ってくれ。どうしてこんな奇妙な出来事が立て続けに起こるんだ? どうしてよりにもよって佐祐理さんの弟と聖先生なんだ? この二人に何か接点があるのか?
「せ、先生……先生と佐祐理さんの弟さんの間には、何か関係が……?」
「ふむ。彼がまだ小さい頃に何度か彼の体を診た事があるが……特に何か関係があるわけでは無いぞ」
「そうですよ……ねぇ」
「付け加えておくが、佳乃と彼の間にも特に関連はない。顔は見たことがあるだろうが」
そりゃそうだ。二人の距離はあまりに遠すぎる。接点や関連性があると考える方が難しい。無い方が自然だ。
「それで先生……朝からどうしてたんですか?」
「私がどうしていたかだと? 相沢君、人のプライベートにいちいち口出しするのはどうかと思うぞ」
「いや先生。先生今佐祐理さんの弟さんですし」
「ああ、そうだったな」
「忘れないでくださいよっ」
「そう怒るな。ふむ。なかなか充実していたぞ。久しぶりに学校へ行くことが出来たし、そこで幼子達と学窓を共にすることも出来た。滅多に出来ない経験だったな。給食の質がが思いの外向上していたのも興味深い」
「……先生、余裕ですね」
「この程度でいちいち驚いていては、医者など務まらんからな」
先生、どうやら医者という職業は俺が考えていた以上にハードでハードな職業のようです。
「それで……学校ではちゃんと佐祐理さんの弟として振舞ってくれましたよね?」
「ああ。もちろんだ。残念ながら意思疎通ができずに何度かこれの世話になったが」
そう言ってポケットから再びカッターナイフを取り出す聖先生。大方の予想通りとはいえ、これは……ひどいっ。
「ならないでくださいよっ! 明日から一弥君学校で一人ぼっちですよっ」
「仕方が無いだろう。これは必要悪だ」
「悪いっていう認識あるんだったら最初から頼らないでくださいっ」
「大丈夫だ。すべて冗談だ」
「先生が言うと冗談に聞こえません……」
さすがにそれはまずいと考えたのか、聖先生はすぐに撤回する。そりゃあ、一弥が一日経って元に戻ってみたら、学校中の人間から白い目で見つめられてるんだぞ……考えただけでも可哀想で涙が溢れてくる。
「しかし相沢君、どうして『明日から一人ぼっち』などと言い切れるんだ?」
「それですか? 実は……」
聞くところはちゃんと聞いているようだ。こういうところは頼りがいがあるんだけど……
「……というわけで、一日経ったらみちるも真琴も元に戻ったんですよ」
「なるほど……そういうことだったのか。ならば、この姿でいられるのも今日だけ、というわけだな」
「そうですよ。いつまでもその姿だといろいろ問題あるでしょうし」
ようやくまともな話に入れた気がする。でもあれです。心なしか聖先生が今の体に満足なされているのは気のせいでしょうか? 俺の聞き違いでしょうか?
「しかし……こうなると、一弥君はどうしているのか気になるな……私の体(ボディ)が馴染めばいいのだが」
「そこはかとなく嫌な言い回しですね先生」
「それに……佳乃が気付いてくれるかどうか……」
「どうでしょう……佳乃さん、案外鋭いところありますから……」
一時間目のやり取りを思い出し、ため息混じりにつぶやく。なんであいつ、あーいう無駄な時だけ鋭いんだろう。
「そうだな。私によく似て鋭いいい子になってくれた。私には佳乃さえいてくれればいい。佳乃こそすべて」
「はぁ、そうですか……」
もはやあきらめの入った呟きを漏らした、その時だった。
「お待たせしましたーっ」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。