「……おお! これ、尻尾までちゃんと入ってるのな!」
「ああ。うちの親父さん直伝の製法なんだぜ」
俺は北川の屋台で売られていたたい焼き(北川が「一つくらいは大目に見てくれるから」ってことで、一匹もらった。得したぜ俺)を口に運びながら、俺は改めてその美味さに驚きを禁じえなかった。うむ。これならあゆのヤツが食い逃げに走るのも分かるような気がする。でも犯罪はイクナイ。
「しかし、お前がここでバイトしてたなんて、初めて知ったぞ」
「だろうな。つい最近始めたばっかだから」
「で、今日初めてあゆを見た、ってわけか」
「おう。親父さんから話は聞いてたんだけど……ホントに一人であんなに食うのか?」
「食う食う。あれはまだ少ない方だったりするんだぞ」
「……ひょっとしてそれは……」
「ギャグじゃない。マジだ」
「……だろうな。親父さんもそう言ってたし」
次々とたい焼きを焼きながら、北川と俺が言葉を交わす。
「……………………」
それにしても、北川と屋台がこんなに合うとは思っても無かった。どちらかというと北川ってなんかこうコンビニの店員とかそういう方向性だと思ってたんだが……ある意味新境地かも知れない。
「……………………」
「それじゃ、後よろしくお願いします」
「あいよ。今日もお疲れさん」
「お疲れ様でした」
それからしばらくして、北川といつもの親父さんがチェンジした。ここからは親父さんの時間らしい。時刻は五時半。思いの外、時間の流れが遅いと思った。
「待たせたな相沢。それじゃ、歩きながらでいいから話してくれよ」
「いいぞ。滅茶苦茶な話だが、これは全部事実だ。頭から信じるんだぞ」
「分かってるって」
……とは言っても、いくらなんでもいきなり「真琴と遠野の妹が入れ替わった」なんて話、素で信じてもらえるはずが無いよなぁ。正直、俺だってまだイマイチ信じられないわけだし。……ただまぁ、そんな出来事が今日また起きてしまったわけで、俺としても信じざるを得ない状況に置かれているのも事実なんだが。
……ええい。悩んでいても仕方ない。信じてもらえないのは頭から承知っ。ありのままにぶちまけるぜっ。
「実はだなー」
「おう」
「俺の家族の一人……真琴っていうんだけど、そいつとだな、同じクラスにいる遠野の妹とがだなー」
「おうおう」
「……なんていうか、あれだ」
「……?」
「精神的に入れ替わった」
さぁ、これに対する北川の反応やいかに。普通ならこんな話、頭から信じろといわれても信じられる話じゃない。もし俺が北川の立場に立ってたら、確実にこう言うだろう。
「……それ、どういうことだ?」
ほら、やっぱり言った。北川は(良くも悪くも)常識人なのだ。こんな話をいきなり信じる方が普通じゃない。北川の反応は、至極まっとうなものだろう。俺だってそう思う。
「簡単に言うとだな、例えば俺と名雪がいるとするだろ?」
「ああ、お前と水瀬さん」
「それでだな、見た目は俺なんだけど、意識とか考え方は名雪になってて、反対に見た目は名雪なんだけど、実際その中に入ってるのは俺、みたいな感じだぞ」
ずいぶん噛み砕いた説明だが、これぐらいでちょうどいいだろう。というか、俺自体その程度の認識しか持ってない。実際、真琴とみちるもそれぐらいの認識だっただろうし。
で、北川の反応は……
「……本当なのか? それ……」
うん。大方予想通りだ。普通はそう聞き返すよな。俺だって、あんな出来事が目の前で起きたなんて本当とはとても思えない。ひょっとしたら何かの間違いだったかも知れないし、それに
「……じゃあこれで最低でも、二件は精神入れ替え現象があった、ってことになるな……」
……え?
「……き、北川……お前今、なんて言った?」
「聞こえなかったか? いや、これでもう二件目だなって」
「何がだ? 百花屋がか?」
「何言ってるんだよ。精神入れ替え現象がだって」
「……………………」
時が止まった気がした。
「なぁ北川。落ち着いて話してくれ」
「むしろお前が落ち着けよ。さっきからどうしたんだよ」
「落ち着け。落ち着くんだ。人間落ち着きが大事だぞ」
「いや、俺は落ち着いてるつもりだぞ。少なくともお前よりかは」
俺たちは歩くのを止めて、歩道の上で話を始めていた。
とりあえず、ちょっと待って欲しい。今北川は「これで二件目」って言ったよな。それが分からない。
まず、北川は一弥と聖先生の一件は知っているはずが無い。知っているも何も、あの時あの場に居合わせたのは俺と舞と佐祐理さんと聖先生だけだ。メイドさんも一人もいなかった。だから、北川があの二人のことを知っている可能性は百パーセントゼロパーセントだ。おやなんだか妙な言い回し。
「とりあえず北川、落ち着け」
「いや、落ち着いてないのはお前の方だって。さっきから顔面が真っ青になったり真っ赤になったり見ててすげぇ怖いぞ」
「それはあれだ。きっと顔面信号病だ。その内黄色になる」
「それ、ただ単に肝臓が悪くなってるだけじゃん」
「肝臓……そう。肝臓は男のロマンだ。肝臓にこそ夢がある。肝臓にこそ真実がある。肝の臓止めてくれるっ!」
「相沢、頼むから落ち着いてくれ。正直、見ててかなり怖い」
それからしばらくの間のことは、俺もよく覚えていない。記憶や意識が激しく混濁していたらしい。その間俺の頭の中では、あゆ(大人)が木製のヒトデを持って背中にリアルな羽を生やしながら右手に黄色いバンダナを巻き、地球征服の野望に燃えて灼熱のファイアーダンスを繰り広げている阿鼻叫喚の地獄絵図がエンドレスで展開され続けていた。
「……相沢、おい、相沢っ」
「……あれ? 俺は一体何を……」
「お前、大丈夫か? さっきから様子が思いっきりおかしいぞ」
「……き……北川。一つだけ聞いていいか?」
「ああ。いいぞ」
「……二件って、どういうことなんだ……?」
俺は搾り出すような声で北川に尋ねた。
「……相沢、お前はお前の家族が同じ体験をしたから、確実に信じてくれるよな」
「ああ。今なら俺は何を言われても信じるぞ。例えば実は香里が妹で栞が姉とか」
「なんつーか、それ、今の状況だと本当に起こりかねないぞ……って、そうじゃなかったな。それじゃ、言うぞ」
「あ、ああ……」
「実はだな……」
………………
「……というわけなんだよ」
「……………………」
「俺も一日大変だったぞ。いつお前や水瀬さんに見破られるかと思って、冷や冷やしたぞ」
「……………………」
「しかし、あいつも大変だっただろうな……何せ、朝起きたらいきなり俺になってたんだからな」
「……………………」
「……まぁ、済んだ事だし……って、相沢? どうしたんだ? また気分でも悪くしたのか?」
「北川…………」
「ん? どうした?」
「嘘だろ……」
「昨日一日……お前が香里で、香里がお前だったなんてっ……!」
……北川から聞かされたのは、あまりにも衝撃的な事実だった。
俺や名雪はまったく気付かなかったのだが、昨日一日の間ずっと、北川の中に香里が入っていて、香里の中に北川が入っていたというのだ。つまり、真琴とみちる、一弥と聖先生の間で起きたことが、北川と香里の間でも起きてしまったのだ。
「俺まったく気付かなかったぞ。昨日のお前……中身は香里だが、とにかくお前の様子がおかしかったのは、今にして思うとまぁなんとなく納得はできるが、香里はもうもろそのまんま香里だったぞ」
「あれでもずいぶん苦労したんだぞ。香里が使ってる他人の呼び方……お前だったら『相沢君』だし、水瀬さんだったら『名雪』みたいな感じのあれ。あれ思い出さなきゃいけなかったし、他のヤツに不審がられちゃまずいしで。でも、香里はもっと苦労してたみたいだな」
俺は北川の話を聞きながら、改めて昨日の香里(中身:北川)と今日の香里(中身:香里)を同時に思い出し、そして比較してみる。いくらなんでも、香里と北川だぞ。少しぐらい、少しぐらいは違いが……
…………違いが…………
………………
…………
……
「ぜ、全然違いが分からんっ……!」
見つからなかった。
つまるところあれだ。昨日と今日の香里は、俺の中ではまったく同じだという結論が下されたというわけだ。おー、じーざす!
「俺、こう見えても中学の時演劇部に入ってたんだぜ。本当はここでもやりたかったんだけど、なんか俺が入る前に廃部になっちまったみたいでさ」
「そ、そうなのか……」
「しかし、あれで気付かれてなかったんだったら……俺もまだまだ、腕は衰えて無いかな」
ごめん北川。衰えるも何も、お前だったら世界が獲れると思う。冗談でなくてマジで。俺今からお前のマネージャーになってもいいぐらい。
「それでも、おかしい部分はいくつかあったと思うぞ。例えば、朝一緒に登校したとき」
「……あの時か? いや、俺は別に何も……」
……いや、ちょっと待て。そう言えば、普段の香里ならあまり言いそうにも無いことを言っていたような……
「……確か、『北川君も誘ったら?』とか言ってたよな」
「ああ。あれは言ったあと『しまった!』って思ったぞ。普段のあいつなら、そんなこと言うはず無いだろうからさ」
「いや、確かにそうだが……」
「やっぱあれだ。ヘタに気を回すもんじゃないな。香里と栞ちゃんを同席させて、香里に無駄な心配をかけさせたくなかっただけなんだけどな……」
「……それじゃあひょっとして、今日の朝のあれは……」
「ん? あれか? あれは昨日一日全体通してのこと。どうやら、俺の香里の演技は、本物の香里にも一応の合格点はもらえるぐらいのものだったみたいだな。あれは純粋にうれしかったぜ」
北川が笑みをこぼしながら言う。俺唖然。北川ってここまで状況判断の効く男だったのか。
「しかし、もうこんなのはこりごりだぞ。相手になりきるのって、無茶苦茶体力使うからな……」
「普段考えなくてもいい事考えなきゃいけなくなるからな」
「そうそう。それにいきなり体の具合が変わるから、ヘタすると歩くだけでも相当緊張しちまう。朝は大変だったな」
「あれだな。朝起きたらいきなり香里になってたんだろ? どういう心境だった?」
「焦ったぞ。目が覚めたら全然知らない場所にいるし、体の感覚は違うし、よく見たら女の子になってたし、もっとよく見たらそれが香里だったしで……もう滅茶苦茶」
「……………………」
その滅茶苦茶な状況であれだけきっちり香里になりきれるなんて……今思ったが、あの様子だと栞も完璧に騙されてたような……
「なあ北川。栞とか、香里の両親とかにも気付かれなかったのか?」
「なんとかな。しかし、栞ちゃんがあんなにたくさん弁当を作るなんて事、俺初めて知ったぞ。昨日の様子だと、香里も昨日まで知らなかったみたいだが」
「……そう言えば香里、昨日食いすぎでグロッキー状態になってたな」
「ああ。栞ちゃんの手前、たくさん食べないわけにはいかなかったんだろうな。せっかく栞ちゃんが作ってきてくれたわけだし」
すげぇ。ここまでの説明で、昨日の出来事全部に辻褄が合う。北川の様子がおかしかったのは中身が北川になりきれていない香里だったのが理由だし、北川が昼食会に誘われたのは本物の北川のさりげない配慮だったわけだし。
ただ、あれだ。昨日の香里(中身:北川)の行動に何一つ疑問を抱いていない俺はよほどのニブちんなのだろうか。いや、それは北川の演技が完璧だったからだと思いたい。というかぶっちゃけ完璧だった。後で名雪に報告しなきゃいけないな。
「……とまあ、こんな感じだ。お互い、災難だったな」
「いや……俺は直接何かあったわけじゃないし……むしろ、俺は今お前をすごい勢いで再評価してるぞ」
「おいおい。もうこんなのはこりごりだぞ。次はせめて男にしてくれなきゃ困るって。斉藤とか」
「俺はお前になりきる自信は無いぞ」
「俺だってねぇよ。お前、いっつも何考えてるか分かんねぇし」
北川は笑いながらそう言って、
「あっ、悪ぃ。俺こっちなんだよ」
「ああ、そうだったな」
「それじゃ相沢。また明日な」
「おう。気をつけて帰れよ」
交差点で別れた。
(なんか、すごいことを聞いた気がするぞ……)
俺がそんなことを考えながら、秋子さんや名雪の待つ自分の家に帰ろうとした……
……その時だった。
「しっかし、まさか五百円の出費とはなぁ……大体、自分で投げて自分で拾って、それを相手に渡してもう一回もらうとか、全然意味ねぇよな……次はちゃんと払ってくれるとありがたいんだが……」
……ええっ?! あれ、お前のポケットマネーだったのっ?!
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。