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第二十話「虹原さん with 誤植」

「うぐぅぅぅぅぅぅぅっ! そこの人、どいて~~~っ!」

「こらぁぁぁぁっ! 待てぇぇぇぇっ!」

俺の後方から聞こえてくる声。それは、どちらも聞き覚えのある声だった。

片方の声は、このシチュエーションで聞こえてきても何も問題の無い声だった。なぜならば、そいつと俺が出会ったときも、そいつは同じようなセリフを口にしていたからだ。恐らく、また同じシチュエーションなのだろう。ただ……

(……なんであいつが?)

ただ、もう片方の声は、今この場で聞くには少し不似合いな声に思えた。というかぶっちゃけた話、なんでそいつがあいつを追いかけてるんだ? っていう疑問が浮かんだ。そいつとあいつに接点なんてなかったはずだし、そもそも一緒にいるということ自体考えづらかった。

……などと俺が考えている間にも、時間は流れていくもので。

「どいてどいて~っ!」

「待てぇぇぇーっ!」

さて、俺はどうするべきか。ここでどいてしまえば、俺はこれ以上この事態に関わらずに済む。が、相手はれっきとした咎人(とがびと)である。ここは心を鬼にするべきだ。

っつーわけで。

「どいてどいてどいうぐぅっ!」

そのまんま突っ立ってることにした。当然、そいつは俺の背中に大激突して吹っ飛んで、走っていたのが立ち止まらなきゃいけなくなる、って訳だ。

「うぐぅ……ひどいよ祐一君っ。どうしてどいてくれないんだよっ」

「食い逃げするほうが悪いんだろうがっ」

俺は振り向きざまに言った。そこにいたのは……うん。思いっきり予想通りの顔。赤いカチューシャをつけて、ベージュのダッフルコートを身にまとい、どこで売ってるんだ? 的疑問を抱かざるを得ない羽リュック。そして低い目線。

「あゆ……お前、これからはちゃんと金払うって言ったじゃないかっ。もう約束破ったのかっ」

……あゆ。本名「月宮あゆ」。幼児体型で中身も見た目相応だが、これでも俺と同い年だというから驚きだ。何気に、佳乃と同じクラスに在籍している。佳乃よりもさらに一回り小さいために、小学生に間違えられることが本当に多いらしい。

まぁ、あれだ。こいつを高校生だと思うのは、草冠に「明」と書いた文字が先頭に来る英単語集の主人公(女の子の方)を高校生と思うのと同じぐらいハードで

……いやすまん。これは関係ない。今はあゆの話だった。

「うぐぅ……仕方なかったんだよ……ボクにはボクの理由があるんだよ……」

「ほう。ならばその理由とやらを聞かせてもらおうか。さぁ言えさぁ言え」

「うん。えっとね、ボクはお」

「おぉっと! 先に言っておくが、『お腹が空いてたんだよ~』は禁止な?」

「うぐぅ、ひどいよ」

「結局それかよっ!! お前ちょっとは進歩しろよっ!! 何が『うん……約束、だよ』だ!! 肝心のお前が約束をちっとも守れてないじゃねぇかっ! このたい焼き狂いめっ! お前を焼いて『あゆ焼き』にするぞっ! 百円で売るぞっ!」

「ひどいよ祐一君っ! せめて千円で売ってよっ!」

「……って、突っ込むところはそこじゃないだろっ!」

こいつは……あゆは、無類のたい焼き好きで、年がら年中たい焼きばかり食べている。他のものを食べている光景は滅多に見ることができないぐらいだ。……まぁ、こいつをたい焼き好きにしてしまったのは、俺のせいでもあるんだが……

さて、俺とあゆが話をしている間に、さっき聞こえた二つの声のうち、もう片方の声の主が俺たちに追いついたようだ。

「はぁっ……はぁっ……やっと見つけたぞこの食い逃げ……って、お前……」

「よう北川。犯人は確保しておいたぞ」

「う、うぐぅっ!? し、知り合いだったの?!」

俺の目の前に立っていたのは、普段はたい焼き屋の親父がつけている青と白のストライプのエプロンを身に付けた、俺の親友・北川潤その人だった。

「相沢……お前、こいつの知り合いだったのか?」

「一応な。それで……こっちこそ聞きたいんだが、どうしてお前がそんな格好を?」

「あ、これか? ああ、最近バイト始めたんだよ。この辺に屋台出してるたい焼き屋でな」

「ああ、そういうことだったのか」

「まぁな。家計がちょっと苦しいから、少しでもその足しにしようと思ってな」

「……って、結構マジな理由なんだな」

俺は素で驚いてしまった。てっきり、何か欲しいものがあるから始めたものとばかり思っていたんだが……

「これから大学進学も控えてるし、親にかかる負担をちょっとでも減らそうと思ってさ」

「お、お前……」

「ん? どうした? まぁ、かっこ悪いのは分かってるけどな。俺が勝手にやってることだし」

「い、いや……そうじゃなくてだな……」

……北川って、ひょっとしてすげぇマジメなヤツなのかもしれない……でも、それを表に出さない辺りが北川らしいというか……

「ところで、こいつはどれだけ食い逃げしようとしたんだ?」

「ん? ああ、六個だ。こしあん三つにつぶあん三つ。合計四百八十円になる」

「……で、金払わずにブツだけ持って逃げた……ってわけだな」

「そーいうこと」

そこまで話をしてから、俺は凶悪食い逃げ犯もといあゆの方を振り返る。

「あゆ……お前っ、どうしてちゃんと金を持ち歩かないんだよっ」

「うぐぅ……だって、今月のお小遣い、もう全部使っちゃったんだもん……」

「じゃあ、買うのを我慢すりゃいいだろ」

「……だってボク、たい焼きがすごく食べたかったんだよ~……」

「食べたくても我慢しろっ」

「……………………」

北川は俺とあゆのやり取りを、ただ黙ったまま見つめている。

「だって、たい焼きは本当においしいんだよっ」

「だから、それとこれとは直接関係無いだろっ」

……と、その時だった。

「……あゆ……だっけか?」

「う、うぐぅっ?! そ、そうだけど……」

「お前……本当にたい焼きが好きなのか?」

北川が妙に改まった調子で、あゆに尋ねた。あゆは狼狽した様子で、こう言った。

「も……もろ」

「お前、それ以上言ったら顔面が変形するまで本気で殴るぞっ! もちろんグーでだっ! 目だけはチョキで突いてやるっ!」

「も、もちろんだよっ」

あゆが(いろいろな意味で)危ない発言をしようとしたので、俺が未然に防ぐ。俺はいろいろな意味で大変な役回りをやらされているような気がしてならない。ガンバ、俺っ。

俺がこうしている間にも、北川の語りかけは続いている。

「本当にたい焼きが食べたかっただけなんだな?」

「そうだよ……ボクはたい焼きが食べたくて食べたくて仕方なかったんだよ……」

「何かを盗むことが目的じゃなかったんだな?」

「そうだよっ。ボクだって、お金を持ってたら……お金を持ってたら……」

あゆの表情が沈んだものに変わっていく。自分のしでかしたことの罪の大きさに、ようやくだが気付き始めたようだ。心なしか、目が赤くなっているようにも見える。あいつは本来、そういう性格の人間だ。本心から悪いことをしたくてしたわけではない。

したことが、たまたま悪いことだっただけだ。

「……………………」

ここはおちょくらず、北川に任せた方がよさそうだ。あいつの語り掛けには、何か意図があるように思える。

「……お金を持ってたら、ちゃんと払ったのか?」

「うぐっ……もちろんだよ……ボクはただたい焼きが食べたかっただけだもん……」

「……………………」

その時だった。

(きらり)

「……?」

俺の目の前を、きらりと光る何かが通り過ぎて行ったように見えた。それはとても小さなもので、目で追うことは極めて難しいように思えた。ただ、俺の目の前を通り過ぎて言ったという感覚は、間違いなく俺の中にあった。

「うぐぅ……うぐぅぅぅぅ……」

あゆは目を真っ赤に腫らして、ぽろぽろと涙をこぼしている。明らかに泣いていた。

「……………………」

北川はそんなあゆの姿を見ながら、

「……………………」

「……北川?」

ゆっくりと前へ歩いて行き、

「確か……この辺りだな」

すっかり泥まみれになっている雪の中に指先を突っ込み、

「そらっ」

何かを拾い上げた。

「見つけた見つけた」

そしてそのまま、泣きはらしているあゆのところまで歩いていくと……

「ほら」

「……うぐ?」

「落ちてたぞ、これ」

……拾い上げたその「何か」を手渡した。

「こ、これは……」

「誰かが落したんだろうな。やっぱり」

「……………………?」

俺はそのやり取りが気になり、あゆのミトンの手袋に握り締められた「それ」を見に行く。すると、そこには……

(……五百円玉?!)

……となるとさっき北川が拾ったのは、この五百円玉だった、ってわけか。

北川は話を続ける。

「ま、落しても気付かないってことは、きっとその人にとっては大したものじゃなかった、ってことになるかな」

「で、でも……どうしてボクにくれるの……?」

「決まってるだろ。お前は今お金を持ってない。俺はお前から代金をもらわなきゃいけない。そうだろ?」

「そ、それじゃあ、これ……」

あゆは恐る恐る、北川から受け取ったばかりの五百円玉を北川に手渡す。北川はそれを優しく受け取ると、

「毎度あり!」

「ほ、本当に……いいの?」

「何言ってんだ。お前はお金を拾った。俺がその金を代金として受け取った。これでもう、俺がお前を追っかける理由は無くなったってわけだ」

「……………………!」

「さ、たい焼きが冷めないうちに、六匹全部食っちまうんだぞ。買ったからには、責任持って全部食ってくれよな」

「う、うんっ! ありがとーっ!」

あゆは驚きと喜び、そして感謝の混じったような複雑な、しかし晴々とした表情で、たい焼きの入った茶色い袋を抱え、そのままどこかへと走り去っていった。

「……ふぅ。手が冷たいな……」

「北川……お前……」

俺はおずおずと声をかける。何かこう、目の前にいるのが、北川では無いような気がしたからだ。あと、雰囲気が今までと全然違いすぎるってのもでかかった。何このマジな空気。俺置いてけぼり? みたいな。

「ん? どうかしたか?」

「……なんか、素でかっこよかったぞ」

「よせよ。お前とはそんな言い方をする仲じゃなかっただろ」

北川はいつものように笑って言い、

「相沢、あと三十分ぐらいで終わるんだ。悪いけど、ちょっと待っててくれないか?」

「別にいいが……どうかしたのか?」

「お前のあの話、気になっちゃってさ」

「ああ、なるほどな。いいぞ。それにあゆのヤツを見てたら、俺もなんだかあれが食いたくなったし」

「それならちょうどいい。来いよ。焼きたてだぜ」

俺は北川の後について歩き始めた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。