「手分けして捜した方がいい、ナッちゃんの言う通りね。で、ウチはここに来たわけだけど」
清音は郊外のエーテルハウスから少々離れた都市・テーブルシティまで足を運んでいた。商店や施設が円形に並んで立ち並び、中央の広場は多くの人々が行き交い活気にあふれている。そして何より目に付くのが、辺りを通りすがる学生の多さだった。
「うはーっ、ホントにでっかい学校だわ。ウチもこういうトコだったら通う気になってたのかしらね」
そう。テーブルシティは他でもないグレープアカデミーが置かれている街だ。地図で見ると中央やや南に位置するテーブルシティは交通の要衝であり、まさしくパルデアの心臓部と言える大都市である。清音がテーブルシティまでやってきたのは言うまでもなく優美の情報を集めるため。そして真っ先に向かうべきだと考えたのが、優美が留学していたグレープアカデミーだった。
早速優美を捜すわよ、と大いに意気込んでアカデミーの正門へ向かった清音……だったのだが。
「ぜえ、ぜえ……なんじゃこのアホみたいな階段は!? ウチが通ってたド田舎のオンボロ中学でももうちょいマシだったんだけど!?」
地理の問題なのかなんなのか分からないが、校舎の前にとんでもなく長いうえに傾斜がキツすぎるどえらい階段が設置されていた。ひーこら言いつつ一段一段律儀に上った清音だったが、てっぺんで力尽きて目の前が真っ暗になっていた。優美を捜すとかどうこうの前に早くも死にそうになっているところを、どーにかこーにか呼吸を整える。ぜーはーぜーはー、しばらくリモートワークで家に引きこもってたせいだわ、ジムにでも通おうかしら、ポケモンジムじゃない方。ひとしきり呟いたところで、清音は気を取り直して校舎へ進んでいった。
受付で留学生である川村優美の保護者であること、少し前から連絡が取れなくなっていることを伝える。受付担当にも校長から既に情報共有がされていたようだ。速やかに臨時用セキュリティカードの貸し出しを受けることができた。首からカードホルダーを下げて校内を歩いてみる。
「なんかこう……ちょっと学生に戻ったような気分ね」
学校というものに足を踏み入れるのはいったい何年ぶりのことだろうか。図書室を兼ねたエントランスホールをぐるりと見回してみると、ちょうど優美くらいの少年少女が思い思いに過ごしているのが分かる。友人と談笑している生徒、本を立ち読みしている生徒、机で勉強している生徒、あと居眠りしている生徒も。こんな時代が自分にもあったっけ、もうちょい不真面目だったけれど。清音が苦笑する。ふと郷愁を覚えたのは、きっと気のせいなんかじゃない。
それはさておき優美だ。優美について誰か知っていないだろうか。年次が近そう、かつ話しかけても迷惑にならなさそうな生徒がいないか見てみる。ちょうど本棚の一角で談笑している女子生徒数人が見えた。優美のことを知っていればいいのだけど、清音が静かに歩いて行って、そっと彼女らに声をかける。
「すみません。ちょっといいでしょうか」
「あ、はい。どうしました?」
「私、川村という者です。ここに留学している姪を捜しに来まして、名前が――」
「川村さん……あっ! もしかして優美ちゃんのことです?」
「あっ、そうそう! ひょっとして優美の友達だったり?」
「友達です! 前期はよく一緒の講義に出てました。イチゴちゃんもだよね?」
「同じ同じ! よく優美にノート見せてもらって助かってたけどお、最近ずっと外にいるみたいなんだよねえ。書くの大変だよお」
「もう、自分でちゃんとノート取るって言ってたじゃん。今度写させてもらうときは1ページ10円だよって優美ちゃんと約束したでしょ」
「値段がコピー機のそれなんだよねー、適正価格。優美っちホントちゃっかりしてるよー」
「それはそうだけどお、優美のノート分かりやすいし綺麗だしい」
「でも川村さん、優美ちゃんに何かあったんですか?」
「実は……優美と一週間ほど前から誰も連絡が付かなくて、ここへ直接捜しに来たのよ」
清音がそう言うと、話を聞いていた女生徒たちは一斉に「ええっ」と驚いた顔をした。優美が音信不通の行方不明になっていることはまったく知らなかったようだ。
「よく学校の外に出かけてるから、それが続いてると思ってました。私たちみんな、夏期休暇で里帰りしてましたし」
「そう言えば優美と最後にビデオ通話で話したとき、もうすぐ夏休みだって言ってたわね。今年は帰省せずにこっちで過ごすとか話してたかしら」
「前期に作ったLINQのグループあるけどさー、あそこでも最近メッセージ見てなかった気がするよねー」
「でもさあ、あれメンバー五十人くらいいるよねえ。三ヶ月くらい未読で放置してる人ざらにいるし、アテにならなくない?」
「言われてみると私も最近見てないなぁ。人多すぎると話しづらいよね」
「ありがとうね、みんな。あと……これはちょっと聞きづらいんだけども、いいかしら」
「はい。なんでしょう?」
「優美が誰かにいじめられてるとか、そういう話とかって聞いてたりはしない?」
「全然ないです。隠してるとかじゃなくて、ホントにないんです」
「うちも聞いたことないです。優美っち、いろんな人と一緒に遊んだり勉強してるの見てましたし」
「この学校って昔は結構荒れてたみたいだけどお、今の校長先生が来た辺りでピタッと収まったって聞いたっけ」
実は、清音が一番懸念していたのがこれだった。優美は遠方からの留学生、地元の学生たちとそりが合わず疎外されてしまい、陰湿ないじめのターゲットになってしまっているのではないかと。エーテル財団から支援を受けているために責任を感じて家族に相談することもできず、何もかも嫌になってどこか遠くへ行ってしまったのではないか。とりあえず今話している三人については、みんな気立てが良くて優美とも仲良くしてくれていそうだけれども、やはり清音としては訊かないわけにはいかなかった。
だが彼女たちから聞かされたのは、清音の予想だにしないもので。
「あ。でも前に男子の……カイト君だっけ。『留学生だからって調子に乗んなよ』って優美ちゃんに因縁付けてるとこを見たような」
「なぁんですってぇ!? そのカイトとかいう憎いあんちくしょうが優美をいじめて……」
「けどそれさあ、優美が売られたケンカをソッコー買ってさあ、ポケモンバトルで正面からぼっこぼこにした時のやつじゃない?」
「そうそれ! ミミッキュがすっごい強かったやつ! ばけのかわで相手の攻撃受けて、つるぎのまいで力ためて、かげうちとじゃれつくであっという間に三タテしちゃってさ」
「えっ!? あの後そんなことになってたの!? 私知らなかったよ」
「あれうちも見てたけど、優美っちとミミッキュちゃんやばかったよね。可愛いのに容赦なさすぎでちょっと惚れちゃった」
「でさあ、その後カイトがちゃんと『ごめんなさい』して仲直りしたんだよねえ」
「その後なんか他の子たちも連れて一緒にミミッキュ探しに行ったって聞いたよ。育て方のコツとかも教えてもらったとか」
「前にもダブルで楽しそうに対戦してたの見たしい。あれもうフツーに友達だよねえ」
「ど、どゆことそれ? 優美がポケモンバトルで男子に勝った? ぼっこぼこにした? 今は仲良くしてる?」
ヤドンのようにぽかんと口を開けて呆気にとられる清音。優美に因縁をつけたカイトとかいう男子がいたと聞いて「そいつが優美をいじめたのか!」と一瞬いきり立ったものの、話をちゃんと聞いてみると、優美はポケモンバトルで快勝した上にその子もしっかり反省して詫びも入れて、今はバトルで切磋琢磨するいい関係を築いているという。温和で優しいというイメージしかなかった清音は、優美の意外なくらいアクティブなエピソードを聞かされて目をまん丸くするばかりだ。
「あっ、てか向こうにちょうどカイトいるじゃん、訊いてみよ。おーい、カイトーっ!」
「ん? なんだよイチゴー、どうしたー?」
「ちょっとこっち来て。優美の叔母さん来てるの」
「ユミのおばさん? もしかしてこの人?」
「ほーう? あんたが優美にケンカ売ってボコされたって子ねー? いい度胸してるじゃなーい?」
「そうです! ユミ、バトルすっげえ強くて、おれも強くしてくれってお願いしたんです! そしたら丁寧にいろいろ教えてくれて!」
「えっ!? あっ、へぇー、そうなのねえ……」
「あのっ! ユミの叔母さんってことは……もしかしてユミよりもっと強いんですか!? ひょっとして生徒会長レベルですか!?」
「あー、うーん? どーかしら? ウチ今日ここに来たばっかで、生徒会長さんのことは知らなくて……」
からかい気味に応じてみたら、向こうは予想以上に食いついてきた、それもストレートにまっすぐに。どう見ても根っからの悪ガキとかではない、むしろ素直ないい子だろう。このぐらいの歳の男子にありがちな、女子にちょっかいを出したくなるアレでポケモンバトルを仕掛けただけのようにしか見えない。甥っ子の優真がもう少し幼かった頃、幼馴染の女の子にあれこれイタズラしていた時のような感じだと思えば何もおかしくない。分かりやすいくらい熱血漢なこの性格じゃ、優美をいじめているようなことはまずあり得ないだろう。なら普通に話を聞いた方が早い。清音が一呼吸置くと、カイトに向かって口を開く。
「ごめんなさいね、急に。実はね、優美ともう一週間も連絡が付かなくって、心配して捜しに来たのよ。どこへ行ったかとか、何か知らないかしら?」
「おれもしばらく会えてないんです。ミミッキュ強くなったし久しぶりにバトルしたいんですけど、全然つかまらなくて」
「ええっ! カイト君も連絡付かないんだ」
「そうなんだよ。他のやつらにも時々訊いてるんだけど、誰も知らないって言うんだ。休暇が明けてセルクルから帰ってきたらすぐ会えるって思ってたのに、もう一か月くらい顔も見てなくてさ」
「いっ、一か月も!?」
「そうです。ユミ、ポケモン鍛えるためにあちこちで武者修行してるみたいで。おれん家があるセルクルに遠くから双子のジムリーダーが来てて、リーダーのカエデさんとエキシビションマッチするから来てくれよって言ったんですけど、それにも返事が無かったんです」
「でも言われてみると、うちも深奥から戻ってきて一回も優美っちのこと見てない気がする……」
「優美が遠くまで出かけてるってのはウチも聞いてたし、単にカイト君たちと行き違いになってるだけだったらいいんだけれども」
「今は課外活動期間中だし、ここで見かけないのもおかしくないですけど……でも、どこ行っちゃったんだろう?」
「うーん、『宝探し』かあ。あたしもそろそろ見つけに行かなきゃなあ。でもどうしよっかなあ。何から始めよう?」
「もう、イチゴちゃんったら。それを考えるのが夏期休暇なんだってば」
「ええっ、もうお休み終わっちゃってるよお。どうしよお」
「『宝探し』――確か、課外活動のテーマよね」
優美の留学前にザオボーから渡された資料の中にはグレープアカデミーのパンフレットもあり、清音も渡航前に今一度目を通していた。学校の特色や周囲の環境について述べられていたことに加えて、本校最大の特徴である課外活動に関してもページを割いて紹介されていた。テーマは毎年共通で「宝探し」。広大なパルデアの地を駆け巡り、自分だけの「宝物」を見つけてほしい――という理念について書かれていたことを記憶している。今年もその期間が到来しているというわけだ。
グレープアカデミーの生徒である優美もまた、当然ながらそれに参加しているはず。学校を離れているのはごく普通のことだ。もっとも、ここまで誰も連絡が付かないとなるとやはり心配せざるを得ない。ポケモンを探し回ったり触れ合ったりして電話に出ることも忘れている、といったような話であれば良いのだが。
「優美ちゃん、課外活動も楽しみにしてたんです」
「パルデアでしかできないことをするぞー、って意気込んでたよねー。なんか見てたらうちも気合い入っちゃって」
「それでさ確かさ、みんなで力合わせてバトルするやつあるでしょ。キラキラしてる水晶の中に洞穴があって、そこにポケモンが居てさあ」
「『テラレイドバトル』だよね、知ってる知ってる。優美ちゃんが講義受けてオーブ貰ってすぐくらいだったかな、他の子たちとチャレンジしてたのを見たよ」
「それそれ! あたしも何回か一緒に戦わせてもらったけど、楽しかったよお。また優美と組みたいなあ。『テラスタル』の使い方もバッチリだったしい」
「私たち優美ちゃん入れてちょうど四人だし、優美ちゃん戻ってきたら誘ってみようよ。もっと早く言えばよかった」
「おいおい待ってくれよ。おれがセルクルから戻ってきたら、みんなでダブルするって約束してくれてたんだぞ」
「えー、うち優美っちと一緒に新しいカバンとか帽子見に行こうって話してたんだけどー。秋の新作ー」
「あたしも優美に勉強で訊きたいとこいっぱいあるんだよお。シーソルトアイスの一番でっかいやつおごるから教えて、ってお願いしてOKもらってたしい」
勉強だけでなく、外での活動も実に楽しそうだ。明らかに悩みを持っていたようには見えない。女子生徒たちもカイトも、ともすると優美の取り合いでもおっぱじめかねないくらいだ。みんな好感を持ってくれている、それもごく自然に。話を聞いていると、彼女たちの他にも友達は多くいそうな感じだ。皆が優美と仲良くしていること自体は純粋に良いことで、清音もほっと胸をなで下ろしたものの、そうなるとよりいっそう、優美はなぜなんの連絡も無しに行方を眩ましたのかという疑問が強くなるばかりだった。
「あ、ちゃんすずみーっけ。エントランスにいたんだ」
「おーマオっちじゃん。おいーっす」
「何の話してるの? あと、この人は?」
「優美っちの叔母さんだよ。優美っちのこと捜してるんだって」
「こんにちは。ちょっと前から連絡付かなくて、心配になって来たのよ」
「そうだったんですね。自分もちゃんゆみのことちょっと前から捜してるんですけど、全然見つからなくて。前は医務室によく居たのになぁ」
「医務室……?」
「はい。休み時間とか夕方とか、割としょっちゅう行ってるみたいでした」
医務室という言葉に、清音が一抹の不安を覚える。家から出て学校には通うものの、クラスメートとの折り合いが悪く教室に怖くて入れず、やむを得ず医務室、或いは保健室で過ごす……という話は昔からよくあることだ。保健室登校、という言葉があるくらいなのだから。優美は友達の前では明るく振る舞っているものの、他人には言い出しづらい悩み――それこそ人間関係や、住み慣れた豊縁とは大きく異なるパルデアでの生活に関わる不安を抱えていて、医務室にいる時間が多かったのではないか? 清音はそんなことを考える。
「みんな、いろいろ教えてくれてありがとね。ウチこれからちょっと医務室行ってみて、先生にも話を訊いてみるわ」
「川村さん。もし優美ちゃん見つけたら、私たちも捜してるよって伝えてください。何かあったら相談してほしいです」
「おれもおれも! ユミに悪口言うやつがいるんだったら教えてくれって言ってください! おれが成敗しに行きます!」
「あとついでにー、イチゴっちが優美っちにシーソルトアイスだけじゃなくて焼きおにぎりもおごるよ、って言ってたとも」
「ちょっとちょっとお、優美がそれ好きなのは知ってるけどお、あたしそんなこと言ってないってばあ。でも……おごっちゃおうかな、優美のこと心配だし。そうしよっと!」
「真央がちゃんゆみに借りた二千円、返したいから待ってますって、見つかったら言ってください。自分も捜すの続けますから」
「マオっちさー、ここで優美っちに二千円貸してるとかってウソ言わなくていいのー? 流れ的にー」
「ええ……なんでそういうこと言う必要あるの? 自分フツーに借りてたお金返したいだけだし。意味わかんないよそれ」
「うわっ、マオっちったらマジレスだし。おーこわ、戸締まりしとこ」
口々に優美への伝言を頼まれる。先ほどは医務室という言葉ひとつで不安に駆られたものの、こんなに慕われているのだから医務室に居ざるを得ない、というわけでもないような気もする。とはいえ心配な気持ちに変わりはない。優美の学校生活にまつわる話を聞かせてくれた同窓生たちひとりひとりにお礼の言葉を述べて、清音は医務室まで小走りに駆けていった。
セキュリティカードを何度かかざして医務室のあるフロアまで移動し、清音が順繰りにルームプレートを見て回る。「医務室」、ここに違いない。ほどなくして目的地まで辿り着くと、清音はそっと引き扉を引いて中へ入った。
「失礼します」
「はぁーい」
出迎えたのは女性の保健師。胸のネームプレートには「ミモザ」と書かれている。室内にはベッドに座って休んでいる生徒が何人かとポケモンが何体か、そして豊縁でも時折見かけるきもちポケモンのラルトス、加えてラルトスにくっついているおだやかポケモンのミブリムがいた。清音は地元に生息するラルトスはもちろん、ミブリムについても知識がそれなりにある。相棒であるティアットはガラルで一人旅をしていたときに出会ったポケモンで、その際にミブリムとも何度か遭遇した経験があったからだ。
急にすみません、この学校でお世話になってる川村優美の叔母です。清音が一礼してそう挨拶すると、ミモザはすぐさま反応して見せた。
「川村ちゃんの親戚の方ね。お姉さんかしら?」
「叔母です。優美を捜しているのですが、他の子と話してよく医務室に行っていたと聞いたので、お話を聞かせてもらえればと」
「そうなのよ~。最近川村ちゃんご無沙汰だったから、ちょっと気になってたの」
「ご無沙汰?」
「ええ。夏休み前はホントにしょっちゅう顔出してくれてたんだけども、休み明けからぱったり来なくなっちゃって」
保健師っていうからカタい人かと思ってたけど、いい意味でノリの軽そうな人でよかったわあ、なんて清音が安心していると、思わぬところからボールが投げ込まれてきた。ミモザの口ぶりからして優美が医務室をよく訪れていた――ということは間違いなさそうなのだが、どうもちょっと思っていたのと違うぞ、と。ミモザはむしろ、優美がここに来るのを待ちわびているような雰囲気を見せているのだ。
「ウチの偏見っていうかアレなんですけど、医務室に来るって、ケガしたり病気だったり、あるいは悩みがあって教室には居づらい……って子なんじゃないですか?」
「それは正解よ。ここ実際そういう子のための場所だし、間違ってないわ」
「ですよね。じゃあ、優美は……?」
「ええ、それとは違ってたわ。確か川村ちゃん、なんとか財団ってところに所属してるのよね? ポケモンの保護活動してるっていう」
「そうです。エーテル財団が支援してる奨学生で」
「でしょ? それのお仕事するんだって言って、ここに来る子とかポケモンの面倒見たり話し相手になったりしてくれてたのよ。あたしも助かってたわ」
「ああ……なるほど、そういうことだったのね。納得したわ」
「そ。だから、川村ちゃんがいじめられてたとかじゃないの。まあ、あちこち出かけて探検したり、ポケモンと一緒に遊んだりして、小さなケガはしょっちゅうだったけど、自分でさっさと処置しちゃってたしね」
「外を走り回って遊んでれば、擦り傷切り傷くらい当たり前だものね。ウチにだって覚えがあるもの」
「そうそう。あと、他の子から聞いたんだけども」
「ええ」
「自分に絡んできた野生のポケモンともよくバトルしてたみたいだけど、決着が付いた後は必ず治療してあげてたって」
「優美は昔からそうだったわ。傷付いたポケモンは見過ごせないって感じで」
「バトル自体は楽しんでたみたいだけど、それはそれとして傷付いたまま放っておくのはポリシーに反するみたい。それで仲良くなったポケモンもたくさんいるって聞いたかしら」
ミモザから話を聞いて、清音の不安は綺麗さっぱり解消された。優美は確かに医務室をよく訪れてはいたものの、それは他の子やポケモンの面倒を見るためだった。エーテル財団が携わっている仕事を自分でもやってみたい、やってみようという気持ちからの行動なのは明らかだった。エーテル財団に憧れていた優美のことを思えば、なんら不思議なことではない。
しかしそれはそれとして、やはり夏期休暇明けから優美が姿を見せていないのは気になるところだ。休暇明けから会っていないというのは、先ほど話したカイトの言っていたこととも符合する。カンパニュラは一週間前から音信不通だと言っていたが、それより前から優美に何か起きていたのではないか。今は材料が少なく何とも言えないものの、あらゆる可能性を考慮する必要があるのは間違いない。結論を急がず情報を集めよう、けれど積極的に仮説は立てよう。曲がりなりにもエンジニアとして働いているゆえに、外からは正直とてもそうは見えないのだが、清音の思考はあくまでロジカルベースだった。
(ピン・ポン・パン・ポーン)
それからしばしミモザから優美の様子について話を聞いていたのだが、ここで不意に校内放送が流れはじめた。おや、と清音が会話を中断して顔を上げる。すると……。
「ひょっとして~?」
「臨時入館されている、川村清音さん。川村優美さんの件で、校長からお話があります。恐れ入りますが、校長室までお越しください」
「ウチじゃん! 呼ばれてるのウチじゃん!」
「やっぱり~」
呼び出されていたのは他でもない自分だ。これにはさすがにビックリしたが、しかし置かれている状況を考えてみれば何らおかしな事ではない。エーテル財団のカンパニュラは校長にも話を通したと言っていたし、自分がアカデミーを訪れたことは受付にも話している。いずれ呼び出されることになっていただろう。まあそれはそれとして、自分の名前を校内全域に聞こえる放送で呼ばれるのはちょっとこそばゆかったけれども。
ありがとうございました。清音が一礼して医務室を出る。今度は校長室だ。先ほどフロアマップを見て、二つ右手のブロックの三階にあったことを思い出す。パルデアが広大ならグレープアカデミーも相当に大きく、位置関係を覚えるのもなかなか骨が折れる。とは言えこれだけ広く様々な設備の整った学校なら、優美にとってまさに夢のような環境だろう。学ぶことが好きで真面目な、優美にとっては。
(ウチ、ろくに学校も通ってなかったものねえ。世に言う不良少女ってワケよ)
ま、もう「少女」なんて歳じゃないけどサ。小さなため息が漏れる。清音にとって、学校という場所は束縛の象徴だった。決まり切った制服、雁字搦めの校則、一から十まで時間通りの行動、杓子定規な教師たち。何もかもが気に食わなくて、よく外へ抜け出しては無為な時間を過ごしていた。何にも縛られたくなかった、同じ色に染め上げられたくなかった。
社会人になって時間が経った今、改めてあの時を振り返ってみる。ずいぶんと青くさいことを抜かしていたと思う、生意気もいいところだったと思う、世の中をナメきっていたと言っても過言ではない。それでも清音は今も昔も学校というものに馴染めず、今こうしてグレープアカデミーのキャンパス内にいることにさえ違和感を禁じ得ない。あの時通わざるを得なかった灰色の学校とはまったく違う、色鮮やかで素晴らしい学び舎だというのに。
優美は……昔の自分みたいな落ちこぼれとは大違いだ。優美が自分のようにならなくてよかった、健全な学校生活を送ってくれて何よりだ。まずは心からそう思う。それと共に、自分もこんな学校に通えていたら、あるいは――。名前の見つからない僅かな負の感情が生じる。憧れ? 羨ましい? 願望? 遣る瀬ない? 悔しさ? 情けない? そのどれでもなく、またどれでもある。誰も過去には戻れない、未来が見える者はいない。過去の積み重ねで今があり、今の向かう先に未来がある。過去を捻っても未来を曲げても、ただどうしようもない《矛盾》が生じてしまうだけ。
やめやめ、こーいうこと考え始めると良くないわ。思考を打ち切って顔を上げてみると、ちょうど校長室の前まで来ていた。呼び出されたからには入って構わないはず。深呼吸して気分を落ち着かせると、清音はドアを二回ノックしてゆっくりと開けた。
「失礼します」
「ようこそ、川村さん。呼びつけてしまってすみません」
「いいえ。お忙しいところお時間を取っていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。さあ、こちらへ掛けてください」
グレープアカデミー校長・クラベルと対面する。昔バイトをしていたコンビニに、もう少し老けているけれどよく似た雰囲気の温和なお爺さんがよくタバコを買いに来ていたことをふと思い出す。なかなか銘柄が覚えられなくて、いつも番号で言ってもらっていた。クラベル校長はあの人に輪を掛けて穏やかな空気を醸し出す人だ、自分の知っている「校長先生」とはずいぶん違う。清音は自然といらない緊張が解れるのを感じた。
少しリラックスできた清音とは対照的に、クラベル校長の表情は真剣そのものだった。わずかな間を挟んでから、クラベルが重々しく口を開いた。
「優美さんの行方が分からなくなっている件について、エーテル財団の方から聞かせていただきました」
「はい。私もここに姪を……優美を捜しに来ています」
「教職員全員にこのことを伝え、できるだけ広い範囲を捜してもらっています。生徒会の皆さんにも協力いただき、見つけ次第すぐに連絡してくださいとお願いしました」
「ありがとうございます。お手数をお掛けしてすみません」
「いいえ。この件はアカデミーの不手際、ひいては私の責任です。課外活動期間が始まり、学校を離れている生徒が多くいた。それによって目が行き届かなくなってしまっていた」
「校長先生」
「皆さまからお預かりしている、大切な生徒たちだというのに……川村さんには大変なご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げるクラベルを見て、清音が思わず首を横に振る。エーテル財団職員のナツもそう、グレープアカデミーのクラベル校長もそう。どちらもハッキリと「自分の責任」だと言っていたし、言っている。彼らの気持ちは十分理解できたし、まかり間違っても悪い感情は抱いていない。けれどナツにしてもクラベルにしても、直接優美の失踪に関わったわけではまったくない。優美の身に何が起きたにしろ、ナツやクラベルがその責任を負う必要は無いだろう、清音はそう考えていた。
エーテル財団にしろグレープアカデミーにしろ、こんなにもしっかりした人たちに囲まれていたのだから、優美が何かを苦にしてどこかへ逃げ出すようには到底思えなかった。友人たちとの関係も大変良好で、医務室の話を聞いても他人を思い遣るための心の余裕をたっぷり持っていたのがありありと伝わってくる。環境に何ら問題や課題は見いだせない。それは間違いなく良いことであった。
けれど同時に、これはあまり良い考えではないにしろ、優美が置かれていた環境に足取りを掴むヒントがあるとある程度の確信を持っていただけに、その糸口すら見つからないことが分かったとも言える。優美の行方を追う清音としては、安堵と不安が交錯する複雑な気持ちにならざるを得なかった。
「何かありましたらすぐに連絡させていただきます。優美さんの元気な姿をまた見られるよう、私たちも全力を尽くします」
「本当に、ありがとうございます。今後とも、どうか優美のことをよろしくお願いいたします」
ソファから立ち上がり、校長に倣って深々と頭を下げた清音。だったのだが、その時に提げていたカバンがちょっと傾いてしまい、中に入っていたあるものが飛び出してガラステーブルの上へ落っこちてしまう。
「あっ」
パルデア行きの船で買った、あの浮かれたカタチのサングラスだった。カバンから滑り落ちたそれはテーブルに当たり、カチャン、とずいぶん乾いた音を立てる。清音は思わずぎょっとした、「ぎょっ」と声が出そうなくらいに。こんなシリアスな時になんともしょーもないものが飛び出してしまった。大慌てでサングラスを引っつかむと、正直手遅れなのだがそれでもなんとか誤魔化したくて、カバンの奥の方へグイグイとしまい込んだ。校長先生に恥ずかしいところ見られちゃったわ、と苦笑いしていたのだが、ふとクラベル校長を見ると。
「……!」
「校長……先生?」
優美の話をしていたときとはまた違う、切迫した様子で表情を固くしていた。突如として急変した雰囲気に戸惑い、清音が思わず声を上げる。
「す、すみません、ヘンなもの見せちゃって。あの、どうかされましたか? この机、実はめちゃくちゃ高いやつとかだったりします?」
「……あ、いえいえ。そのようなことは無いですよ。そのサングラスが机に落ちて壊れてしまわなかったか、ちょっと心配になりまして」
「いやー、こっちに来るときの船で見かけて買っちゃったんですけど、普段使いには向いてないですね。ホント、失礼しました」
「旅をすると、ちょっと変わった物をつい買ってしまう。私にも覚えがあります。修学旅行でジョウトへ行った時に、その場の勢いで木刀を買ったことをふと思い出しました」
ほっと胸をなで下ろす。本当に穏やかな人だなあ、清音は思わず感心した。しかも修学旅行先で木刀を買ったなんて言う、清音も似たようなことをした記憶があったので、ずいぶんと親しみが持てた。やはり素晴らしい校長先生だ。自分自身のためにも、そしてこのクラベル校長のためにも、早く優美を見つけ出してアカデミーへ帰してあげたい。そんなことを考えつつしっかり別れの挨拶をして、清音は校長室から静かに退出した。
しんと静まりかえった校長室で、クラベルがひとり立ち尽くす。清音が出て行って閉じられた扉をじっと見つめて、沈痛な面持ちを浮かべて見せて。
「……優美さんの件もまた、彼らと同じことなのかも知れません」
「目が行き届いていなかったということに……変わりはないですから」
クラベルの沈んだ声を聞く者は、聞いた者は――誰一人としていなかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。