大破した車体の上でオルティガと優美が立ち尽くしている。最後の切り札だったスターモービルを打ち負かされ、場にはまだハイドロとポリアフが生き残っている。明らかに自分たちの負けと言わざるを得ない状況だったが、オルティガはどうしてもそれを受け入れることができなかった。
「……くそっ! なんでだよ! スターモービルが……負けるはずなんかないのに!!」
動かなくなったスターモービル、その上で地団太を踏んで歯噛みするオルティガと、彼の隣で思い詰めた表情をしている優美。清音は二歩三歩と踏み込み小夏も彼女に続いて行って、改めて優美に呼び掛けた。
「優美! もうこれ以上戦おうとしないで! ちゃんと話を聞くから、こっちへ来て!」
「優美ちゃん! わたしも清音さんも、優美ちゃんのことが心配なんだよ! お願いだから戻ってきてよ!」
勝敗は決した、これ以上争う必要はないだろう。優美のことが心配だ、その気持ちは戦闘を経た今も変わらない。雨に降られてずぶ濡れの二人が懸命に呼びかける。勝負では心を鬼にして相手の隙を突き、大切にしているポケモンをお互いに容赦なく傷つけた。けれど決着が付いた以上、話し合いに戻るべきだ。だから清音も小夏も、優美へ懸命に呼びかけた。
「わたしは……帰らない。ここにずっといるから!」
二人の声を耳にした優美は、しかし尚も頑なな姿勢を崩さなかった。いくら意地を張ったところで、繰り出せるポケモンがいなければ戦闘は続行できない。何か打つ手があるとでも言うのか。優美は懐に手を差し入れると、おもむろに「何か」を取り出した。
あれは――清音たちが揃って目を凝らす。形はモンスターボールと瓜二つ、だが外観は明らかにモンスターボール、あるいはそれに類する市販のボールではなかった。宇宙を思わせる透き通った青色に、惑星の環を思わせる交差したリング。清音も小夏もそれに見覚えがあった。手にしたことはないが、この目で「実物」を見たことは確かにあった。
「あれは……『ウルトラボール』!?」
「優美ちゃんが……どうして!?」
清音はふと、パルデアを訪れたその日に聞かされた話のことを思い出す。エーテルハウスに何者かが侵入し、保管されていたウルトラボールが盗難に遭った、と。あれは優美が持ち出したものだったのではないか、だから今彼女の手の中にある。けれどウルトラボールはそれだけでは何の役にも立たない。「捕まえるべき存在」がいて初めて意味を成す。追い詰められた優美がこのタイミングで取り出したということは、つまり。
力いっぱいウルトラボールを握りしめた優美が、隣でうずくまるオルティガに目を向ける。気が付いたオルティガは優美が青いボールを手にしているのを目の当たりにして驚きの表情を浮かべたのち、ほんの一瞬だけ目を伏せて、それから……深く頷いた。
「わたしたちはまだ……まだ負けてません! この子がいます!」
「ウェンディ……」
「スター団を、『ネバーランド』を奪われるわけには行きません。戦いましょう!」
「……分かった。ウェンディ、お願いだ。オレと一緒にここを守ってくれ」
「もちろんです! ボス!」
オルティガが力強く立ち上がり、シャンと背筋を伸ばす。隣に立つ優美も同じだ。泥まみれ、煤まみれ、傷だらけになった二人が手をつなぎ、なおも戦意を宿した瞳を清音たちに投げかける。いったい何をするつもりなのか、手にしたウルトラボールは何なのか。戦慄する清音と小夏、その様子を知ってか知らずか、優美が二人に向けて突き付けるようにも、オルティガに向けて安心させるようにも、そのどちらとも取れる口調で呟く。
「『彼』がわたしたちを、『ネバーランド』を守ってくれる。もう何も怖くなんかない」
「ボスとわたしが見つけた『この子』が、ウソつきのオトナたちをみんなやっつけてくれる」
「清音さんも小夏お姉ちゃんも、ポリアフさんも……絶対に敵いっこないんだから!」
大破したスターモービルの車上から、優美がそっと零すようにウルトラボールを落とす。重力に導かれるまま地上へたどり着いたボールは、稲妻のようなまばゆい光を発して、中に入っていた「何か」を現世へ解き放つ。
「さあ、行っておいで」
「――『ピーターパン』!!」
光の向こうに清音と小夏が見たもの。シルエットは……見覚えがあるような気もするし、まるで記憶に無いような気もする。「矛盾」した二つの感情にふたりはただ戸惑う。やがて光が収まり、その姿を明確に捉えることができるようになる。普段ならそれで相手がどんな存在なのかをハッキリと認識できるようになるはずだが、どうしたことか、「それ」は清音も小夏もますます困惑・混乱するような容貌を見せ付けてきた。情報量が増えたにも関わらずますます分からなくなる、これもまた「矛盾」と言えるだろうか。
姿を現した「ピーターパン」、それは謎のポケモン――いや、そもそもポケモンと言ってよいのかも定かではない未知の何かだった。かろうじて使える言葉で表現するなら、「機械でできているような外見」「優美たちと同じくらいの背丈」「サーナイトとエルレイドが融合したかのような人型」といった特徴がある。何より目を引くのが鋼鉄の様な質感を持つ異様な外観で、まったくもって生命体のようには見えない。サーナイトやエルレイドを元にしたロボットやアンドロイドだと言われた方がまだ納得が行く。異様と言うほかないフォルムをしていた。
あまりにも機械じみたフォルム、サーナイトやエルレイドを思わせる姿かたち。情報の氾濫の中で、清音は意識しないままあることを思い出していた。
(こいつ……榁にいた『トライポッド』ってロボットみたいだわ)
かつて居を構えていた榁には清音の目から見ても一風変わった住民が多数暮らしていたが、中でも特筆すべき存在がいた。それが「トライポッド」と呼ばれる人型ロボット達だった。ロボットと言っても見た目や振る舞いは人間そのもので、教えられなければまず機械仕掛けだとは気付かない。清音の知る限り、トライポッドには「アルファ」と呼ばれるラルトスをモチーフにした型と、「ガンマ」と呼ばれるサーナイトを彷彿させる型の二体がいた。確か外見に反してアルファの方が先輩だとか、どこかの研究所で博士と共に行動していたとか、そういった話も聞いた記憶がある。
眼前の「ピーターパン」もラルトスの系譜に当たるポケモンを思わせ、かつロボットのようにしか見えない風貌をしていた。「ピーターパン」と「トライポッド」、両者の間には外見に機械らしさが現われているか否かという違いはあるが、どこか相通じる物を感じずには居られない。ただ、総じて友好的だったアルファを初めとする「トライポッド」たちとは違い、「ピーターパン」は率直に言ってこちらと仲良くする気はさらさら無さそうだった。
デデンネのペレスが散り際に残したエレキフィールドが未だ駆け巡る大地に、優美がウルトラボールから解き放った「ピーターパン」が静かに降り立つ。よく見ると背中にはバックパックの様なユニットが取り付けられている。光沢ある金属で作られた全身にあって、その部分だけがあたかも後付けされたかのように少しばかり浮いている。
《スパークユニットが 停止した機能を 再起動させる!》
《ピーターパンは エレキフィールドで クォークチャージを発動した!》
背後のユニットが重く低い駆動音を上げた直後、「ピーターパン」の目――あたかもデジタル式の電光掲示板を思わせる、とても生物が持つ「目」とは思えないカタチをしている――が強く光る。何が起きているのか正確なところは定かではない。ただ、こちらにとって良くない変化が起きていることだけは確かだ。エレキフィールドの影響を受けて力を増している、そう判断するべき状況だった。
おもむろに「ピーターパン」が振り向く。ドットで描写された瞳をオルティガと優美へ向けると、不意に片膝を突いて二人へ深々と一礼した。現実離れしたあの異様な風貌で、主人たるふたりには忠誠を誓っているというのか。手を繋いだ優美とオルティガが同時に頷くと、「ピーターパン」もまた首を縦に振り、立ち上がると共に清音と小夏を視界に捉えた。その視線は冷徹極まりなく、無機質ゆえに底知れぬ敵意を帯びていて。
「……!!」
右腕をシュッと振るうと、両腕に取り付けられていたエルレイドの刃に酷似したパーツが瞬時に分離接合され、さながら「双刃剣」とでも言うべき武器へ変貌した。オルティガの様にくるりと回して見せた後、清音と小夏へと無造作に向ける。
「これで閉幕だ! オレたちの『ピーターパン』が……オマエたちを八つ裂きにするぞ!」
「悪いオトナは……『ピーターパン』が左手を切り落として、ラウドボーンのエサにしちゃうから!」
オルティガがステッキを、優美がハンマーをそれぞれ今一度しっかりと構え、「ネバーランド」を守護するための戦いに赴くピーターパンを後押しするかのようにして――呆然と立ち尽くす「悪いオトナ」たちへと突き付けた。
「この状況で、まだ切り札を隠してたなんて……!」
「……真に恐るべきは、彼の子らの妄念か」
「あれは……まさか、先輩が見せてくれた、あの……!」
緊急事態であることを察したのか、控えに戻っていた小夏のムシャくんが自らボールを出て飛び出してくる。「ききかいひ」は自らの危機を回避すると共に、主人である小夏の危機もまた回避すべきものとして捉える。毒を食らい深手を負っているが、それでも戦わねばという意思の強さは大したものだ。だが眼前の「ピーターパン」は微塵も動じず、対峙するハイドロ・ポリアフ・ムシャくんを冷酷な眼差しで貫く。
最初に動いたのはポリアフだった。痛む身体を押して前進すると、凍結させた爪を大きく振りかぶる。得意技の「メタルクロー」を繰り出そうとしていた。直撃すればいかに鋼鉄のような頑丈な体を持つ「ピーターパン」とて無事では済まない。地面を凍らせて滑り込み、双刃剣を手に佇む「ピーターパン」へ攻撃を仕掛ける――。
が。
「*/***/**@*/*/*@*/*@/#/*@/**@/*@*/*@/*@**」
武器を手の中でバトンのようにくるくると回転させたかと思うと、小夏のリオちゃんが繰り出したものと遜色ない――いや、より強い力を帯びた「はどうだん」を突如として繰り出した。「はどうだん」は対象のエネルギーを追って進み、よほどの事がない限り必ず命中するという性質を持つ。ポリアフと「ピーターパン」の間に遮るものは何もなく、前に向かって進んでいたポリアフが不意に飛んできたそれを避けられるはずもなく。
「……ぐはっ!」
直撃を受けたポリアフがもんどりうって吹き飛び、地面に倒れ伏す。元からダメージが蓄積していたところへ、二重弱点となる属性を帯びた強烈な攻撃を受けたとあって、さすがのポリアフも立ち上がれないほどの重傷を負ってしまった。
「ポリアフ!」
「か、川村殿……」
「大丈夫!? しっかりして!」
「よ……用心せよ。あの面妖な人形……尋常ならざる力を持って居るわ」
清音が顔を上げる。一撃でポリアフを倒した「ピーターパン」は、残るハイドロとムシャくんに冷たい目を向ける。相手に攻めさせていては勝機はないと見たか、今度はムシャくんが先手を取らんとする。持ち前の瞬発力で地を蹴って走り、得意技である「であいがしら」で突撃を敢行する。普段なら相手へ一方的に痛打を与えられる場面、だがその様子を見ていた清音と小夏は、どちらも今しがたポリアフが撃破された瞬間の映像があたかもデジャヴュのように再生される。
悪い予感ほど、よく当たるものだ。
「*@@*/**@/@@*@@/@@@/#/@/*@*/**@/*/@*/@@@」
携えていた双刃剣を目にも止まらぬ速さで元の腕へ戻したかと思うと、地を走るエレキフィールドから電力を集めて腕へ集中させ――取り付けた刃で切りつけるかの如く、突進してきたムシャくんを殴り飛ばして見せた。
「ぐぅぅおおぅ……」
「ムシャくん!」
技自体は「かみなりパンチ」の型だが、そこへ刃による斬撃をプラスして威力を高めている。ここまでの応用を瞬時に利かせてくるのは並大抵のことではない。小夏が吹き飛ばされてダウンしたムシャくんへ駆け寄る傍ら、「ピーターパン」は再び刃を外して武器形態へ戻し、残るハイドロを見つめる。
二度先手を取られたことに何か思うところがあったのか、今度は「ピーターパン」から攻めかかってきた。俊足を誇るムシャくんを超える恐るべきスピードを以てハイドロ目掛けて突撃していく。ハイドロは迎撃のためとっさに「アクアブレイク」の構えを取るが、「ピーターパン」のスピードはハイドロの対応できる速度を遥かに上回っていた。
「****/@@@/*@@@/*@/#/*@/@@*/**@/@**/*@」
深緑のまばゆい光がハイドロを一閃する。まったく別のところで同じ技を目にしたことがあった。「リーフブレード」だ。植物の力を帯びた斬撃で相手を切り裂く強力な技で、ハイドロにとっては最も食らいたくない攻撃のひとつだった。ポリアフやムシャくんと同じく激戦を経て多大なダメージが蓄積していたところに最大弱点を突かれて、為す術もなく吹き飛ばされ地面に倒れ伏す。
「ハイドロ!!」
「ぐぬ……ぬぅ」
名を叫んで駆け寄った清音になんとか返事をするも、それがもはや精一杯なのは火を見るより明らかだった。清音は傷だらけのハイドロを抱きしめると、これまでの敢闘をねぎらいつつモンスターボールへ戻してやる。少なくとも、これでハイドロは安全だ。だが、今自分が置かれている状況は――。
優美とオルティガが繰り出した「ピーターパン」は恐るべき強さを発揮し、辛うじて戦えていたポリアフ・小夏のムシャくん・そして清音のハイドロを文字通り瞬時になぎ倒してしまった。相手に応じた様々なタイプの技を使いこなす知識と技術を持ち、物理攻撃も特殊攻撃も抜群の破壊力を誇る。それを相当なスピードを乗せて繰り出してくるのだから手がつけられない。
無傷のまま清音たちのポケモンを一蹴した「ピーターパン」、その力を見せつけることに成功した優美が、今度はこちらの番だとばかりに前に出て、肩を落としてうなだれる清音に向かって声を張り上げる。
「これでもう戦えるポケモンはいない。みんな……みんな戦えなくなった!」
「ポケモン勝負は戦えるポケモンがいなくなった方が負け! 清音さんも小夏お姉ちゃんもポリアフさんも、それくらい分かってるはずだよ!」
「だからこの勝負は、この戦いは、ボスとわたしたちの勝ち。わたしたちが勝ったんだ!」
「負けたんだから……今すぐここから出て行って!」
「もうこれ以上わたしたちに関わらないで! 『ネバーランド』を荒らさないで!!」
勝負は最後まで立っていた方の勝ち、戦えるポケモンがいなくなった方が負け。優美の言い分は正論そのものであり、反論の余地などどこにもなかった。ミドちゃん・サンくん・カルちゃん・リオちゃん・ムシャくん。総てのポケモンを倒され、一切の打つ手が無くなった小夏が沈痛な面持ちで清音を見る。それは近くでうずくまっているポリアフも同じだ。清音も同じくティアットとハイドロを倒されている、もう出せるポケモンなど残っているはずがない。誰もがそう思っていた。
けれど――清音は違っていた。ティアットが入ったものでもハイドロが入ったものでもない、それらとは明らかにデザインの違うボール――「ヒールボール」を手にして、向こうにいるポケモンをただじっと見つめている。ヒールボールの中にいるポケモンは彼女に呼応して、同じく清音の瞳をまっすぐ見つめる。
「……本当はあなたに傷ついて欲しくなかった。ましてや優美を相手に戦わせるなんて、絶対させたくなかった」
「けど、この戦いに負けるわけには行かない。優美を連れて帰るためには、絶対に引き下がれないの」
「この一度きりでいいわ。だから今だけ、今だけ私に力を貸して。あなたの持てるすべての力を」
ボールの中で小さく、だが確かに頷いたのを見届けて、清音は顔を上げた。
「決着は付いてないわ! こっちにだってまだポケモンがいるもの!」
「優美! あなたに帰って来てほしいのは義姉さんや優真、私だけじゃないの!」
「『この子』もあなたの帰りを待ってたのよ! 優美とまた会える日を、ずっと!」
「もうこんなこと続けたくない。これで何もかもおしまいにするわ!」
清音にヒールボールを突き出されて、優美が驚愕の表情を浮かべる。明らかに見覚えがある、そこに誰が入っているのかを知っている、顔つきがそう物語っていた。ただ清音が連れているというだけではない、優美たちとも深い関わりがあるポケモンだ。そうでなければ優美が驚くはずがなかった、清音がここまで場に出すことを躊躇うこともなかった。自分と小夏、そしてポリアフが全滅寸前というこの危機的状況で、どうしても力を借りざるを得なかった。清音の顔には苦悩と懊悩が色濃く浮かび、正しく「苦渋の選択」だったことを表していた。
それでもなお、戦うことでしか未来を切り拓けない。清音はすべての業を背負う覚悟を決めて、ヒールボールに手を掛けたのだった。掴んだボールを悠然と立つ「ピーターパン」の前へ放り投げ、清音が力の限りに叫んだ。
「……出てきて、ハサミちゃん!!」
「るぅおぉぅっ!」
ヒールボールのあたたかな光の向こうから出現したのは――ブロスターのハサミちゃんだった。ニックネームの通り右手に重火器を思わせる巨大なハサミを携え、雄叫びを上げて戦闘の場に降り立つ。未知なる強敵を前にしても、ハサミちゃんはいささかも怯んだり怯えたりする様子はない。冷酷な敵「ピーターパン」、そしてその向こうに立っている優美をしっかりと視界に捉えて、片時も目を離すまいとしている。体には無数の傷跡があり、これまで数多くの戦いを潜り抜けてきたことを感じさせる。
「ハサミ、ちゃん……」
対面した優美は呆然と口を開けて、自分がハサミちゃんと対峙しているという事実を受け止められずにいる。ハンマーを持つ手に力が入り、体がかたかたと小さく揺れている。ハサミちゃんが優美にとってただのポケモンではない、誰が見ても分かる態度だった。
驚いたのは優美だけではない。清音の隣に立っている小夏も同じだった。優真たちがブロスターのハサミちゃんを育てていることはよく知っていた。進化前のウデッポウの頃から大切にされて、今では清音の相棒たちと共に川村家の用心棒として家の安全を守っているということも。だからこそ、今この場にハサミちゃんがいることに驚愕していた。優美とハサミちゃんがどのような関係にあるかも、小夏は熟知していた。
優美と同じくらいよく知っている、そう言ってしまっても構わないほどに。
「わたしは……わたしは戦う! 例えハサミちゃんが相手でも……わたし、容赦しない! 絶対に負けられない、だから!」
まとわりつく迷いを振り切るように叫ぶと、優美がカバンから何かを取り出した。モンスターボールのようにも見えるが、形状が少し異なっている。黒光りするそれは、パルデア地方で使われている特殊なアイテム「テラスタルオーブ」だ。強く握りしめた優美がテラスタルオーブを構えると、それは周囲の光をまるでブラックホールのように吸い込み始めた。小さなオーブに強い力が収束していき、支える優美が苦しげな表情を浮かべる。
「くっ……うぅっ……!」
そこへ。
「オレもいっしょだ、ウェンディ」
「ボス……!」
「あいつらを叩き出してここを守る。そうだろ? オレがやらなきゃ誰がやるんだよって話だし!」
「……はい! ありがとうございます!」
オルティガがテラスタルオーブに自らの手を添えた。今にも倒れそうな優美を支えるために、そして彼女と共に大切な「ネバーランド」を、「スター団」を護るために。二人が力を合わせてテラスタルオーブに力をチャージしきると、光り輝くそれを「ピーターパン」目がけて投げつけた。
オーブの光を受けた「ピーターパン」が、大地から隆起した無数のクリスタルに包み込まれる。全身を水晶が覆ったか直後に内側から亀裂が生じて、あたかも「たまご」の殻が割れるかのように水晶が砕け散った。
「あれは……! フェアリータイプの『テラスタル』!」
無機質で冷たい鋼鉄のカラダが、光り輝くクリスタルで覆われている。それだけではない。頭部には翼を生やした「ハート」を思わせる巨大な水晶が発現して、ひときわ強い輝きを放っていた。小夏が思わず口にしたとおり、優美とオルティガは「ピーターパン」を強化するため、持っていたオーブを使ってフェアリータイプの「テラスタル」を発動したのだ。
テラスタル。パルデア地方で発見された新たな技術で、大地に膨大な眠る力をポケモンに与えることで、本来変わることの無いはずの「タイプ」を一時的に変えてしまうというものだ。これは「テラスタイプ」と呼ばれる。それだけではない。テラスタル化したポケモンはパワーが増し、特にテラスタイプと一致する技を使うとすさまじい威力を発揮することができる。
優美たちはなんとしても清音とハサミちゃんを倒さねばならなかった。ゆえに最後の最後、本当に最後の切り札を切ったのだ。全身を輝かせた「ピーターパン」が凶悪な目つきをして、正面に対峙するハサミちゃんへ向けて殺意と憎悪に染まった視線を向ける。
「ウェンディ!」
「ボス!」
自分たちにとって最後の希望である「ピーターパン」。彼がしっかり構えたのを見届けた優美とオルティガが目を合わせて頷き合い、互いの息を完全に合わせたところで、声の限りに叫んで呼びかけ合う。そして――。
「「マジカルシャイン!!」」
「@***/*@*/**/*@**/*@**/@@@/#/@@/*@@*@/@@*/**/@*@*/@@@!!」
優美が持っていたテラスタルオーブによって大幅に強化された、スター団フェアリー組「チーム・ルクバー」のボスたるオルティガの得意技「マジカルシャイン」、それを繰り出すのは、優美とオルティガが見つけ出した未知なるポケモン「ピーターパン」。優美・オルティガ・「ピーターパン」、三者の持てるすべてを乗せた一撃が、清音のハサミちゃんを容赦なく襲う。
「……!!」
無数の光が矢のような速さでハサミちゃんを貫き、全身に無数の傷跡を残していく。「ピーターパン」はあらゆる技を高い破壊力をもって繰り出す能力を持ったキリングマシーンだ。さらに「マジカルシャイン」は言うまでもなくフェアリータイプの技で、テラスタイプをそれに変化させた「ピーターパン」にとっては言うまでもなく最大のダメージを与えられる攻撃に他ならない。ハサミちゃんは為す術もなく直撃を受け、すさまじいダメージを負ったのは外から見ても明らかだった。
到底耐えられるはずがない。優美もオルティガも「ピーターパン」も、受ける側にあった小夏もポリアフも同じ思いだった。ブロスターは決して守りに秀でたポケモンとは言えず、そこへ来て最高火力の「マジカルシャイン」を直撃させられたのである、この一撃で今度こそ勝敗は決した。誰もがそう思っていた。そう思っていたはずだった。
――否。それは違う。それは間違っていた。
「ぐぅぅ……! ぅぉぉおっ……!」
「ど……どうして……!?」
「なっ、なんでだよ!? どうして……どうしてやられないんだよ!? 何がどうなってるっていうんだ!?」
光が止んだバトルフィールド。そこには傷だらけ血まみれのハサミちゃんが、今にも倒れそうになりながらも、なおその場で持ちこたえていた。荒い呼吸をして痛みに顔をゆがめながらも、戦意は失せるどころかますます燃え上がり、銃口を突き付けるかのように鋏を構えている。それに誰よりも驚いたのは優美だった。ハサミちゃんのことはよく知っている、誰よりも知っていると言っていい。だからハサミちゃんの一番弱い部分を突いた、一撃で終わらせるために最も強い技を繰り出した。
なのに、どうして。どうしてハサミちゃんは倒れない。優美は狼狽して言葉を失う。それは隣に立つオルティガもまた同じだった。
「ハサミちゃん! 『だいちのはどう』!」
清音の指示が飛ぶ。ハサミちゃんが口を開いた鋏を大地へ打ち込み、特性「メガランチャー」を乗せた強烈な波動を叩き込む。その威力は小夏のリオちゃんに勝るとも劣らない。地鳴りがしたかと思うと、足下に広がっていた「エレキフィールド」が大きく脈打ち、「マジカルシャイン」を繰り出し終えて隙ができていた「ピーターパン」の足下を激しくすくった。
バチバチッ、と激しく火花が散る音が響き渡る。「エレキフィールド」の性質を受けてでんきタイプの性質を帯びた「だいちのはどう」が「ピーターパン」の全身を駆け巡り、背中に取り付けられていたユニットに過剰な負荷が掛かってオーバーロードを起こしたのだ。機能不全を起こした「ピーターパン」はその動きを止めてしまい、手にしていた武器を杖にしてなんとか立っている状態だった。
「もう、これでおしまいにさせて。今度こそ本当に……終わりにさせて!」
「……『みずのはどう』!!」
ハサミちゃんが一番の得意技である「みずのはどう」の構えを取る。大きく引いた右腕の鋏、そこに猛烈なエネルギーが収束していく。降りしきる雨がハサミちゃんに力を与え、波動がうねりを増してゆく。鋏へ限界まで水流を充填し、突き刺すかのように前へと突き出した刹那、ハサミちゃんの両目から大粒の涙がぽろぽろと零れた。練り上げられた「みずのはどう」はその涙さえも一滴残らず巻き込んで、動けなくなった「ピーターパン」へと突き進んでいく。
ほんの一瞬、すべての音が消え、世界がまばゆい光に包まれた。「みずのはどう」は「ピーターパン」にクリーンヒットして、彼の手から双刃剣が吹き飛ぶ。くるくると無力に回転して落ちていったそれが大地に突き刺さった瞬間、「ピーターパン」の全身から光が漏れ出す。
「*@@*/*/*@*/@**/*/*@*...」
天に向かって輝いていた「ハート」が、優美とオルティガが生み出した「ハート」が――粉みじんに砕け散った。
キラキラと輝くテラスタルの破片は美しさすら感じさせて、場に居る者すべての時間が何倍にも、何十倍にも、何百倍にも引き延ばされたかのようだった。光の粒子となり大地へ回帰したテラスタルの欠片が完全に見えなくなったかと思うと、「ピーターパン」が膝を突いてその場にうずくまった。目を映し出していたディスプレイは完全に機能停止し、一切の表情が伺えない。
最後にして最大の敵「ピーターパン」を打ち倒したハサミちゃんの体から、ぼろぼろになって千切れた布きれが落ちていく。地面に落ちたそれを小夏が拾い上げて、瞳を潤ませてしゃくり上げながら、優美に向かって語りかける。
「優美ちゃん……覚えてる? あの時のこと、傷だらけのウデッポウを助けてあげたときのこと……っ」
「自分が痛い思いをするのも構わずに……ウデッポウを助けてあげて、血まみれの体をくるんであげて……!」
「その時のタオルを使って……優美ちゃんが作ったんだよね、作ってあげたんだよね……!」
「ウデッポウが、ハサミちゃんが、もし何かあっても、必ず助かってくれるように、って……!」
「この……『きあいのタスキ』を……!」
ブロスターのハサミちゃんはかつてウデッポウだった。優美が兄の優真と海へ遊びに出かけた折、大けがをしてうずくまっているところを見つけたのだ。助けようとした優美を攻撃するほど警戒していたウデッポウだったが、優美はそれさえも全部受け止めてウデッポウに寄り添ったことで、固く閉ざされた心を開いてもらうことができた。命を救われたウデッポウは「ハサミちゃん」と名付けられ、優美と優真の手で大切に育てられ――そして今のブロスターの姿へ進化を遂げたのだ。
ハサミちゃんが「ピーターパン」の「マジカルシャイン」を受けてなお立ち続けた理由。それは優美がハサミちゃんを助けた時に使ったタオルを使って作った「きあいのタスキ」の賜物だった。優美がハサミちゃんに注いだ慈愛の心が、ハサミちゃんにとって文字通り命のタスキとなった、そういうことだった。
「ハサミ、ちゃん……」
手にしていたハンマーを取り落とし、優美ががっくりと膝を負って崩れ落ちる。隣のオルティガも呆然と立ち尽くしたまま、動かなくなった「ピーターパン」を色を失った瞳で見つめるばかりだ。今度という今度こそ、スター団の二人が出せる手札はなくなった。それはとりもなおさず、彼らが仕掛けられた勝負に負けたことを意味する。勝負に負けたということは、つまり。
スター団には掟があった。「ボスは売られたケンカを必ず買うこと」、そして「売られたケンカに負けた場合、ボスの座を退くこと」。今の状況はどうだろう。すべてのポケモンを倒され、スターモービルは大破して動かなくなり、「ピーターパン」は機能停止した。清音たちも無事では済まない大損害を受けたが、それでもなおハサミちゃんは間違いなく立ち続けている。勝負は最後まで立っていた方の勝ち。オルティガが尊敬する「チーム・カーフ」のボスであるビワから幾度も伝えられた言葉が繰り返し脳裏をよぎる。
「そんな……ボスが、マムが、負けるなんて」
「スターモービルが動かなくなるなんて、どうして……」
勝負を見守っていた団員たちが絶望の声を上げる。そのうちのひとりがモンスターボールを構えて、オルティガたちを打ち負かした清音と小夏をキッと見据える。
「……敵討ちだ! 今ならやれるぞ!」
「みんな! ボスとマムの無念を晴らすんだ!」
誰かが声を上げる。すると周りの団員も表情を険しくし、次々にモンスターボールをその手に掴む。いくら戦いに勝利したとはいえ、清音も小夏もポリアフも精根尽き果てていた。ここで襲い掛かられればどうしようもない、清音が冷や汗をかく、小夏が歯を食いしばる。ボスと右腕を倒された団員たちは憤怒と悔恨で我を忘れている、下手をすれば自分たちの身さえ危ない。今度こそ絶体絶命、ふたりは思わず身を固くした。
だが。
「やめろ! 勝負はもう付いた! あいつらに手を出したらオレが許さない!」
気勢を上げる団員たちを制止したのは、他でもない「チーム・ルクバー」のボスであるオルティガだった。今にも襲い掛からんとしていた団員がひとり残らず一斉に沈黙し、全身を硬直させてオルティガを見つめている。それは隣で膝を折っているウェンディ、もとい優美も同じだった。
「ウェンディ。オレたちの負けだ」
「ボス! そんな……!」
「悔しい、オレだって悔しいに決まってる! けど、これは『掟』だ。オレたちはルールを、掟を守らない連中に立ち向かってきた。オレたちを酷い目に遭わせたやつらもそう、見て見ぬ振りをしたオトナたちだってそうだ。だからここでオレたちが掟を破ったら、それは」
「ボス……」
「……オレたちが何よりも許せない、ウソつき(phony)に成り下がるってことだ。オレはそうはなりたくない。ウェンディ、それはオマエだって同じだろ」
絶望する優美の肩にそっと手を添えて、オルティガが諭すように告げた。優美はなおも意気消沈していたが、それ以上オルティガに食い下がろうとはしなかった。オルティガの言わんとしていることを理解できないほど優美は愚かではない。ここで自分たちが作った「掟」を破ってしまえば、それは蛇蝎の如く嫌っていた「ウソつき(phony)」になってしまうことを意味する。優美にとって何よりも耐えがたいことだった。
――降りしきる雨が、勝敗の決した「ネバーランド」の地を濡らしていった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。