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#15 シュペルノーヴァ

伊吹さん、ギフトと協力して負傷したポケモンたちの手当てを行ってください。ザオボーが静かな口ぶりでナツに指示を出す。ナツたちがすぐさま動き出し、小夏やオルティガにも声を掛けて負傷したポケモンを集めていく。その横を通りすぎ、ザオボーはまっすぐに歩いて行った。

「……川村さん」

優美の元へ。清音の元へ。

「支部長、さん……」

惚けた表情で掠れた声を上げる優美を、ザオボーは沈痛な面持ちで視界に捉えていた。彼女の前に立ち、やりきれない思いを露わにした表情を浮かべている。優美は不安げにザオボーを見つめ、清音はどうすることもできずにただ優美を抱くばかりで。しばしの沈黙の後、優美が声を震わせながら口を開く。

「あ……あの」

「はい。川村さん」

「お母さんと、お兄ちゃんは……っ」

ザオボーは目を伏せたまま手にしたスマートフォンを操作し、どこかへ連絡を繋いだ。必要な操作を終わらせた後、無言のままそっと優美にディスプレイを向けた。そこには。

「優美! 大丈夫か!?」

「優美……! 無事だったのね!」

「お兄ちゃん、お母さん……!」

「伊吹です。川村さん、本当に申し訳ありませんでした。この通り、お母様もお兄様も無事です」

同じく財団職員として働いているナツの母・ヒサコと、間違いなく本人だと分かる兄・優真と母・優菜の姿があった。ロベリアが悪事を働いていると認識した時点でザオボーがヒサコに連絡を入れ、二人の安全を最大限確保するよう指示していたのだ。家族の無事な姿を見た優美は泣き腫らした目に再び涙を浮かべて、しきりにしゃくり上げてすすり泣いた。

「先ほどご覧に入れた通り、ロベリアには財団として正式に処罰を下しました。金輪際、彼女が川村さんに関わることはありません。私の目の黒い内は近付けることもさせません。決して、決して」

「しかし……この程度の措置で川村さんの負った心の傷を癒せるはずなどない。我々はロベリアのような悪辣な人間を排除することができず、野放図にのさばらせてしまったのですから」

「それが前途ある川村さんをどれほど苦しめ、財団へ寄せていただいていた信頼を毀損したか……察するに余りあります。到底償いきれるものではない」

そして――ザオボーは。

「本当に……本当に、申し訳ありませんでした」

優美の前で脚を折り、手を地に着け、頭を擦り付けんばかりに深々と土下座をした。優美は目を丸くして驚き、悔恨に満ちたザオボーの謝罪を気が気ではない様子で見つめる。「ネバーランド」の大地は降り続く雨でぬかるみ、ザオボーの着ている白衣はあっという間に泥まみれになってしまった。服だけでは済まない、ザオボー自身も土に塗れ泥を被り、全身を汚してなお謝罪を止めようとしない。

「私の振るまいが川村さんに何の益も齎さないことは百も承知です。ですが、こうでもしなければ私の気持ちは収まりますまい」

「当然ながら、この程度で赦されるとは思っていません。私が頭を下げたとて、川村さんが味わった苦しみを肩代わりできるはずもない」

「しかし。しかし、です。我々には、エーテル財団には確かに必要なのです」

「ただ一人ロベリアに立ち向かった川村さんのような、誠実さと勇気で未来を切り開ける人間が、どうしても必要なのです」

「これは私だけの思いではない、財団という組織そのものが欲して止まないのです」

「過ちを重ねた過去を乗り越えるため、在るべき未来を紡ぐために、我々は川村さんを必要としています」

「生けとし生けるものすべてを慈しみ、間違いを正して信念を貫ける……そんなかけがえのない方との縁を、このような悼ましい形で失ってはならない。甚大な損失です」

「どうか……どうか! もう一度我々に機会を与えていただきたい! この通りです!」

繰り返し繰り返し、何度も頭を下げるザオボーを見た優美が清音から離れる。今にも泣き出しそうな顔をして、「もうやめて」とザオボーの手を取る。顔を上げたザオボーをしっかり見て、優美が目に涙を浮かべて首を横に振る。

「支部長さんは……支部長さんは悪くないよ、だから……もう、謝らないで。お願い、支部長さん」

「あんなこと言われて、ポケモンを傷つけるようなことをしろって言われて……何を信じたらいいのかわからなくて」

「わたしが間違ってたんだ、綺麗事を信じ込まされてたんだ、そんな風に考えたら……つらくて、悲しくて、心が痛くて……」

「でも、わたし、本当は財団のお仕事をしたかった。ポケモンを護るんだって、小さい頃からずっと思ってた、だから」

「あの時スバメを助けてくれた職員さんみたいに、傷ついたポケモンを元気にしてあげたいって、ずっと、ずっと――」

優美はそこまで言うと、ふらり、と体をよろめかせて前に倒れ込んだ。ザオボーがすかさず抱き留める。ロベリアが拘束されてこの場からいなくなったことと家族の無事が確かめられたことの安堵から、緊張の糸がぷっつりと切れてしまったらしい。長く続いたスター団での潜伏生活や清音たちとの激しい戦闘で溜まっていた疲労がピークに達したこともあってか、とうとう意識を失って倒れるに至った。

「……ユミ! どうした!? しっかりしろ!!」

「優美ちゃん! 大丈夫!?」

ナツと追って現われた財団職員たちにポケモンを預けて戻ってきたオルティガと小夏が、気を失って倒れ込んだ優美を見て慌てて駆け寄ってきた。ザオボーが事情を説明し、優美を安全な場所で休ませてやって欲しいと頼む。向こうのテントは人払いを済ませて空けてある、使ってくれ。オルティガが場所を提供すると共に、同じく駆け付けた団員たち、そして小夏と協力して優美をテントまで運んでいった。

残されたのは清音、そして泥まみれになったザオボー。ザオボーが目を向けると、清音がようやく我に返った顔で落ち着きを取り戻していた。

「ザオボーさん……これで、終わりでしょうか」

「……ええ。ロベリアは犯した罪に相応しい罰を受けることになります。川村さん、本当に申し訳ありませんでした」

「いえ……これで良かったんです。私が手を出していたら、どうなったことか……」

「我々が優美さんに救われたように、川村さんもまた優美さんに救われた、そう言うべきでしょうか」

「そうです。優美が気付かせてくれたんです。私はもう大人なんだ、従うべきルールが、『掟』があるんだ、ってことを」

もはや握り方を忘れてしまったかのような力の抜けた掌をじっと見つめて、清音は顔を俯かせた。

「あの、ザオボーさんの気持ちはよく分かりました。優美が財団にとって貴重な人材だということも。でも……どうしてそこまで」

「先ほどの言葉は私の嘘偽りない本心です。決して口先だけのことではありません。優美さんが再び財団と志を共にしてくれるのであれば、この程度のことの何を躊躇いましょうか」

「ザオボーさん」

「その身を泥に塗れさせても、貫くべきを貫く。これが――大人の『汚れ仕事』というものだと、私は考えております」

後悔するわけではありませんが、こうもぬかるんだ土地ですと、さすがに少々汚れを落とすのに手間が掛かりそうですがね。苦笑いするザオボーを見て、清音は言葉にしがたい思いがふくらんでいくのを実感していた。大人とは何か、大人とはどんな存在であるべきなのか。昨晩寝る間際に生じた思考が不意に蘇って、清音の中で渦を巻き始めた。

そこへ飲み込まれそうになるほんの少し前、優美をテントへ運んでいったオルティガと小夏が再び戻ってきた。小夏は優美を運んでいった際に濡れた体を拭いて服を着替えたようで、備蓄してあった傘も借りて差している。オルティガも同様だ。さすがにあの奇抜な衣装の替えはなかったのか、グレープアカデミー指定の冬服を着ていた。

「さっき爺やから電話があった。ここにカチコミたいってヤツらが来たらしい」

「けど見ての通り、オレたちは姉ちゃんとコナツに負けた。そう伝えたら、姉ちゃんたちに会いたいって言いだしたんだ」

「何の用事か知らないけど、とりあえず会ってくれ。もうすぐここに爺やがそいつらを連れてくる」

ほどなくして、老年の男性が歩いてきた。見てくれからしてこれがオルティガの言っていた「爺や」だろう。後ろを見ると他にもふたつの人影がある。清音と小夏に会わせたい人というのは彼らのことだろう。

「オルティガ坊ちゃま」

「爺や。今日はピアノのレッスンだったね。用事が済んだら送っていってくれないか」

「勿論です。承知いたしました」

「それと――そろそろ家にも帰るよ。ついさっきボスの座を降りたんだ」

「坊ちゃま……分かりました。このことをお父上には伝えられますか?」

「いや、言わなくていい。どっちにしろ、家にはめったに帰ってこられないんだから」

ひとしきり会話した後、この執事らしき男性を集まっている皆へ紹介することにしたようだ。オルティガが一同に目を向ける。

「イヌガヤだ。うちで執事をしてくれている」

「ご紹介に預かりました、イヌガヤと申します」

「説明すると長くなるんだけど、この姉ちゃんたちがオレとウェンディ……ユミを負かした。そのユミが所属してるエーテル財団ってとこの人たちだ」

「アローラで活動されているという、あのエーテル財団でしょうか」

「申し遅れました。豊縁支部長のザオボーと申します。こちらは職員の伊吹さん」

「よろしくお願いいたします」

「川村です。姪の優美がパルデアで行方不明になったと聞いて、捜索のためにここまで来ました」

「皆口です。川村さんと一緒に優美ちゃんを捜していました」

「そういった事情がおありでしたか……そして貴女方が坊ちゃまに勝利されたと。分かりました。少しお時間をちょうだいしたく」

自己紹介を済ませたところで、ちょうど「来客」たちが姿を現した。

一人はグレープアカデミーの女子生徒だ。先ほどまでの小夏とまったく同じ服装をしている。特徴らしい特徴と言えば、右サイドで髪をお下げにしていることくらいだろうか。ともすると大勢の生徒の中に埋没してもおかしくないはずなのに、なぜだろうか? どこか普通の生徒ではないと思わせる、独特の存在感を覚えさせる。特に小夏はそれをひしひしと感じ取っていた。思わず目を大きく開いて、その姿をしっかりと視界に捉える。

(なんだろう……普通の子のはずなのに、どうして?)

小夏の隣では、オルティガが少しばかり渋い顔をしていた。

「なるほど。オマエが『アオイ』か。ホントはオマエと戦うはずだったんだな、オレも」

「じゃあ、あなたがスター団の他のアジトを?」

そう小夏に問われた少女が大きく頷いた。さらりとした態度だが、まったくもってとんでもないことだ。清音と小夏が二人がかりでようやくこの「チーム・ルクバー」のアジト、通称「ネバーランド」をひとつ開城したというのに、この「アオイ」という女子生徒はそれを四つもやってのけているのだ。とてもそんな腕っ節を誇る風貌には見えないごく普通の年頃の女の子としか映らないのが、却って彼女の凄みを際立たせていた。

だがそんな「アオイ」の横に現われたのは、ある意味で彼女のはるか上を行く……なんというか、とにかくとんでもないやつだった。

「えっ……なんだこの人。リーゼントに半ズボンって」

オルティガの言葉がすべてだった。「アオイ」の隣に着いたのは、イマドキまず学校で見ないような「リーゼント」ヘアーに、やけに丈の短い半ズボンを履いた壮年男性だった。グレープアカデミーは単位制の学校であり、在籍に当たって特に年齢制限はない。ゆえに成人した者や高齢の生徒も何ら珍しくないのだが、それを差し引いてもぶっ飛んだファッションセンスを見せつけている。ヘアスタイルが一昔、いや二昔前の不良生徒のそれなのに、律儀にメガネを掛けているのも凄まじいギャップだった。

「……えっ。ちょっと、えっ?」

「あの、ザオボー支部長。向こうにおる人……」

「ええ。私も見間違いだと思いたいのですが、どう見ても……」

まだオルティガは「変わったファッションの人だな」くらいで済んでいたのだが、小夏・ナツ・ザオボーの三人は呆気に取られた顔をしていた。「どうして?」が顔いっぱいに現われている。ただの奇抜なファッションをした人を見る目ではない。むしろこう、よく知っている人がまったく想像もしていなかった姿で現われた時のような反応だった。顔を見合わせる三人をよそに、男はオルティガと清音のすぐ側まで歩み寄った。

「爺や。この人は?」

「……ワタクシのちょっとした知り合いです」

「ネルケと呼んでくれ」

外見通りの渋い声だった。オルティガは「ふぅん」といった感じだが、少し距離を置いた三人はますます「ええ……」という顔をしている。どうやら声もしっかり聞き覚えがあるものだったらしい。なのでなおさら「どうしてこんな恰好を?」という疑問を表情に表すほかなくて。

「スター団の掟に従って表のゴングを鳴らしたが、誰も出て来なかった。何かあったのか?」

「なんだ、オマエらもカチコミに来たのか。今日はずいぶんと来客の多い日だな」

「俺たちも……?」

「先に来たやつらがいてね、それがこの姉ちゃんたちさ。オレたちは掟に従って売られたケンカを買って……それで負けた。オレたちは負けたんだ」

困惑する小夏たちは脇へ置かれて、ネルケがオルティガと会話している。風貌はさておき、口ぶりは至ってまともだ。話を聞く限りネルケたちも「ネバーランド」へ殴り込みを掛けようとしていたようだが、一足早く清音たちがオルティガを撃破してしまったというのが今の状況らしい。柵を破壊して横から入り込んだ清音とは異なり、彼らは正面から掟に従って中へ入ろうとしていた様子。妙なところで律儀である。

ネルケが清音と小夏を一瞥する。そして清音と目が合った途端、何かに気付いて驚きの表情を一瞬見せるものの、すぐにメガネを直して平静さを取り戻す。一方の清音は何も言わずにネルケの様子を窺うばかりだった。何か思うところがあるのか、それとも事態の行く末を見守ろうとしているのか。表情からは答えは見えない。

「あんたはどうしてここへ?」

「行方不明になった姪がここにいると聞いたんです。スター団に攫われたと思って、助けるために来ました」

「そう、か……それで彼らにケンカをふっかけて打ち負かしたと」

「ええ。本当に私の姪を、優美の身を脅かしていたのは……スター団ではなかったのですが」

清音の声には覇気が感じられない。ネルケは清音のことも気がかりなようだったが、ひとまずここで会話を打ち切って視線をオルティガへと向けた。

「オルティガ、あなたは……いえ、あんたはパルデア有数のアパレル企業の御曹司だ。それが何故スター団に?」

「いきなり質問なんて無礼だね。そんなのほかの団員と同じだよ」

「というと――」

「……オレもいじめられてたから。ナマイキだとか調子に乗ってるだとか、いろいろと因縁付けられたんだ」

「いじめられてた……?」

口数の少なかった清音が不意に言葉を発した。声色は言外に「思いも寄らなかった」という思いを表していた。そうだ、とオルティガが清音の問いを素直に肯定する。

「オレの態度だってよくはなかった。けど、暴力を振るわれるって分かってたらさ、学校だって行くに行けないだろ」

「……確かにそうね。間違いない」

「腕っ節じゃどうしたって敵わない。見た目とか振る舞いとかが気に食わなかったってのもあると思う。いろいろとチグハグだからな、オレって」

「それは……」

「よく言うだろ、『ありのままの自分』って。そんなの学校でも家でも出せっこない。オレがオレでいられたのは……ここだけ、スター団だけなんだ」

イヌガヤは主であるオルティガが沈んだ顔をしている様をじっと見つめ、どこかいたたまれない表情を浮かべていた。寂しげに語るオルティガを見やりつつ、ネルケが深刻なトーンで呟く。

「やはり、アカデミーにいじめはあったのか……」

「知らないのも無理ないよ。他の団員からの又聞きだけどさ、今の学校は平和そのものだもん」

「確かに、わたしもいじめられてる子がいるとか、そういう話は聞いたことないです」

「な? 今実際に通ってる生徒が言うんだ、間違いない。いじめっ子はまとめて学校からいなくなったしね」

「……どういうことだ」

グレープアカデミーにはかつていじめが蔓延していたが、主犯格の生徒たちは既に退学している。この辺りは以前清音たちも聞いた話だ。だがネルケはその背景を把握していないらしい。疑問符を浮かべる彼に、イヌガヤが一歩踏み込んで。

「……それについては、前校長のワタクシからお話ししましょう」

「……爺や」

ザオボーとナツ、そして小夏が驚いて一斉に互いの顔を代わる代わる見合わせる。このイヌガヤという執事、かつてグレープアカデミーで校長を務めていたという。現校長であるクラベルの前任者に当たる人物のようだ。

「およそ一年半前、スター団は自分たちをいじめた相手と騒動を起こしました」

「大事にはならなかったものの、前代未聞の事件です」

「それがきっかけで、いじめの加害者だった生徒たちはアカデミーをやめていきました」

イヌガヤの話には思い当たる節があった。小夏が思わず「あっ」と声を上げる。

「まさか、先輩が『スター団のおかげで学校に通えるようになった』って言ってたのは……!」

「……はい。嘘偽りのない事実です。校内からいじめが一掃されたのは、スター団の活動あってのことなのです」

「皆口さん。我々もロベリアの所業について裏取りをする課程で数名の生徒から話を伺ったのですが、そこでも同じ事を告げられました。アカデミーでは深刻ないじめが起きていたと、スター団の方たちが加害者たちと対峙してくれたおかげで今の学校があるのだ、と」

「なんと……! そんな記録、アカデミーには……!」

「ありませんでしょうね……記録は当時の教頭が消してしまいましたので……」

「記録を消した!? ああ、なんということでしょう……」

「あの、ザオボーさん。やっぱりあのネルケさんって人……」

「……ええ。私もそれで間違いないと思いますよ。なぜこんなところでこんなことをしているのかまでは分かりかねますが……」

横のザオボーと小夏がひそひそ声で会話しているとはつゆ知らず、ネルケが裏返りそうな声で驚いていた。無理もない。かつてアカデミーで起きていた忌まわしいいじめに関する記録、それをかつての教頭がすべて抹消してしまったというのだから。彼が在学何年目の生徒なのか、そもそも生徒なのかという点はさておき、知らなかったとしても無理のない話ではあった。情報源が根こそぎ破棄されたとあっては、当時の実情を正確に把握するのは困難だろう。

「校内の風紀を変えたスター団でしたが、流石に退学者が出たとあっては何も手を打たないわけには参りません。アカデミーを辞めた生徒、スター団に加わった生徒、双方の親御さんたちから対応を強く要請されました」

「スター団への対応に悩むワタクシの前に、ある生徒が現われました」

「その生徒は団の責任はすべて自分がとると言いました」

「引き換えに、仲間たちの処分の免除をお願いしてきたのです」

突然、横で黙って話を聞いていたオルティガが声を上げた。

「えっ!? それって……! そんなの、そんなの……聞いてない! 聞いてないよ!!」

「……申し訳ありません。いつかは話さねばと思っていたのですが……」

激しく――優美が置かれていた状況を初めて聞かされたときと同じくらい――狼狽するオルティガを見て、イヌガヤは深く頭を下げた。スター団の中枢にいたオルティガにはいずれ伝えなければならなかったことではある、けれど「自分を身代わりにして他のメンバーを放免してもらった者がいる」と聞かされれば、オルティガはどう思うだろうか、どう感じるだろうか。オルティガの反応が、イヌガヤの苦悩を如実に物語っていた。

オルティガはそれが「誰」なのかは問い質さなかった。思い当たる節がある、いやそんなレベルではない、該当する者は一人しかいない。口には出さなくとも仕草で容易にそう読み取れた。キュッと唇を噛み、悔しさとも悲しみとも申し訳なさとも取れる表情をして、小さく拳を振るわせた。

「ワタクシはその願いを聞き入れ、スター団の処分を見送りました」

「……なるほど」

「そしてその生徒には、一年半の留学を言いわたしました」

「一年半……? 留学……?」

「……処分の代わりです。スター団はいじめの被害者です。心のお休みをとっていただきたくて、留学という名目でご実家のガラル地方に帰省してもらいました」

ここでイヌガヤが顔をうつむける。一瞬だけ逡巡したのち、意を決して再び口を開いた。

「そんな矢先、当時の教頭が自身の責任から逃れるため、事件に関連する記憶をサーバーから消してしまったのです……」

「なんてことを! 隠ぺいされていたのですか……!」

「いくら記録やデータを消したって、責任が消えることなんかないのに……」

「悪か事ばする人は、考えよることも似通ってしまうんやろうね」

「我々もつい先ほど、この前教頭の件に似た実に嫌な話を聞かされたところですからね。嘆息するばかりですよ」

追い詰められたときに人間の本性が出るとは言うが、残念ながら前教頭は不適切な対応を取ってしまったようだ。その浅ましい様がつい先ほどエーテルパラダイス送りにしたあの女と重なってしまい、三人は揃ってやるせないため息を吐いた。

「もちろん、教頭にはしかるべき対処をおこないました。しかし、その行為を止められなかったワタクシやほかの先生も同罪です……責任をとってワタクシは校長という職を引退し、当時の先生がたも全員一緒にやめていただきました」

「それで一年半前、先生たちが総入れ替えになったのですね……」

「ご迷惑をおかけしましたね。現校長には申し訳ないことをしました」

話が一段落したのを見て取ったオルティガが、イヌガヤに歩み寄って問いかける。

「爺や、どうして今になってそんな話を?」

「……オルティガ様もスター団も、今のままではよくありません。何かきっかけになればと……」

「今さら仲間裏切って、オレだけ学校行くなんて考えられないよ」

「スター団のみんなが大事なのですね」

「あたりまえだろ。学校でいじめられる子がなくなるように、その目的を達成するためにみんなで協力して、こうやってそれぞれ『城』まで作ったんだ。裏切ったり失望されるようなことなんかしたくないに決まってるよ」

「オルティガ様……」

「スター団は、オレの……『宝物』だもん」

グレープアカデミーでは大きなイベントとして「課外活動」が行われる。そのテーマは「宝探し」。広大なパルデアの地を駆け巡り、自分だけの「宝物」を見つけてほしいという、現校長クラベルの理念が込められている。オルティガにとっての宝物。それはまさしくスター団と、そこで出会ったかけがえのない仲間たちに他ならなかった。世代は違えど同じ境遇にいる者が何人もいた、皆がそれぞれ戦っていた。それを知ることができて、いったいどれほど勇気付けられただろうか、前に進もうという意志に繋がっただろうか。

スター団、そしてこの「ネバーランド」はオルティガにとって、なんとしても守り抜かねばならない「城」だった。周囲を切り立った山と荒れる海に取り囲まれた孤独な城、自分たちの想いを理解しない者に攻め込まれる孤立した城。ゆえに戦いを挑んできた清音たちにも激しく抵抗し、自らの持てるすべてをぶつけたのだ。

オルティガの「宝物」という言葉は疑う余地なく彼の本心であり、スター団はそれほどまでに大切なものだった。周りにいる全員がオルティガの想いを受け止め、理解する。

「たから、もの――」

その場にいた、全員が。

「……清音さん!?」

「お、おい姉ちゃん!? どうしたんだよ、大丈夫か!? おい!!」

「川村さん!? 川村さん!!」

たからもの。その言葉を呟いた直後、清音が前触れなくばたりと倒れ込んでしまったのだ。慌てて皆が駆け寄って介抱するが、どうも気を失っているようでまるで目を覚ます様子がない。ひとまず呼吸はしているが、それもかなり乱れていた。額に冷や汗がびっしりと浮いて、肌が氷の様に冷たくなっている。楽な姿勢にして休ませねばならない状態なのは誰の目にも明らかだった。

先ほど昏倒した優美と同じように、疲労が限界を超えてしまったのだろう。急遽パルデア入りしてから「ネバーランド」を目指して休むことなく北上しつづけ、十体以上のポケモンが入り乱れる熾烈な戦いを繰り広げ、優美を脅迫していたロベリアにも敢然と立ち向かった。常人ならもっと前に倒れていても何らおかしくないのだ。

「これは良くない……オルティガさん。申し訳ありませんが、川村さんと同じテントを使わせていただけますか」

「使ってくれ。中に毛布もあるからかけてあげてほしい、体が冷え切ってるよ」

「ご助力、まことに感謝いたします。伊吹さん、運ぶのを手伝っていただけますか」

「ワタクシも手伝います。急ぎましょう」

ザオボーとナツ、そしてイヌガヤが協力して倒れた清音を持ち上げ、先ほど優美が担ぎ込まれていったテントへ走って行く。彼らの背中を見送りながら、小夏が苦悩の表情を浮かべたネルケにそっと歩み寄る。ネルケは近付いてきた小夏に気が付き、自然と視線をそちらへ向けた。

「あの、わたしが訊くことじゃないかもしれませんが……でも、訊かせてください」

「構いません。小夏さんの意見を聞かせてほしい」

「スター団は……これから、どうなるんでしょうか」

「……そうですね。どうすべきかを考えねばなりません。他のボスたちも、彼らをとりまとめていただろうあの子についても……」

悩むネルケの側に「アオイ」が歩み寄った。彼女の姿を目にしたネルケがスッとその特徴的な髪を整え、一度アカデミーへ戻ろうと提案する。「アオイ」が頷くと、二人は雨の降りしきる「ネバーランド」を後にした。

残されたのは小夏とオルティガ。二人の間にもはや剣呑な空気はなく、立て続けに倒れてしまった優美と清音のいるテントを揃って心配そうな目をして見つめている。

「大丈夫かな、ユミも姉ちゃんも」

「心配、だよね。たくさん休んで、回復してくれればいいけど……」

「姉ちゃんが住んでるって言うホウエンって、あのホウエンなんだろ? あんな遠くから来たんだな」

「うん。優美ちゃんがいなくなったって聞いて心配して、急いで駆け付けてきたって」

「ユミのこと、大事に思ってたんだな。それこそ……『宝物』だって思うくらいに」

「……そうだよね。清音さん、ここに来るまでずっと優美ちゃんのことを心配してたから」

どちらともなく口を開くと、不思議なことに自然と会話が続いた。ポケモン勝負が絡まなければお互いこんなにも穏やかに話ができるのかと、オルティガも小夏もお互いどこか驚きに似た感情を覚えていた。

「なあ。さっきアオイと一緒にいたネルケって人だけどさ」

「うん」

「あの人をどっかで見たような気がするんだ。あんなカッコじゃなくて、もっとこう……ちゃんとした感じでっていうか」

「それは……うん、きっと合ってるよ。誰とは言わないけど、変装してたのは確かだしね」

「変装、か。きっと何か理由があるんだろうな、同じように」

同じように。それが「誰と」なのかは口にしなかった。ウェンディに変装していた優美を差している、そう考えるのが自然に思えたが、言葉にはどこか含みが持たされていた。小夏はそれを正確に感じ取り、いっそうオルティガに注目する。

「こういう場だからってわけじゃないけど、ひとつ訊かせて欲しい。ヘンなこと訊くなあって思うだろうけど」

「うん。訊いてほしいな」

「例えばさ、別の誰かに変装したりして、『自分が誰なのか、どんな人間なのか』が分からなくなる……そういう経験ってあったりするもんかな」

「……わたしはあるよ。自分じゃない誰かを真剣に演じて、身も心もその人になったことが」

小夏の胸中に去来するのは、世界で一番大切な人の姿。かつての自分だった、かつて自分を最後まで演じきった――あの少年の姿だった。

「そっか。オレたちだけじゃなかったんだな、そういうのってさ」

「優美ちゃんも自分を押し殺して、『ウェンディ』を演じていたのかな。ロベリアを振り切るために」

「あんな物騒で最低な女に狙われてたんだ、オレも絶対そうだと思う。そのことに気づけなかったのが……オレ、すっげー悔しいよ。ユミがどんな気持ちでここにいたかを考えたら、オレ……」

「気にしちゃうのは仕方ないと思うよ。でも……あの時の優美ちゃん、本気でスター団のみんなのために戦ってたよね」

「……ああ。さっきはオレもユミも本気だったよ。ここを奪われたら居場所がなくなるって、そう思ってたし」

「うん。だから優美ちゃんにとっても、スター団は全力で護りたいものなんだって思えたんじゃないかな。だとしたらそれはきっと、あなたのおかげでもあると思うよ」

「……ありがとう。なんだろう、今の学校って、コナツ姉ちゃんみたいなちゃんとした生徒が通ってるんだな。オレも少しタイミングが違ってたら、コナツ姉ちゃんと学校で一緒に勉強したり遊んだりできてたのかも」

けど、それはもう叶いそうにないや。これだけのことをしでかした以上、オレはきっと退学になるから。無理矢理作ったかの様な寂しげな笑顔でこぼすオルティガを、小夏はただただ悲痛な面持ちで見つめることしかできなかった。

降りしきる雨はパルデアの孤城たる「ネバーランド」を止め処なく濡らす。さながら――二人の心を映し出す、心の鏡のように。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。