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#16 元不良少女とマセガキによる対話

目を覚まして真っ先に目に飛び込んできたのは、クリーム色の天井だった。ぼやける視界がクリアになるまでいつも以上の時間を要した気がする。頭が回らぬまま幾度か瞬きをした清音は、自分が屋外ではなく屋根の下にいること、暖かい毛布が掛けられていること、どうやら意識を失っていたらしいことに気が付いた。のっそりと首を動かしてみて、辺りに誰かいないかを確かめてみる。

「起きたか姉ちゃん。大丈夫か?」

「オルティガ君……」

隣に置いてある古ぼけたソファに座ったオルティガと目が合った。操作していたスマートフォンをポケットへしまって、起き上がろうとする清音を制して傍へ歩み寄る。いきなりぶっ倒れたからビックリしたぞ、そう言いながら水筒を開けて紙コップを手に取り、まだ湯気の立っている紅茶を注いで清音に手渡す。清音は戸惑いつつも紙コップを受け取って、少し冷ましてから一口飲んだ。ずいぶんといい香りがする、ダージリンだろうか。昼間から何も口にしていなかったこともあって、全身に染みわたるような味わいがあった。

ユミは隣でまだ寝てるよ。先んじてオルティガが清音に告げる。言葉通り、優美はすぐ隣ですうすうと健やかな寝息を立てていた。顔色もよく、ぐっすり眠れているのが見て取れる。服も濡れてたから着替えさせたよ、風邪を引く心配はないな。自分も同じく紅茶をすすりながらオルティガが付け加えた。二人して倒れてしまった優美と自分のことを傍で見ていてくれたらしい。

「そうだ、小夏ちゃんたちはどうしてる?」

「別のテントで休んでる。姉ちゃんと一緒に拠点まで帰るって言ってたからな。爺やに全員送ってもらえるように頼んどいたから、帰りのことは気にしなくていい」

何もかも世話してくれたオルティガに清音は感謝の気持ちを抱くとともに、それ以上に強い感情が先に出てきてしまって。

「……ごめんなさい。本当に、何もかも」

「倒れたらお互いさまだろ。雨降ってる中でほっとくわけにもいかないしさ」

「それはそう、そうだけど……ウチ、壊しちゃったから」

「壊した、っていうのは……」

「……スター団。ウチがあんな風に暴れたせいで、ボスを辞めなきゃいけないって聞いたから」

「もう、だから最初に言ったんだよ。人の話を聞けよ、って」

オルティガがひとつため息をついた。ただその口ぶりはどこかおどけた調子で、あまり重く受け止めていないことが見て取れた。申し訳なさそうに顔を俯かせる清音を見てから、オルティガが腰かけているソファにもう一度深く座りなおす。

「……ま、あの状況で話を聞くのなんて無理って気持ちも分からなくもないけどさ。ユミのこと捜してたんだろ?」

「ええ。いろんな人に話を聞いて、それで『ネバーランド』にいるに違いないって思ったの」

「正解だったよ。それにオレも……ひとつウソをついてたし」

「優美なんて知らない、ってこと?」

「ああ。本当はウェンディがユミだってことは知ってたんだ、本人が言ってたからな。ただ、他人の前ではウェンディって呼んでほしいって頼まれたんだ」

どうして偽名で呼んでほしいって言ってたのかまでは知らなかったけど、オルティガがそこまで言って一度言葉を詰まらせた。優美がなぜオルティガ以外の前で「ウェンディ」を名乗っていたのか、本来の「川村優美」という名を隠していたのか。その背景を先ほどのような形で知らされたオルティガとしては、どうしても思うところがあったようだ。優美に対してと言うより、自分自身に対して。

「姉ちゃんが倒れたのは、もちろんここまで来るのが大変だったから、あれだけ激しく戦ったからってのもあると思う」

「間違いないわ。勝つか負けるか、生きるか死ぬかって状況があんなに長く続いたんだから」

「ああ。だけど……それだけじゃない」

清音は答えない。けれども否定もしない。それは無言の肯定と受け取るべき反応だった。

「倒れる前に『宝物』って呟いただろ。オレは聞こえてたぞ」

「オレと爺や、それから……ネルケだったっけ。アイツの話を聞いて、オレにとってスター団は宝物だって言われた。多分だけど――」

「姉ちゃん、ショックだったんじゃないか、って」

自分がスター団を「宝物だ」と評したことに、清音は強いショックを受けたんじゃないか。オルティガの言葉に、今度は清音も頷いた。弱弱しくとても小さな反応、けれど確かに「それが正しい」と認めたカタチだった。沈黙が流れる。オルティガは清音の言葉を待っているようだった。その空気を察したのだろう、長い躊躇いと逡巡を経たのち、清音が重くなる一方の口を懸命に開いた。

「……言う通りよ。ショックだった、どうしてこんなことになったんだって、目の前が真っ白になったわ」

「言い訳がましいし、言ったところで今さらどうにもならないけど、スター団にあんな事情があったなんて知らなかったの」

「いじめを受けて先生にも対処してもらえなかった、そんな子たちが集まって、学校を何とかしようとしてたなんて」

かつてのスター団は決して不良生徒たちの集まりではなく、むしろアカデミーに居場所のない生徒たちが身を護るための組織だった。事情を知らなかったとはいえ、清音がそこへ殴りこんでオルティガを負かしてしまい、彼らの定めた「掟」に従ってボスの座を降りたのは紛れもない事実だ。ボスだけでなく右腕の優美も失った「チーム・ルクバー」はもはや存続できまい、完全な消滅も時間の問題だろう。

セギン・シェダル・シー・カーフ。他の四組も同じようにボスが退任してチームが消滅寸前だと聞いている。すべての組の壊滅、即ちスター団の壊滅に他ならない。彼らが一年半もの間守り続けた何よりも大切な場所、脅かす者には体を張って立ち向かうほどかけがえのない存在。自分が起こした「ネバーランド」の落城はとてつもなく大きな意味を持っていた、清音はそれを理解してしまったがために、あの場で倒れてしまったというわけだ。

自分がスター団を壊してしまった。居場所のなかった彼らにとってただ一つの安心できる「城」をぶち壊しにしてしまった。罪悪感で完全に押し潰された清音に、もはや普段の活力や覇気は微塵も見られなかった。

「最初にもっとちゃんと話を聞くべきだったのよ。不良連中の集まりだって思い込んで、優美を攫って連れてったとばかり……」

「今はもう気休めにしか聞こえないだろうけど、不良のたまり場になりかけてたのは事実だよ。スター大作戦でいじめっ子を追い出したあと、こっちがそういう連中の集まりだって思った子も少なくなかったみたいだし」

二人の会話はいたって穏やかで、少し前までバチバチに遣り合っていたようには到底見えない。どうやら同じことをどちらも考えていたようで、清音が少しだけ表情を緩めた。

「ウチが良くなかったわ。落ち着いてたらしっかり話ができるのに、ロクに聞かずに食ってかかったんだもの」

「お互い様だよ、オレも戦うことしか頭になかった。オトナなんて誰も話を聞いてくれないって思ってたし。けど、姉ちゃんは違う。ちゃんと話聞いてくれてるし」

「キッチリ頭が冷えたわ。ちょっと効きすぎなくらいにね」

寂しげに笑う清音を見て、オルティガが「姉ちゃん、もう少しここにいるか?」と訊ねる。まだ立って歩けそうにないし、いさせてもらえると助かるわ。清音が素直に頷く。オルティガが互いの紙コップに紅茶を注ぎ足すと、テントの上で煌々と光るランプに目を向けた。

「ちょっと暗い話になるけど、聞いてほしい。オレのこととスター団のこと」

「いじめられてたんだ。金持ちを鼻に掛けてるとか、態度が生意気だとか。それはオレも悪かったと思うし、今は気を付けてる」

「けど一番つらかったのは、見た目のことをアレコレ言われた時だよ。男だか女だか分からなくて気持ち悪い、男らしくしろ女らしくしろって、さんざん言われたんだ」

「確かにオレもちぐはぐだと思う。生まれつき髪がピンクでさ、連れてるポケモンも可愛いのばっか、おまけにピアノのレッスンを受けてる。どう見ても女子っぽいよな」

「だけど一人称が『オレ』で口は悪いし、機械をいじるのが好きだし、『坊ちゃま』って呼ばれてる。それって男子だよな、じゃあお前どっちなんだよって」

「けど、それが自分なんだよ。誰がなんて言ってもさ、それがオレなわけだし」

「結局そういう型に嵌まってないのが気に食わなかったんだろうね、仲間外れにされたり馬鹿にされたりってのがずっと続いた」

「父さんも母さんも忙しかったし、オレに会社を継いでもらいたいって期待もしてた。だからアカデミーで上手く行ってないとかどうやっても言い出せなくて」

「よく『居場所がない』って言うけど、本当にそうだった。アカデミーにも自分の家にも。姉ちゃんにも分かるかな」

清音が深く頷く。自分の居場所がない感覚は嫌というほど味わったことがある。学校に馴染めず、家に帰っても誰もいない。オルティガと瓜二つの状況に置かれていた時期があった。寂しさをこじらせて孤独な不良の路へ奔ったことを思い出すと、今も胸がじくじくと痛む。けれどあの時はああするしかなかったのだ。他の道を探し出せるほど、あの時の自分は視野も広くなかったし聡明でもなかった。清音は忸怩たる思いを抱きつつ、引き続きオルティガの話に耳を傾ける。

「そんな時だったよ、『マジボス』からメッセージが届いたのは」

「どうやってオレのスマホのアドレスとか調べたのか分かんないけど、イタズラじゃないのは確かだった」

「文面は確か『仲間がいる場所がある』『みんなで集まろう』みたいな感じだったかな、とにかくビックリしたのは覚えてる」

「他のボスたちに会ったのもその時だった。歳も違うし、マジボスに誘われなきゃ絶対に会ってないよ」

「でもそれで分かった。オレだけじゃない、いろんな子たちが学校に居場所がないって感じてる。歳だって関係ない」

「みんなで相談した。このままじゃ状況は悪くなっていくだけだって。だけど先生たちはいじめを見て見ぬふりしてて、大人なんて誰も信用できない」

「だから……オレたちでなんとかしようって決めた。それが『スター大作戦』だ」

紅茶を一口すすって、オルティガが一呼吸置く。その様子を清音は固唾をのんで見守っていた。

「やられてばかりじゃダメだ、ちゃんとした形で向き合おう。マジボスがそう提案して、オレたちは自分たちに何ができるかを確かめ合った」

「マジボスは他の子たちに声を掛けて、団員を増やしていった。『ネバーランド』みたいに物理的な居場所を作ろうって提案したのもそうだ」

「ピーニャは団の掟を定めた。無秩序な集まりが良くないのは一番よく分かってるからな。あと、音楽を作って団を盛り上げてくれたのもそうだ」

「メロコは集まった子たちの悩みや相談を受けてた。口は悪いけど、面倒見はいいやつだったし」

「シュウメイはみんなの衣装を作ってくれた。一から起こすんじゃなくて、あくまでオレたちは学生だからってことで制服を改造してね。ショージキ、シュウメイのセンスはずば抜けてるよ。みんなすごく気に入ってた」

「ビワ姉はバトルの特訓をしてくれた。オレもそうだったけど、みんなバトルについてはずぶのシロウトだったからね。姉ちゃんたちとあんなに戦えたのはビワ姉のおかげだよ」

「それでオレは……スターモービルを作った。最初から全部設計して、部品だっていろんな方法使って自分たちで集めたんだぞ」

「作ったのはいいけど動力が不足してて、メロコとケンカになったのも覚えてる。最後に問題を解決してくれたのも……そのメロコだったけどな」

「チームとしてしっかりまとまって、悩みを打ち明けて気持ちを前向きにして、ちょっとイカした衣装なんかも着て、バトルの特訓もして、秘密兵器のスターモービルも連れていく。これならきっといじめっ子たちにも伝わると思ったんだ」

「『オレたちはやられてばっかじゃないぞ』って」

自分たちの得意分野を持ち寄って、「スター団」はただの生徒たちの集まりから、統率の取れた組織へと生まれ変わった。その過程を間近で見ていたのだから、オルティガにとってスター団がどれほど大切な存在なのかは言わずとも容易に理解できる。理解できるがゆえに――清音は胸を有刺鉄線で締め付けられるかのような、刺々しく鋭い痛みに見舞われ続けていたのだけれど。

「スター団はオレたちの『宝物』だっていうのはさっきも言った通りで」

「いじめっ子たちと対決して追い払えたのも、オレはいいことだったって思ってた」

「……でも、本当は違った。オレたちはやりすぎたんだ。やりすぎたっていうか、やったことが効きすぎたっていうか」

「だからあの時マジボスが『スター団は解散だ』って言ったのも、納得はできないけど……理解はできる」

「だけど、失いたくなかった。スター団という居場所を、仲間を、宝物を」

「オレたちは自分たちのアジトにこもって、マジボスが戻ってくるのを待ち続けた。もうかれこれ一年半になるよ」

「心のどこかでマジボスはもう戻ってこないって分かってたんだ、だけど認められずにただここを護ることだけに執着して」

「マジボスがいなくなって、物語はもうエンドロールが流れ始めてる。なのにオレたちはそれを受け入れられなくて、ただ『籠城』を続けたんだ」

「姉ちゃんたち相手に本気で戦ったのもそう、スターモービルをさらに改造したのもそう、ユミが見つけた『ピーターパン』を動かせるようにしたのも……そうだ」

「『ピーターパン』はナッペ山の中腹で動けなくなってたのをユミが見つけて、あのヘンなモンスターボールで捕まえたんだ。機械でできてるみたいだから直せるところを直してみたけど、それじゃ動かなかった」

「だけどユミがロベリアから奪った……そうだ、『トライポッド』だっけ。あれのデータを組み込んだら、急に動けるようになったんだよ。壊れた機能もスターモービルに積み込んだユニットを小型化して組み込んで解決した。『クォークチャージ』なしでも強いのは分かってたから、こいつはきっと頼りになるぞって思ったね」

「オレたちは誰もここを出たくなかった。出て行って現実に向き合わなきゃならなかったのに、それを頑なに拒絶し続けてたんだ」

「……それももう、これでおしまいだけどね。掟は何よりも大事なもの、ルールを守らないヤツにはなりたくない」

沈黙が流れる。清音は深刻な顔つきをして、自分の行いがどのような結果をもたらしたのかを噛み締めていた。オルティガは最後に残された「チーム・ルクバー」のボス、倒されればスター団の組はすべて壊滅することになる。つまりそれはスター団自体の消滅を意味していた。清音はそのオルティガに勝負を挑み、紆余曲折の末撃破した。それは即ち――消えかけていたスター団という組織に止めを刺したのは、他でもない清音だということを意味している。

自分がスター団を壊してしまった。オルティガたちにとっての宝物を、いじめられていた子どもたちが最後の拠り所としていた場所を、ロクに人の話を聞かない「オトナ」として壊してしまった。清音が抱く自責の念は、時間を追うごとに風船のごとく膨らんでいった。

そんな憂鬱な清音の気持ちを察したのか、黙っていたオルティガがおもむろに口を開いた。

「姉ちゃん。ユミのことなんだけど」

清音の隣で眠っている優美を見る。穏やかな寝顔を見ていると同じく気持ちが安らぐようだけれど、つい今しがたまで彼女の置かれていた状況は深刻そのものだった。ずっと憧れて信頼を置いていたエーテル財団、その職員であるロベリアに悪事に加担するよう言われ、さらに家族を人質に取られてしまった。優美は身を守るために姿を変えてスター団へ潜伏し、自分一人でこの状況を解決しようと必死に戦い続けていた。ずっと着けていただろうウィッグを外した本来の黒髪は、すっかり艶やかさを失ってしまっていた。四六時中疲労と緊張に晒されていたのが容易に想像できる。こんなにも辛い目に遭っていたとは、清音が優美を見ながら涙ぐんだ。

「ユミのことを、オレはそこまで詳しく知らないんだ。最初に『理由は言えないけど団に入れてほしい』って言われたからね」

「だけど自分の事情を話しづらいって子は大勢いる、珍しくもなんともない。オレは構わないって言ってルクバーに入ってもらった」

「それはいいんだけど……でもユミのこと、オレも知りたい。ここからずっと離れたホウエンってところから来たんだろ? そこで何があったのかとかさ」

深く頷く。今はどうしても優美のことばかり考えてしまうゆえに、いっそのこと口に出して話したいという気持ちがあった。オルティガが話題を振ってくれたのを渡りに船とばかりに、今度は清音が訥々と語りはじめた。

「豊縁には幾つか離島があるんだけど、そのうちの一つで暮らしてたの。榁ってところなんだけど」

「小さい頃に父親を亡くしててね、母親……ウチからしたら義姉さんなんだけど、その人も体が弱くて」

「だからウチがちょくちょく義姉さんの家に顔を出してさ、ちょっとお節介焼かせてもらってたわけ」

「その後厄介なことが起きたせいで榁から人がいなくなって、ウチらも敷衍って場所へ引っ越すことになったのよ。正式に一緒に暮らすようになったのはその時からね」

「多分ここでもそういうところは見せてたんじゃないかって思うんだけど、優美って小さい頃からポケモンが好きでさ」

「ポケモンを大切にする気持ちが高じて、傷付いたポケモンの保護をしてるエーテル財団ってところに目を掛けてもらったの」

「優美も小さい頃に傷だらけのスバメを財団の人に助けてもらったことがあって、ずっと憧れてたみたい」

「財団にお金を出してもらって、ここパルデアのグレープアカデミーへ留学したのよ」

「……本当はそれだけじゃなくてさ、ウチらの家計に余裕があんまり無いのを見て、自分が外へ出た方が良いって思ったところもあるみたいだけど」

ナッペ山の山小屋で小夏やポリアフと話したことを思い出す。グレープアカデミーへの留学そのものは優美も希望したことだし、ここでの生活が楽しい物だったことは話を聞いて十分理解している。けれど優美が留学を決めたのは恐らくそれだけが理由ではない。必要な費用はエーテル財団が奨学金という形で工面してくれること、自分が家を離れればその分家族の負担が減ること。優美がそれも踏まえて決断したことは想像に難くない。

オルティガは黙り込んでいた。清音の隣で眠っている優美の顔を見つめて、時折辛そうに目を伏せる。オルティガは地元アパレル会社の御曹司だと清音は聞いていた。今まで生きてきてお金に困るようなことはまず無かっただろうし、ましてや三ヶ月も共に過ごした優美が裕福とは言えない暮らしをしていたとは思いもよらなかったのだろう。優美の性格を考えると、決してオルティガに金銭をせがむような真似はしなかったに違いない。それでもオルティガの胸中には、優美に何かしてやれんじゃないかという思いが募っていく。

「ねえ、オルティガ君。優美ってさ、スター団じゃどんな感じだったの?」

今度は清音が助け船を出した。清音の知らないスター団での優美の様子を聞かせて欲しい、と。清音が優美の過去について話してくれたから、そう考えたのかは定かではないが、一息置いて今度はオルティガが過去を振り返った。

「一言で言うと、すっごい活躍してた。団の他の誰よりも」

「掟を破るような悪い団員を追い出したり、他の子のポケモンの面倒を見てくれたり。あと、あのクソ女が指示を出してた元生徒を見つけて叩きのめしたりとか」

「他の団員が『マム』って呼んでただろ。あれはオレやユミが呼ばせてたとかじゃなくて、みんなが自分から呼び始めたんだ」

「面倒見がいい――母親みたいだ、ってね。ユミがルクバーに不可欠な存在になるまではホントにあっという間だった」

「オレもよく話を聞いてもらってたよ。他のボスとは距離が離れすぎてて直接話すのも難しかったから、ユミが加わってからはユミと話してた時間の方がずっと長かったと思う」

「ピアノが弾けるのはすごいとか、スターモービルを見て機械いじりの腕を褒めてくれたりとか……いっしょにいて本当に楽しかった」

「オレが自分の好きなことや得意なことをしたら、否定せずに受け入れてくれる。ユミといると気分が落ち着いて、穏やかな気持ちになれたんだ」

「誰かに褒められたことなんて滅多になかったからね。それこそ、シュウメイたちくらいしか認めてくれなかったし」

「言ってたんだ。いつか自分もピアノを弾いてみたい、触ってみたいって。ピアノくらい訳ないじゃん、って思ってたけど……さっきの姉ちゃんの話を聞いたら、理由が分かったよ」

優美の家は決して暮らしに余裕があるわけではない、それは清音が一番よく知っていることだ。優美もそれを察していただろうことは既に述べた通りで、何かを欲しがったりすることは今まで一度として無かった。オルティガがピアノを弾いていると聞いて、自分も弾いてみたいと言った。ユミだって年頃の女の子、自分たちの前では言わないだけで人並みにしてみたいことや欲しいものはあったのだ。

清音の胸がキリキリと痛む。もっと優美に好きなことをさせてあげられなかったのか、「聞き分けのいい子」でいなくてもいいようにしてやれなかったのか。優美が目覚めたらどんな顔をして向かい合えばいいのか、何と声を掛ければいいのか。答えは他の誰にも出せない。清音自身が向き合うほかなかった。

「ユミが教えてくれた事があるんだ。他の誰にも言わないでくれって頼まれてたけど、オレは姉ちゃんには言っておくべきだと思う」

「聞かせて。優美が話してくれたことを」

「フエンだっけ、今姉ちゃんが住んでる場所って。ユミはそこの学校に通ってたんだろ?」

「そう。家からはずいぶん離れてたけど、毎日自転車に乗って通ってたかしら」

「向こうで通ってた学校でのこと、姉ちゃんや他の家族に話してるのを見たことはあるか?」

ある――と答えようとして、清音は思わず言葉を詰まらせた。自分から「学校はどう?」と訊いて「大丈夫だよ」と返してきたようなことはある。だが、優美が自分から学校での出来事や友達について触れた場面がまるで思い出せない。休日は家事の手伝いをしたりエーテル財団の施設へ見学に行ったりしていて、同級生の誰かと遊んでいるのを見た記憶もない。家に友達を呼んだ場面も見たことがなかった。

まさか。清音の背筋に冷たいものが走る。縋るようにオルティガの方を見ると、清音の感情を察したのだろうか、フッと視線を地面へ落とした。

「いじめられてる、ってほどじゃなかったけど、学校でうまくやれてなかったらしい」

「言葉が違うって言われたみたいだ。元からフエンにいる人たちは『ナイチ』の喋り方をするって聞いたな」

「だけどユミが前に住んでた場所ではオレたちと似た感じの言葉を使う。それが気取ってるように聞こえて、他の連中の気に障ったんだろうね」

「先生たちから見えないところで仲間外れにされて、何をしても独りで寂しかった。このまま一生独りきりかも知れない、そう思ったことがあるとも言ってた」

「これはオレの考えだよ。ユミから直接言われたことじゃない。ホントは違うかも知れないけど、聞いてくれ」

「面倒見がいいのは元からだと思うけど――心のどこかで、『自分を必要としてほしい』って感じてたように見えたんだ。何もしてないと自分はここにいちゃいけない、みたいな」

「だから言ったんだよ。『ユミはただここにいるだけでいい』、って」

「だってさ、何かを対価にして誰かに自分を必要としてもらわなきゃいけないなんて辛すぎるだろ? オレだってそれがイヤでスター団にいるんだ」

「ユミは言ってくれたんだ。『もしあの時スター団があったら、きっと自分も勇気を持てた』ってさ」

「身を隠すためだったとは思うけど、ユミがスター団を大事に思ってくれたのは間違いなかった。嬉しかったよ、オレもユミに救われてた部分があったから」

口癖のように「オトナはみんなウソつき」って言ってたけど、あんなことがあったんじゃそう思うのも当然だよな。清音が首を縦に振る。信じていたエーテル財団そのものに裏切られたような気持ちだっただろう。ロベリアの愚行がどれほど優美を傷付けたか、想像するに余りある。

「……それで、いつユミが『ウェンディ』じゃなくて『ユミ』だって知ったかだけど」

「最初は『ウェンディ』って名乗ってて、ガラルから来たって自称してたっけ。さっき言った通り、事情は言えないけど仲間に入れてほしいって感じでさ」

「二週間かそれくらいであっという間にみんなが実力と面倒見の良さを認めて、オレも傍にいてほしいって頼んだんだ」

「確か入ってくれて一か月くらいだったかな、オレがテントに入ったとき、ウェンディがウィッグを外して黒い髪を晒してたのを見たんだ」

「このことは誰にも言わないでほしい、頼まれたら聞くしかないじゃん。絶対誰にも言わないって約束したよ」

「ホントは『ユミ』って名前で、ホウエンから来たってことをその時教えてもらった」

「ユミがホントのことを教えてくれたからさ、オレもユミの前ではありのままでいようって思った。ヒミツはお互い共有したほうが守ろうって気になれるからな」

「なんだろう、ユミにならどんなことも言える気がしてたんだ。ユミは友達……友達って言っていいのかな、自分でもよくわからないよ。もっと別の言い方がある気もするし」

「だから、だからこそだよ。ユミがあんな危険な目に遭ってたことにちっとも気付けなかったのが、悔しくて悔しくて仕方ないんだ」

オルティガは優美と三か月間ほぼずっと行動を共にしていた。その中でお互いを深く知る機会も多くあり、優美のことは自分が一番よく知っていると自負していた。それだけに、優美がロベリアによって辛い思いをさせられていることを見抜けなかったのは痛恨の極みだった。清音もまた同じで、ロベリアによる虚偽の報告を信じてしまい優美を助けられなかったことをひどく悔いていた。オルティガと清音たち家族を巻き込みたくないという優美の責任感と優しさを理解できたからこそ、なおさら二人にとって無念でならなかったのだ。

清音は優美を「真面目ないい子」だと思っていて、オルティガもまた同じく「面倒見のいい子」だと感じていた。それぞれの評価は確かなもので、ゆえに優美が信頼する二人の前でそれを演じようと気を張っていたのではないか、本当のことを言い出せずないまま独りで抱え込んでしまったのではないか。やれ血の繋がった家族だ、やれ志を同じくする団員だなどと言ってみたところで、優美に本音をさらけ出すのを躊躇わせてしまったとしか思えない。二人の胸中に暗い影が差す。カタチは違えど同じことを考えていたせいだろうか、清音はオルティガを、オルティガは清音を互いに見やった。

「……優美もだったのね。学校に馴染めなかったのは」

「ユミも、ってことは……」

「こういうナリだし、あのクソ女の前でヤカラめいた啖呵切ったあとだから信じてもらえないかもしれないけどさ、ウチもだったのよ」

「姉ちゃんもユミと同じだった、ってワケか」

「そう。この間優美を捜すためにアカデミーへ行ったときも、昔通ってたところじゃないってアタマじゃ分かってるのに、それでもどこかカラダが強張っちゃって」

学校に苦手意識を抱いている、いい思い出が見当たらないのは清音もまた同じだった。アカデミーで感じた言いようのない息苦しさ、自分がここにいるのはおかしいのではないかという場違い感。かつて自分が通学していた場所とは見てくれも中身もまったく違うのに、ただ「学校」というだけで緊張して身構えてしまう。清音にとってはそれほどまでに居心地の悪い場所だったのだ。

「優美が父親を亡くして、母親……ウチの義理の義姉さんも病気がちだってのはさっきも言った通りだけど」

「ウチも似たようなもんだったのよ。まだ小学校に通うか通わないかって時に父親が死んで、後を追うように母親も倒れて入院してさ」

「兄貴が働いてウチを食わしてくれたんだけど、その分家を空けがちになって、独りぼっちになることがすごく多くなった」

「学校でも『あいつの家貧乏なんだぜ』みたいにバカな男子から言われて、怒ってケンカして余計に仲間外れにされて」

「親がいない子にありがちな経験も一通りしたわ。授業参観で誰にも見てもらえないとか、親のことを書く作文で何も書けずに詰まっちゃうとか」

「いじめられてたけど忙しく働いてる兄貴には言い出せなくて、先生も見て見ぬふりをしてる。いつの時代も同じなのよね、こういうのは」

「誰も自分のことを心配してくれない、気に掛けてくれない。孤独だって気持ちが膨らんで、じゃあ誰にも頼るもんかって叛逆して不良になっちゃった」

「さっき聞かせてくれた優美が『あの時スター団があれば自分も勇気を持てた』って話と、優美に言ってた『掟』のことだけどね」

「スター団の中で悩み事を相談し合ったり、似た境遇の仲間と出会えたりってことができて、救われた子がたくさんいたと思うのよ。優美も間違いなくその一人で」

「だから、もし。ifの話だけど」

「……誰にも構ってもらえず独りで泣いてた時に、もしスター団があったとしたら……優美と同じように、私も救われてたのかも知れない、って」

自分と優美の境遇がとても似ていることを思い起こし、優美が感じただろうことを己の身に重ねて考えてみる。自分は孤独ではない、どこかに思いを共有できる仲間がいると感じられたら、どれほど救いになっただろうか、もっと別の道を歩める可能性もあったのではないか。打ちひしがれて路頭に迷っていたところを、さながら輝く星に照らされ導かれるかのごとく、日の当たる明るい場所まで連れて行ってもらった子が大勢いたのではないか。何かが違っていれば、自分も同じ星の導きに助けられたセカイもあり得たのではないか、そう思わずにはいられない。

スター団の本質を後になって知ったからこそ、優美にとってスター団はかけがえのないものだったからこそ、自分も救われたかも知れない可能性を垣間見たからこそ。

「なのに、それを壊しちゃった。人の話を聞かずに突っ込んで、大事なものを滅茶苦茶にしちゃった」

「あの時の……人生で一番つらかった時の自分が何よりも欲しがってたものを、自分の手で台無しにして」

「理解のないオトナになるのは御免だってあんなに言ってたのに、どう見ても分からず屋なのは自分じゃないの」

「いつもそう、失くしてから気が付くってことの繰り返し。親にしても、兄貴にしても……スター団だってそうだわ」

「赦さなくてもいいわ、一生恨んでくれて構わない。だけど……だけど言わせて、口に出させて、声に出させて、お願いだから」

「ごめんなさい、ごめんなさい……大事なものを壊しちゃって……本当にごめんなさい」

涙ながらに謝罪する清音を見つめているオルティガは、まるで自分が悪いことをしてしまったかのような沈痛な面持ちを浮かべていた。決して清音に怒りや憎しみを向けてはいない、むしろ清音の感情を理解しているがゆえに、言葉にできない心の痛みを味わってしまっている。声を上ずらせて泣きじゃくる清音の背中にそっと手を当てて、子供をあやすかのように撫でている。

「泣くなよ、それだけユミのことを大事に思ってて助けたかったんだろ? あんなに必死だったってことはさ」

「けど……だけど、私……っ」

「ボスの座を降りるのはオレの意思、スター団が決めた掟に従うからだよ。姉ちゃんが壊したわけじゃない、そうだろ?」

「オルティガ君……」

「心のどこかでさ、いつかこんな日が来ると思ってたんだ。姉ちゃんたちが来なかったとしても、さっきまで居たアオイってやつか……ロベリアが来て同じことになってた」

「ロベリアが……」

「オレたちとなんの接点もないアオイに団を潰されるのも癪だ。だけどもしロベリアがここに来てたら、みんな無事じゃ済まなかった。ユミとオレが負けるって話じゃない、バトルに持ち込めればあいつには勝てたよ。そうじゃないんだ」

「それは……どういうこと?」

「……姉ちゃんがロベリアを殴ろうとしたのと同じことだよ。もっと酷いことになってたかも知れない。それこそ――取り返しのつかない間違いを起こしてた」

優美はロベリアから機密データを奪って反撃に打って出るつもりだった。「ピーターパン」を保護・修復して仲間にしたのもそうだ。しっかり者で真面目な優美とは言え、命の危険に晒される緊張状態に置かれて判断を誤ってしまう虞もあった。ロベリアを傷付ける、だけで済めばまだ良かったかも知れない。優美の中で募った怒りや悲しみ、恨みが暴発して、オルティガの言うような「取り返しのつかない間違い」を犯してしまう未来もあったのだ。

「これは誰かがやらなきゃいけなかったことだ。誰もやりたくない汚れ仕事だけど、でも誰かがやらなきゃならなかった」

「姉ちゃんはそれを引き受けてくれたんだよ。一番穏当な形で終わって、誰も大怪我をしたりせずに済んだ」

「それに……姉ちゃんがユミの代わりにキレてくれたおかげで、ユミは救われたんだぞ。自分のためにマジギレしてくれる人がいるって、滅多にあることじゃないし」

「だから姉ちゃん、気を落とさないでくれよ。姉ちゃんが来てくれて良かったってオレは思ってる、ユミもきっとそうだ」

目を真っ赤にした清音が声を詰まらせた。オルティガが自分を思いやってくれるのを実感して、なおさら罪の意識が掻き立てられてしまう。もっと上手く事態を鎮めることができたのではないか、スター団を潰さずに済む道だってあったんじゃないか。いくら考えたところでどうにもならないとアタマで理解していても、ココロはどうしても追い付いてくれない。後悔と悔恨で胸がぎゅうぎゅうに締め付けられて、涙が絞り出されてくるかのよう。

「姉ちゃん、ユミが目を覚ましたら伝えてほしいことがある」

「アカデミーへ戻ってほしい、って」

「ユミはまだ戻れる。勉強だってよくできるんだ、絶対に戻った方がいいよ」

「三か月も休んで戻りにくいっていうなら――『ユミはスター団を解散させた功績がある、それに免じて復学させてほしい』。そう校長にでも言ってくれればいい」

「それでユミが復学できるなら、オレはもうそれで十分だよ」

寂しげな笑顔を浮かべたオルティガを目にした清音は、堪えきれず声を上げて号泣した。泣いたところでどうにもならないと分かっていても、ココロが泣き叫ぶのをやめてくれない。泣いても泣いても気持ちは鎮まらず、流しても流しても涙は涸れることもなく。泣きわめく清音をオルティガが慰め、それを受けた清音がさらに泣いてしまう。小さなテントの中で、清音の哭泣が幾重にも木霊する。

清音は涙を流すことに、オルティガは清音の涙を拭うことに気を取られていて、どちらも気付くことはなかった。

 

「……清音、さん……っ」

 

彼女の隣で眠っていたはずの少女が、人知れず声を詰まらせて――はらはらと落涙していたことに。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。