「相沢君、放課後よ」
「何ぃっ!? もう放課後だ……って、どうしてお前が?」
「たまには言ってみたくなるものなのよ」
今日は名雪ではなく、何故か香里に放課後告知をされてしまった。名雪はそんな俺たちのやりとりを、いつものほやほやした表情で見つめている。これもきっと、香里による「名雪の正体あぶり出し作戦」の一環に違いあるまい。こりゃ相当疑われてるぞ。まずいまずい。
とりあえず名雪に話を振って、この場から揃って立ち去るが一番だな。これ以上香里や北川の傍にいたら、確実にこの名雪が秋子さんであることがモロバレになってしまう……というか、なんかもうバレてるような気もしないでも無いんだが。
「ところで名雪、お前今日部活あったよな?」
「えっ?! あっ、う、うん。あったよ。行かなきゃいけないんだよ」
「そか。俺もこの後行かなきゃいけないとこがあるから、下足室まで一緒に行くか」
「う、うんっ。そうしよ。それじゃ香里、またね~」
「……………………」
香里は相変わらず怪訝な表情を浮かべたまま、こちらのことをじーっと見つめている。ぐぬぬ。これは後でどーにかしないとまずいな。しかし、一体どうやって言い訳すればよいのやら……大体、相手は(いくら活かされなかった設定とはいえ)学年主席だし、ヘタな嘘は通じなさそうなタイプだ。ああ、なんだか頭いてぇ……
「……はぁ」
今日通算三十六回目のため息を吐き、俺はまた憂鬱な気分になった。
「数えてたんだねぇ」
「そうだぞ。ため息の数を数えるのは俺の日課ってお前また俺の心をっ!」
「かのりんは魔法が使えるんだよぉ」
ふと隣を見てみると、鞄を携えた佳乃の姿があった。これから帰るところらしい。
ちなみに佳乃は昼食時、小声では「凍死しちゃうよぉ」などと言っていたにもかかわらず、結局その後自分に支給された分はあっけなく食いつくし、その上皆が寒さと満腹で食べ切れなかった分まできっちり食べきった。もちろん、健康に支障は出ていない。どんな胃腸をしているのだろうかこの子は。
「お姉ちゃんが待ってるから、必ず行ってあげてねぇ。かのりんはちょっと用事があるから、一緒にいけないんだよぉ」
「ああ。分かってるよ」
「それじゃあ、さよならだよぉ」
「うん。さよなら~」
佳乃は手を振りながら、そのままどこかへと駆けて行った。これから友達とどこかへ遊びにでも行くのだろう。
下足室。名雪とはここでお別れだ。
「それじゃ名雪、頑張ってな」
「う、うん。頑張るよ」
……予想通り、名雪(秋子さん)はカチコチに緊張していた。こっからは俺のフォローが行き届かない領域に入ってしまうから、心配なのだろう。少しでも緊張を解きほぐしてあげた方がいいだろう。
「……大丈夫ですよ。そんなに緊張しなくても、きっとうまく行きますから」
「……で、でも……やっぱり、ちょっと不安ですっ」
「そう言えば秋子さん、この前『親子丼が食べたい』って言ってましたよね」
「……………………!」
「帰ったら名雪に作ってもらいましょうよ。それで、みんなで一緒にいただきましょう」
古典的過ぎてどうかとも思うが、とりあえず夕食に食べたいものを食べさせてあげると約束することで、やる気を奮い立たせようという手法だ。これが意外と有効だったりするんだよな。まぁ、ホントは誰かが背中を押して坂道を登らせてあげなきゃいけないんだが(?)
「それで、明日はゆっくり……って、秋子さん?」
「親子丼……親子丼……親子丼……」
「秋子さん? どうしたんですか? 目が空ろですよ? 秋子さん?」
「親子丼……親子……はっ! 祐一さん、私、どうしてましたか?」
「えっと、空ろな瞳でずっと『親子丼』とつぶやいていました」
そう言うと、秋子さんは
(ぼっ)
と擬音語が聞こえるぐらい真っ赤になって、
「ち、違うんですっ。そうじゃないんですっ」
「……秋子さん? 何かあったんですか?」
「だ、大丈夫ですっ! が、頑張りますっ」
「そ、そうですか……それならいいんですけど……」
ぶんぶんと頭を振りまくっている。一体何があったのだろうか。赤面恐怖症(異性を見ると顔面が紅潮する少女、いや症状。「少女」でも文脈に違和感が無いのがさりげなく高ポイント)にでもなったのだろうか。
「とりあえず、俺行きますんで」
「は、はい……」
「……………………?」
どこか様子がおかしい(というか朝からずっとおかしいけど)秋子さんを残し、俺は学校を後にした。
学校から診療所まではそう遠くは無い。歩いてせいぜい二十分程度の距離だ。
「……さて。一体どんな『お礼』をしてくれるのやら……」
半信半疑で、診療所のドアの取っ手に手をかける。とりあえず、中に入ってみることにしよう。
「お邪魔します」
俺がそう言った……まさにその瞬間だった。
「極死っ!」
「?!」
(ひゅんっ!)
俺の目の前に、きらりと光る物体。明らかに殺意を伴ったそれは、何の迷いもなく俺に向かって突き進んでくる。当たれば即死モノだ。ちょうどそれはあの青い戦闘用ロボットが針に当たると一撃で死んで謎の光を八方向に向かって吐き出すようなものだ。我ながら長すぎる例えだと思う。
「なっ!?」
無意識のうちに、体を右へとずらす。しかし、
「聖夜っ!!」
「?!」
聞き覚えのある声が耳に飛び込んできて、俺がその方向を振り返ると……
「ひ、聖先生っ?!」
……両手に合計八本のメスを携えた聖先生が、物凄い形相でこちらに飛び掛って来ていた。明らかに殺る気MAXの表情だ。俺本当の意味で大ぴんち。英語で言うとびっぐぴんち。明らかに文法がおかしい。
「う、うわぁぁぁぁっ!」
飛び掛ってくる聖先生。
(み、右に避けるか?!)
そう考え、右を見てみる。
(か、壁ーっ!!)
壁があった。これでは避けようが無い。
(だ、だったら左っ!)
首を百八十度回し、今度は自分の左に目をやる。
(う、植木ーっ!)
植木があった。もしこの状態で左によければ、発狂したっぽい聖先生によって俺が植木にされかねない。
「貴様ーっ! 佳乃に何を吹き込んだーっ!!」
「うわぁぁぁぁぁっ!」
俺は咄嗟に後ろへ飛び退いた。
結果的に、それが幸いした。
「ちっ!」
「くっ!」
聖先生は俺の目の前に着地し、間一髪、首の骨をすごい音と共に折られるのだけは回避できた。ちなみに、何故首の骨がすごい音と共に折られるということが分かったのかは俺にも分からない。おおっ! これがいわゆる「生の直感」ってやつか! 明らかに違います先生。
聖先生はゆっくりと立ち上がると、
「貴様……! このままで済むと思うな!」
「ま、まだあるんですか?!」
「斬刑に処す!」
聖先生はメスを構えなおすと、
(しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃっ!)
物凄い勢いで斬りまくってきた。殺る気はMAXをとっくの昔に超えてもはやUNLIMITEDだ。誰かこの人を止めてくれ!
「せ、先生っ! 落ち着いてくださいっ!」
「落ち着けだと!? 貴様、どの口でそんなことを言う!」
「どんなことがあったかは知りませんけど、とりあえず落ち着いてくださいっ!」
俺がそういうと、聖先生はとりあえずメスを動かす手を止めて、こちらを殺気に満ちた目で見つめてきた。マジ怖い。
「貴様……佳乃に昨日何を言った?」
「昨日……ああ、その、先生が元気がないから、いろいろしてあげたら、ってアドバイスしたんですよっ」
「その『いろいろ』が問題なのだよ! 貴様、佳乃に『料理を作ったらどうか』などとほざいただろう?!」
「えっと……あ、ああ、確かに言いましたけど、それが何か問題あったんですか?」
聖先生は全身から赤黒い殺気(なんかもう目に見えるぐらい)を放つと、すごい声でこう言った。
「当たり前だーっ! 佳乃の料理がどんなものか、君は知らないのか?!」
「ど、どんなものなんですか?」
「聞きたいか?! なら聞かせてやろう! 一言で言うなら、そう。殺人機械(キリングマシーン)そのものだ!」
「それを食べると、どうなってしまうんです?」
「どうなるかだと?! 分かるだろう! 意識が遠くなり、幻聴幻覚が襲い、そして起きるとものすごい時間が経っているのだよ! 分かるか?!」
「……………………」
「……どうした?! 何故黙っている?!」
俺はここで急に冷静さを取り戻し、首を横に数度振ってから話を始めた。
「……先生。確かに、それも恐ろしいかも知れません。意識不明になるなんて、俺は嫌です」
「当たり前だ! 私だって自分の体に戻ってみたら、『あれ』を食べた時のおぞましい感覚が」
「でも先生。それで死ぬようなことは無いでしょう?」
「死……た、確かにそうかも知れないが……だが、それでもだな」
反論しようとした先生に、俺が先に言葉を被せる。
「先生。俺は知っているんです」
「……な、何をだ……?」
「……そいつは……新鮮な肉や魚も、瑞々しい生野菜も、精製された白米をも……ある一つの物体に変換してしまうのです……」
「い、一体どういうことだ……?」
「あらゆるものをそれに変換し、そしてそいつはそれを『料理』と言い張る……」
「……………………」
「その物体とは……」
「……とは?」
「……炭です」
「す、炭だと?! バカな、そんなことが……」
俺は口元に笑みを浮かべながら、さらに話を続ける。
「そいつはあらゆるものを炭に変え、しかもそれを料理だと称して俺に食わせるのです。しかも、全部食べきるまで見張っています」
「そ……そんなバカな! す、炭が食べられるわけ……ないだろう!」
「いえいえ。そいつはそれを『うぐぅっ! これは料理だよっ!』と言い張るのです。そして俺は、それをすべて食わない限り外へと出してもらえないのです」
「……………………」
「先生。炭を食べると、どうなるかわかりますか?」
「す、炭を食べると……」
俺は少しもったいつけてから、さらに話を進める。
「先生。先生は医者ですから、魚の焦げた部分に発がん性の物質が含まれていることはご存知だと思います」
「あ、ああ……」
「『それ』は、その発がん性物質だけですべてが構成されているとお考えください」
「……………………!!」
「……あの感覚は一生忘れられません。それは……そう。食べるたびに寿命が縮まっていくような感覚です」
「な、なんという……!」
聖先生は完全に硬直している。俺はさらに話を進める。
「ある意味、窓ガラスをも突き破って家の中に投函され、読むたびに寿命が百日縮まる新聞にそっくりです」
「……そ、そんな……!」
「食べた瞬間、自分の中に何か赤い点と線が見えるような気もします」
「……………………」
「どうですか? 先生……」
(からーん)
床に冷たい音が響き渡った。聖先生がメスを床に落したのだ。そしてそのまま、床に崩れ落ちる先生。
「……まさか……君がそんな凄惨な体験をしていたなんて……」
「先生、世の中上には上があるものです」
「ああ……今なら、その言葉の意味を正確に受け止められる気がする……すまなかった」
「いえ……もう終わったことですから……」
俺は先生に手を差し伸べ、ゆっくりと立ち上がらせた。
この瞬間、俺と先生は和解したのだ。感動のフィナーレだった。
「くしゅんっ! うぐぅ……ボク、風邪引いちゃったのかな……」
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。