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#01 煌めく星の海

夜の匂いがする。湿っぽい、けど少しだけ冷たいっていうか。昼の匂いとはハッキリ違う。歩いてる場所は同じなのに、ふっと気を抜くと全然別の場所にいるって錯覚しそうになる。周りは暗い、ほどほどに暗い。電燈が百メートルくらい間を空けて立ってるから真っ暗ってわけじゃないけど、陽が出てる時とは雰囲気が違う。よく知ってる場所で暗い時間に歩くことが多いのになんかそわそわする。怖いとか不気味とかじゃない、ただ、そわそわする。

時間が経つってこういうことなんだな、変わっていくんだ、全部が。あと十時間とか経ったら太陽が昇ってきてまた雰囲気が変わって、今の空気がどこか別の知らないところへ飛んで行くことをおれは知ってる。変わらないものなんて何もない、永遠なんてどこにもないって漫画とかでしょっちゅう言ってるのを見るけど、たぶん正しいんだろうな。誰も否定しない、言われたらそうだよね、って言うしかない感じの言葉だと思う。

昼から夜になっただけじゃなくて、季節も完全に冬が終わって春って感じがする。四月だし当然だけど、もうジャンパーいらないなって思うからホント春だ。クリーニングに出して押し入れに押し込んどかないと。去年着てた服まだ着れるかな、とりあえず一着服買いに行く服があればいいんだ。一人で行くのもなんか微妙だし誰か誘ってみるか、ユカリか秋人か、それとも別の誰かか。海凪まで出るのちょっと久しぶりだな、どっか遊びに行きたい。

新高(シンコー)っていうらしい、おれが通ってる高校は。新開高等学校だから略してシンコー、捻りもへったくれもない、まんまだ、まんま。高校の数自体が少なくていろんなとこから生徒が集まってくるから、見たことある顔も多いけど見たことのない顔の方がずっと多くて学校中に溢れてる。たぶんおれだけじゃなくてみんな同じこと思ってる。おれってどう思われてるんだろ、あんまり気にしたことないな。相手がおれのことをどういう風に思ってて、おれがそう思われるのを嫌だって思っても、相手が思ってること自体は変えられないって知ってる。だから、しょうがない。

ひっきりなしに寄ってくるちまっこい虫を手で払いのける。磯の匂いがわあっと全身に絡まってきて、海ーって感じがすごくする。周り四方はみんな海で、どっか遠くに出かけるには船に乗らなきゃいけない。おれは別にそれでもいいじゃんって思ってるけど、考え方が違うヤツも多い。哲也に裕樹、他の連中もだけど、今どうしてるかな。まだ顔はちゃんと思い出せる、けど印象変わってそうだ。トレーナーってどうなんだろう、あんまりいいイメージないんだけど、みんななりたがる。実際なってった。おれはなりたいとか思わないけど、思わないのがいいとも悪いとも思わない。

洗濯するってのにさ、洗濯機に水入れてから洗剤無いのに気付くってだせーよな。こないだ全部使い切ったから、家帰る前に買わなきゃって分かってたのに。唐揚げ作るってことしか頭になかったからだろうな。片栗粉カゴに突っ込んだら満足してレジ行っちまったんだ。先に飯は作ってあったしまだ時間もある、だからちょっと歩いたとこにある雑貨屋まで行ってきた。あそこの婆ちゃんだいぶヨボヨボになっちまってるけど、相変わらず声はでかいし耳は遠くないから向こう五年くらいは大丈夫そうだ。

たぶん、家まであと五分くらいってところ。音が聞こえてくる、海の方から、波をかき分けるような。明らかに誰かが音を立ててて、寄せて返す普通の波の音とは違ってる。誰か泳いでるんだろう、でも今は四月、時間は夜。ちょっと普通じゃないっていうか、おれのジョーシキの中じゃ泳ぐような時期でも時季でもない。っていうかまだ寒いし冷たいし、泳げたもんじゃないと思う。入ったことあるから分かる、おれには。

足が止まる、頭の中で波の音でぶわっと埋め尽くされていくのを感じる。足をぐわっと上げて堤防の上へ乗っかる、ジムでめいっぱい泳いだから熱っぽさが残ってる。声を殺す。なんか声を立てちゃいけない気がして、ぐっと口を真一文字に結んだ。堤防の上へ立った。海を見た。波の向こうに姿が見えた。キラキラって、眩いくらいに輝いてる、煌めいてる。星が宙を流れてくみたいだ、遠くから眺めるだけで心がざわつく。そう、宙、空。海は空みたいで、終わりってものを感じない。空は海みたいで、どこまで行っても果てってものがない。似た話を秋人の姉貴がしてた記憶がふとよみがえった。

光を追う。澄んだ水の中をもっと澄んだ水が駆けてるみたいだ。同じ水だけど違ってて、違ってるけど同じ水。おれも言ってて訳わかんないけど、嘘とか言わずになるだけ正確に伝えるならこうなる。見たことないな、夜の暗い海をキラキラ光る人だかポケモンだかなんだか分かんないのがスイスイ泳いでるなんて。おれ今まで生きてて一回も見たことない。そうそう見れないレアな光景って予感がする。この間ガチャ回したらオトヒメ出た時はテンション上がったけど、なんかちょっと違うな。レア同士だけど違う。

パッと見人のような、でも人には見えない何か。知ってる中にぴったり当てはまる姿かたちが見つからない、少なくともおれの頭の中には。見たことのない何かが海を泳いでる、ホントは先に怖いとか不気味とかいった気持ちが出てくるのが普通なんだって思うけど、なんか申し訳ないくらい湧いてこない。湧いてこないって自覚できるくらいに。なんだろな、目の前にすげえ綺麗なものがあって、なんか気の利いたことを言おうとしても言えないってことあるじゃん。友達から滅茶苦茶上手い絵を見せられたときとか、センパイ同士でド派手なバトルをやってるときとか。ただ「すげえ」とかしか言えないあれ。

「――すげえ」

今のおれ、それだ。ただ「すげえ」ってしか言えなくなってる。

不意。かなり不意。正真正銘マジで不意に、水面がパカッと割れて裂けた。花が咲いたみたいだ。目がぱっと見開く。飛び散るしぶきが見えて、ひとつひとつが月の光を浴びて輝く、それこそ宝石みたいに。飛び上がった何かには「目」があって、堤防に立ってたおれと目が合って。

(海だ)

海が見えた。目の向こうに、どこまでもどこまでも広がる、永遠に終わらない青い海が見えた。目の向こう、瞳の奥に、果ての見えない、底のない海が見えた。

ばしゃん。飛び出す瞬間と似たような音が聞こえる、身体に絡みついて縛り付けてた糸が切れたみたいになった。ほんのちょっとよろめく、力が抜けてる。堤防から落ちたら痛いからとりあえず踏み止まって顔を上げた。あの何かの姿は見えない。海を探してもいない、砂浜を見ても同じ。どこにも見当たらない。あれ、マジでなんだったんだろう。目があるってことは生き物、人間かポケモンだと思う。人間じゃなさそうだな、たぶんポケモン、ポケモンだ。けどポケモンってだけじゃどうにもならなくて、ポケモンの中に何百も種類あるんだよな。クズモーとかメノクラゲとか、そういうの? どっちもパッとしないな、全然似てないし跳ねそうにない。ぼーっと海を見ながら考える、時間のことなんて忘れて、ぼんやり頭をぐるぐるさせる。

ポケットの中が揺れた。やかましい音もセット。慌てて探ってスマホを取り出す。アラームだ。あと五分で八時になるって言ってる。ちょっと待って八時ってあれじゃん、にゅうトリノの配信始まる時間じゃん。あれアーカイブ出てくるの遅えんだよな、生放送見逃すとめっちゃ待たないと観れない。今日は何かゲスト呼ぶとか言ってたし観るのめっちゃ楽しみにしてたんだ。

「やっべ」

胸に浮かんだ言葉がそのまま口を突いて出てくる。どうするかな、洗濯機に服ぶち込んで風呂沸かすくらいの時間はあるかな。親父ももうちょいで帰ってくるし今日は先に入ってもらうか、あーあと弁当箱浸けとかないと。駆け足で走ってると妙に頭が回る。なんだろな血の巡りがよくなるからかな、どうでもいいや、今は家へ急ぐのが先だ先。

明日朝ガッコ行くとき聞いてみよっかな、ユカリに。

さっき見た、何かのこと。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。