また少し日を挟んで、五時間目の休み時間を迎えた時のこと。
「はー、しんどいしんどい。昼休みちょっとはしゃぎ過ぎちゃったわー」
机にぐっでーっと寝そべりながら、べこべこの下敷きでばたばた煽って風を送る。身体があっついってか、ほっぺたの辺りが火照って仕方ない。まだまだ外暑いのに、グラウンドで全力疾走なんてするもんじゃなかったわー、マジで。ま、楽しいからやっちゃうわけだけどね。
それにしてもホントくっそ暑いったらありゃしない。学校じゃなきゃ、てかあたしん家ならこう、ばーって服脱いで下着だけになってるところだわ。これが涼しくて超気持ちいいんだけど、これまたホントお約束通りママにお小言を言われるパターンの一つで、女の子なのにだらしないでしょ、ってな具合でチクチク刺してくるわけよ。言いたいことは分かんない訳じゃないけど、なんだってそう女の子女の子って強調するのかは分かんない。別にあたしなんて男でも女でも、どっちでも変わんないっしょ、実際。
(前にあっきーたちと話したけど、あたし、確かに男の子の方が気が楽だったかも)
涼ちゃんが転校してきてすぐぐらいにみんなの前で紹介したとき、なーんかそんな話があった気がする。あたしは男の子に生まれてきた方が良かったんじゃないかとか、そんな話だった。別にあの時はどっちでもいいって適当に流したけど、今もう一回考えてみると、あたしは確かに男の子に生まれてきた方が楽だったっぽい気がする。遊ぶのは大体男子だし、ママは女の子らしさが全然ないってしょっちゅう言ってるし、割とマジでそう思ってきた。
もし仮にあたしが男の子だったら、涼ちゃんとはどんな感じになってただろう。今はこう、二人とも女の子同士だし、仲のいい友達って感じだけど……うーん、あんまり想像付かない。何だかんだで今と変わらなくて、仲良しのままずっと続いていくような気がする。いや、それしか考えられない。てか、あたしは一応女の子だし、男の子だったらって仮定をしてもどーしようもない。性転換手術でもすれば別だけど、そんなつもりも全然ない。
やっぱり、自分が男の子でも女の子でも、どっちでもいい。そう思い直すことにする。
「なあ……橋本さんってさ、あれだぜ。『まな板』らしいぜ」
こんな具合に下敷きを使って涼みながらぐだぐだした時間を過ごしていると、まーた例によって男子の寄せ集めグループの話が聞こえてきた。別に聞きたい訳じゃないけど勝手に聞こえてきたし、しれっと涼ちゃんの名前が出てきたもんだから気になっちゃったし。そういうわけで、あたしはいつもと同じように聞き取りモードに突入。こらそこ、盗み聞きモードとか勝手に読み替えるのは禁止っ。
なんだけど、いきなり引っ掛かった。そもそも「まな板」ってどういう意味よ? あたし魚とか野菜とか切ったりするアレのことしか知らないんだけど、涼ちゃんがあの平べったい板……って、さっぱり意味が掴めない。必死に頭を捻ってみて、よいうやくありそうな答えを掘り出す。あれだ、きっとなんかの隠語とかだ。そうじゃなきゃ、こんなとこで「まな板」なんて単語が出てくるわけがない。
「だよなあ。俺服の上から見たけど、ぜんっぜん真っ平らだったぜ」
「でも、これからまた大きくなるんじゃない?」
あたしの眉間にシワが寄る。真っ平ら? 大きくなる? 一体何のことやら。なんか成長とかするのかも知れない。
「いやいや、お前分かってねーなぁ。あの顔で真っ平らってのがいいんじゃん」
「えぇー、俺やっぱりでかい方がいいって思うけどなぁ」
「ほら、あれだって。彼氏できたら大きくなるって言われてるじゃん」
「あれかぁ、触られたり揉まれたりするからだよな、絶対」
「だよなだよな。揉むとでっかくなるって聞いたことあるし」
あー、あーあー。あれか、あれの話だ。多分間違いない。
(おっぱいの話ってやつね、こいつは)
うっわー。めっちゃどうでもいい話だったー。心っ底どうでもいい話だったー。こんなことならわざわざ聞き耳立てるんじゃなかったー。聞き耳代払え聞き耳代って言いたいくらい。額は時価でいいけどベースは高めで。
男子連中の話してることを理解した途端、疲れが三・五倍(当社比)くらいに爆増した気がした。よくそんなしょーもない話で盛り上がれるわねえ、よくそんなくっだらないネタで話が続くわねえ、って面と向かって言ってやりたいくらい。男子ってつくづくこんなんばっかりだ。気の利く風太とかは貴重な例外で、マジでこんなんばっかりだ。あたしの学校のレベルがアレなのかも知んないけど、いやいや中学生男子なんて大方こんなもんだろうって結構本気で思う。今日の晩ご飯くらいなら賭けてもいい。あたしが勝つ自信あるし。
あたしも最近ちょっと大きくなってきたけど、あえて言う。こんなもん意味なく大きくなってもしょうがないでしょうに。そりゃまったく出なきゃあれだけど、だからってただデカけりゃいいってもんでもないだろう。ママに言われて一応スポーツブラはしてるけど、正直あっついしめんどいしで良い事なんて何もありゃしない。涼ちゃんはどうしてるかとか知らないけど、んなもんわざわざ聞くまでもない。
ホント、どうだっていいじゃん、胸の大きい小さいなんてさ。
「それとさ。橋本さんにいっつもくっついてるあいつ、最近体つき変わってきたと思わね?」
男子がぽろっと零した言葉を拾って、聞き耳がぴくんと反応する。
転校してきたばっかりの涼ちゃんにくっついてる子なんて、まあそうそういない。そうそういないっていうか、一人しか該当する人はいない。
一人しかいないってか、あたしだ、それは。
「おいおい声でかいって、あいつ今向こうにいるのに……でもそうだよな、俺もそう思う」
「まあ見た目はそれっぽくなってきたけどよ、中身そのまんまじゃん。小学校ん時から全然変わってねーし」
「男とばっか遊んでるからなあ。智也の『男女』って渾名がピッタリじゃん」
「夏休みに男と遊んでる、って言ったら、なんか別の意味になりそうだけど、あいつは違うからな」
あー、あーあー。
あいつら、すっげえくだらない話してる。
これはやべえぞ、心底くだらねえ。涼ちゃんの時の比じゃない突き抜けたくだらなさだ。しかもあれだ、あたしがどうのこうのって話を、あたしが聞き取れる範囲内でやらかす適当さ。ママの言う「デリカシーが無い」ってのは、多分こういうことだろう。これはあたしもママに全面同意する。デリカシーのカケラも無いし、ついでに危機感も無い。頭にあるのは多分おっぱいだけだ。極限まで馬鹿な構図としか言えねえぞコラ。下駄履いたまま自分でリストアしたバイクに乗って市街地を疾走する空手家じゃないんだから。
(ホントに、バカばっか)
ここらで一発分からせてやろうか――と、いつもなら思うところ。
だけど、今日に限っては、なんだか体を起こす気にならない。おめーらサムいぞって目をグループに向けるのが精一杯で、体はぴくりも動かす気になれない。ぐでーっと伸びたまま、ただ遠巻きに視線を送る。いちいち相手するのもかったるい。
別にいいじゃない。あたしが、誰と、どんな風に遊んだって。それで誰かが迷惑するって訳でもないし、それくらい好きにさせてほしいわって話よ。今のこのやり方・生き方が一番好きで、ずっとこのまま続けてくつもりなんだから。他人に文句を言われる筋合いなんて無い、そうに決まってる。
そうに決まってる――九割九分、そう思ってる。
(だけど……)
残りの一分で、何か感情が燻ってる感じがして。
なんだろう。うまく言えないけど……あたしも、いつかママやパパみたいに「大人」になるのかな。誰かと結婚して、どこかに勤めるようになって、それで――今のあたしみたいな、子供ができて。
そんな「大人」に、いつか、あたしもなるのかな。そんな風に思ってる。
もし。
これは、もしの話。もしそうなったら、今みたいに、智也たちと外で遊んだりとか、あちこち駆け回ったりとか、そういうことって、できなくなるのかな。少なくとも、ママやパパはそんなことしてない。お昼の間は会社で働いてて、夜になると帰ってくるってのを、ずっと繰り返してる。
あたしが「大人」になったら――今みたいには、いられなくなるのかな。
(……んなわきゃーない。あたしは、ずっとこのままだし)
もやもやした考えと気持ちが広がりそうになったところで、さっくりそれを振り払う。あたしがママみたいになってる風景なんてこれっぽっちも想像できないし(きっとママだって想像できないだろう)、智也なんかが会社で真面目に働いてるなんて輪を掛けて想像できない。絶対無理だ。あたしも変わらないし、あたしの周りも変わらない。今のまま、今みたいな時間が、ずっと続いていく。きっと、それが正しい。
智也だって風太だって、それに涼ちゃんだって、変わるわけなんてない。今みたいな楽しい毎日が、これからもずっとずーっと続いてくんだもん。
そんなことを考えながら、ぼけーっと男子の話を聞いていたあたしだったけど。
「そういえばさ、橋本さん、こないだのプールの授業休んでたよな」
「休んでた休んでた。せっかく水着着てるとこ見れると思ってたのによぉ」
「なんで休んだんだろうな。泳ぐの得意だって言ってたのに」
話題がまた涼ちゃんのになると、さすがにちょっとしっかり聞かなきゃって気持ちになった。涼ちゃんがどんな風に見られてるか、思われてるか、言われてるか。あたしはそれを知っておかなきゃいけないからだ。
「そりゃあれだろ。『アレ』だって」
「ああ、やっぱそうか。確かさ、帝塚も一緒だったよな。同じかな?」
「決まってんだろ。プール以外は普通に授業受けてたんだからさ」
帝塚っていうのは、あっきーの名字だ。何の話をしてるかは一目……というか、今の状況からしたら「一目」より「一聴」って方が多分それっぽいんだけど、そんな言葉聴いたことないし、普通に一目瞭然にしとく。とにかく一目瞭然だった。涼ちゃんがこの前の水泳を休んだことを、あれこれ噂してるみたいだった。
今日は見逃してやるかって思ってたけど、涼ちゃんが面白おかしくテキトー言われてるのはやっぱり納得いかない。涼ちゃんだってクラスに馴染もうとして頑張ってんだから、つまんない噂話の種になんてされたくない。しょーもない話をしたらイタイ目に遭うって、体に分からせてあげる必要がありそうね。
「女子ってめんどくせーよな。みんなあんな風になるのかよ」
「わかんねえけど、大体そうじゃね? 俺の姉貴もさ、時々すっげーイラついてることあるし」
「そうだそうだ。あれってさ、始まると――」
よーし、そろそろ行くか。と、あたしが立ち上がろうとした直後だった。
「やめなよ」
男子グループに割って入る一人の影。それはどこか見覚えがある姿……というか、あたしのよく知るクラスメートだった。
「えっ、三国……?」
三国、つまりは……琴樹だった。
いきなり琴樹が割って入ってきて、驚いたのは男子連中だった。お互いに顔を見合わせては、大きな体でどっしり立っている琴樹をまじまじと見つめている。琴樹は少しも動じたりしなくて、堂々とした姿を見せている。
「三国、お前……その、どうしたんだ?」
「せせこましいかも知れないけど、僕は、そういう話は、教室でするもんじゃあないと思うんだ」
「そういう話って、その……女子のあれがどうこうってこと?」
「そう。気にしてる人もいるから、やめておいた方がいいと思うなあ、僕は」
口調はいつも通りのんびりした感じで、だけど男子たちをしっかり諭していて、普段のぼんやりした琴樹とは明らかに違って見えた。男子たちも琴樹の様子にただならぬものを感じ取ったようで、すっかり押し黙っているのが見える。
そして……あたしも、呆気に取られてた。
「それに、橋本さんは転校してきたばっかりだから、まだ、クラスに慣れてないはずだよ」
「彼女のことをいろいろ噂したせいで、橋本さんが困ったり、戸惑ったりして、学校が楽しくないって思ったら、それは、僕たちにとっても、きっといいことなんかじゃないよ」
「橋本さんと楽しく過ごせた方が、僕たちも楽しいと思うんだけどなあ、僕は」
琴樹は言う。涼ちゃんはまだ慣れてないんだから、つまんないことを囃し立てて噂したりするべきじゃない。涼ちゃんが楽しく過ごせるようにした方が、自分たちにとってもいいはずだ――あまりにもその通り過ぎて、何も言えなかった。真面目な話で、本当にその通りだと思った。
いつもニコニコしてて、ぼんやりしてて、みんなが走ってる時でも歩いてるようなマイペースキャラ。ちょっとふっくらしてる、てか全体的に丸くて、智也なんかはいねむりポケモンのカビゴンをもじって「コトゴン」ってあだ名を付けてた。そう、コトゴンもとい琴樹は、全体的にカビゴンに似てた。食べることと寝ることが好きで、おおらかな性格をしてる。だから、細かいことなんて気にしない、もっと言っちゃうと、いろいろニブいけど憎めない感じのキャラだって、ずっと思ってた。
だけど、今の琴樹はどうだろう。見た目やしゃべり方は同じだけど、中身が全然違っている。周りの人のことを考えて、つまんないことを話題にするのはやめようって言ってる。
そこに、ニブさとか鈍臭さのようなものは、ちっとも感じられない。
「そっか……それもそうだよな」
「せっかくだから、橋本さんと仲良くできた方がいいよな、やっぱり」
琴樹にきっぱりと言われた男子グループが、それ以上涼ちゃんのことを噂するのをやめた。琴樹はその様子を、またいつも通りのニコニコした顔つきで見つめている。
固く握りっぱなしだった拳を解いて、今一度机に突っ伏す。
(知らなかった……琴樹って、あんなにしっかりしてたなんて)
あたしは、頭の中で何か考えようとして、でもちっともまとまらなくて、ぽろぽろ零れていくのを、ただ受け入れるしかなかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
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