#13 「好きだった」と「好き」のボーダーライン

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しばらくはあたしも涼ちゃんも何事もなく、今まで通りの毎日を過ごせていた。

「京ちゃん。わたし、ちゃんと女の子してるよね?」

周りに誰もいないときを見計らって、涼ちゃんはしばしばあたしにそんなことを訊いてくるようになった。あたしが涼ちゃんのことを男の子だって知ってから、涼ちゃんの方も意識するようになったみたいだ。涼ちゃんからそう尋ねられた時は、いつも決まってこんな風に答えていた。

「全然問題ないわ。どっからどう見ても、普通の女の子よ!」

「よかったぁ! じゃあ、大丈夫だね」

全然問題ない、ってね。涼ちゃんは完璧なまでに「女の子」だ。男の子っぽいあたしがいるから、涼ちゃんの可愛らしさというか女の子らしさというか、そういうところが上手く強調されてるのかも知れない。あたしは別にどんな風に思われてたって気にしないから、涼ちゃんが女の子っぽく見えてるならそれで構わないし。

今の調子で普通にしてれば、きっと大丈夫。涼ちゃんは「女の子」のまま学校にいられる。だから、心配しなくていい。あたしは事あるごとに、自分にそう言い聞かせていた。

「ちょっと先生に用事があるから、職員室に行ってくるね」

「はーい。行ってらっしゃい」

教室から涼ちゃんが出て行く。手持ち無沙汰になったあたしは、何の気なしにあっきー達のいる席へ足を向けた。

「でさー、陽子さんがまた波乱万丈な人でさー」

「ちーっす」

「おっ、京香じゃない。いいとこに来たわねえ。ささっ、こっちこっち」

「例によってみんな揃って、何か話してるの?」

「勝美ちゃんの従姉妹の、陽子さんって人のことだよ。この間家に遊びに来たんだって」

ほほー。かっちゃんの従姉妹か。前にかっちゃんから結構派手な人だって話だけ聞いたことがあるけど、何か面白いことでもあったのかしら。せっかくだし、聞いてみますか。

「ビール飲みながらいろいろクダ巻いてたんだけど、こんな人マジでいるんだー、って思ったわ。あれは」

「何か面白いことでもあったの? かっちゃんの従姉妹って」

「面白いって言ったら語弊ありまくりだけど、まあ面白いっちゃ面白いわね。警察に補導されたりとか、普通の人にはまあ縁無いっしょ」

「警察!? なるほど、そっちの方でやんちゃってわけね……」

「そうそう。今は一応落ち着いてるみたいだけど、多分あきちゃんとかは一緒にいて緊張しちゃうなタイプだと思う」

「あー……なんかそれ、分かる気がするよ。どんな雰囲気なのか……」

「なーんかそれ、うちとも合わなさそうねえ。うちの駄目兄貴はもっと合わなさそうだわ」

「でしょ? あたしは慣れてるから大丈夫だけどさ」

そうじゃないかなー、とは思ってたけど、陽子さんは控えめに言って「やんちゃ」な人みたいだ。かっちゃんのさばさばしたところとかは、割と陽子さんの影響だったりするのかも知れない。

「この前聞いたのは結構アレだったわねー。確か中三の時に、隣のクラスの男子とできちゃったらしくて」

「……えっ!? ちょっ、それ、どういうこと……?」

「どういうことも何も、まんまよ。自分の家でアレしてコレしたら、コウノトリさんがやってきちゃいました、的な」

あっけらかん。その言葉がこんなにも当てはまるシチュエーションは、あたしの人生の中でもそうそうあるもんじゃない。かっちゃんは、本当にあっけらかんと「陽子さんは中三の時に子供ができた」なんて話をして見せた。

どうしてかは分かんないけど……かっちゃんの話はやたら強烈な印象になって、今まさにあたしの記憶に刻まれつつあった。

「うわー……やっちゃったんだね、陽子さん……」

「そうだそうだ。うち前々から思ってたんだけどさ、よく『できちゃった結婚』って言うじゃん。結婚の事ばっか書いてる雑誌とかで。あれぶっちゃけ嫌いなのよねえ。どっちかっつーと『やっちゃった結婚』だろっていっつも思ってるんだわ。直接関係ないけど」

「あたしも直恵に同意ー。どう考えても八割くらいは『やっちゃった結婚』だしねー」

「それで勝美ちゃん、その赤ちゃんどうなったの? やっぱり……」

「まあ大体予想付くでしょ? 中三の子供が子供を育てられるわきゃないってなって、堕ろしたって言ってたわ。で、そのタイミングでその男とは別れたって」

「しょうがないっちゃしょうがないけど、刹那的ねえ」

予想通りって言えばいいのか、言っていいのかは怪しいけど、陽子さんの話はそれで落ちがついた。

だけど……それとは別の次元で、あたしの中でまた新しいもやもやが生まれつつあった。

(中三ってことは、あたしと二つしか違わないってことよね……)

陽子さんが妊娠したのは中三の時、今あたしは十三で、中三って言ったら十五くらいだから、二歳しか離れてないわけだ。そんな歳で子供ができたっていうことが、とにかく信じられなかった。

子供なんてもっともっと先、「大人」にならなきゃできないって、そう思ってたから。

(子供ができるってことは、もう大人になってるってこと……?)

陽子さんみたいに中三で「子供」ができるってことは、身体はもう「大人」になってる、あるいはなりつつある。逆に考えてみれば、そういう言い方だってできる。

もしかすると――「子供」と「大人」の違いって、あたしが思ってたよりもずっとはっきりしないのかも知れない。ぼやけて滲んだ「子供」と「大人」の仕切りの上にいる、それがちょうど今のあたしたちのような、中学生っていう年頃なんじゃないんだろうか。

(あたし、まだ「子供」のつもりだったのに……)

身体の奥の方から、得体の知れない不安がわっと迫り上がってきた。何も無いのに思わず口元を押さえて、乱れる呼吸を抑え込もうとする。

まだ……「子供」だって思ってたのに。

まだ……「子供」でいたいのに。

「今の旦那は世界一だって言ってたけど、どうかしらねー。今から一年経ったら、世界で六十億番目前後になってるとも限らないのが陽子さんなのよねー」

「わははは、如何にもありそうねえ、それ」

「移り気が激しそうだし、自分の好きなように生きたいタイプの人なんだろうね、たぶん」

かっちゃん達の話がひどく遠い世界の別の話のように聞こえて、ほとんど何も、頭に入ってこなかった。

 

 

それは陽子さんの話を聞いてから、数日経った後のことだった。

「天見さん。ちょっといいかな?」

放課後の教室。教室の掃除当番だったあたしは、箒をロッカーに片付けて、さあ家へ帰ろう……ってところで、一人の男子に呼び止められた。聞き覚えのある声色だ。これは、多分あいつだ。ある程度の当たりを付けながら振り向いてみると、そこにあったのは予想した通りの、見覚えがある顔だった。

「風太じゃない。どうしたの? あたしに何か用?」

「実は……天見さんに、折り入って相談したい事があるんだ」

後ろに立っていたのは風太だった。何か相談したい事があって、掃除当番でもないのにこの時間まで残ってたらしい。あたしが自分の席へ座ると、風太はそのすぐ隣に立つ。風太の顔を見てみると、割と……いや、かなり真剣な雰囲気だ。元々風太は真面目な方だけど、それとはまた違う感じの「真面目さ」って言えばいいのかしら。

風太は気もそぞろといった様子でもって、キョロキョロ周囲を見回している。そうこうしている内に他のクラスメートは続々と帰っていって、あっという間にあたしと風太だけが教室に残される形になった。どうも、あたし以外の子がいなくなるのを待ってたっぽい。他の人に聞かれるとまずい相談をするつもりで、結構重たい話だったりして。だったらちょっと困るかも知れない。あんまり適当言えないし。

とにかく話を聞かなきゃ始まらない。風太が少し落ち着いたのを見て、あたしから先に切り込んだ。

「何があったのよ、風太があたしに相談なんて」

「笑わないで、聴いてほしいけど……実は、僕……」

数秒間を溜めてから、風太が意を決して口を開いた。

「……好きな女の子ができたんだ」

「えっ!? マジで!? 風太に好きな子が!?」

こりゃちょっと予想外の展開だ。風太のお悩みは色恋沙汰だったわけか。確かに他の子がいる前じゃ話しにくいわね。あたしに相談しにきたのは、気軽に話せる女子だから、ってなところかしら。あたしもあんまり実のあるアドバイスはできる気しないけど、ま、勇気づけるくらいなら楽勝っしょ。

「へぇー。子供っぽいと思ってたのに、風太も色気付いたわねぇ」

「自分の顔とかが子供っぽいのは、僕だって分かってるよ。それに、まだただの片思いだし……だけど僕、その子を好きだって気持ちが、抑えられないんだ」

「いいじゃんいいじゃん! で、風太は誰が好きなの? 聞かせて聞かせて」

「それは……」

風太のハートを奪った罪作りな女子は誰? 相談を受けるにしてもこれが無いと始まらないし、何よりあたしが聞きたくて仕方ない。身を前に乗り出して、風太の話に耳を傾ける。

俯かせていた顔を静かに上げて、風太が想い人の名前を口にした。

「僕が好きなのは――橋本さんなんだ」

「……えっ」

橋本さん。風太が口にした名前は、それだった。

他のクラスに「橋本」の名字を持つ女子がいるなんて聞いた記憶は無い。いるのはこのクラスだけだ。で、このクラスの橋本さんは誰か、と言うと……。

(……涼ちゃん、じゃん)

ここまで引っ張る必要性もなく、涼ちゃんただ一人しかいなかった。

「あー、えーっと……あれだ、風太があたしに相談したのって、もしかして……」

「天見さんが一番話しやすいと思ったから。それに、橋本さんと幼なじみで、よく知ってるみたいだったからね」

風太があたしに相談を持ちかけて来たのは、単にあたしと話し慣れてるってことだけが理由じゃなかった。あたしと涼ちゃんが小さい頃から仲良しで、お互いのことをよく知ってるって事も踏まえて、あたしに相談を打ち明けたわけだ。

相談されたわけだけど……この状況はちょっと、いやかなりマズいぞと、あたしのセンサーがびんびんに反応していた。

「初めて顔を見たときから、胸がキュンとして、少しでも時間があると、すぐ橋本さんのことを思い出しちゃって」

「可愛くて、穏やかな様子が素敵で、声も綺麗で……気になって夜も眠れないくらいだよ」

「橋本さんと仲良くなれたらどんなに素敵だろうって、そんなことばかり考えてるんだ」

普段のあたしなら、わははは、完全に初心な男子ねえ、と笑い飛ばすところだったけど、今は全然そんな気持ちじゃない。あたしの置かれている立場のヤバさが、どんどん自覚できてきたからだ。

言うまでもなく、風太は涼ちゃんを女の子だと思っていて、女の子だからこそ「好きだ」って言ってる。確かに涼ちゃんはみんなから「女の子」だって思われてるし、あたしもそう思ってる。

だけど……あれだ。涼ちゃんは、身体的には「男の子」なわけで。

「え……えっとね風太、ちょっと話が……」

「それでね、天見さん。お願いがあるんだ」

「おおお、お願い?」

「うん。天見さんから橋本さんに、僕のことを紹介して欲しいんだ」

えぇぇえーっ!? それマジで言ってんのぉー!? ……と思わず口を付いて出そうになるのを無理やり喉の奥へ飲み込む。んなこともし本当に口に出して言ったら確実に疑われるだろう。なんでそんな反応するんだって。とは言え、あと一歩で口から飛び出そうになってるのも事実。このシチュエーションはマズい。本気でマズい。

あたしは涼ちゃんの正体を知ってるわけで、それを考えると、風太に「女の子」として紹介するのはかなりアウトだ。なんたって涼ちゃんは「男の子」だから。一番いいのは風太に事情を説明して諦めてもらうことだけど、それはつまり涼ちゃんの秘密――ポケモンとのハーフであること・性転換して男の子になったこと――を、一から十まで全部ぶちまけなきゃいけないってことだ。何せそうしないと説明が付かないわけだし。けど涼ちゃんとの約束で、これは他の子には絶対バラさないってことになってる。だからそれはできない。

つまり、どうしようもないということだ。

「あの……えっと、風太……」

「無理なお願いだってことは分かってる。僕じゃ釣り合わないって、そう思われても仕方ないって覚悟はしてるよ」

「そ、そんなんじゃないの! それは違う!」

真面目な風太とお淑やかな涼ちゃんだったら、あたしが言うのも何だけど、きっと相性はかなりいいはずだ。もし涼ちゃんが普通の女の子なら、あたしはかなり張り切って愛のキューピッドと化してたに違いない(※ただし使うのは弓矢ではなく爆筒)。涼ちゃんが普通の女の子なら、という条件が既に完全破綻してるわけだけど。

こりゃ本当は止めなきゃいけない。けど、風太の真面目な様子を見てたら、いい理由が思いつかない。嘘を付くのがすごく悪い気がしてきて、上手く言葉が出てきてくれない。

「この通り、お願いだよ、天見さん……」

「う、うぐぐ……」

答えあぐねたあたしは、つい口を滑らせて……。

「わ、分かった! 涼ちゃんに風太のこと、紹介したげるわ!」

「本当に!? ありがとう、天見さん! 本当にありがとう!」

一番マズいパターンに――自分から足を踏み入れてしまった。

喜びを爆発させる風太を見つめながら、あたしは心の中で一言、ぽつりと呟く。

(……どうしよう)

……どうしよう、と。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586