泣いても笑っても、次の日は必ずやってくる。
「よりにもよってこんな日に限って、なんで朝から夕方までずっと忙しいのよ……っ!」
朝はあたしが遅刻、一時間目と二時間目の間は移動教室、二時間めと三時間目の間は突然の腹痛でトイレへダッシュ、三時間目と四時間目の間は体育で着替えタイム、お昼休みは別の子に、五時間目と六時間目の間は白鷺先生にそれぞれ涼ちゃんが捕まってて……涼ちゃんとまともに顔を合わせたのは、放課後になってからだった。
とにかく、風太のことを伝えなきゃ。風太が涼ちゃんと話をしたがってる事と、涼ちゃんに気があるってことの両方。特に風太が涼ちゃんのことを女子だと思い込んで(女子だって思わせてるから当然なんだけど)、「友達」じゃなくて「彼氏と彼女」の関係になりたいって考えてる事は、何が何でも伝えなきゃまずい。あたしが優柔不断だったせいで、とんでもないことになっちゃったわ。
「涼ちゃん、ちょっと話があるの」
「わ、京ちゃん。今日話すの初めてだね、ちょっと意外だよ。それで、どうしたの?」
「ええっと……二つあって。一つが、この間も話したけど、風太に涼ちゃんのことを紹介したいと思ってさ。風太も涼ちゃんと話がしたいって言ってるのよ」
「本当? だったら、早速紹介してよ。私も今宮くんと話せるの、楽しみにしてたんだ。京ちゃんが間に入ってくれるなら、大助りだよ」
涼ちゃんが顔を綻ばせる。うーん可愛らしい、って、んなことは置いといて。多分一番大事なことが頭からすっぽ抜けてる可能性が大だから、ちゃんと言ってあげなきゃ。
「それはいいんだけど……涼ちゃん。涼ちゃんは……その、今は『男の子』よね? それって、他の子は知らないわよね?」
「うん。それは、京ちゃんだけが知ってる秘密だよ」
「じゃあ、単刀直入に言うわ。風太はね、涼ちゃんの事好きみたい……いや、好きなのよ。『女の子』として」
「……えぇっ!? それ、ホントに!?」
「あたしだってこんな事になると思ってなかったわよー!」
風太は涼ちゃんのことを女の子だと思い込んでて、しかもぞっこん状態になってる。根っからの天然でのんびりしてる涼ちゃんも、ことここに来ての状況がどれだけヤバいかは分かったみたいだ。一歩間違うと、全部表に出かねないくらいの危険なシチュエーションだって言っていい。
「風太がすっごく真面目な調子で、『橋本さんの事が好きなんだ』って、あたしに相談してきたんだから……」
「あわわわ……! もしわたしが男の子だってバレたら、大変な事になっちゃうよ……」
「そうなるのはもう火を見るより明らかよ! あたしがうまくごまかせればよかったんだけど、どうしてもできなくて……」
「京ちゃん……わたし、どうしよう? どうしたらいいの?」
「もうこうなったら、アドリブで乗り切るしか無いわ! もし風太から『付き合ってください』みたいに言われたら、うまくごまかしてほしいの。あたしも何とかして手伝うから!」
ちょっとでも細かい打ち合わせをして、どうにかやり過ごす方法を考えたかったけど。
「天見さん、橋本さん」
「ふ、風太じゃない! 来てくれたのね」
「い……今宮くん。こんにちは」
間の悪いことに、その風太がもう来てしまった。あたしと涼ちゃんが固まって話をしていたから、てっきり自分の事を伝えていたんだと思ったのかも知れない。いや、風太に関わる話をしてたのは事実だけど、趣は完璧に違う訳で。
「えっと……こんにちはっ。僕、知ってると思うけど、今宮風太っていうんだ。橋本……涼子さん、だよね?」
「う、うん。名前、好きなように読んでくれていいよ。橋本さんでも、り……涼子ちゃんでも、なんでもっ」
「それじゃあ……えっと、今は、橋本さんって呼ばせてもらうね」
いつの間にかトントン拍子の三三七拍子で話が進んでて、あたしは即効で蚊帳の外にほっぽり出されてしまった。どうしてくれよう、既に割って入るのが難しい空気が作られつつあるんだけど、どうしよう。そして涼ちゃんがカチカチだ。これで怪しまれないのは、風太の方も緊張してるからに違いない。
「ええと、涼ちゃんに風太、ちょっと……」
「ありがとう、天見さん。橋本さんに、僕の事紹介してくれて」
「え、ええ、まあ……」
「せっかくだけど……こほん。僕、これから、橋本さんと二人で、話がしたいんだ」
「えっ、ちょっ」
話の流れから言って多分そうなるとは思ってたけど、実際にそうなってみると「どうしよう……」感がハンパじゃない。思わず口を付いて「えっ、ちょっ」とでも言いたくなるシチュエーションだった。もちろん、話を間近で聞かされてる涼ちゃんも完全に凍りついている。今からあたしが付いていくなんて言ったら、風太は確実に訝しがるだろう。これじゃあどうしようもない。
「よしっ。じゃあ、橋本さん、行こうか」
「え……あ、うん……」
「あ、ちょっと、涼ちゃんっ、風太っ!」
あたしがうかうかしてる間に、涼ちゃんと風太は並んで歩いて行って、一緒に教室を出て行ってしまった。残ってるのは、大チョンボをやらかしてアホ面をぶら下げてるあたしだけ。ここまで急激に状況が悪化するだなんて思ってもみなかった。涼ちゃんにくっついて風太の話を妨害するとかそういうみみっちい作戦は、これでまったく使えなくなった。
「くっ……こうなったら、尾行開始よ!」
机に載せたカバンをひったくり、あたしは疾風のごとく駆け出す。
(ばさばさばさーっ)
チャック全開の上に容量満載、トドメに取っ手の片方だけを引ったくられたカバンは見事に傾き、中に詰め込まれていた大量の教科書とノートがナイアガラの滝よろしく上から下へ盛大に雪崩落ちて行った。疾風、一瞬でそよ風クラスまで失速。
「だぁぁぁあーっ! こんな時にぃーっ!!」
「んー? 京香ったら、今日家庭科無いのに資料集とか入れてんの? 重くないわけ?」
「持って帰るの忘れてたのよっ!」
横を通り掛かったかっちゃんのツッコミから目を背け耳を塞ぎながら、教科書を親の仇のようにカバンに力技でもって押し込むと、あたしはすぐさま涼ちゃんと風太の行方を追った。
「よしよし、これくらいの距離があれば大丈夫ね……」
幸い二人はのんびり歩いていて、姿を捉えるのは簡単だった。二人にバレないよう、かつ二人の姿を見失わないようにほどほどに距離を取りながら、あたしは影を潜めて歩いていく。
風太の案内で涼ちゃんが向かったのは、学校から歩いて五分くらいの場所にある、ちょっと大きな公園だった。背の高い銀杏の木がいくつも生えていて、分かりやすい場所にある割には使う人が少ない。だから、人目を避けて話をするのに向いた場所だった。夏休みに風太が読書感想文書くための小説を一本読んで、こことよく似たロケーションが出てくる話だった、「銀杏公園」っていう渾名まで同じだったとかどうとかって言ってたっけ。
「ここへ来たってことは……風太ったら、最初から本気で行くつもりね……」
その銀杏の木がある茂みに身を隠しつつ(こーいうのは、智也たちとかくれんぼしたりしてたあたしにはお手の物だ)、ベンチに座った風太と涼ちゃんの様子を伺う。この距離なら声もしっかり聞き取れるし、仕草だってつぶさに見て取れる。二人からは上手い具合に死角になってるから、下手な事をしなきゃバレる心配もない。
「橋本さん、学校はもう慣れた? 何か、困ってることとか無い?」
「うん。最初は、少し大変だったけど、今はもう……大丈夫、だよ」
「それならよかった。誰かにいじめられたり、いたずらされたりとかしてないか、ちょっと心配だったんだ。その……橋本さん、綺麗だから」
「そ、そんな……綺麗とか、言われるような顔じゃないし……」
優しい涼ちゃんに、気配りのできる風太。あたしの予想通り、二人の相性は抜群だ。歯の浮くような会話だって割と平気でやっちゃうぞ、というか。涼ちゃんがあんなん(=身体が男の子)じゃなかったら、今のシチュエーションは最高に面白いだろうけど、はっきり言ってそんな事言ってる場合じゃない。状況が刻一刻と悪化してるのは火を見るより明らかだ。
ていうかあれだ。涼ちゃんが冷や汗流して言葉が詰まり詰まりになってるのが、風太には却って悪い意味で自然に見えちゃってるんじゃないか。その……言うなれば、涼ちゃんの方も風太を意識してる、そんな風に映っちゃってるんじゃないか。今の二人の様子を見てると、割と現実味のある話だ。そしてそんな味はしてほしくなかったというのがあたしの偽らざる素の本音だ。
額からたらり、と冷たい汗が流れ落ちる。これはまずいぞ、本当にまずい。なんかこう思ってる以上に展開が早くて、どうやって状況を打開したらいいのか、全然案が出てこない。
「い、今宮くんも、『バリバリ君』好きなんだ。わたしもね、結構、よく食べるよ」
「やっぱりそう思うんだ、うれしいなあ。夏になると無性に食べたくなるんだ。あのかき氷みたいな食感、いいよね」
あたしが茂みの中で手を拱いてる間に二人の話はポンポン弾んで(涼ちゃんは間違いなく焦ってるけど)、さながらトランポリンルームに放り込んだププリンの如くと言わんばかりだった。一回跳ね回ってるの見たことあるけど、あれはすごかった。全然止まる気配が無かった。そしてこの話は今の状況と全然関係が無い。やめよう、無駄な思考。
「この辺りにも、数は少ないけどツチニンがいるんだ。天見さんから聞いたけど、日和田市にはたくさんいるんだってね」
「うん……そ、そうだよ。京ちゃんね、探すのすごく上手くて、男の子に頼まれて、よく捕まえるの手伝ってたっけ」
「なるほどね。常磐に来る前から男の子とよく遊んでたとは聞いてたけど、それを聞くと、ますます説得力があるね」
風太が固かったのはほんの最初のうちだけで、気が付くとすっかり打ち解けている様子を見せていた。元々女子とも普通に話せてたし、単に相手が好きな涼ちゃんだから切っ掛けを掴みかねてただけっぽい。順調に仲良くなってて、微笑ましいっちゃ微笑ましいんだけど、あたしの眉間の皺は彫りが深くなる一方で。そして涼ちゃんはだんだん風太との会話から抜け出せなくなって、ますますプライベートな話題に足突っ込んじゃってるわけで。
あたしが仲立ちしたせいか、会話の中でちょくちょくあたしの名前が出てくる。涼ちゃんは昔から男子顔負けの腕白で年上のガキ大将とケンカして痛み分けになって友達になったとか、天見さんはキャタピーやビードルに止まらずイトマルなんかも平気で手掴みしてたとか、うん、なんかあれだ。客観的に聞いてみるとあたしってとんでもないやんちゃ坊主、いや訂正。おてんば娘だったんだなあ、と。今も変わってないけど、多分。
「最初なんてすごかったんだよ、背の高い木のてっぺんにまで登ってさ。僕も智也もビックリしちゃったよ」
「そ、そんなこともあったんだ! 日和田にいた頃は、木登りは、あ、あんまりしてなかったけど、やっぱり得意だったんだね」
ちょうど昨日思い出したあのことにも、風太は触れている。そりゃビックリしたでしょうね、前の日までちっとも登れなかったんだから。あたしって飽きっぽいって自分でも思ってるけど、一回やるって決めたら絶対やるんだから。あの時は智也や風太と友達になれるかの瀬戸際だったし、必死になって練習したわね。
そうやって昔のことを話してる風太だったけど、どことなくその雰囲気は少し背伸びした感じで、有り体に言うと大人っぽくて。前にも言ったけど、風太って背も高くなくて、ヘンな喩えだけど、七五三を済ませた直後で背丈だけ伸びました、って感じの子供っぽさが目立ってたのに、いつの間にかその雰囲気が無くなってる。少なくとも、涼ちゃんと話してるうちは。
「今日は……か、風があって、前より、過ごしやすいね」
「僕もちょうど、そう思ってたところなんだ。もう夏も終わりかな」
お互いにだんだん言葉が減ってきて、空白の時間が増えてくる。けど、それは気まずさを伴うものじゃなくて、むしろ逆。心地よい静かな時間を過ごしてる、って言う方がずっと正しい。はっきり言おう、いい雰囲気だ。少なくとも風太にとっては、いい雰囲気ってやつだ。風太はこの空気を味わいながら、次にどうやってつなげるかを考えているはずだ。二人一緒にベンチに並んで腰掛けて、誰がどう見ても初々しい中学生って感じの男子と女子の風太と涼ちゃん。実に絵になる構図だろう。そしてあたしは一人茂みから出歯亀行為を継続中。死にたい。ガチで死にたい。今すぐ死にたい。こんなに死にたいと思ったのは初めてだ。そして今後二度と味わうこともないだろう。これは相当な自信を持って言える。
涼ちゃんは赤く染まりゆく青空へ視線を泳がせて、時折風太の方に顔を向けている。どうすればいいか迷ってるサインだ。対する風太も風太で、すぐ近くの涼ちゃんの様子をちらちらちらちら何回も伺っている。こっちもこっちでどうしようか考えてるはずだけど、もちろん方向性は全然違う。完璧に違う。
これは、そろそろ事態が動き出すに違いない。違いないんだけど、あたしはどうすりゃいいんだ。こんなになるまで手が出せないなんて、本当にどうしようもない。今更出てきたら確実に怪しまれるだけだし、かと言って放置してたら最悪の結果につながりかねない。どうしたものか、どうしたものか……。
三者三様のお悩みタイムの末に、風太が突如ぐいっと顔をあげるのが目に飛び込んできた。
「橋本さん。少し、いいかな」
「ど……どうしたの? 今宮くん……」
あああ、これヤバい。雰囲気で分かる。これ、明らかにあれだ。風太が覚悟を決めたくさいぞ。もう間違いない。
(涼ちゃんに告白するつもりなんだわ、風太は……)
涼ちゃんも同じように状況を察したみたいだ。表情が一気に固くなったのが見えた。これもきっと風太には、「いよいよ本題に入って、緊張してる表情」に見えているんだろう。合ってるけど、間違ってる。間違ってるのよ風太っ。
あたしは成り行きを固唾を飲んで見守……飲んどる場合かーっ! こうなる前に何とかするつもりだったのに、茂みの中でうだうだやってるうちに最終局面まで来ちゃったじゃないのよぉーっ! うわあどうしようどうしよう、このままじゃいろいろまずいわーっ!
「僕……橋本さんのこと、初めて見たときから、ずっと気になってたんだ」
「い、今宮くん……」
「始業式の日に、教室に入ってきて、みんなの前で自己紹介をしたときから……ずっとだよ」
こうなったら……もう、最後の手を使わざるを得ない。
(あたしがいきなり割り込んで、風太の告白を邪魔する……)
それしか、今の風太を止める方法なんて無い。
(やるしか……無いのよ……!)
風太の、たどたどしいけれど確かに心を尽くした言葉を聞きながら、その風太の思いをぶち壊しにするタイミングを図る。胸がキリキリと痛むって、よく小説なんかで出てくる表現だけど、本当に胸が痛くなるだなんて思って無かった。あたしが風太に涼ちゃんの事を紹介しておいて、それを自分で台無しにしようとしてるんだから、おかしな話もいいところだ。だけどこれしかない、これくらい無茶しなきゃ、涼ちゃんの秘密は守れない。
涼ちゃんはあたしが守るって、約束したんだから……!
「夜寝るときも、橋本さんのことを考えちゃって、なかなか寝付けなくて」
「今宮くん、そこまで……」
「それでね……僕、決心したんだ。僕の今の気持ちを、橋本さんに伝えようって」
「……っ!」
苦しい気持ちを押し殺すために、血が出そうなくらい強く唇を噛む。
(――ごめんね、風太……!)
そして、風太が口を開く。
「僕は、橋本さんのことが――」
体が動いたのは、その瞬間だった。
「ダメーっ!! 風太っ、待ってっ!! ストップ!!」
「……あ、天見さん!?」
「き、京ちゃん……!」
風太が今まさに思いを告げようとした瞬間、あたしは茂みから飛び出して、二人の目の前に立った。当たり前だけど、どっちもいきなりあたしが出てきて訳が分からないといった感じで、特に風太は目をまん丸くしている。よもやこのタイミングで、まさかあたしが割って入ってくるなんて、文字通り夢にも思わなかったに違いない。あたしだって、こんなぶっ飛んだことをする羽目になるなんて思ってなかったし。
だけど涼ちゃんの方はすぐにあたしが出てきた理由が分かったみたいで、緊張の解けた表情をしていた。あのままだったら、 風太にどう説明すればいいか分からなかった、そんな気持ちが伝わってくる。ともかく、風太の告白を阻止することに成功したってのは事実だ。
少し落ち着いたところで、風太が立ち上がって一歩前に出てきた。訊きたいことはたくさんあっただろうけど、何よりもまず風太があたしに問い質したのは、あたしが風太に投げ掛けた言葉だった。
「ど、どういうこと? ダメって……どういうこと!?」
あたしが風太と同じポジションにいても、きっと同じ事を訊ねたと思う。いきなり割って入ってきて「ダメ」だなんて言われたら、どういうことだって詰め寄りたくもなる。風太を止めるために咄嗟に口を突いて出てきた言葉だったけど、困ったことに理由を考える時間がなかった。だけどもう、今更後には退けない。どんな手を使ってでも、風太には涼ちゃんのことを諦めてもらわなきゃいけない。
これしかない。こう言うしかない。手っ取り早くて厳しい理由は、もうこれ以外考えられない。あたしは嘘に嘘を重ねることに胸を痛めながら、半ばやけっぱちになりながら、風太の問いに応えた。
「涼ちゃんには――風太とは別に、好きな人がいるのよ!!」
一番簡単で、一番単純で、一番残酷な理由。
涼ちゃんには、風太以外の好きな人がいる。
「そ……それって……」
それは……風太の心を折るには、十分だったみたいだった。
そ呆然と立ち尽くしたかと思うと、不意にがっくりと膝を折って、その場に力なく蹲った。顔には失意と絶望の色がありありと浮かんでいる。
これは、完全に心が折れた。見た目にもはっきりと分かる反応だった。
「京、ちゃん……」
「涼ちゃん……ごめん。こうするしか、なかったの……」
涼ちゃんだってショックだろう。あたしがありもしない嘘を叫んで、そのせいでさっきまで仲良く話してた風太が廃人同然の様子に変貌しちゃったんだから。はっきり言って、涼ちゃんも傷つけかねない嘘だってことは、あたしにだって分かってる。
だけど、こうするしかなかった。それに、こうなった以上はどうしようもない。もうこれ以上涼ちゃんを巻き込みたくない一心で、あたしは涼ちゃんに告げる。
「あとは、あたしが何とかするから! だから……涼ちゃんは、先に帰ってて!」
「う、うん。分かった……!」
あたしに促されて、涼ちゃんが公園から去っていく。今の出来事を完全には受け止めきれなかっただろうけど、あたしが涼ちゃんのピンチを救ったってことは理解してもらえたみたいだった。その背中を見送って、涼ちゃんの姿が完全に見えなくなったのを確かめてから、あたしは意を決して後ろを振り向いた。
(風太……)
後ろには――まだこの一連の出来事を受け止めきれてない、痛々しい風太の姿があった。胸が詰まってきて、こっちまで苦しくなってくるみたいだ。風太をこんな目に遭わせたのは自分で、苦しいとか辛いとか、そんな風に思う資格なんて、これっぽっちもありゃしないのに。
それでも良心の呵責を抑えきれなくて、風太に恐る恐る、震える手を伸ばす。
(ばしっ)
あたしが伸ばした手は――風太に思いっきり強く払われて、強烈に拒絶された。
「……僕が橋本さんにふられるのを、隠れて見てるつもりだったのか」
「ごめん……風太、ごめん……!」
「うるさいっ! ふざけるのも、いい加減にしてよっ!」
頭の上からカミナリが落とされて、全身を上から下まで貫かれたような衝撃が走った。あたしはそれを防ぐ手立てを何一つ持たなくて、それをただ無防備に受け止める他なかった。
「こんなことなら、僕に先に言ってくれたらよかったのに!」
「どうして黙ってのさ! どうして言わなかったのさ! どうして……あの時になって!!」
返す言葉もない。全部、風太の言う通りだ。
最初からあたしがちゃんと考えて行動してれば、風太をここまで傷つけるようなこともなかった。初めから、涼ちゃんと適度に距離を置いて接するようにしてあげることだってできたはずだった。
全部ぶち壊しになったのは――無神経で、優柔不断で、デリカシーの無い、このあたしのせいだ。風太も涼ちゃんも悪くない。あたしが全部悪くて、こんなことになっちゃったんだ。
「僕、本気で橋本さんの事好きだったのに。何を言えばいいか、ずっと考えてたのに」
「天見さんは……橋本さんの親友で、彼女のことをよく知ってる」
「何より、僕らとずっと一緒に遊んでくれた、大切な友達だった。だから、僕の相談にも真面目に乗ってくれた……」
「……そう思ってたのに……っ!」
ぱりん、と、乾いた音が聞こえた。
大切なものが壊れた、空虚で乾いた音が聞こえた。
「いたずらとか、そういうつもりだったのかも知れない。僕や智也だって、いたずらはしたよ。たくさんした。でもそれは、最後は笑って済ませられる、ちっぽけないたずらばっかりだったはずだ!」
「でも――これは、ひどすぎるよ! 僕、こんな思いしたくなかった! こんなに辛くて、こんなに悲しい思い、したくなんてなかった!」
「こんな、どうしようもなくなってから、途中で止めたって、何も変わらないよ! 何も……何も変わらない!」
「僕、信じてたのに……信じてたのに!」
風太が立ち上がって、ベンチに置いたカバンを引っつかむと、そのまま振り向くことなく、一度も振り向くことなく、遠くへ走り去っていく。
遠くへ、遠くへ。はるか遠くの、あたしの手の届かないところへ。
「……はあぁ……」
大きな大きな、大きなため息が漏れる。
取り返しの付かないことをしてしまった。そんな思いで、胸が満たされていく。
もう、風太とは遊んでもらえないかも知れない。そう思うと、体がへし折れるかと思うくらい、気が重くなった。
あたしは何も口に出せないまま、茂みに置きっぱなしにしてたカバンを引き寄せて、ずるずる引きずり出す。呆然とした気持ちのまま、ただ道をフラフラ歩いていく。
(風太……)
この後どうやって自分の家へ帰ったのか――それは、あたしが訊きたいくらいだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
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