涼ちゃんと風太の一件があった後の、翌日。
「そうなんだ。側にいてくれてたんだね。あの時京ちゃんが出てきたのは、このままじゃダメだって思ったから……」
「……うん。ずっと近くで見てた。それで、嘘吐いて、風太に諦めてもらったってわけ」
「ごめんね、京ちゃん。わたしのせいで……今宮くんだけじゃなくて、京ちゃんまで辛い目に遭わせちゃって……」
登校してきた涼ちゃんに、昨日の出来事の経緯を話す。涼ちゃんの正体がバレないように風太の告白に割り込んだ、そう説明したら、涼ちゃんはすぐに納得してくれて、それから、「ごめんね」って謝ってくれた。
「ううん。涼ちゃんは悪くないの。全部、あたしが蒔いた種だから……」
だけど……ここは、涼ちゃんが謝るところじゃない。風太のお願いを断りきれずに、中途半端に引き受けちゃったあたしの責任だ。
「今宮くん、いつもならもう来てる頃だけど……」
「……さっき琴樹に訊いてみたら、今日は学校休むって言ってたって」
風太は昨日の一件のショックが大きすぎて、体の具合を悪くするところまで行っちゃったみたいだった。風太の気持ちを思うと、胸がずきずきと痛んだ。好きだった子と(風太から見れば)いい雰囲気になって、もしかするといい返事をもらえそうってところまで漕ぎ着けて、一番大事なことを告白しようとした瞬間、あたしが割り込んで何もかもひっくり返した。しかも、好きだった子には想い人がいる、なんてことを目の前で言われて。これが、ショックじゃないわけがない。
風太は転校してきた涼ちゃんに一目惚れしちゃって、勇気を振り絞って告白しようとした。それを、あたしが割り込んでぶち壊しにした。それも、考えられる限り最悪の形でだ。涼ちゃんは普段からみんなに女の子って言って接してるんだから、風太のしたことは何も間違ってない。だから、風太が涼ちゃんを好きになったことを責めることなんて、絶対できない。
悪いのは、涼ちゃんでも風太でもない。
紛れもなく、このあたしだ。
「あたし、ちょっと休んでくる……」
「京ちゃん……」
一旦涼ちゃんの側を離れて、自分の座席へ戻る。椅子を引いて座り込むと、まだ朝っぱらだっていうのにもう疲れがドッと噴き出てきた。風太のことを思うと、気が重くて重くて仕方ない。
ぐったりしながら辺りを見回す。何一つ興味を引くものが無くて、色を失って灰色にさえ見えていた教室に変化が表われたのは、八時の二十分くらいになってからのことだった。
「よっす、琴樹」
「おお、おはよう、荻原くん」
「おはようさん。風太は?」
「今日は、今宮くん休むって言ってたなあ。体の具合が、悪いんだって」
「風太が学校休むって? 珍しいこともあるもんだな」
智也が、教室に入ってきた。
琴樹と軽く挨拶をして、そのまま自分の席へ向かう。カバンを机の上に投げ出すと、どっかと椅子に腰掛けた。
その姿を見て、あたしは少し前に胸に去来した思いが、一気に大きくなってくるのを感じた。
(智也は変わってない……きっと、何も変わってない……)
智也は何も変わってない。智也だけは、あたしが出会った時から何も変わってないはず。あたしと同じように、ずっと変わらずに、昔のままで居続けてくれるはず……そう信じると同時に、それを疑う気持ちも同時に湧いてくる。
変わってないことを、智也がずっと今まで通りで居てくれることを確かめたいと思った。智也はずっと同じで居てくれる、その証拠が欲しくて、欲しくて、欲しくてたまらなかった。
それに、今は誰かと一緒に思いっきり体を動かして、目一杯外で遊びたかった。智也ならきっと付き合ってくれるはず。街中を駆け回って、しょうもないことを飽きずに延々やって、くたくたになって動けなくなるまで、あたしと一緒に騒いでくれるはずだ。
最初に「女子だから遊ばない」って言ったきり、智也は男子だ女子だってちっとも言わなかった。あたしのことも風太や琴樹みたいな男子と同じように見て、何をするにも一緒だった。取っ組み合いの喧嘩だって数え切れないくらいしてきた。同じだけ仲直りだってした。あたしはそれでよかった、それがすごく楽しかった。男子も女子もない、あるのはただ一緒に遊ぶ「友達」って枠組みだけ。シンプルで綺麗なその枠組みの中に居るのが、あたしにはとても心地よかった。
智也に声を掛けよう、遊ぶ約束をしよう。風太は来てくれないかも知れないけど、でも、智也と二人だけだって構わない。何も考えずに、男子とか女子とか、子供とか大人とかそういうこと何も気にせずに、前みたいに一日中走り回ってたい。
気が付くとあたしは、智也の横に立っていた。
「京香……?」
あたしが横に立ってるのに気が付いて、智也が顔を上げる。あたしは何気ないふりをして、いつも通りを装って、智也にこう言ってみせた。
「ね、ねえ、智也……今度の休み、ヒマでしょ?」
「あたしと一緒に……外で、遊ばない?」
あたしの口から出た声は――あたしのものとは到底思えないくらい、弱々しくて、力が無くて、聞き取り辛くて……ひたすらに、か細い声だった。
(どうして……)
どうしてだろう? 分かんない。前は、こんなんじゃなかったのに。もっと、気軽に言えてたはずなのに。もっと、大きな声で言えてたはずなのに。声が震えて言うことを聞かない。
声が震えてるのは……体が、震えてるからだ。
体が震えてるのは――心が、震えてるからだ。
「あ……あれよ、なんだっていいの! ドッジボールとか、缶蹴りとか、刑泥とか!」
「かくれんぼでも、オニごっこでもいいわ! あたし、何やっても得意だし!」
「と、常磐の森に行くのもいいわね、バタフリー探したり、ピジョンを追っ掛けたり!」
「石英高原の近くまで行ってみるのもいいわね、ニドランと遊んだりしてさ!」
「なんだって構わないわ! だから……日が暮れるまで、一緒に遊びましょうよ!」
無理して声を張り上げて、智也に誘いを掛けてみる。
なのに……。
「……どうしたの、智也……?」
「なんで、そんな顔してるの……?」
……なのに。
智也は難しい顔をするばかりで、あたしの言葉に応えてくれない。怒ってるわけでもない、鬱陶しがってるわけでもない。気持ち悪い、って感じでもない。表情から伝わってくるのは、そんな単純な気持ちじゃない。
(どうして……そんな顔して、あたしを見るの……?)
言葉に言い表せない。少なくとも今まで見た記憶の無い顔つきをして、智也はあたしをジッと見つめる。あたしの心は不安で鷲掴みにされて、そのまま握り潰されてしまいかねなかった。
「……京香」
そうして、閉じられていた口が開いて。
「それは……できない」
あたしの言葉を、正面から拒絶した。
「俺とお前が一緒に外で遊んでたりなんかしたら、おかしいだろ」
「俺たちはもうそんな歳じゃない。中学生なんだぞ」
「もう、外で一緒に遊ぶのは、卒業だ」
ショックで魂の抜けたような顔つきをしていただろうあたしに、智也がとどめの一言を口にする。
「俺は男子で、お前は――女子なんだからな」
それだけ言うと、智也はさっと席を立って、教室を出て外へ行ってしまった。
あたしは智也が教室から出て行くのをただ眺めて、何もできずに何も言えずにただ眺めて、それからふらつく足取りで自分の座席まで戻った。椅子に座ってみても体がふわふわ浮かんでるみたいで、あたしが今「ここにいる」って感触がとてつもなく希薄だった。夢を見ているときの、あの、体が言うことを聞かない感覚と、よく似ている気がする。
(智也が……あたしと遊びたくない、って……)
頭を垂れて机を見つめる形になる。顔を上げる気力が少しも湧いて来ない。ただただ気持ちが深く沈んで行くばかりで、ここから這い上がれる気がこれっぽっちもしない。背筋が冷たくなったかと思うと、頬が熱くなったような気がして、身体が心の同様に過敏に反応してるのがよく分かった。
今思うと、こんなことを言われる予兆はあったかも知れない。この前の夏休みの時だって、あたしと一緒にいるとたまに素っ気ないところを見せて、前に比べてほんのちょっとだけ話し辛くなった気がしてた。だけど、外で遊んでくれたのは変わらなかったし、一緒に遊びたくないなんて言う素振りも見せてなかった。
(智也まで、変わっちゃったんだ)
変わった。智也も変わっちゃった。あたしは、そう確信した。
智也は変わっちゃって――もう、あたしと一緒にいるのが、嫌になっちゃったんだ。
(だけど……智也の言う通りかも知れない)
言われてみると、男子と女子が一緒に外で遊んでるところなんて、もうほとんど見掛けない。男子は男子で女子は女子、二つの間にボーダーラインが区切られて、簡単にはそれを越えられないようになってる。中学生になって、子供から大人になってく中で、それはどんどんはっきりと見えるようになっていく。
そのボーダーラインの上で一人取り残されてるのが、他でもない、あたしだ。
もう子供なんかじゃない、だけど大人にもなれない。身体は男子じゃない、だけど心も女子とは言えない。どっちつかずの中途半端、それが今のあたしなんだ。外を走り回って、みんなと一緒に遊んで――そんなことをしたがってるのは、そんなことをしようとしてるのは、あたしだけだ。
あたしだけが、気持ちが子供のままで、大人になる準備ができてない。何も変わってない、変われてないんだ。
(……あたし、どうすればいいの?)
何がなんだか訳が分からなくなって、あたしは思わず顔を伏せた。
閉じた瞼の裏に、熱いものが込み上げてきて――
「……っ……!」
――他の子に見えないように、腕に深く顔を埋めた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
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