暗闇に浮かぶ蛍光色の時計の針は、もう夜中の二時を指している。あとたかだか五時間もすれば、起きて学校へ行く準備をする時間になる。いつもならとっくに夢の中にいる時間なのに、あたしの意識はハッキリと冴えていて、一向に眠りに落ちる気配は無い。ベッドに入って薄手の布団を被って眠るふりをしてみても、眠気はカケラも生じてこない。
きぃん、と耳鳴りがする。思考がいろいろなところへ散らばって、ぐちゃぐちゃになったそれをどうにか取りまとめようとして、でもうまく行かなくて、頭がオーバーヒートしそうになる。
(涼ちゃん……)
あたしの頭を埋め尽くしていたのは、涼ちゃんだった。
少し前、学校帰りにうちへ遊びにきたときの話は、聞いているこっちまで苦しくなってくるくらい、辛い話だった。マリルの匂いのせいで苛められて、先生も助けてくれなくて、学校にも行けなくなって。ゴミ捨て場に閉じ込められたってくだりは、閉じ込めた奴を本気で殴り殺してやりたくなるくらい、胸糞悪い話だった。
それだけでも、十分に過ぎるのに――。
あまつさえ、涼ちゃんは突然、男の子になった。
女の子から男の子になるのって、どんな感じなんだろう。どんなことが起きたんだろう。熱が引いて、服を脱いでみて、自分の身体の様子がおかしくなってたとき、大きくカタチが変わっているのを目にしたとき、涼ちゃんは何を思っただろう。
辛かったに違いない。苦しかったに違いない。想像しただけで、胸がバリバリと引き裂かれそうな思いがした。
あたしだったらどうなってただろう? どんな風になっちゃっただろう?
(『どうして自分を産んだんだ』……)
涼ちゃんのママと喧嘩したってくだりも辛かった。
あたしは自分が産まれてきた理由なんて、考えたこともなかった。涼ちゃんは人と違う身体をもって産まれて、自分がそこにいる理由を嫌でも考えざるを得なかった。辛くて辛くて、目を背けたくて仕方なかった。
引っ越してきた時の涼ちゃんは、とてもそんな猛烈な葛藤があったとは思えなかった。前に見たときと何も変わらない、お淑やかで優しいままの、何も変わってない涼ちゃんだって思ってた。でもそうじゃない、あの時の涼ちゃんは、たくさんの辛いことに一人で立ち向かって、頑張って乗り越えようとしてたんだ。
変わってなかったのは、あたしだけだったんだ。
(それで……涼ちゃんは)
(あたしのこと、?男の子?として?好き?って……)
その涼ちゃんから、女の子から男の子になった涼ちゃんから。
あたしのことが?好き?だと言われた。
(これって、どう受け止めればいいの?)
偽らざる自然な気持ちだった。あたしは次にどうすればいいのか、右も左も上も下も、何も分からなかった。涼ちゃんから投げられたボールを呆然と持ったまま、投げ返せずに佇んでいる。
涼ちゃんの言った言葉。「?男の子?として?好き?」。これは、つまり――。
(?友達?じゃなくなる、ってこと……?)
友達という関係を越えて、友達という一つのボーダーラインを越えて、まったく別の新しい関係ができることになる。それはすなわち、今までと同じじゃいられなくなるってこと。
あたしもまた、変わるっていうことだ。
(変わらないと思ってた、変わりっこないって)
(あたしと涼ちゃんの関係は、ずっと変わらないと思ってた)
(変わらないって、そう思ってたのに)
琴樹・風太・智也……それに、涼ちゃん。
変わらないと信じてたものが、どんどん変わっていく。あたしの手の中にずっとあると思ってたものが、ぽろぽろと零れ落ちていく。止め処なく、止めようがなく、否応なしにすべてが変わっていく。
ただ、あたしだけを、この場所に残して。
(どうしよう?)
(どうすればいいんだろう?)
(あたし、どうなっちゃうんだろう?)
捉えどころの無い、掴みどころの無い不安が、黒い雨雲のように広がって、あたしの心を影で覆い尽くそうとしている。
考えれば考えるほど不安になって、不安を打ち消そうとしてもっと深く考えて、でも不安はただ広がるばかりで。
眠れぬ夜が明けるのを、ただ待つしかなかった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。
Thanks for reading.
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